できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第五章 VS相羽勝行

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夜も更けてくると使用人たちが忙しく働き、母屋がにわかに騒がしくなる。
光はテーブルの端をずっと指でカチカチ叩いて気を紛らわすも、落ち着けなかった。勝行にはまだ会ってはいけないと片岡に止められ、一人きり休憩室に居残っている。

「勝行に謝りたいんだ。俺が……あいつとの約束破ったりしたから」
「あの方は感情コントロールができなくなった時、前後の記憶を失います。きっとあなたに何があったのかも、知らないままです」
「あ……そ、そうか……」
「起爆剤になった出来事を伝えるのはハイリスクです。相羽はそれを望んでいません」
「でっ……でも、悪いのは」
「いいえ光さん。何もなかったことにしていつも通り振る舞って差しあげてください。私も事情は存じ上げません。どうか勝行さんが気分を落ち着かせるまで、光さんもゆっくり休憩なさってください。ピアノが必要でしたらお持ちしますので」
「なかったことに……って……」

片岡に半ば無理やり説得されるも、光の心はちっとも晴れなかった。要するに勝行への面会の許可を得られるまで、この部屋に軟禁というわけだ。縛られていないだけましだが、ここで一人反省しろという相羽家からの命令なのだろう。光は大人しく部屋で待ち続けていた。
勝行がああなった原因はわかっている。迂闊だったのだ。晴樹に流されてすっかり夢中になって――。

『できればキスとかセックスは……もうオレ以外とはしないで欲しい』
(……って、あいつと約束したんだ。なのに……なのに……)

一番裏切りたくない人を傷つけて、泣かせてしまった。自己都合で電話連絡を無視した上に、防犯カメラに映る場所で晴樹とオーラルセックスをしていたのだから。

(ごめんって何べん言っても足りない……俺、最低だ……)

キレた勝行の拷問のような仕置きに耐えている最中、光は自室の天井角に潜む小さなカメラを見つけた。あの位置からなら間違いなく、晴樹の一物を自ら呑み込んだ姿が映っていただろう。そしてきっと勝行は、通話が繋がらないことで心配になって、あの日カメラの映像を覗き見たのだ。理由がわかった途端、光は激しく後悔した。
何度も謝ったけれど、首を絞めながら「勝行たち」は泣いていた。それに一番謝りたかった本当の相手は彼らではない。

(あの約束を交わしたのは……あいつらとじゃない。恥ずかしがりでヘタレなくせに、家では甘ったるいキスをいっぱいしてくれる、兄貴ぶった方の……。俺がいないと駄目なんだって、すぐ落ち込んで弱音吐く奴で……っ)

片岡は勝行の性格が一変することは分かっているようだが、それを良しとしない。それに「感情コントロールが……」と表現していた。だが光は少なくとも、あの口調が荒い勝行は中身が完全に違う「別人」だと感じていた。普段通りの優しい言葉遣いなのに突飛ない暴走を始める狂タイプとも違う。
豹変して人格が変わった時、勝行という人間が二人いる気がしたのだ。

(なんていうか。存在を認めてもらえなくて拗ねてる、双子の片割れって感じなんだけど。こういうのって星野センセーに訊いたら教えてくれるかなあ。俺が双子だからそう思うだけなのか?)

苛ついて思考がうまく整理できない。ふと机上にペンを見つけた光は、メイドの一人にメモ帳を一冊もらって再び席に着いた。
文字を書いて図にして、あったことや思ったことを少しずつ整理してみる。作詞する時のアイデア出しのように。

【1、いつもの勝行】……優しい。甘い。兄っぽい。キスは激しい。首も吸う。でもセックスは苦手そう。えっちなことをすると怒るし駄目って言う。

【2、キレた時の勝行】……いきなり怒る。理不尽。言う事がガキ。でも泣いてる。目が赤くなる? ガチで噛んでくる。親父っぽい。俺にも似てるかも。すぐ人を殺そうとする。

【3、怖い勝行】……↑に似てるけど、ちょっと違う。喋り方は勝行に似てる。でも言ってることが意味不明で変。愛してるって言うけど意地悪ばっか。狂ったように笑う。声が怖い。

(……うーん……三番目が一番、ヤバイ気がする)
だが三番目は、笑顔で人に嫌がらせする時の腹黒い彼に似ている。

「黒」と名づけるなら、むしろこの三番目の男につけるべきか。対になる温和な勝行は「白」といったところだろう。二番目の立ち位置だけがしっくりこなくて、光はううんと唸った。
「赤」――この男は一体、誰だ?

その時、表から「きゃあっ」と悲鳴のような声が聴こえてきた。同時にガチャーンと激しい破壊音が鳴り響く。
騒然とする廊下をこっそり覗くと、使用人らしき数人が「片岡さんを呼んで来い」「坊ちゃまおやめください」と慌てる様子が視界に飛び込んできた。彼らが取り囲んでいるのは勝行の個室だ。

――もしかすると、二番目か三番目が表に出ているのだろうか?

呼ばれた片岡が急ぎ足で目の前を通り過ぎるのが見えた。光は急いで追いかけ、片岡の腕を掴んで「おいどうした」と声をかける。

「あ、光さんすみません、今しばしお待ちくださ」
「もしかして、ブラックな方の勝行が起きた?」
「……!」
「今あいつが出てるんなら、俺と代われ」
「しかしそれでは光さんを危険に晒すことになります。承諾致しかねます」
「危険って何。あいつ、そんなに悪い奴か? ならあんた、今から何しにあの部屋に入るんだ。また薬でも飲ませて無理やり寝かせるつもりか」

あてずっぽうで言った言葉がどうやら当たっていたらしく、片岡はかなり動揺している。

「で……ですが……また光さんを拘束して、暴力を……」
「油断してなかったらそんなことさせねえ。いいから俺に任せろ、あいつと話がしたいんだ。……つか、俺じゃないときっとあいつの暴走は止まらないぜ」

勝行に命令されている以上、逆らえないのだろう。片岡は困った顔をしながら考え込んでいた。
再び何か割れる音が部屋から聞こえてきた。呑気に返事を待っていられる時間はなさそうだ。

「なあ。どけよおっさん」
「……」
「俺が勝手にあいつを止めに行くんだ。だからあんたは俺のこと、見なかったことにしろ!」
「ひ、光さん!」

片岡を無理やり押し退けると、静止を振り切って光は走り出した。「どけ!」と叫び、廊下でおろおろしている使用人も無理やり押しのけ、勝行の部屋へと飛び込む。バンと勢いよく開けた扉の向こうには、無数の本とガラスが床下に飛び散っていた。

「誰もくんな!」

光はドアの鍵を内側からがちゃりと閉めた。
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