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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア

#44 御曹司の華麗なる罠2 - 光 side -

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黒服たちの手により黒塗りの外車に詰め込まれた光が、誘拐も同然のような形で強引に連れられた家は、小高い丘の途中に建つ高級マンションだった。
カードキーで開く二重の自動ドア。シャンデリアの輝く広大なエントランス。エレベーターで上がるは最上階。
とんでもないところに来た……と周囲を見渡し青ざめていた光は、ぐいぐい遠慮なく引っ張る勝行に通された部屋で、更に目を疑った。

「お……おまえん家って……店、なのか?」
「ははっ、まさか。でもちょっと買いすぎたかもしれない。置き場所がなくて困ってる」
「か……買った⁉ これ全部⁉」

十畳ほどある個室にしてはずいぶん広い洋室の壁一面、ぎっしりと並べられた楽器たち。
ギターにベース、バイオリンにサックス。キーボードはもちろん、大型デスクトップパソコンの横には物々しい大きさの黒い箱の塊がいくつも積まれている。
楽器と機材だらけの部屋の奥にふかふかのマットレスが載ったセミダブルベッドがあり、ここに座れと誘導された。ご丁寧に「水分補給」と言ってペットボトルのミネラルウォーターまで手渡される。
さっきまで散々蓄積していた怒りの感情も、あまりの暴動と異環境に唖然とするあまり、すっかり忘れ去っていた。

「しんどかったら、寝ていてもいいよ」
「……おぅ……」
「俺、小さい頃からバイオリンとピアノは習わされててね。音楽は好きなんだけど……なんていうか、ただ演奏するだけって、強要されてるみたいでつまらなくて」
「……ああ……それは……わからなくも、ない」

思わずぽつりと呟いたその一言にぱあっと嬉しそうな笑顔を見せた勝行は、「やっぱりお前もそう?」と身を乗り出して聞いてきた。さっきまで散々人を弄って遊んできたこの男の変わりようもすごい。

「だから編曲して、自分のオリジナルを作って演奏するのが好きなんだ」
「……」
「光もいつも、たまに元の曲はなんとなくわかるんだけど、自分で伴奏変えたりラインごとずらしたり、色々アレンジ入りまくった演奏してるからさ。同志かなって、勝手に思ってた」

自分のピアノを聴いて、そういう感想を述べてきたのは彼が初めてだ。そしてその解釈は、光の思っていることと一寸の狂いもなかった。

「なんでそんな事がわかんの?」
「なんでって……どうだろう。でも初めて聴いた時、全く知らない曲だと思ったのに、どこか懐かしいような……聞き覚えのあるようなフレーズが、いきなり俺の予想を裏切って違う展開になっていくのが聴いてて楽しくて。気づいたら、のめり込んでしまった感じ、かな。お前、俺がずっと聴きに行ってたの、知ってるだろ?」
「……ああ。そう、だっけ」

そう言われてみれば、勝行は毎日聴きに来ては何の文句も言わずに部屋の片隅に居て、知らない間にいなくなっていた。邪魔するわけでもなく、騒ぐわけでもなく、怒ることもしない。それどころか「もっと聴きたい」と言ってきたり、本を読みながら流れるBGMに身体を揺らしてくれた。
そんなふうに聴いてくれているのが何となく嬉しくて、光はいつも演奏の手を止めなかった。

「でも俺、光の曲を聴いてたら、だんだんそれを使って編曲したくなってさ。耳で覚えて、ちょっとワンコーラス分ぐらい作ってみたんだ。それを聴いてもらいたくて」

熱弁しながらもサクサクと動き回り、あらゆる機材のケーブルをアンプに差してセッティングしながら、勝行は大きな耳当てクッションのついたヘッドホンをひとつ光に差し出した。

「防音じゃないから、ここではヘッドホンで聴いてくれる? 使ったことある?」
「……ない」
「こうやって、耳にあてて。真似して」
「……」

素直にそれを受け取り、恐る恐る自分の頭にセットした。耳にふわりと異物が被る。
光の姿を見て満足げに微笑んだ勝行は、マスターボリューム調整のダイヤルを弄りながらギターを数回弾き鳴らし、いくよと告げた。

ジャンッ

のっけからピアノとは違うギターメロディ。その後ろでは誰も触っていないのに、パソコンのデスクトップが波形を動かし、色んな楽器の音が一斉に聴こえてきた。

(……え。これが……俺のピアノ?)

嘘だろ?
目の前で軽快に白いギターをかき鳴らす勝行のその手に合わせて、ヘッドホンからはドラムとベースの重低音がズンズンと身体を躍らせる。どこで誰が弾いているのか知らないが、シンセサイザーの優しい音色がクールな音楽の中を泳ぎ回り、全部の世界を優しく包んでいく。

「ついでに歌ってもいい?」
「……へ?」
「歌詞は適当なんだけどさ、思い付き」

そういうなり勝行は、楽しそうに口角を上げて大きく息を吸い込んだ。

――世界が変わる。ピアノひとつと 混じり合う オレの歌

ヘッドホンの向こう側から聴こえてくるその甘い声に、光は目を瞠る。
初めて聴いたはずのその歌声は、涙が出るほど懐かしい声色にひどく似ていた。

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