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第二章 明けない曇り空
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勝行はすっかり寝入った光の様子を確認してから、一度自室に戻っていた。
怒りの感情がうまくコントロールできなくて、無意識に本音を漏らしてしまった。怯えた様子の光を見て、一瞬で血の気が引いた。
(最近ストレス溜め過ぎたかな。光に嫌われないよう、気を付けないと)
片岡荘介が回収し部屋に置いていった郵便物の塊に手を伸ばす。光宛に届いた封書が一通。見覚えのある弁護士の名前が封筒にプリントされている。被疑者の担当弁護士だ。いつどこで光と接触したのかは知らないが、父親の公判報告を送ると約束したらしく、度々このような文書が届くようになった。――最も、光はそのことを知らない。
無言でそれを開封して中身の文書を見た勝行は、粉々に引き裂いた。
「……」
今西桐吾の判決報告書と書かれた書類の残骸がごみ箱から零れ落ち、床に散らばった。冷えきった目でそれを追い、踏みつける。もう二度とこの名前を光の視界に入れたくない。思い出させたくもないし、余計な心配事で精神を摩耗したくない。
(逮捕すれば終わりだと思っていたのに……やっと元の生活に戻れたと思ったのに、あいつは未だ俺たちをかき回してくる。あいつのせいで光は……)
ならば苛々するこの感情の全てはあの罪人にぶつけてしまえばいい。
勝行は何度も爪や腕をかじりながら、一文字たりとも残さず書類を破り続けた。消せない傷をすべて覆い隠してしまえるように。
……
…………
真夜中は窓を開ければ名も知らぬ虫の音が聴こえてくる。蒸し暑い季節になったなとため息をついた。勝行は夏が苦手だ。この不快指数も募りに募ったストレスの原因のひとつにある気がする。
寝付けないまま片岡に買ってきてもらったコンビニコーヒーを飲んでいると、ふいに異音を感じた。虫の声ではない、これは――。
「光っ、大丈夫か」
喘息患者用の吸引器を掴み、光の寝室に駆け込んだ。さっきまで寝入っていた光ははあはあと肩を揺らし、虚ろな目をしたまま座り込んでいる。喘息の発作か、狭心症の方か。いつも判断が難しく、最初は戸惑ってしまう。だが今回は、いつもの発作と少し違った。
絶望のどん底に陥ったかのような青白い表情のまま、「嫌だ」「やめて」と呟いている。まるで悪い夢にうなされているようだ。か細い吐息がふっと切れた瞬間、堰を切ったかのように咳き込んでは何度も嘔吐き、嗚咽を漏らす。その全身は震えている。
「どうしたんだ光、落ち着いて」
上手く呼吸ができなくて苦しそうだが、何かに怯えて大粒の涙を零していた。その手と肩を掴むと、「いやだああっ」と悲鳴を上げて全力で拒む。
「父さん……とうさんっ」
その名前だけは聴きたくない。クソっと舌打ちしながら、勝行は負けじと肩を掴み、何度も声を聴かせた。
「光、俺を見て」
「いやっ、うそだ……っ、かつゆき、かえして」
「俺はここにいるよ」
「うそだ、いやだ……っ」
どんな夢にうなされているのだろう。咳き込みながら彼は何度も「父」と「勝行」の名を呼ぶ。死なないでくれ、助けてくれと泣き叫ぶ。
喉を傷めて喘息発作を拗らせたら、狭心症の発作も誘発してしまうだろう。それだけは避けなければならない。勝行は光の声を塞ぐようにその名を呼び、暴れる身体を抑えつけて抱きしめた。
「光、ひかる」
「大丈夫、俺を見て」
「俺はここにいるよ、光」
「ほら、感じて。お前を抱いているのは誰だ?」
「ゆっくり息を吐いて――そう、安心して、目を開けてごらん?」
「何にも怖くない、大丈夫だから」
かけ続けたその声が通じたのか、光の身体からゆっくりと力が抜けていくのがわかる。不思議そうに身体を触り、勝行の胸の中で小さく咳き込むのが聴こえてきた。
「か……かつゆき……?」
「そうだよ」
顔をしっかり認識できるよう、頬を撫でながらおでこをくっつける。
「……み……見えな……どこ……」
「……? ああ」
不安げに辺りを見渡す光の目の焦点はどこか合っていなかった。勝行はふにっと唇を重ねて、甘い声で囁いた。
「キスしてるから、見えなくていいんだ」
抵抗しなくなった光の頬を舐め、耳に声を直接届ける。ぴくん、と反応するそれをやわやわと指で撫でながら、勝行はもう一度その唇を舐めて吸い付いた。
「触れて……感じて。俺だけを」
俺はここにいるよ。いま、君を愛しているのは、俺だ。
見間違えないで。
何度も言い聞かせるように呟きながら、光の乾いた唇を奪い続ける。
そう、顔が見えないのも、息ができなくて苦しいのも、キスのせいだ。全部俺のせいにして、俺に気が付いて、怒ってくれたらいい。
「俺以外、何も見ないで」
勝行はすっかり寝入った光の様子を確認してから、一度自室に戻っていた。
怒りの感情がうまくコントロールできなくて、無意識に本音を漏らしてしまった。怯えた様子の光を見て、一瞬で血の気が引いた。
(最近ストレス溜め過ぎたかな。光に嫌われないよう、気を付けないと)
片岡荘介が回収し部屋に置いていった郵便物の塊に手を伸ばす。光宛に届いた封書が一通。見覚えのある弁護士の名前が封筒にプリントされている。被疑者の担当弁護士だ。いつどこで光と接触したのかは知らないが、父親の公判報告を送ると約束したらしく、度々このような文書が届くようになった。――最も、光はそのことを知らない。
無言でそれを開封して中身の文書を見た勝行は、粉々に引き裂いた。
「……」
今西桐吾の判決報告書と書かれた書類の残骸がごみ箱から零れ落ち、床に散らばった。冷えきった目でそれを追い、踏みつける。もう二度とこの名前を光の視界に入れたくない。思い出させたくもないし、余計な心配事で精神を摩耗したくない。
(逮捕すれば終わりだと思っていたのに……やっと元の生活に戻れたと思ったのに、あいつは未だ俺たちをかき回してくる。あいつのせいで光は……)
ならば苛々するこの感情の全てはあの罪人にぶつけてしまえばいい。
勝行は何度も爪や腕をかじりながら、一文字たりとも残さず書類を破り続けた。消せない傷をすべて覆い隠してしまえるように。
……
…………
真夜中は窓を開ければ名も知らぬ虫の音が聴こえてくる。蒸し暑い季節になったなとため息をついた。勝行は夏が苦手だ。この不快指数も募りに募ったストレスの原因のひとつにある気がする。
寝付けないまま片岡に買ってきてもらったコンビニコーヒーを飲んでいると、ふいに異音を感じた。虫の声ではない、これは――。
「光っ、大丈夫か」
喘息患者用の吸引器を掴み、光の寝室に駆け込んだ。さっきまで寝入っていた光ははあはあと肩を揺らし、虚ろな目をしたまま座り込んでいる。喘息の発作か、狭心症の方か。いつも判断が難しく、最初は戸惑ってしまう。だが今回は、いつもの発作と少し違った。
絶望のどん底に陥ったかのような青白い表情のまま、「嫌だ」「やめて」と呟いている。まるで悪い夢にうなされているようだ。か細い吐息がふっと切れた瞬間、堰を切ったかのように咳き込んでは何度も嘔吐き、嗚咽を漏らす。その全身は震えている。
「どうしたんだ光、落ち着いて」
上手く呼吸ができなくて苦しそうだが、何かに怯えて大粒の涙を零していた。その手と肩を掴むと、「いやだああっ」と悲鳴を上げて全力で拒む。
「父さん……とうさんっ」
その名前だけは聴きたくない。クソっと舌打ちしながら、勝行は負けじと肩を掴み、何度も声を聴かせた。
「光、俺を見て」
「いやっ、うそだ……っ、かつゆき、かえして」
「俺はここにいるよ」
「うそだ、いやだ……っ」
どんな夢にうなされているのだろう。咳き込みながら彼は何度も「父」と「勝行」の名を呼ぶ。死なないでくれ、助けてくれと泣き叫ぶ。
喉を傷めて喘息発作を拗らせたら、狭心症の発作も誘発してしまうだろう。それだけは避けなければならない。勝行は光の声を塞ぐようにその名を呼び、暴れる身体を抑えつけて抱きしめた。
「光、ひかる」
「大丈夫、俺を見て」
「俺はここにいるよ、光」
「ほら、感じて。お前を抱いているのは誰だ?」
「ゆっくり息を吐いて――そう、安心して、目を開けてごらん?」
「何にも怖くない、大丈夫だから」
かけ続けたその声が通じたのか、光の身体からゆっくりと力が抜けていくのがわかる。不思議そうに身体を触り、勝行の胸の中で小さく咳き込むのが聴こえてきた。
「か……かつゆき……?」
「そうだよ」
顔をしっかり認識できるよう、頬を撫でながらおでこをくっつける。
「……み……見えな……どこ……」
「……? ああ」
不安げに辺りを見渡す光の目の焦点はどこか合っていなかった。勝行はふにっと唇を重ねて、甘い声で囁いた。
「キスしてるから、見えなくていいんだ」
抵抗しなくなった光の頬を舐め、耳に声を直接届ける。ぴくん、と反応するそれをやわやわと指で撫でながら、勝行はもう一度その唇を舐めて吸い付いた。
「触れて……感じて。俺だけを」
俺はここにいるよ。いま、君を愛しているのは、俺だ。
見間違えないで。
何度も言い聞かせるように呟きながら、光の乾いた唇を奪い続ける。
そう、顔が見えないのも、息ができなくて苦しいのも、キスのせいだ。全部俺のせいにして、俺に気が付いて、怒ってくれたらいい。
「俺以外、何も見ないで」
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