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第四章 カミングアウト

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一度だけ、週末に勝行が家にいない時があった。あの日は急病で仕事に穴を開けてしまった自分と、大役に抜擢されてプロの舞台に立つ勝行とでやるべき仕事が違ったから。こんな風にぐだぐだと考え込んだりすることもなかったし、寂しいとも思わなかった。
半年ほど前のことだったのに、あれから随分と変わったものだ。——それほど、半年間で起きた事件は勝行の心配性を加速させたし、お互いが寄り添い、支え合うべき大事な存在だと気づくための時間は十分にあった。

勝行ははっきりと口にしないが、自分を家族として愛してくれている。だから過剰なまでに自分を監視したがる気持ちも理解できなくはない。もともと高い壁に囲まれ、閉鎖された空間で寝台に縛り付けられて育ってきた人間だ。むしろ慣れていると言った方が正しい。まだこの家は自由が利く方だ。

(監視カメラねえ……。どこにあんのか、全然わかんねえな)

部屋をぐるりと見渡しても、いつもと何が違うのか光にはさっぱりわからない。大富豪・相羽家がやることだ。きっと本家にも同じようなものが設置されているのだろう。
それに本当に盗聴器を仕掛けているのなら、うっかり晴樹に性行為を強請った日のことも、保健室で耳を舐められたこともすでに気づかれているはず。何も言ってこないということはそういうことだろう。これ以上勝行を疑いたくはなかった。むしろ彼が心労でぶっ倒れないよう、自分が注意深く生きていけばいい話だと心に言い聞かせる。
光はいつも通りの週末を過ごす。洗濯ものを済ませ、部屋干しをしながら室内も片づけて、掃除機をかける。最後に勝行の寝室を片付けた光は、主のいないベッドにエプロン姿のまま寝転がった。

(まだここ、勝行の匂い、する)

さっきの青リンゴっぽい香りとは違う、勝行本人から感じる甘ったるい男の芳香。自分では気づかないであろうその匂いが沁みついた枕に顔を埋めた。そこはとてつもなく安心できる、不思議な空間でもあった。
降りしきる雨の音が、静かな室内に響き渡る。

「……え、寝ちゃってる?」
「しーっ、静かに」

ドキュメンタリー撮影のために入室の許可をもらっていたカメラマンは、光の日常を邪魔しないように注意しながらカメラを回していた。今日は光しか在宅していないので、家事をしている様子さえ撮れたら撮影は終わる予定だったのだが——。

「疲れてるのかな」
「そっとしておいてあげよう」
「黙々と働いてたもんね。この広いマンション、あの子が一人で掃除してるとは思わなかったわ」
「料理男子の動画は最近よく見かけるけど、掃除洗濯してる高校生アイドルって、なかなか撮れないと思いますよ、置鮎さん」

眠りこける光の姿をしっかり録画保存し、今日の成果を誇らしげに報告すると、カメラマンはねぎらいの言葉をもらって帰って行く。そして光の家には、置鮎保と村上晴樹の二人だけが残っていた。

「ほんと、可愛いね光くんって」
「言っとくけど、光はオレの見つけた理想の美少年なの。ハルには絶対譲ってやんないからね」
「うーん。手を出したら、保は怒る?」
「当たり前でしょ。その前にあんた、相羽家に始末されて東京湾に沈められてるわ、きっと。あそこ、暴力団と繋がってるって噂もあるのよ」
「ひえー、怖いな相羽総帥」

晴樹は苦笑しながらうたた寝中の光の傍に腰掛けた。透き通る程の白い肌が、晴樹の健康的な小麦色に相対してさらに青みを帯びていく。気づかれないようにそっと首筋の後れ毛をどかし、保に「これ見て」と悪戯っぽく声をかける。

「彼氏のキスマーク、けっこうえげつないと思わない」
「……ほんとね。噛んでるじゃない」

内出血して青ばんでいる部分に、擦過傷のような跡が残る。ちょうどシャツを着ると隠れる部分にあるから、完全に確信犯の技だ。
二人は顔を見合わせ、ため息をついた。

「本当にこれ、かっちゃんがつけたのかしら」
「もしそうだとしたら? 保は二人の交際、どう思ってるの」
「まあ……腐女子向けのコンセプトで売り出したから、最初は狙ってたわよ。元々怪しい関係だったから。でもどっちかっていうと、光の方が勝行にベタ惚れで、勝行はノーマルなんだろうなって思ってたからなあ」
「保と僕が初めてセックスした日って、彼らぐらいの時だったよね」
「そうね、たしかに。しつこいわんこに押し倒されて仕方なく」
「え、仕方なくなの!?」
「勝行も、光のタチ悪い色香に負けて、制御利かなくなってきたかな。……お年頃だしね」

許さないわけではない。だが行き過ぎた関係になるのであれば、応援するかしないかは別だと保は呟いた。まるで自分に言い聞かせるかのように。保の細長い指が、光の長い前髪をそっと梳く。

(誰か……しゃべってる?)

ぼんやりしていて内容までは聞き取れないが、傍で勝行以外の声が聴こえてくるのは分かった。光は首を傾げる。ここは勝行の寝室なのに——

「……っ」
「起きた? おはよう、眠り姫」

目を開けた途端、ラフな格好の晴樹がやっほうと手を振っている。その隣には保も。既視感ありすぎる起床パターンに遭遇した光は、思わず枕を握り締めたまま後ずさった。

「あははは、そこまでびっくりしなくても。今朝はお邪魔しますってちゃんと言ったじゃん」
「もう今日の仕事撮影は終わったわ。カメラマンも帰ったし、別に寝ててもいいのよ」
「い、いや……おき、起きる」

そうだった。絶賛ドキュメンタリーの撮影中だったし、晴樹と保も様子見に来ていたのだ。すっかり忘れてうたた寝していたことに気づいた光は、晴樹となるべく距離を取りながら回答した。いい感じに避けられてるなあと笑うが、全然気にしている様子はない。

「お……お前らはまだ帰らないのか」
「どうせなら光の手料理が食べてみたくて」
「あと、せっかくの休みだし。三人でたまにはゆっくりおしゃべりしたくて」
「はあ?」

光の眉間に、三重ぐらいの皺ができているのを見て、晴樹はさらに腹を抱えて笑い出した。
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