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第二章 明けない曇り空
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ズンズンと腹の底に響くベース音、テレキャスギターがジャキジャキ繋ぐケーデンスの連続ターン。如何にもロックを楽しもうぜ、と全身全霊で主張してくる音の中、観客が思い思いに手を挙げ身体でリズムを刻んでいる。
ヘヴィメタルまではいかないが、ハードロックというだけあって、心臓にズドンと直接語り掛けてくる。音が重い。会場の音響効果も相まって、まるで音楽で殴り合いのバトルをしているようだ。
「こういうの、光は好きか? 俺は結構好きなんだけど」
「……」
光は隣で呆然とステージを観ている。大きめの声で話しかけたつもりだが、全然聞こえていないようだ。新しい世界を初めて観た時の、驚きの顔をしている。きっとこんなライブ、来たことも見たこともなかったのだろう。
(そりゃあ、病院でピアノ弾いてばっかだったら知らないよな)
そういう勝行自身も、あまり本格的なライブは参戦したことがなかった。いつもINFINITYで小規模ライブを手伝っているが、それとは比べ物にならない。それにこのバンドの楽曲は鬱や不条理を叩き割っていくような好戦的スタイル。ファンは二十代の若者や、世の中に少々不満を抱えて生きるストレス社会の犠牲者が多そうだ。まさにここで一緒に歌って暴れて高揚した気分になれる。
歌詞を知らなくてもギタリストの誘うようなテンションのせいか、身体が勝手にリズムを刻んでしまう。巧みなその演奏とボーカルの力強い歌声には不思議な訴求力がある。何かを腹にため込んでいるリスナーの体内に入り込み、間接的に感情操作してくるのがわかる。
「俺もこんなの作ってみたくなったなあ。なんかこう、腹の中にたまったもやもや全部ぶっ壊せるような曲」
最初にロックが好きになった理由もそうだった。表にうまく出せない攻撃性をギターの演奏音にかき混ぜて誤魔化してみたこともある。当然いい曲は生まれなかったけれど、叫びたいメッセージがきちんとメロディにのれば、誰もが共感できる楽曲が作れるはず。
こういう「みんなで腹の底から叫び合える」曲がWINGSにはまだ足りない気がする。
(もっとアレンジがんばらないと……同じメッセージでも、演奏アレンジひとつで全然人の動かし方が違う。ステージに合った編曲は絶対必要だ)
本当はプロデューサーの置鮎保には、ここでライブするのは時期尚早だと難色を示された。体よく反対されたのだ。
一度ライブを観に行けばわかる、テストが終わったらこれに行ってこいと言ってチケットをくれた理由が少しわかった気がした。
(光の体調を心配するような言い回ししてたけど、本当は完全に俺へのけん制だ……今の俺のレベルじゃ、この会場内の全てと一体になる音楽は作れないって言われたようなもんじゃないか)
わかった途端、悔しい気持ちでいっぱいになる。光の体調管理と勉強に時間を取られ過ぎていて忘れていたが、まだまだ、音楽業界の中にいる【相羽勝行】は新人のひよっこなのだ。学年一位の成績をすごいとちやほやされる学校とはわけが違う。
だが勝行には最も強力な武器がある。奇才【今西光】の予想だにしない自由奔放なピアノメロディとそのパフォーマンスは、この会場中の観客を湧きあがらせることができるだろう。
それを絶対に潰すわけにはいかない。当然、他人に潰させるわけにもいかない。己自身が半端なアレンジをして台無しにすることも許さない。
(やる気、爆上がりなんだけど。保さんは俺が怖気づくとでも思ったのかな。悔しいけど、こんなところで躓いていられるか)
「なあ、光。俺たちもここでライブしたいと思わないか。お前のピアノ、これぐらいの大きな会場に響かせて、客席中俺たちの音楽で埋め尽くしてさ、みんなに聴かせたいよ。お前をあのステージに立たせてあげたい。絶対すごいことになる」
「……」
「光、さっきからどうした? ぼうっとして。――ライブに夢中なのかな」
「本当に音楽がお好きなんですねえ」
「直立不動のスーツ姿でこんなライブ聴いてるのも、なんかおかしいけどね」
光を挟んだ向こう側で微笑む片岡にそんな冗談を飛ばしてみたら、「お二人の警護中ですから」と真面目に答えられてしまった。
「WINGSのライブの時は、私はペンライトを振ってますよ」
「ええっ……そういうアイドルみたいなのはいいです、恥ずかしいからやめてください」
「だめですか? 先日WINGSの公式グッズとして、ネット限定販売してたんですよ」
「そ、そんなのあるんだ……知らなかった……事務所の広報戦略かな……」
明日のライブはいつものゲリラ出演予定なので、ライブの予告はどこにもしていない。だがそんなグッズを買ってまで準備してくれるファンがいるのなら、一刻も早く大きな会場でワンマンで歌えるようなバンドに成長したいと勝行は思った。
興奮冷めやらぬうちにライブは終幕を迎えた。満員の会場から一斉に人が出ることを考えると移動が困難なので、勝行は早めに表に出ることにした。相変わらずぼうっと音楽を聴いている光の手を引き「行くよ」と連れ出す。
「どうだった光、いい施設だと思わないか。俺たちにはまだ早いかもしれないけど、でもファーストアルバムを引っ提げてここのイベントに出たら、いい宣伝になると思うんだ」
「……」
光はまだ呆然としたまま、無言で空を見つめていた。この時初めて勝行は光がおかしいことに気づく。振り返り、光の身体を揺さぶってみた。
「光、大丈夫か? なんか……現実に戻ってきてない感じだけど」
「……かつゆき……」
「なに、聞いてたか? ……っておいっなんだよ急に」
突然物凄い勢いで抱きつかれ、勝行は慌てふためいた。感極まったのはわからなくもないが、こんなに往来の激しい場所でハグやキスをされるわけにはいかない。
「やめ、ここ外なんだけど」
「……っ」
「……光?」
「ゲホッ、ゲホゴホッ」
その身体はひどく冷えていて、小刻みに震えていた。喘息の発作のような咳を繰り返しながら、光は勝行の身体にしがみついて離れない。顔色も真っ青だ。
「だっ……大丈夫か光。片岡さん、急いで車に戻りましょう」
「かしこまりました。歩けますか、光さん」
片岡がすっと手を差し伸べるも、光の意識はすでに朦朧としていて返事すらできそうになかった。抱き上げようとするも、間髪入れずに片岡が代わりに持ち上げてくれる。悔しいが自分が抱き上げるよりは片岡に任せた方が一秒でも早く戻れる。それに抱っこをすれば「やめろ」と恥ずかしがるはずの光だが、苦し気に浅い呼吸をするばかりで、なんの抵抗もしない。
「早く戻ろう、きっと吸入が必要だ……車内にキットがあるはず」
「そのまま病院に直行しますね」
なぜその時突然喘息発作が出たのか――勝行には全然わからなかった。光が手を伸ばしながらか細い声で「かつゆき」と訴える姿にも気づくことはなかった。
ヘヴィメタルまではいかないが、ハードロックというだけあって、心臓にズドンと直接語り掛けてくる。音が重い。会場の音響効果も相まって、まるで音楽で殴り合いのバトルをしているようだ。
「こういうの、光は好きか? 俺は結構好きなんだけど」
「……」
光は隣で呆然とステージを観ている。大きめの声で話しかけたつもりだが、全然聞こえていないようだ。新しい世界を初めて観た時の、驚きの顔をしている。きっとこんなライブ、来たことも見たこともなかったのだろう。
(そりゃあ、病院でピアノ弾いてばっかだったら知らないよな)
そういう勝行自身も、あまり本格的なライブは参戦したことがなかった。いつもINFINITYで小規模ライブを手伝っているが、それとは比べ物にならない。それにこのバンドの楽曲は鬱や不条理を叩き割っていくような好戦的スタイル。ファンは二十代の若者や、世の中に少々不満を抱えて生きるストレス社会の犠牲者が多そうだ。まさにここで一緒に歌って暴れて高揚した気分になれる。
歌詞を知らなくてもギタリストの誘うようなテンションのせいか、身体が勝手にリズムを刻んでしまう。巧みなその演奏とボーカルの力強い歌声には不思議な訴求力がある。何かを腹にため込んでいるリスナーの体内に入り込み、間接的に感情操作してくるのがわかる。
「俺もこんなの作ってみたくなったなあ。なんかこう、腹の中にたまったもやもや全部ぶっ壊せるような曲」
最初にロックが好きになった理由もそうだった。表にうまく出せない攻撃性をギターの演奏音にかき混ぜて誤魔化してみたこともある。当然いい曲は生まれなかったけれど、叫びたいメッセージがきちんとメロディにのれば、誰もが共感できる楽曲が作れるはず。
こういう「みんなで腹の底から叫び合える」曲がWINGSにはまだ足りない気がする。
(もっとアレンジがんばらないと……同じメッセージでも、演奏アレンジひとつで全然人の動かし方が違う。ステージに合った編曲は絶対必要だ)
本当はプロデューサーの置鮎保には、ここでライブするのは時期尚早だと難色を示された。体よく反対されたのだ。
一度ライブを観に行けばわかる、テストが終わったらこれに行ってこいと言ってチケットをくれた理由が少しわかった気がした。
(光の体調を心配するような言い回ししてたけど、本当は完全に俺へのけん制だ……今の俺のレベルじゃ、この会場内の全てと一体になる音楽は作れないって言われたようなもんじゃないか)
わかった途端、悔しい気持ちでいっぱいになる。光の体調管理と勉強に時間を取られ過ぎていて忘れていたが、まだまだ、音楽業界の中にいる【相羽勝行】は新人のひよっこなのだ。学年一位の成績をすごいとちやほやされる学校とはわけが違う。
だが勝行には最も強力な武器がある。奇才【今西光】の予想だにしない自由奔放なピアノメロディとそのパフォーマンスは、この会場中の観客を湧きあがらせることができるだろう。
それを絶対に潰すわけにはいかない。当然、他人に潰させるわけにもいかない。己自身が半端なアレンジをして台無しにすることも許さない。
(やる気、爆上がりなんだけど。保さんは俺が怖気づくとでも思ったのかな。悔しいけど、こんなところで躓いていられるか)
「なあ、光。俺たちもここでライブしたいと思わないか。お前のピアノ、これぐらいの大きな会場に響かせて、客席中俺たちの音楽で埋め尽くしてさ、みんなに聴かせたいよ。お前をあのステージに立たせてあげたい。絶対すごいことになる」
「……」
「光、さっきからどうした? ぼうっとして。――ライブに夢中なのかな」
「本当に音楽がお好きなんですねえ」
「直立不動のスーツ姿でこんなライブ聴いてるのも、なんかおかしいけどね」
光を挟んだ向こう側で微笑む片岡にそんな冗談を飛ばしてみたら、「お二人の警護中ですから」と真面目に答えられてしまった。
「WINGSのライブの時は、私はペンライトを振ってますよ」
「ええっ……そういうアイドルみたいなのはいいです、恥ずかしいからやめてください」
「だめですか? 先日WINGSの公式グッズとして、ネット限定販売してたんですよ」
「そ、そんなのあるんだ……知らなかった……事務所の広報戦略かな……」
明日のライブはいつものゲリラ出演予定なので、ライブの予告はどこにもしていない。だがそんなグッズを買ってまで準備してくれるファンがいるのなら、一刻も早く大きな会場でワンマンで歌えるようなバンドに成長したいと勝行は思った。
興奮冷めやらぬうちにライブは終幕を迎えた。満員の会場から一斉に人が出ることを考えると移動が困難なので、勝行は早めに表に出ることにした。相変わらずぼうっと音楽を聴いている光の手を引き「行くよ」と連れ出す。
「どうだった光、いい施設だと思わないか。俺たちにはまだ早いかもしれないけど、でもファーストアルバムを引っ提げてここのイベントに出たら、いい宣伝になると思うんだ」
「……」
光はまだ呆然としたまま、無言で空を見つめていた。この時初めて勝行は光がおかしいことに気づく。振り返り、光の身体を揺さぶってみた。
「光、大丈夫か? なんか……現実に戻ってきてない感じだけど」
「……かつゆき……」
「なに、聞いてたか? ……っておいっなんだよ急に」
突然物凄い勢いで抱きつかれ、勝行は慌てふためいた。感極まったのはわからなくもないが、こんなに往来の激しい場所でハグやキスをされるわけにはいかない。
「やめ、ここ外なんだけど」
「……っ」
「……光?」
「ゲホッ、ゲホゴホッ」
その身体はひどく冷えていて、小刻みに震えていた。喘息の発作のような咳を繰り返しながら、光は勝行の身体にしがみついて離れない。顔色も真っ青だ。
「だっ……大丈夫か光。片岡さん、急いで車に戻りましょう」
「かしこまりました。歩けますか、光さん」
片岡がすっと手を差し伸べるも、光の意識はすでに朦朧としていて返事すらできそうになかった。抱き上げようとするも、間髪入れずに片岡が代わりに持ち上げてくれる。悔しいが自分が抱き上げるよりは片岡に任せた方が一秒でも早く戻れる。それに抱っこをすれば「やめろ」と恥ずかしがるはずの光だが、苦し気に浅い呼吸をするばかりで、なんの抵抗もしない。
「早く戻ろう、きっと吸入が必要だ……車内にキットがあるはず」
「そのまま病院に直行しますね」
なぜその時突然喘息発作が出たのか――勝行には全然わからなかった。光が手を伸ばしながらか細い声で「かつゆき」と訴える姿にも気づくことはなかった。
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