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第五章 VS相羽勝行
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「ないんだよ。オレには何も……存在を証明するものがない」
ひとしきり暴れ狂って興奮が冷めた二人は後始末もそこそこにベッドに倒れ込んだ。荒れる呼吸を整えながら、まだお互い意識も肉体も消えていないことを確認する。そして『彼』には名前がないことを改めて告げられ、光はきょとんと首を傾げた。
「でもお前は、自分で勝行じゃないって言って……」
「オレは……勝行が要らないって言って捨てた感情から生まれた。あいつにしてみれば、ゴミみたいな厄介者だろ」
いまいちピンとこない説明ではあるが、後者の発言はどんな状況であれ切なくて心苦しい言葉だった。
暗闇にもだいぶ目が慣れてきた光は、勝行の身体のあちこちに血が付着していることに気が付き、再びぞくっと背筋を凍らせた。慌てて起き上がり、腕をとって他に傷がないか確認する。小さな切り傷があったらしく、頬からも血を流していた。
「おい、右手以外にも怪我してるじゃないか。お前がやったのか」
「……さあ? 覚えてないな」
「覚えてないって……さっきガラスの破片を」
「オレのせいにすんな、目が醒めた時からこうだったんだ、知らねえよ!」
さっきは自殺しようとしていたというのに、『彼』の証言はどこか歪んで話が合わなかった。捕まれた腕を強引に払い、『彼』は忌々しそうに吐き捨てる。
「『勝行』が消えてオレがここにいるってことは、現実から目を背けている時だ。思い通りにならなくて恥かいた時、ムカつく時、怖い時……この世から消えたい時」
「……」
体力を消耗しすぎたせいだろうか。『彼』の声は弱々しく、今にも消え入りそうだった。それでも、ようやくまともに会話ができた気がする。今までのパターンだと、ひとしきり暴れ狂った後突然意識を失い『勝行』に戻ってしまうことが多いのだが、まだ『彼』と話ができている。
(正直コイツにしか訊けないんだよな。勝行本人のことって)
光は慎重に言葉を選びながら『彼』の顔色を窺った。
「……なんで今『勝行』はここにいないんだ。……死にたくなった……のか……?」
「多分そうだろ。片岡に暴走がバレて注射で麻酔打たれてたし……。オレに消えたい、壊したいって衝動だけ押し付けて逃げた。クソッ……身体、まだ怠い……」
「逃げたって。どこに」
「さあな。オレがこの身体使ってる時は呼んでも反応ねえ。そのくせ起きたらオレを邪魔者扱いして無理やり押し出てくる。あいつ強いから」
あの勝行がそんなことを?
想像がつかなくてしばし考え込んだ光は、さっき紙に書いて整理していた事柄を思い出した。
「……ちょっと待て。じゃあオッサンに見つかったのは、お前じゃなくてあいつの方か。あの人を見下すような目の……ヤベえ嗤い方しておかしなこと言ってくる奴……」
「アレ。勝行の本性。お前、知らなかったんだろ」
「……ブラックのが……?」
「だから言っただろ。普段の勝行は猫かぶってるだけ。オレはあの嘘つき野郎とは違う……クソな感情ばっかりオレに押し付けるから、あいつの代わりに憂さ晴らしするしかなくて……は……はは……だからあいつより先に光とセックスしてやったし……! ざまあ! オレのものにしてやった!」
『彼』は狂ったように突然笑い出し、血まみれの手でベッドシーツを何度も殴る。それから拳を止めると、声を震わせ項垂れた。
「勝行とは違うって言いたいけど……持ってる感情だけは同じで……自分でも時々、オレがなんで存在してるのか、全然わからない……」
――泣いてる?
声が震えている気がして、光は思わず身体を抱き寄せた。ぐずっと鼻をすすり、横を向いて嗚咽を漏らすその泣き方は初めて勝行が目の前で人格を替えた時、最初に出会った幼い子どものような勝行にどこか似ていた。
ならばどうしてあんなにセックスが嫌だと泣いたのか、本当は知りたかった。けれど傷つくことが怖くて、その話題には踏み込めない。心臓はまだしくしく痛む。光はかぶりを振って、話題を変えた。
「じゃあさ。俺がお前の名前つけてもいい?」
「……は?」
「勝行の感情だけ一緒なら……両方の頭文字とって『K』とか。ケイ。どう、かっこよくね?」
「……ネーミングセンス、ないな」
「は、嘘だろ文句言うな! 名前がないとなんて呼べばいいかわかんねえだろ。個体識別番号だと思って使え」
「適当につけたくせに」
光の腕の中で拗ねたようにぼやく『彼』――ケイは、それでも確かに微笑んでいた。弱音を吐いて落ち込んで、甘えに来る時のそれと同じ表情で。
一瞬勝行が戻ってきたのかと錯覚するほどに、よく似ていた。
「俺、ケイと初めて会った時……『好き』って言われて、すげー嬉しかったんだぜ……どうせお前は忘れてるだろうけど」
「……」
「前は『逃げたら犯す』って言ってたくせに。あれは俺を脅すための嘘だったんだな。セックスしたくなかったのに、無理やりヤっちまって悪かったよ。謝る」
「……何言ってんだ、そうじゃなくて」
しょんぼりと項垂れ謝る光を見て、ケイは反論しかける。だがその襟元をぐいと掴み上げ、光は畳みかけるように言葉を重ねた。
「でも残念だったよな。俺があんな言葉で怖がるどころか、悦ぶドMの変態野郎だとは思わなかったんだろ?」
「……っ」
「次、またケイに逢ったら……もっかい犯しにいくから、覚悟しとけよ……逃がさないから」
「なっ……なんだと。逆だろ、俺がお前を」
「いーや、甘いな」
艶やかに舌を這わせてケイの唇を奪い取ると、耳元で淫靡に囁く。
「バカな悪役は、俺の方が得意だ」
たとえケイがもう一度表に出てきても、誰かに厭われたり衝動的に他者に暴力を振るったりすることはもうないだろう。そう、これからは自分が『ケイ』の相手を一手に引き受ける。光は「もっかい、首にキスして」と誘いながら、傷ついた勝行の頬を舐めて、必死に祈った。
いつものように笑い合いながら、勝行とバンド活動できる日々が戻ることを。
「ないんだよ。オレには何も……存在を証明するものがない」
ひとしきり暴れ狂って興奮が冷めた二人は後始末もそこそこにベッドに倒れ込んだ。荒れる呼吸を整えながら、まだお互い意識も肉体も消えていないことを確認する。そして『彼』には名前がないことを改めて告げられ、光はきょとんと首を傾げた。
「でもお前は、自分で勝行じゃないって言って……」
「オレは……勝行が要らないって言って捨てた感情から生まれた。あいつにしてみれば、ゴミみたいな厄介者だろ」
いまいちピンとこない説明ではあるが、後者の発言はどんな状況であれ切なくて心苦しい言葉だった。
暗闇にもだいぶ目が慣れてきた光は、勝行の身体のあちこちに血が付着していることに気が付き、再びぞくっと背筋を凍らせた。慌てて起き上がり、腕をとって他に傷がないか確認する。小さな切り傷があったらしく、頬からも血を流していた。
「おい、右手以外にも怪我してるじゃないか。お前がやったのか」
「……さあ? 覚えてないな」
「覚えてないって……さっきガラスの破片を」
「オレのせいにすんな、目が醒めた時からこうだったんだ、知らねえよ!」
さっきは自殺しようとしていたというのに、『彼』の証言はどこか歪んで話が合わなかった。捕まれた腕を強引に払い、『彼』は忌々しそうに吐き捨てる。
「『勝行』が消えてオレがここにいるってことは、現実から目を背けている時だ。思い通りにならなくて恥かいた時、ムカつく時、怖い時……この世から消えたい時」
「……」
体力を消耗しすぎたせいだろうか。『彼』の声は弱々しく、今にも消え入りそうだった。それでも、ようやくまともに会話ができた気がする。今までのパターンだと、ひとしきり暴れ狂った後突然意識を失い『勝行』に戻ってしまうことが多いのだが、まだ『彼』と話ができている。
(正直コイツにしか訊けないんだよな。勝行本人のことって)
光は慎重に言葉を選びながら『彼』の顔色を窺った。
「……なんで今『勝行』はここにいないんだ。……死にたくなった……のか……?」
「多分そうだろ。片岡に暴走がバレて注射で麻酔打たれてたし……。オレに消えたい、壊したいって衝動だけ押し付けて逃げた。クソッ……身体、まだ怠い……」
「逃げたって。どこに」
「さあな。オレがこの身体使ってる時は呼んでも反応ねえ。そのくせ起きたらオレを邪魔者扱いして無理やり押し出てくる。あいつ強いから」
あの勝行がそんなことを?
想像がつかなくてしばし考え込んだ光は、さっき紙に書いて整理していた事柄を思い出した。
「……ちょっと待て。じゃあオッサンに見つかったのは、お前じゃなくてあいつの方か。あの人を見下すような目の……ヤベえ嗤い方しておかしなこと言ってくる奴……」
「アレ。勝行の本性。お前、知らなかったんだろ」
「……ブラックのが……?」
「だから言っただろ。普段の勝行は猫かぶってるだけ。オレはあの嘘つき野郎とは違う……クソな感情ばっかりオレに押し付けるから、あいつの代わりに憂さ晴らしするしかなくて……は……はは……だからあいつより先に光とセックスしてやったし……! ざまあ! オレのものにしてやった!」
『彼』は狂ったように突然笑い出し、血まみれの手でベッドシーツを何度も殴る。それから拳を止めると、声を震わせ項垂れた。
「勝行とは違うって言いたいけど……持ってる感情だけは同じで……自分でも時々、オレがなんで存在してるのか、全然わからない……」
――泣いてる?
声が震えている気がして、光は思わず身体を抱き寄せた。ぐずっと鼻をすすり、横を向いて嗚咽を漏らすその泣き方は初めて勝行が目の前で人格を替えた時、最初に出会った幼い子どものような勝行にどこか似ていた。
ならばどうしてあんなにセックスが嫌だと泣いたのか、本当は知りたかった。けれど傷つくことが怖くて、その話題には踏み込めない。心臓はまだしくしく痛む。光はかぶりを振って、話題を変えた。
「じゃあさ。俺がお前の名前つけてもいい?」
「……は?」
「勝行の感情だけ一緒なら……両方の頭文字とって『K』とか。ケイ。どう、かっこよくね?」
「……ネーミングセンス、ないな」
「は、嘘だろ文句言うな! 名前がないとなんて呼べばいいかわかんねえだろ。個体識別番号だと思って使え」
「適当につけたくせに」
光の腕の中で拗ねたようにぼやく『彼』――ケイは、それでも確かに微笑んでいた。弱音を吐いて落ち込んで、甘えに来る時のそれと同じ表情で。
一瞬勝行が戻ってきたのかと錯覚するほどに、よく似ていた。
「俺、ケイと初めて会った時……『好き』って言われて、すげー嬉しかったんだぜ……どうせお前は忘れてるだろうけど」
「……」
「前は『逃げたら犯す』って言ってたくせに。あれは俺を脅すための嘘だったんだな。セックスしたくなかったのに、無理やりヤっちまって悪かったよ。謝る」
「……何言ってんだ、そうじゃなくて」
しょんぼりと項垂れ謝る光を見て、ケイは反論しかける。だがその襟元をぐいと掴み上げ、光は畳みかけるように言葉を重ねた。
「でも残念だったよな。俺があんな言葉で怖がるどころか、悦ぶドMの変態野郎だとは思わなかったんだろ?」
「……っ」
「次、またケイに逢ったら……もっかい犯しにいくから、覚悟しとけよ……逃がさないから」
「なっ……なんだと。逆だろ、俺がお前を」
「いーや、甘いな」
艶やかに舌を這わせてケイの唇を奪い取ると、耳元で淫靡に囁く。
「バカな悪役は、俺の方が得意だ」
たとえケイがもう一度表に出てきても、誰かに厭われたり衝動的に他者に暴力を振るったりすることはもうないだろう。そう、これからは自分が『ケイ』の相手を一手に引き受ける。光は「もっかい、首にキスして」と誘いながら、傷ついた勝行の頬を舐めて、必死に祈った。
いつものように笑い合いながら、勝行とバンド活動できる日々が戻ることを。
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