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第二章 明けない曇り空
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その驚異的な集中力はピアノ演奏以外にも発揮されるようだ。特に目標が直近にあり、大好きなご褒美が目の前にぶら下がっている時の光は強い。期末考査を迎え、宿題プリントも全て提出した光は、勝行と自宅でコーヒーを飲みながら勉強を続けていた。
勝行の隣で同じ受験対策問題を解いてみるのも意外と面白い。
「集中力ある時の光はすごいね。教科書一回読んだだけでなんでこんなに理解できるかな……。案外T大もすんなり行けたりして」
光が解いた問題に丸付けをしながら、勝行は悔しそうな声を上げた。
「でも俺、単語の暗記とかは得意だけど、なんかいろいろ考えて文章で回答するやつは苦手だ」
「応用か……そうだな確かに。でも期末なんて基本問題さえ解けたら大丈夫だから。それにしても俺とは真逆なんだなあ。暗記のコツとか、ある? 俺、公式とか漢字を覚えるのが苦手で」
「んー?」
光は顎に手を当て、しばし上を向いて考えてみる。勉強のコツというより、自身の勉強の仕方を思い出すと――。
「音楽と一緒じゃねえかな。書いて聴いて、音階で記憶してる。トントン、シュッパッって感じ」
いかにも天才音楽家らしい曖昧な擬音回答に、勝行は「なんだそれ」と呆れ笑いを零す。
「音で覚える……か。なるほどなあ……光らしいや」
「勝行は頭ン中でぐるぐるかき混ぜて、持ってる知識全部ミックスしながら新しい答えを生み出す製造機っぽいよな」
「……そう……かな?」
「お前の音楽もそんな感じだし。なんでこんな意地悪クイズみたいなやつとか、数学のクッソ長い問題すらすら解けんの? 意味がわからねえ」
思ったことをそのまま口にしたら、勝行は驚きながら「なるほど」と何度も相槌を打った。
「俺たちってほんとに、得意分野をきれいに半分こしたみたいだね」
違いすぎるからこそ惹かれ合うのかもしれない。光もその通りだと思った。音楽のみならずプライベートでも、勝行という人間には絶対敵わない部分があるけれど、勝てる部分も沢山ある。お互いのすごい部分は尊敬し合えるし、苦手分野はサポートし合えるからこそ、二人の関係はうまく続いているのだ。
「音で覚える、かあ。そういえばお前、英語のイントネーション違いとか、聴き分けうまいよな。文法も単語の音で覚えてる感じ?」
「あー英語はそうかも。あとはまぁ、昔ちょっとだけロサンゼルスにいたからかな。日常会話のような簡単なことくらいなら、だいたいわかる」
「え、光ってアメリカに住んでたの? 初耳なんだけど。じゃあお前、ハーフとか?」
「いや違うって。……多分、ただの治療目的だったと思う。ずっと病院にいたし。俺がいっぺん心臓の手術したのもあっちでなんだ」
「そうなのか」
脱線してすっかり勉強の手を止めてしまったが、光の話を興味深々に聞いてくる勝行を見ていると悪い気はしない。聞けば勝行はお金持ちのくせにまだ海外に行ったことがないと言う。親が仕事で忙しいせいか、旅行やレジャーなどの機会がなかったらしい。
「意外だな、勝行ってなんでも知ってそうだったから」
「俺みたいな知識だけ人間のことは、知ったかぶりって言うんだよ」
自虐めいたことを言う勝行にリクエストされて、光はアメリカでの入院生活を覚えている限り話して聞かせた。
「小学校に行く前だったかなあ。父さんが外国出張ばっかしてたから、職場の近くにある病院だったのかも。あん時は父さんが毎日様子見に来てくれて、楽しかったな。夜も一緒に寝てくれたし、病棟はずっと音楽鳴ってたし。結構なんでもアリだった気がする」
「ふーん」
「周りは日本人少なかったかな。英語で会話してた。あ、あの病院の中庭みたいなとこが、向こうじゃ広い公園になっててな。そこで父さんと一緒に遊べたんだ。滑り台とか、ブランコとか。手術の前後は無理だったから、結局泣きわめいて文句ばっか言ってたけど」
「……ふーん」
(……あれ?)
何故か勝行の機嫌が急に悪くなった気がして、光は戸惑った。アメリカでの生活を聞きたがったくせに、なぜだ。英語と直接関係ないからだろうか……?
「あの男はそうやってお前を懐柔してたってわけだ」
「……あ」
そこまで言われて慌てて光は口を噤んだ。知らず知らずのうちに、父親との思い出ばかりを語ってしまったのだ。その証拠に、勝行の表情からは笑顔がすっかり消えていた。
(勝行は……親父のこと。嫌いだって、言ってた)
「ダメだな、俺は」
「えっ……どうして」
突然大きなため息をつきながら、勝行は鉛筆を持ったままの光の右腕をそっと掴んだ。
「お前にとっては大事な人だってわかってる。……わかってるんだけど……どうしても、割り切れなくて」
「勝行……?」
「今すぐお前が子どもの頃に過ごした病院に連れて行ってよ。そこでいっぱい新しい思い出を上書きして、あいつの存在を全て消してしまいたい。お前の大脳皮質も海馬も俺と過ごした楽しい思い出だけで埋め尽くして、俺の知らない過去は跡形もなく消えればいい」
突然響く低音ボイス。独り言を呟くようにぼそぼそと告げる謎の言葉に光は戸惑った。勝行は臆することなく掴んだ手を持ち上げ、指先にキスを落とす。それからゆっくり光の顔を見上げ、ふふっと小さく笑った。今、とんでもなく奇怪な顔をしている自覚はあった。
「……なんてね。びっくりした?」
「……お……おう……なんか……よく、わからな、かった。大脳なんとか……って、なに……?」
「わからないならいいんだ。俺はこれからゆっくり、お前の記憶域に存在を刻み付けてもらうから」
意味深なことばかり言う勝行の表情は、今まで見たことがない謎めいたものだった。けれどどこか怖いような――見知らぬ他人になってしまったような気がして、光は思わず勝行の手を握り返した。この漠然とした不安は一体何だろうか。
「ん、どうしたの。勉強に疲れて眠くなった? おやすみのキスが欲しいのかな」
「……あ……う、うん……」
「いいよ。明日のテストに備えて今夜はもう寝ようか。発作が出たら困るし」
「……うん……」
優しい、いつも通りの勝行だ。
ぎゅっとつないだままの手から彼を引っ張り、その身に抱きつく。
何も抵抗しない勝行は光の腰と頬に手を添え、コーヒー味の唇をゆっくり被せた。
勝行の隣で同じ受験対策問題を解いてみるのも意外と面白い。
「集中力ある時の光はすごいね。教科書一回読んだだけでなんでこんなに理解できるかな……。案外T大もすんなり行けたりして」
光が解いた問題に丸付けをしながら、勝行は悔しそうな声を上げた。
「でも俺、単語の暗記とかは得意だけど、なんかいろいろ考えて文章で回答するやつは苦手だ」
「応用か……そうだな確かに。でも期末なんて基本問題さえ解けたら大丈夫だから。それにしても俺とは真逆なんだなあ。暗記のコツとか、ある? 俺、公式とか漢字を覚えるのが苦手で」
「んー?」
光は顎に手を当て、しばし上を向いて考えてみる。勉強のコツというより、自身の勉強の仕方を思い出すと――。
「音楽と一緒じゃねえかな。書いて聴いて、音階で記憶してる。トントン、シュッパッって感じ」
いかにも天才音楽家らしい曖昧な擬音回答に、勝行は「なんだそれ」と呆れ笑いを零す。
「音で覚える……か。なるほどなあ……光らしいや」
「勝行は頭ン中でぐるぐるかき混ぜて、持ってる知識全部ミックスしながら新しい答えを生み出す製造機っぽいよな」
「……そう……かな?」
「お前の音楽もそんな感じだし。なんでこんな意地悪クイズみたいなやつとか、数学のクッソ長い問題すらすら解けんの? 意味がわからねえ」
思ったことをそのまま口にしたら、勝行は驚きながら「なるほど」と何度も相槌を打った。
「俺たちってほんとに、得意分野をきれいに半分こしたみたいだね」
違いすぎるからこそ惹かれ合うのかもしれない。光もその通りだと思った。音楽のみならずプライベートでも、勝行という人間には絶対敵わない部分があるけれど、勝てる部分も沢山ある。お互いのすごい部分は尊敬し合えるし、苦手分野はサポートし合えるからこそ、二人の関係はうまく続いているのだ。
「音で覚える、かあ。そういえばお前、英語のイントネーション違いとか、聴き分けうまいよな。文法も単語の音で覚えてる感じ?」
「あー英語はそうかも。あとはまぁ、昔ちょっとだけロサンゼルスにいたからかな。日常会話のような簡単なことくらいなら、だいたいわかる」
「え、光ってアメリカに住んでたの? 初耳なんだけど。じゃあお前、ハーフとか?」
「いや違うって。……多分、ただの治療目的だったと思う。ずっと病院にいたし。俺がいっぺん心臓の手術したのもあっちでなんだ」
「そうなのか」
脱線してすっかり勉強の手を止めてしまったが、光の話を興味深々に聞いてくる勝行を見ていると悪い気はしない。聞けば勝行はお金持ちのくせにまだ海外に行ったことがないと言う。親が仕事で忙しいせいか、旅行やレジャーなどの機会がなかったらしい。
「意外だな、勝行ってなんでも知ってそうだったから」
「俺みたいな知識だけ人間のことは、知ったかぶりって言うんだよ」
自虐めいたことを言う勝行にリクエストされて、光はアメリカでの入院生活を覚えている限り話して聞かせた。
「小学校に行く前だったかなあ。父さんが外国出張ばっかしてたから、職場の近くにある病院だったのかも。あん時は父さんが毎日様子見に来てくれて、楽しかったな。夜も一緒に寝てくれたし、病棟はずっと音楽鳴ってたし。結構なんでもアリだった気がする」
「ふーん」
「周りは日本人少なかったかな。英語で会話してた。あ、あの病院の中庭みたいなとこが、向こうじゃ広い公園になっててな。そこで父さんと一緒に遊べたんだ。滑り台とか、ブランコとか。手術の前後は無理だったから、結局泣きわめいて文句ばっか言ってたけど」
「……ふーん」
(……あれ?)
何故か勝行の機嫌が急に悪くなった気がして、光は戸惑った。アメリカでの生活を聞きたがったくせに、なぜだ。英語と直接関係ないからだろうか……?
「あの男はそうやってお前を懐柔してたってわけだ」
「……あ」
そこまで言われて慌てて光は口を噤んだ。知らず知らずのうちに、父親との思い出ばかりを語ってしまったのだ。その証拠に、勝行の表情からは笑顔がすっかり消えていた。
(勝行は……親父のこと。嫌いだって、言ってた)
「ダメだな、俺は」
「えっ……どうして」
突然大きなため息をつきながら、勝行は鉛筆を持ったままの光の右腕をそっと掴んだ。
「お前にとっては大事な人だってわかってる。……わかってるんだけど……どうしても、割り切れなくて」
「勝行……?」
「今すぐお前が子どもの頃に過ごした病院に連れて行ってよ。そこでいっぱい新しい思い出を上書きして、あいつの存在を全て消してしまいたい。お前の大脳皮質も海馬も俺と過ごした楽しい思い出だけで埋め尽くして、俺の知らない過去は跡形もなく消えればいい」
突然響く低音ボイス。独り言を呟くようにぼそぼそと告げる謎の言葉に光は戸惑った。勝行は臆することなく掴んだ手を持ち上げ、指先にキスを落とす。それからゆっくり光の顔を見上げ、ふふっと小さく笑った。今、とんでもなく奇怪な顔をしている自覚はあった。
「……なんてね。びっくりした?」
「……お……おう……なんか……よく、わからな、かった。大脳なんとか……って、なに……?」
「わからないならいいんだ。俺はこれからゆっくり、お前の記憶域に存在を刻み付けてもらうから」
意味深なことばかり言う勝行の表情は、今まで見たことがない謎めいたものだった。けれどどこか怖いような――見知らぬ他人になってしまったような気がして、光は思わず勝行の手を握り返した。この漠然とした不安は一体何だろうか。
「ん、どうしたの。勉強に疲れて眠くなった? おやすみのキスが欲しいのかな」
「……あ……う、うん……」
「いいよ。明日のテストに備えて今夜はもう寝ようか。発作が出たら困るし」
「……うん……」
優しい、いつも通りの勝行だ。
ぎゅっとつないだままの手から彼を引っ張り、その身に抱きつく。
何も抵抗しない勝行は光の腰と頬に手を添え、コーヒー味の唇をゆっくり被せた。
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