できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第一章 四つ葉のクローバーを君に

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「聞いてくださいよ星野先生、光くんからすごい発言が」
「何か進展があったのか」

上機嫌で病棟の詰め所にやってきた後輩医師、若槻の様子を見て、星野の眠気は吹き飛んだ。気に病んでいたことが少しでも改善できそうであれば当直明けの気怠さも忘れて仕事に戻れそうだ。
短い前髪から見える額には、軽く汗をかいている。きっと朗報を届けようと急いで病棟まできてくれたのだろう。心療内科という担当科が正直似合っていない、スポーツマン風のがっしりした体格の若槻は、星野の隣に座り込んでふうと一息ついた。

「ありましたよ、そんでもって面白いことがわかりましたよ」
「面白いって……患者さんの容体を茶化すような発言はやめなさい」
「まあまあ、聞けばちょっとは星野先生も安心できますよ。……ああでも逆に、治療の手駒がなくて困るかもしれない」
「一体どっちなんだ」

なかなか本題に入らず、隣でくつくつと笑いながら水のペットボトルを飲み干す若槻を、星野は苛立つ目で見つめた。眼鏡のふちを何度も触り、手持無沙汰な時間をやり過ごす。
「一切口を利かず、僕と目も合わせられなかったあの子ね、質問があるって言ってきたんですよ」
「ほう……」
「なにを聞いてくれるのかと思って期待してたら」
「……」
「恋愛感情ってどんな感じか、って」
「……恋愛?」
「そう。友情と恋愛の境目はなんだとか、家族愛との違いはなんだとか、どうして人は人を好きになるんだとか。それはそれはもう、哲学的なことを、まくし立てるように」
「へえ……」
「要するにあれは、思春期によくある恋煩いですよ」

星野は何とも言えず反応に戸惑った。若槻の予告通りだ。

今西光という少年は、元上司の紹介状を受け入れ、引っ越し後のプライマリーケアを引き継いだ患者だった。特別気にかけてはいなかったが、星野は彼が父親から虐待を受けていたという話を聞いた時から、彼を見る目が変わった。

それはここ数か月以内の出来事だ。
今西光・桐吾親子の暴行事件について、警察からの聞き取り調査に任意同行した時、虐待の物的証拠が欲しいとかなり粘られた。光がどうしても口を割らない、証拠があるのに訴えようともしない、会話を拒絶するので何とかしてくれと嘆く検察側の執拗な調査で彼の裏事情を初めて知った。
――だが虐待の事実が本当であれば、それは彼にとってのトラウマであって、拒絶は当然の反応だろうと思った。実際彼は夜になると発作を起こし、呼吸困難になることが多い。発作が怖くて眠りたくないと反抗し、一晩中ピアノを弾いている日もあった。不眠続きで体力が落ちる一方の彼を、今は睡眠薬で無理やり眠らせている。
どんなに見た目が大人びていても、彼はまだ子どもだ。時間をかけてゆっくり、心療内科で治療する必要もあるのではないかと探っていただのだが。

「恋わずらい、か……本当にそうなのか。そうだとしたら、俺にはどうしてあげることもできないなあ……」
「高校生ですからねー。お年頃ってやつですよ」

若槻は自嘲気味た笑みを浮かべて「大人でもどうしようもない恋ってのがあるじゃないですか」と呟いた。

「話し相手として認めてはもらえそうなので、今後も診察は続けますが。もしかしたら学校やバイト先に、会いたい子がいるのかもしれませんよ」
「なるほど」
「あの子、退院しがたってるんでしょ」
「うーん。だが身内は、面倒をみきれないので病室に閉じ込めてくれと言ってくるんだ。幹部の上得意様でスポンサー並みの資金も積み上げてくるからタチが悪い」
「そりゃまた。あの子は養父とも仲悪いんですか?」
「いや……」

本当にそうなのだろうか。星野はかすり傷ひとつ残すなと言わんばかりの目で訴えてきた、あの少年の顔を何故か思い出した。
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