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第六章 over the clouds

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『店ついた』
『了解、すぐ行く』

最近覚えたてのチャットアプリを使って勝行にメッセージを送る。すると秒で既読がついて、返信がきた。外で待ち合わせなんてことも、たまにはやってみたいとリクエストしたら二つ返事で応じてくれた。
光は新宿でスタジオ収録。
勝行は三鷹で勉強。
全部終わったらここで会おうと決めたファーストフード店は休日だからかとにかく人出が多かった。レジに並ぶ客の最後尾が外にまで伸びている。

ここまでは護衛を兼ねたマネージャー・村上晴樹が付き添ってきてくれたが、勝行と無事合流したら解散する約束だ。業務中なのできちんとネクタイもしめている。似合ってはいないが。

「光くんのドキュメンタリー撮影、来週はライブハウスでね」
「もしかしてライブを撮るのか」
「そうそう。ハロウィンではえっちなコスプレ衣装で歌ったって? 僕も見たかったなあ。今度のはしないの?」
「冗談、もうあんなのは絶対しねえ。なら次の撮影は勝行も一緒か」
「うん。三連休だからね。その後、土日はオフだよ。二人でデートでもしてくる?」
「無理だろ、あいつ勉強あるもん」
「じゃあ僕と保と三人でデートする?」
「しねえ」

ほどなくして黒のチェスターコートを羽織った休日スタイルの勝行が「お待たせ」と店内から迎えに来た。店内は既に満席だが、先に着いてうまく場所を確保したらしく、おいでと手を引いてくる。それは周囲の熱気を帯びてほんのり暖かい。

「じゃーね二人とも。あとはごゆっくり」
「うん」
「ご苦労様でした」

いつの間にか勝行は、休日の晴樹を教師ではなく、相羽家の使用人として態度を切り替えるようにしたらしい。あっさりした業務的な一言だけ告げて、勝行はどんどん奥へと進んでいく。晴樹も無駄に絡んでは来ない。「片岡のおっさんは?」と聞くと、この寒空の下、外で待たせているという。なんとも気の毒だが、彼の護衛の扱い方はいつもこんな感じだったなと思い出す。

「レジ混んでたから先に買っておいたよ。飲み物はホットカフェラテでよかった?」
「ん」

いつも好んで食べる定番のランチセットが既にテーブルに並んでいた。二人掛けの狭い席に座り込み、改めて周りを見渡す。店内には男同士や女同士、男女カップルからパソコンに向かうおひとり様などと、様々な客が所狭しとひしめき合って各々の手元ばかり見ていた。こんな隅っこにポツンと有名人が座っていたとしても、きっと誰も気づかない。けれど洗練された出で立ちの勝行が普通のオーラを放っていなくて目立つと思うのはどうしてだろうか。通りゆく女の子たちが「ねえあの人かっこよくない?」「俳優さんかな」と遠巻きに語っているのが聴こえてきた。
光は彼女たちより自分を選んでもらったことに優越感を持ちつつ、買ってもらったハンバーガーにかぶりついた。まずは腹を満たしたい。

「うんまー!」
「ここのバーガー食べるの、久しぶりだね」
「去年はよくスタジオ行く前に寄り道してたっけ」

高校の制服を着たまま、仕事前に寄って五分で食って飛び出したっけ。
――そんな思い出話を二人で笑いながら交わす。言われてみれば確かにここで勝行と話しながら食べるのは久しぶりだった。一年生の時、二年生の時、三年生の時……少しずつ違っていく生活を思い返しながら、まだ勝行の隣にいられてよかったと思える。

「受験勉強は捗った?」
「まあまあかな。やっぱり数学はいまいちなんだけど、先生に相談したら苦手対策よりは得意分野に力入れて点数カバーした方がいいかなって話になって。好きな科目の方が頑張れるしね」
「まあ、確かに」
「光が外出誘ってくれたおかげで、やる気も出てさ。今日は計画以上に捗った」

正々堂々と出かけられるよう、家庭教師に出された課題は全て終わらせてきたという。
我儘を言ってみたつもりだったけれど、勝行のいい気分転換にもなったようだ。光はほっと胸を撫で下ろした。久しぶりに食べた照り焼きバーガーの味も甘くて上々だ。

「あーあー、急いで食べるから。たれが付いてる」
「どこ?」

向かい合って座る勝行が、しょうがないなと微笑みながら光の頬に手を触れ、ペーパータオルで拭いてくれる。世話焼きのいつもの勝行だ。こんな日常が戻ってくれてよかった――。
けれど光の心はどこか晴れない。

(父さんに逢いに行きたいって言ったら、怒ってケイが出てくるかな)
(病気のこととかも……まだ言えないな。心配しすぎてまた勉強が手につかなくなりそうだ)

せっかく元の勝行に戻ったのに、いつまた爆発するかわからない以上、不安の種を増やすわけにはいかない。心の健康を気遣うのはなかなか難しいなと改めて思った。それでも今は幸せだ。まだこのままでいい。未来は見えないのが当たり前で、今という時間を有益に過ごす以外、光に残された選択肢はないのだ。

「なあ勝行。お前のコート見てたら俺も欲しくなった」
「そろそろ寒くなってきたもんね。そのパーカー一枚じゃ風邪ひくよ。今から買いに行こうか」
「かっこいいやつ、勝行が選んで」
「いいよ、とっておきの店に連れて行ってあげる」
「クッソ高いのは嫌だからな。安売りしてるやつがいい!」
「わかってるよ。お前には値札見せないから」

勝行に釣り合う人間になりたい。
せめて隣に立っていても、彼が笑われないように自分を磨きたい。勝行の隣を狙う女子たちに「WINGSのあの子と一緒にいるなら、しょうがない」と思わせられるくらいの相棒にならねば。どうせ恋愛、結婚となれば女には勝てっこないのだから、これぐらいの悪あがきは許されるだろう。
ひと先ず外面はプロデュースしてくれる勝行に全て任せることにして、光は冷めかけのポテトに手を伸ばした。


あれから一か月。
目を覚ました勝行は、やはりケイと過ごした時間や経緯を一切覚えていなかった。

それどころか、起爆タイミングが急増してケイとすり替わる日が増えた。決まって光がナンパ目的の男に迫られた時や、別の人間と仲良く一緒に居た後が多い。少しでも怪しいと思えばその都度隠れた場所で胸倉を掴まれ、あの男たちに一体何をされた、奴らを殺すと憤慨する。時にベッドで、トイレの個室で。その衝動を抑えるために、光は必ずケイに性交を迫った。

それは表の勝行の持つ『嫉妬』から派生した感情だ。そう思うと逆に愛おしくて堪らない。
ケイが表に出てくる時は、勝行に極度のストレスが溜まっている時。現実逃避したくなるほどの嫌なことがあった時。だから光も彼の現実逃避に付き合うことにした。唇を貪りあい、性器を擦り付け、喧嘩まがいの性行為を繰り返す。どんなに腰振り善がっても、ケイの性欲を一滴残らず飲み込んでも、それは全部泡沫の夢。影の世界だ。鏡を通して見つめる別の自分たちが、淫らに己の欲を満たそうと情事に明け暮れる。

それでも身体は「相羽勝行」と「今西光」だ。彼との約束を反故したことにはならない――光はそう思い込むことにして、欲望のままにケイと身体を重ねた。
監禁拘束、玩具責めのお仕置き視姦プレイを愉しむのは危険な勝行の方で、ケイが戻ってくると助け出してくれる。どうやら彼に加虐趣味はないらしい。

「お前はどうしてオレの言う事が聞けないんだ……このバカ犬」
「うるせえドーテー。黙って俺にヤラれるか、ヤるかのどっちか選べ」

ケイは光を乱暴に組み敷くことで少しは怒りの感情が発散されるようで、一晩暴れて朝になれば元の勝行に戻っている。代わりに独占欲剥き出しのキスマークを大量に残して去っていく。
晴樹にはすぐ見つかり揶揄われたけれど、仕事に影響が出るから噛ませるなら腕の付け根かうなじ付近がいい、と受け身側のアドバイスをくれた。彼は結局勝行と付き合っていると勘違いしたままだったが、その方がかえって手を出してこないのであえて訂正はしなかった。
晴樹の教え通り、後背位で獣のように突かれながら「噛んで」と強請れば、ケイは上から覆い被さりうなじを執拗に吸ってくれる。歯を立てて、ぎりぎりと生き血を吸い上げるかのように。そうすると上からも下からも流れてくる強烈な快感に支配され、堪らなくキモチイイ――。忘我の境に入るほど、癖になっていた。

こうして気づけばケイと勝行、光の三人が暮らす同居生活を送っていた。
何も知らないのは勝行本人だけ。いつまでこの奇妙な関係が続くのかは、さっぱり分からなかった。
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