39 / 165
第三章 たまにはお前も休めばいい
4
しおりを挟む
**
高校生最後の夏休みはゆっくり、音を立てずに過ぎていく。
保には休みを謳歌しなさいと言われたけれど、勝行はどう過ごすことが正解なのかわからなかった。
突然ライブができなくなり、ギターを持たなくなってからもう二週間は過ぎた。時々手がうずくけれど、まだ曲を作りたいという前ほどの熱意は戻らない。かといって勉強に精を出せるほどのやる気も出ない。本当にただの抜け殻になったような気分だった。
悩み過ぎて眉間に皺寄せるたび、隣に座る光が赤子を相手するかのように抱きしめてくれる。いつか願った、エネルギーチャージの話を覚えていてくれたのだろう。背中を撫でてくれるその手は細くて骨ばっているくせに、温かった。
(もし俺に母がいたら……こんな感じなのかな)
同級生の義弟相手にぼんやりそんなことを考えながら、勝行は腕の中で目を閉じた。
毎朝窓際で空を仰ぎ、自販機のドリップコーヒーを啜りながら夏休みの課題を確認する。最低限の問題を仕上げたあと、決まってご褒美のキスをねだる光は一度疲れて眠る。その間は抱き枕係を担当しつつ、一人で受験勉強。昼寝から目覚めた時、難しい顔をしている勝行を見つけたら、「まだ勉強してたのか」とハグしてくれたり、「気分転換しよう」と散歩を提案してくる。晩御飯の時間には一度シャワーを浴びに帰り、外で食事を済ませてもう一度病室へ。そうすれば寝る用意を済ませた光がピアノを弾きながら待っていて、ベッドの左側を譲ってくれる。付き添い家族用のソファベッドはいつも荷物置き場で、時々SP・片岡荘介のベッドになるだけ。
繰り返す日々のルーティンは本当に穏やかで、優しい世界だった。
「——あのさ、光」
「なに?」
「そのままでいいから、聞いてくれる?」
雨上がりの夕方、いつかの屋上で風を受けて気分転換していた時。吐息をひとつ零し、夕焼けのグラデーションをぼんやり眺めながら、勝行は静かに言葉を紡いだ。光は隣で、不思議そうにこちらを見つめていた。
「俺……前ばっかり見て、一人で焦って。足元が不安定なまま、お前を置いて無責任に走り出してしまった。本当にごめん」
「……?」
「せっかく一緒にやるって言ってくれたのに。……俺を信じてくれてたのに。すごく簡単なハードルに足ひっかけて転んでさ。お前までケガさせて……ほんと、ダサくて……」
情けなくもその声は、どこか震えている気がした。光は黙って話の続きを待つ。
「毎日後悔ばかりしてた。いつまでもこんな風に、何もしないで日和ってていいのかなって」
言葉が途切れるたび、虫の大合唱ばかりが耳につく。どれも耳障りはよくない。
「本当だったら今頃ライブしたり、ツアーに行きたかったんだろう。せっかく高校最後の夏休みだったのにさ。つまんない休みになったのは全部俺のせいなんだ。なのにお前、ちっとも責めないから……。俺のこと、いくらでも罵ってくれたらいいのに」
「怒れって言うんなら、怒る」
黙っていた光が、ぼそっと呟いた。
「……何でもかんでも、自分一人の責任にして、人のことのけ者にしやがって」
いつまでも『許されている』自分に罪悪感しか感じなかった。けれど彼は、思わぬ方向から責め立てる。
「あのさあ。WINGSの活動休止は、俺が人を殴ったせいだろ。あと、全然体調治らないから。それって俺に何の責任もないって言うのかよ。俺には謝らせてくれないのかよ」
「光……」
「あとつまんないって勝手に決めつけんなよ。少なくとも俺は、お前がこうして隣にいてくれて嬉しかったのに」
拗ねたような物言いでそう言うと、光は視線を手すりに落とした。明らかに落ち込んだ姿だった。
「そうじゃなくて……」
「でもそうだよな。いつまでも見て見ぬふりばっかして、反省しないのはよくない。俺もお前に、ちゃんと謝りたい」
「え?」
「去年の冬からずっと……俺のせいで、WINGSがちゃんと活動できなくなって。悪かった」
その視線はあまりに真っすぐ自分を見据えていて、胸が詰まりそうになる。謝りたかったのは自分の方だったのに。
再入院したばかりの時は、盛大に落ち込んで「ライブしたかった」と愚痴っていた光だが、同時に何度も「ごめん」と謝ってくれていた。もう十分すぎるくらいの懺悔を聞いている。その言葉を聞くたび、「そうじゃない」「お前は悪くないよ」と否定してうんと抱きしめたかった。けれどきっと、光はそれを望んでいない。勝行はぐっと唇を噛み締めた。
何もわかってあげられなかった。守れなかった自分の不甲斐なさに涙がでそうだ。光はいつも海神のように器が広くて、優しい。
(だから俺は、ついお前に甘えてしまうっていうのに……)
そんな姿を見て、光は何を感じ取ってくれたのだろうか。——自分はいったい、どんな顔をして彼の前に立っていたのだろう。
「だから、お前悪くないし。きっと、どうしようもないことだったんだ。色々あって、ただ疲れたんだよ。たまにはお前も休めばいい。俺の隣にいる時は、無理して笑うなよ」
柔らかく微笑む姿があまりに綺麗で、夕闇に溶けてしまいそうだ。
白い肌と寝巻のキャンパスにオレンジパープルの空を映した光は、寂しそうに勝行のシャツを引っ張った。吸い込まれるように近づき、そっと唇に触れる。
——そうだ。お互いの懺悔を唇の中に溶かして、全部綺麗に飲み込んでしまおう。
激しいほどの口づけを何度も求めあうたび、腕の中の光の頬に透明の雫が流れ落ちた。それがどちらのものなのかは、わからなかった。
高校生最後の夏休みはゆっくり、音を立てずに過ぎていく。
保には休みを謳歌しなさいと言われたけれど、勝行はどう過ごすことが正解なのかわからなかった。
突然ライブができなくなり、ギターを持たなくなってからもう二週間は過ぎた。時々手がうずくけれど、まだ曲を作りたいという前ほどの熱意は戻らない。かといって勉強に精を出せるほどのやる気も出ない。本当にただの抜け殻になったような気分だった。
悩み過ぎて眉間に皺寄せるたび、隣に座る光が赤子を相手するかのように抱きしめてくれる。いつか願った、エネルギーチャージの話を覚えていてくれたのだろう。背中を撫でてくれるその手は細くて骨ばっているくせに、温かった。
(もし俺に母がいたら……こんな感じなのかな)
同級生の義弟相手にぼんやりそんなことを考えながら、勝行は腕の中で目を閉じた。
毎朝窓際で空を仰ぎ、自販機のドリップコーヒーを啜りながら夏休みの課題を確認する。最低限の問題を仕上げたあと、決まってご褒美のキスをねだる光は一度疲れて眠る。その間は抱き枕係を担当しつつ、一人で受験勉強。昼寝から目覚めた時、難しい顔をしている勝行を見つけたら、「まだ勉強してたのか」とハグしてくれたり、「気分転換しよう」と散歩を提案してくる。晩御飯の時間には一度シャワーを浴びに帰り、外で食事を済ませてもう一度病室へ。そうすれば寝る用意を済ませた光がピアノを弾きながら待っていて、ベッドの左側を譲ってくれる。付き添い家族用のソファベッドはいつも荷物置き場で、時々SP・片岡荘介のベッドになるだけ。
繰り返す日々のルーティンは本当に穏やかで、優しい世界だった。
「——あのさ、光」
「なに?」
「そのままでいいから、聞いてくれる?」
雨上がりの夕方、いつかの屋上で風を受けて気分転換していた時。吐息をひとつ零し、夕焼けのグラデーションをぼんやり眺めながら、勝行は静かに言葉を紡いだ。光は隣で、不思議そうにこちらを見つめていた。
「俺……前ばっかり見て、一人で焦って。足元が不安定なまま、お前を置いて無責任に走り出してしまった。本当にごめん」
「……?」
「せっかく一緒にやるって言ってくれたのに。……俺を信じてくれてたのに。すごく簡単なハードルに足ひっかけて転んでさ。お前までケガさせて……ほんと、ダサくて……」
情けなくもその声は、どこか震えている気がした。光は黙って話の続きを待つ。
「毎日後悔ばかりしてた。いつまでもこんな風に、何もしないで日和ってていいのかなって」
言葉が途切れるたび、虫の大合唱ばかりが耳につく。どれも耳障りはよくない。
「本当だったら今頃ライブしたり、ツアーに行きたかったんだろう。せっかく高校最後の夏休みだったのにさ。つまんない休みになったのは全部俺のせいなんだ。なのにお前、ちっとも責めないから……。俺のこと、いくらでも罵ってくれたらいいのに」
「怒れって言うんなら、怒る」
黙っていた光が、ぼそっと呟いた。
「……何でもかんでも、自分一人の責任にして、人のことのけ者にしやがって」
いつまでも『許されている』自分に罪悪感しか感じなかった。けれど彼は、思わぬ方向から責め立てる。
「あのさあ。WINGSの活動休止は、俺が人を殴ったせいだろ。あと、全然体調治らないから。それって俺に何の責任もないって言うのかよ。俺には謝らせてくれないのかよ」
「光……」
「あとつまんないって勝手に決めつけんなよ。少なくとも俺は、お前がこうして隣にいてくれて嬉しかったのに」
拗ねたような物言いでそう言うと、光は視線を手すりに落とした。明らかに落ち込んだ姿だった。
「そうじゃなくて……」
「でもそうだよな。いつまでも見て見ぬふりばっかして、反省しないのはよくない。俺もお前に、ちゃんと謝りたい」
「え?」
「去年の冬からずっと……俺のせいで、WINGSがちゃんと活動できなくなって。悪かった」
その視線はあまりに真っすぐ自分を見据えていて、胸が詰まりそうになる。謝りたかったのは自分の方だったのに。
再入院したばかりの時は、盛大に落ち込んで「ライブしたかった」と愚痴っていた光だが、同時に何度も「ごめん」と謝ってくれていた。もう十分すぎるくらいの懺悔を聞いている。その言葉を聞くたび、「そうじゃない」「お前は悪くないよ」と否定してうんと抱きしめたかった。けれどきっと、光はそれを望んでいない。勝行はぐっと唇を噛み締めた。
何もわかってあげられなかった。守れなかった自分の不甲斐なさに涙がでそうだ。光はいつも海神のように器が広くて、優しい。
(だから俺は、ついお前に甘えてしまうっていうのに……)
そんな姿を見て、光は何を感じ取ってくれたのだろうか。——自分はいったい、どんな顔をして彼の前に立っていたのだろう。
「だから、お前悪くないし。きっと、どうしようもないことだったんだ。色々あって、ただ疲れたんだよ。たまにはお前も休めばいい。俺の隣にいる時は、無理して笑うなよ」
柔らかく微笑む姿があまりに綺麗で、夕闇に溶けてしまいそうだ。
白い肌と寝巻のキャンパスにオレンジパープルの空を映した光は、寂しそうに勝行のシャツを引っ張った。吸い込まれるように近づき、そっと唇に触れる。
——そうだ。お互いの懺悔を唇の中に溶かして、全部綺麗に飲み込んでしまおう。
激しいほどの口づけを何度も求めあうたび、腕の中の光の頬に透明の雫が流れ落ちた。それがどちらのものなのかは、わからなかった。
0
お気に入りに追加
224
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
まだ、言えない
怜虎
BL
学生×芸能系、ストーリーメインのソフトBL
XXXXXXXXX
あらすじ
高校3年、クラスでもグループが固まりつつある梅雨の時期。まだクラスに馴染みきれない人見知りの吉澤蛍(よしざわけい)と、クラスメイトの雨野秋良(あまのあきら)。
“TRAP” というアーティストがきっかけで仲良くなった彼の狙いは別にあった。
吉澤蛍を中心に、恋が、才能が動き出す。
「まだ、言えない」気持ちが交差する。
“全てを打ち明けられるのは、いつになるだろうか”
注1:本作品はBLに分類される作品です。苦手な方はご遠慮くださいm(_ _)m
注2:ソフトな表現、ストーリーメインです。苦手な方は⋯ (省略)
オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる