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第二章 明けない曇り空

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急遽夜のスケジュールをまるっと変更した修行は、勝行を連れて自宅に戻った。普段あまり怒らないし、子どものわがままには甘い方の父親だが、今回ばかりはいつものようにはいかないと分かっている。

(高校の時は割と自由を認めてくれたけど、代わりに絶対自力でT大に進学することが第一条件だったからな……。兄さんも苦労してたっけ)

学歴が肩書きになる時代はもう終わりだと言いたいが、相羽家の子どもが必ずこの大学を目指す理由は他にある。圧倒的な政治的立場を代々強固なものにするためだ。世襲制の政治家一族であるこの家の子どもは特別なのだと、口酸っぱく教育を受けてきた。勝行もつい最近まで、それが当たり前と信じていた。

けれど音楽活動を――WINGSを、一生続けたい。願わくば音楽一本で生きていきたいという将来の夢は、まだ誰にも話せていない。

(でもこのままじゃ、またあの反省小屋に閉じ込められる。それだけは嫌だ……何とかしなければ)

恐怖と後悔の念ばかりが胸に渦巻き、なかなか前向きな打開策が思いつかない。勝行は帰りの車内で酔ってしまったと訴え、トイレに引きこもった。一分一秒でも時間を無駄にすることを嫌う父のことだ。表に出た瞬間、逃げることも許さず母屋で説教を兼ねた夕食が始まるだろう。

遠い昔。幼い頃に一度だけ、相羽家のしきたりに逆らうような願いを申し出たことがある。
当時健在だった祖父と祖母に激しく叱咤され、反省小屋という名のカビ臭い納屋に数日閉じ込められた。勝行に当時の記憶は殆ど残っていないが、恐怖心だけはしっかり身体に刻み付けられている。

(大人しくT大に進学すればいいんだろうけど……)

生まれた時からずっと、親に敷かれたレールの上を大人しく歩いてきた。けれど今西光に出会ってから、勝手に決められた将来が本気で嫌になったのだ。これまでのらりくらりと親の希望から外れない程度の道を敷きなおし、ちょっとずつ自立を図ってきた。今後彼と一緒に生きていくためなら、父親や実家の反感を食らって勘当されてもいい。ただ、身寄りを失った光の治療費や通学のことを考えると、まだ今は時期尚早だ。

(早く大人になりたい。自分一人の力であいつを養っていけたらいいのに)

結局何の対策も講じられないまま、よろよろと自室に戻る。するとそこには、父親の姿があった。

「お父さん」
「お前は相変わらず片づけが下手だな」
修行は床上に積み上げられたままの参考書を何冊か手に取り、ぱらぱらと中身を見ては机上に並べていた。どれも現代刑法に関する書籍だ。何冊かは父親の書斎から無断で借りたものもある。

「こんな本ばかり読んでいるから、てっきり検事になりたいのだと思っていた」
「……」

それらは将来の自分のために読んだ本ではない。あの虐待男を――今西桐吾を、証拠物件だけでどこまで処罰することができるのか、気になって調べたかっただけだ。もう二度と光の目の前に現れないよう、徹底的に彼を潰すことばかり考えていた頃に読み漁った文献だった。

「……読めば読むほど、俺には向いてない職業だと思いました」
「なぜだ?」
「……いくら大局観を鍛えても、一時的な感情に流されてしまいます。いざという時は冷静になれませんし、この前も家に迷惑をかけました。国民を救おうという慈愛の精神もない。現代の刑法は随分生ぬるいと呆れました。こんな人間が上に立てば、暴君にしかなりません」
「高校生のくせに、そんなところまで考えている時点でお前は十分素質があると思うがな」

これは親の欲目でも何でもない。そう言って笑う修行の顔はあまり怒っていないようだった。

(あれ……?)

「先日の光くんの件。あれは一介の高校生が解決できるようなものではない。表に出ればマスコミに騒がれるほどの大事件だ。相羽家のことを第一に考えて内密に動いたお前の判断は悪くなかったぞ」

今は代議士だが、かつては判事として前線で活躍してきた修行は、拾い上げた本を懐かしそうに見つめて話し続ける。

「大人でも犯行現場を目の当たりにしたら怖気づくか、逃げ出す。あの日勝行が光くんを助けに行った時、警察を待たずに突入したのも、拳銃を持つ敵に丸腰で対峙したのも確かに誤判断だ。だがお前の勇気ある行動のおかげで、光くんは救われた。麻薬密輸組織の一部を壊滅させることにも成功した」
「……」
「警視庁の上から言われたぞ、大学卒業後はぜひ警察か検察庁に来てほしいとな。勝行は間違いなく、相羽家自慢の息子だ。もっと自信を持て。お前に足りないのはそこだ」

あの日、本気で人を殺そうとしたことは光以外誰も知らない。だがそれ以外にも、何やら都合のいいように解釈しすぎている気がする。それが自分で根回しした結果であることに気づいて勝行はハッとした。

(都合の悪いことは全部、今西桐吾の引責になるよう理由づけて後始末した。あいつがなんと弁明しようがこっちの正当防衛になるよう証拠も並べて――父さんはそれを知っているはず)

「実にうまい筋立てだった」

修行は本から手を離し、「T大の滑り止めとして別の学校を受けるのは構わないが」と制服姿のまま突っ立っている勝行の頭をぐるりと撫でた。

「安全策を取りたい気持ちはわかる。だがお前なら真っ向勝負でもきっと大丈夫だ」
「あ……あの……父さん、俺は」
「音楽にうつつを抜かして成績が下がったからって、そういう誤魔化しは父さんには通じないぞ。まだまだ時間はある、受験勝負はこれからだ。景気づけにヒレステーキでも食べていきなさい」

笑いながら息子の肩を強引につかみ、修行はどかどかと部屋を後にした。親子水入らずの晩餐なんて久しぶりじゃないかと喜ぶ父と向かい合って居間の座卓を囲むと、急な業務でも張り切っている従業員たちがあれやこれやとご馳走を並べていく。

「もう誕生日を過ぎてしまったんだっけな。十八の祝いにはちと寂しいが、今日はこれで我慢してくれ。正月には盛大に親戚を集めてお前の披露目会を行う予定だから、その時は派手にやろう」

(わざとはぐらかして、俺から言えなくしてる気がする……)

嘘くさい笑顔を振りまきながら勝行の近い将来が楽しみだと語る修行は、実は何もかもお見通しのような気がした。だが今日はとりあえずこれでいいだろう。父の機嫌を損ねるわけにはいかない。ひとまず進路希望調査だけはT大にしておいて、共通一次試験を受ける頃までに打開策を考えればいい。

「芸能界ってのはほんとに水商売みたいなもんだ。音楽も趣味で遊ぶうちはいくらでも構わん。やるなとも言わん。だが仕事としては成り立たない。身につく教養というものが一体どういう勉学のことを言うかは、お前が一番よくわかっているはずだ」

酒を注ぎ、出された懐石料理に舌鼓を打つ。その間、父の高尚な説教を耳にタコができるほど浴びせられた勝行は、完全に出鼻をくじかれてなんの味も感じられなかった。
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