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第六章 over the clouds
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「おお光、久しぶり。ちょっと見ない間に成長したんじゃないか。また背だけ伸びたか?」
出会い頭に下から髪をぐいぐい撫でてきた男の腕は、しわくちゃで筋張っていた。
「そういう稲葉センセーだって。ジジイになったんじゃね」
「んだとこの野郎。相変わらず口が悪いな」
「……いってぇ。そうやってすぐ殴んのやめろよ暴力医者っ」
「お前がもう少し殊勝になったら考慮してやるわ、生意気なクソガキめ」
見慣れないスーツ姿で上京した白髪の紳士・稲葉教授は、光が中学を卒業するまでずっと面倒をみてくれた主治医だ。東京に越した時に稲葉が紹介した現・主治医の星野は彼の後輩にあたるらしい。
いつもの定期診察と検査のあと、診察室とは少し違う会議室のような場所に案内された光は、新旧の主治医に挟まれながらソファに座り込んだ。すでに二人は光に通達する内容を打ち合わせていたらしいが、書類は机上で閉じられたまま。最近の様子はどうだとか、前の病院ではこうだったといった光の話にばかり花が咲く。
「稲葉先生からしたら、光くんはお孫さんみたいな感じですか?」
「孫だぁ? 冗談じゃねえ、こいつの親父とは一回りしか違わねえんだぞ」
「これは失礼しました。でもすごく仲良さそうで」
星野はにこにこしながら、いがみ合う二人の仲を見つめて言った。こんなんのどこが仲良しに見えるんだと光はため息をついた。けれど確かに稲葉は、両親がいなくなった時の親代わりのような存在だった。別に親戚というわけでもない。父・桐吾とは友人だと言っていたし、昔は暴れん坊の暴走族だったが引退して医者になり、日陰で生きるならず者たちのOBとして親しまれていたことぐらいしか知らない。
「いいからさっさと用件済ませろよ。腹減った」
「またお前は……その口の利き方はやめろと言っただろうが」
ゴン、と再びいい音が光の頭上で鳴り響く。年老いて皺と筋だらけの腕をしつつも、この男のパンチは相変わらず重くて痛い。
光は頭をさすりながら、星野から渡された書類に目を通した。そこにはなぜか英語で記載された知らない病院の設備が写真付きで載っていた。パンフレットのようだ。
「何これ」
「まずは話を簡潔に述べよう。夏休みの精密検査の結果、光くんに狭心症以外の疾患を発見した。これは国内ではまだ有効な治療法が確立されていない難病だ。より綿密な検査と治療に最新の高度医療技術が必要になってくる。そのため、僕ら医師側は君に渡米治療をおすすめしたい」
「……え?」
簡単にと言われたが、光は一度に事情が呑み込めなかった。
「今君に渡した資料はね。うちの病院グループと提携しているアメリカの高度医療センターだ。聞くところによると君は小さい頃、一度この病院に入院していたそうだね。稲葉先生からの資料に書いてあったんだ。君は覚えていないかな……?」
「アメリカの……病院……?」
「桐吾がお前を連れて臓器提供ドナー探しに行った時の病院だ。まあ……五、六歳くらいだったから覚えてないかなあ」
「お、覚えてる。けど」
以前勝行に訊かれて思い出を語ったことを思い出す。外国のというよりは病院内での記憶しか残っていないけれど、あの時は確かに桐吾がいつも傍にいた。
「前はドナーも見つからず、行くだけ無駄だったと桐吾にだいぶごねられたが、今回は治療を受けにいく目的がはっきりある。ただ、もうすぐ高校も卒業する頃合いだし、今すぐではなく卒業してからがいいとは思うが――」
「だ……だから……進路のこと聞いたり、相羽の親父さんに話そうとしてたのか……」
光は呆然と書類を眺めていた。物々しい機械や施設の写真に合わせて病名と治療方法の解説が載っている。けれど難しすぎて意味が分からないし、イマイチ脳に入ってこない。
とりあえず今日呼ばれたのは治療費の話だと思っていた光は、あらかじめ用意していた言葉を口にした。
「か……金がないから無理だよ」
「君のお義父さんは、高額な医療費になっても金銭は工面できると以前仰っていたよ」
「でも……」
「ガキは金の心配なんざしなくてもいいんだ。光、お前桐吾と最後に何か話したか」
「……え。最後って」
「お前、会ったんだろ? あいつが麻薬密売で捕まる前に」
「っ……い、稲葉センセ知ってんのか」
「桐吾が電話してきたから知ってる。あいつからお前の治療費として莫大な金も預かった。犯罪で手に入れたモンだったら要らねえって一度は怒ったんだがな、どうやら違うらしい。正真正銘、お前のためにあいつが貯めた金だ」
受け取ってやってくれないか。
銀行の通帳と、カード、印鑑。そして病院の治療計画書。大人の手により用意されていたアイテムばかりが目の前にぽんぽんと出てくる。
これからの人生は自分で決めると息巻いたばかりだったのに。しょっぱなから出鼻を挫かれるどころか、とんでもない爆弾を落とされた気分だ。光は固く結んだ拳を膝に置いて俯き、わなわなと肩を震わせる。
「父さんが……俺に……何を……置いていったって……?」
通帳の中には、見たこともないような桁の金額が一行にぽんとあるのみ。
このためだけに契約されたらしく、預け主の名前は「イマニシヒカル」になっていた。
「こんな……こんなの……要らない……」
「光くん? 急なことでびっくりしたかもしれないけど、君のお父さんは……」
「要らない……こんなカタチで父さんに愛してほしかったんじゃ、なかったのに……っ」
なんてもんを置いて行ったんだ、あいつは。
勝行の父親みたいなこと、してんじゃねえよ!
光は零れそうになる涙を必死に堪えると、稲葉の出したアイテムを全部押し返し、部屋を飛び出した。星野と稲葉が必死に止めようとしたけれど、全力で逃げた。
とにかく、一人になりたかった。
「おお光、久しぶり。ちょっと見ない間に成長したんじゃないか。また背だけ伸びたか?」
出会い頭に下から髪をぐいぐい撫でてきた男の腕は、しわくちゃで筋張っていた。
「そういう稲葉センセーだって。ジジイになったんじゃね」
「んだとこの野郎。相変わらず口が悪いな」
「……いってぇ。そうやってすぐ殴んのやめろよ暴力医者っ」
「お前がもう少し殊勝になったら考慮してやるわ、生意気なクソガキめ」
見慣れないスーツ姿で上京した白髪の紳士・稲葉教授は、光が中学を卒業するまでずっと面倒をみてくれた主治医だ。東京に越した時に稲葉が紹介した現・主治医の星野は彼の後輩にあたるらしい。
いつもの定期診察と検査のあと、診察室とは少し違う会議室のような場所に案内された光は、新旧の主治医に挟まれながらソファに座り込んだ。すでに二人は光に通達する内容を打ち合わせていたらしいが、書類は机上で閉じられたまま。最近の様子はどうだとか、前の病院ではこうだったといった光の話にばかり花が咲く。
「稲葉先生からしたら、光くんはお孫さんみたいな感じですか?」
「孫だぁ? 冗談じゃねえ、こいつの親父とは一回りしか違わねえんだぞ」
「これは失礼しました。でもすごく仲良さそうで」
星野はにこにこしながら、いがみ合う二人の仲を見つめて言った。こんなんのどこが仲良しに見えるんだと光はため息をついた。けれど確かに稲葉は、両親がいなくなった時の親代わりのような存在だった。別に親戚というわけでもない。父・桐吾とは友人だと言っていたし、昔は暴れん坊の暴走族だったが引退して医者になり、日陰で生きるならず者たちのOBとして親しまれていたことぐらいしか知らない。
「いいからさっさと用件済ませろよ。腹減った」
「またお前は……その口の利き方はやめろと言っただろうが」
ゴン、と再びいい音が光の頭上で鳴り響く。年老いて皺と筋だらけの腕をしつつも、この男のパンチは相変わらず重くて痛い。
光は頭をさすりながら、星野から渡された書類に目を通した。そこにはなぜか英語で記載された知らない病院の設備が写真付きで載っていた。パンフレットのようだ。
「何これ」
「まずは話を簡潔に述べよう。夏休みの精密検査の結果、光くんに狭心症以外の疾患を発見した。これは国内ではまだ有効な治療法が確立されていない難病だ。より綿密な検査と治療に最新の高度医療技術が必要になってくる。そのため、僕ら医師側は君に渡米治療をおすすめしたい」
「……え?」
簡単にと言われたが、光は一度に事情が呑み込めなかった。
「今君に渡した資料はね。うちの病院グループと提携しているアメリカの高度医療センターだ。聞くところによると君は小さい頃、一度この病院に入院していたそうだね。稲葉先生からの資料に書いてあったんだ。君は覚えていないかな……?」
「アメリカの……病院……?」
「桐吾がお前を連れて臓器提供ドナー探しに行った時の病院だ。まあ……五、六歳くらいだったから覚えてないかなあ」
「お、覚えてる。けど」
以前勝行に訊かれて思い出を語ったことを思い出す。外国のというよりは病院内での記憶しか残っていないけれど、あの時は確かに桐吾がいつも傍にいた。
「前はドナーも見つからず、行くだけ無駄だったと桐吾にだいぶごねられたが、今回は治療を受けにいく目的がはっきりある。ただ、もうすぐ高校も卒業する頃合いだし、今すぐではなく卒業してからがいいとは思うが――」
「だ……だから……進路のこと聞いたり、相羽の親父さんに話そうとしてたのか……」
光は呆然と書類を眺めていた。物々しい機械や施設の写真に合わせて病名と治療方法の解説が載っている。けれど難しすぎて意味が分からないし、イマイチ脳に入ってこない。
とりあえず今日呼ばれたのは治療費の話だと思っていた光は、あらかじめ用意していた言葉を口にした。
「か……金がないから無理だよ」
「君のお義父さんは、高額な医療費になっても金銭は工面できると以前仰っていたよ」
「でも……」
「ガキは金の心配なんざしなくてもいいんだ。光、お前桐吾と最後に何か話したか」
「……え。最後って」
「お前、会ったんだろ? あいつが麻薬密売で捕まる前に」
「っ……い、稲葉センセ知ってんのか」
「桐吾が電話してきたから知ってる。あいつからお前の治療費として莫大な金も預かった。犯罪で手に入れたモンだったら要らねえって一度は怒ったんだがな、どうやら違うらしい。正真正銘、お前のためにあいつが貯めた金だ」
受け取ってやってくれないか。
銀行の通帳と、カード、印鑑。そして病院の治療計画書。大人の手により用意されていたアイテムばかりが目の前にぽんぽんと出てくる。
これからの人生は自分で決めると息巻いたばかりだったのに。しょっぱなから出鼻を挫かれるどころか、とんでもない爆弾を落とされた気分だ。光は固く結んだ拳を膝に置いて俯き、わなわなと肩を震わせる。
「父さんが……俺に……何を……置いていったって……?」
通帳の中には、見たこともないような桁の金額が一行にぽんとあるのみ。
このためだけに契約されたらしく、預け主の名前は「イマニシヒカル」になっていた。
「こんな……こんなの……要らない……」
「光くん? 急なことでびっくりしたかもしれないけど、君のお父さんは……」
「要らない……こんなカタチで父さんに愛してほしかったんじゃ、なかったのに……っ」
なんてもんを置いて行ったんだ、あいつは。
勝行の父親みたいなこと、してんじゃねえよ!
光は零れそうになる涙を必死に堪えると、稲葉の出したアイテムを全部押し返し、部屋を飛び出した。星野と稲葉が必死に止めようとしたけれど、全力で逃げた。
とにかく、一人になりたかった。
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