できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第二章 明けない曇り空

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どうにか期末試験は頓挫することなく乗り越えられた。回答欄も半分は埋めたから、赤点さえ取らなければ夏休みは予定通り過ごせるだろう。テスト期間中、何度も「がんばれば夏休みはライブが沢山できるよ」と勝行に励まされ、必死に頑張った甲斐はあったと思う。

(明日ライブハウスのイベントがあって、ファーストアルバムが出て、それからあとなんだっけ……あ、もっかい入院するんだった。かったりぃな……)

校舎の壁に凭れ、ぼうっと座り込みながら、光はまた地面の雑草を見つめていた。今まで全然気にしなかったけれど、自分が日常的に好んで昼寝や日光浴をする場所では高確率でクローバーを見かけるようになった。
選択科目で光と違う授業を取っている勝行は、もう一時間テストがあるという。待ち時間に保健室で寝ていようかと思ったが、無性に土の香りを嗅ぎたくなって屋外の日陰を待機場所に選んだ。

体調はさほど悪くない。けれど妙に気怠い感じが抜けない。きっと勉強尽くしで机に向かってばかりだったからだろう。慣れないことはするもんじゃない。光はため息をついた。

(最近は毎日勝行が一緒に寝てくれるし……寝る前にキスしてくれるし、調子いい方だと思うんだけど)

ふいに夢の中でまであの男に甘ったるいキスを沢山してもらったことを思い出し、頬を赤らめる。首に飽き足らず鎖骨や乳首、へその部分までたっぷりキスされて、もうすぐ男の大事な象徴に当たるところまで――というところで、だいたい目が覚める。

(俺って勝行にあんなことしてほしいって、思ってんのかな。夢は願望って言うし)

けれどどこか……夢ではなく、リアルに身体が感じているような気がするのだ。その証拠に、寝起きは無意識にムスコを握っていたりする。決まって手や下着はドロドロ。恥ずかしさのあまり、勝行にバレないようこっそり洗面所に行って洗濯も済ませるけれど、勝行のキスや声を思い出すだけで身体がずくずくと疼いてしまう。そう、まるで桐吾と一緒にいた時のような錯覚を起こしてしまうのだ。
おかげで後ろめたい気持ちがあって、勝行に毎朝「体調はどう?」と聞かれても「大丈夫」としか答えられなかった。この貧弱ポンコツなくせに、快楽だけは求めたがる身体が本当に情けなくて涙が出る。

(ダメだ……あいつにだけは、淫乱だって思われたくない)

キスやセックス以外の何かで心を満たしたい。もう二度とアレをしなくても済むように――二十四時間ずっとピアノを弾いて綺麗な音楽に浸っていたい。鳴りっぱなしのイヤホンを耳にかけて地面に寝転がり、雑草をふにふにと摘まみながら目を閉じた。
勝行の甘く伸びやかな歌声が、ひだまりの中聴こえてくる。イヤホンから流れる彼の声は、そのメロディは、青空と茂みの中でひっそりと行われる、光のためだけのソロコンサートだ。


「光さん、大丈夫ですか?」
「……え?」

急に身体を揺さぶられて、光は眠い目をこすりながら起き上がった。ぽろん、とイヤホンが抜け落ちる。目の前には汗をかきつつ、ほっとしたような顔の片岡荘介がいた。

「なんだよ邪魔すんなよ……勝行、テスト終わったのか?」
「いえ……。失礼しました。てっきり倒れていらっしゃるのかと思って、焦りました」
「……ああ……」

片岡は登下校中の送迎運転手もしている。そろそろ迎えの時間なのでこちらに戻ってきたらしい。校舎の外でひっくり返って寝ている光を見つけたら、驚くのも無理はない。
怒られるのかなと思いながらのっそり上半身を起こすと、片岡は何事もなかったかのように隣に座り込む。抵抗なくスーツのお尻を土につける姿を見て、光は目をぱちくりさせた。

「さっきそこのコンビニで美味しそうなデザートを見つけたんですよ。光さんの好みはまだよく把握できてなくて、すみません。お口にあうといいんですが」

そう言いながら手提げビニール袋から期間限定のオレンジババロアを取り出し、光にひとつプレゼントしてくれる。

「かんきつ系はお好きですか」
「う……ああ。好き」
「そうですか、よかった。勝行さんからオレンジジュースがお好きだときいていたので、デザートもいけるかなと思いまして」
「……心配したのに、怒らないんだ?」
「え? 外で昼寝されるのは光さんの御趣味ですよね、ご無事を確認できたら十分です。でも水分はこまめに取ったほうがいいですよ」
「……ふうん……」
「はい、スプーンもどうぞ」

校舎裏で座り込み、厳つい黒服おじさんと一緒にデザートを頬張るのは初体験だ。しかし蓋まで開けてもらって食べないわけにはいかない。プラスチックスプーンを口に咥えながら光は大人しくババロアを頂いた。口の中で甘く蕩けていくそれはとても冷たくて舌触りが心地よい。

「おっさんのは何味?」
「いちご味です」
「えー、いちご好きなんか。俺の親父みたい」
「お父様と趣味が合いますか」

そこまで言ってから光はハッと口を噤んだ。ついこないだ、父親の話をして勝行の機嫌を損ねたばかりだ。もう忘れたいと願っていたのに、何かあるたびあの男のことを思い出しては、誰かと引き合いにして比べてしまう。
だが片岡は全然気にしなかったようだ。にこにこ笑いながら、イチゴ味は外れなしの鉄板です、と力説する。

「へんなの……」
「えっ、オレンジ味は微妙でしたか」
「そっちじゃねえよ」

この男がいると少し気が抜ける。あまり護衛を傍に置きたがらない勝行が、彼だけは身近にいてもあまり文句を言わない理由もなんだか頷ける気がした。

「こんなとこで寝てても勝行とか病院のセンセーみたいに怒らないし。スイーツの味ばっか語るし。……親父のこと、詮索しないし」
「……光さんは、怒ってもらいたかったですか?」
「そうじゃねえけど」
「勝行さんは……そうですね。ご自身の手に負えないことが苦手と申しますか。昔から胃腸に穴を開けて片頭痛で倒れるほどに悩まれるタイプの方なので、光さんを心配すればするほどご気分を損ねてしまうかもしれません」
「……ふうん」
「そういう時は、コーヒーをやめて甘いものを出してあげてください」
「どうして?」
「人の脳は適度に糖分を必要とするものです。低血糖でイライラされているのかもしれません。今度ガミガミお説教されたら試してみてください」
「……なんか、片岡のおっさんも勝行に怒られたことあるみたいだな」
「ええ、それはもう。六歳の時からお付き合いしてますから」

あっけらかんとした顔で勝行対策を教えてくれる片岡は、まさに相羽勝行の付き人としては超ベテランなのだろう。友人としてほんの数年しか付き合っていない光とは年季が違う。少々うらやましいぐらいだ。

「でも光さんを大事にしすぎていて、ちょっと過保護な方だと思います」

ズバッとした物言いに思わずぶはっと笑ってしまう。片岡も穏やかな笑顔を零しながら、のんびりとした口調で続ける。

「私はきっと光さんのお父様と年齢も近いでしょうから、思い出してしまうこともあるかと思います。辛ければ無理にため込まずお話してくださいね。なんでも聞きますよ、秘密も厳守です。逆に勝行さんのことで訊きたいことがあれば、答えられる限りお答えします」
「……おやつ付きで?」
「今度はオレンジゼリーかオレンジアイスを買ってきます」

そのしぐさや言い回しはどこか勝行に似ている気がする。
ふと思った。片岡は、人格がごそっと入れ替わったかのようになる勝行の他の顔を知っているのだろうか。いつか聞けるものなら聞いてみよう。

「それはさておき、今日はこの後渋谷のライブ会場に行かれるそうですね。それもとても大きなビルで有名な場所の」
「……ああ。どこか知らないけど、ライブの下見に行くって聞いた」
「いやあ楽しみですねー! 僭越ながら私も一緒に入らせていただきますので、よろしくお願いします。ライブなんて久しぶりです、WINGSの明日のライブも楽しみににしております」
「……え、あ……ああ……うん……」
「興奮のあまり、奮発してネクタイを新調してしまいました」
「……へ、へーえ……?」

突然がしっと手を掴まれ、鼻息荒く迫られて光は戸惑った。適当に返事をすると、一人興奮しながら「私は音楽鑑賞が趣味でして」と己語りが始まる。
どうやら何か質問しなくても、こちらから話しかけなくても、この男は一人で勝手に暴走しながら喋りつくすタイプのようだ。他人とどう会話したらいいか悩み、何も話せなくなる光にしてみれば、付き合いやすいタイプともいえる。

(毎日同じ、まっ黒ネクタイにしか見えないけどな……)
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