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第三節 友だちのエチュード
#39 うその笑顔と遊園地事件 ③
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バッシャーン。
勢いよく零れる水音が茂みに響き渡った。
「なっ、なんだ……!? つめたっ、氷が……」
頭からアイスコーヒー塗れになった男が、驚いたようにこちらを振り返る。そのすぐ真下には、口を塞がれ制服のシャツをぐちゃぐちゃに引き出されている光がいた。
「あーすみません、空いてるベンチに座ろうと思ったら、こけそうになって零してしまいました」
思いっきり営業スマイルで謝りつつも、濡れた男にはまったく頭を下げないまま、勝行は空っぽになった紙コップをわざと揺すった。
「コーヒーなくなっちゃった」
「なっ……」
子どもらしい仕草でしょんぼりコップを置いたあと、慌てて起き上がろうとする男の首根っこをすぐさま掴まえ、片手で茂みから引き上げた。そう、片手だけで。
この小柄な少年のどこにそんな力があるのだと言わんばかりの顔で、男は勝行を見た。一方の勝行は明らかに爽やかな笑顔のままだ。
「おじさん、ほんっとすみません。弁償しますから、今すぐ洋服脱いでください。うわあ、びしょ濡れですね……あれ? でもどうして立ち入り禁止の植え込みで、寝転がってたんですか? 『俺の友人』と」
「あ、い、いやその、こ、こ、これはね、この子がすごい咳をしていてしんどそうだったから。あの、か、介抱してあげようと」
「へーえ。茂みで?」
「……」
「ベンチから無理やりひっぺがして?」
「……う、いや」
「俺、視力2.0以上あるんですよ、おじさん」
「……まさか」
「いつから見てたか、教えてあげましょうか……?」
にたあ、と楽し気に口角を吊り上げ、勝行は茶色に塗れた男のシャツから手を離した。勢い余って道路にひっくり返った男の周りを、突如現れた複数の黒スーツ軍団がざざっと取り囲む。どこから現れたか、それすらもわからないほどの迅速な行動に、男は目をぱちくりする。
「警察に突き出されるのと、今すぐ俺の部下に園外強制退出させられるの、どっちがいいですか?」
「……ぶ、部下、だって」
「ああ、クリーニング代は後日あなたのご自宅にお届けしますので、住所氏名電話番号もきちんと」
「いや、いい、そんなものいらない、いいから!」
「おやそうなんですか? では丁重にお見送りさせていただきますね、変態おじさん」
「あっちょ、はな、はなせ!」
勝行は何も言わないまま、黒服の男たちに目で合図を送る。それだけで彼らは迅速に男を捕らえ、羽交い絞めにして遊園地の出口へと向かって行った。
茂みの中で服を乱されたまま倒れていた光は、いったい何が起こったのかさっぱりわからないといった様子で、ぽかんと口を開けてみている。肩で苦しそうに息をしていて、ひゅうひゅうとか細い音が聴こえてくる。
「光、大丈夫? 起き上がれるか」
「……っ」
勝行と目が合うなり、気まずいのかふいとそっぽを向かれる。勝行は慌てて「ごめん、怖がらせて」と謝った。
「でも俺、お前を助けたかったんだ。お前が嫌がってそうに見えて。もしかして、間違ってた……?」
「……い……いや……」
もごもごと口ごもるが、光は怒ってはいなかった。むしろ恥ずかしそうに見える。きっと大人に負けて押し倒された自分を見られたのが嫌だったのだろう。
勝行はほっと胸を撫でおろし、その場にしゃがみ込んで光と視線の高さを合わせた。
「あと、迎えにくるのが遅くなってごめん」
「……迎え……?」
「うん、迎えに来てってお前言ってただろ。戻ってきたよ」
そう告げた途端、光の喉からまた辛そうな痰咳が何度も飛び出した。背を丸め、苦しそうに口元を抑えながら、光は涙を零していた。
「大丈夫……? 今、中司さんが西畑先生呼んでるからもう少し我慢して。薬とか持ってないの?」
「……あ……ある……」
「じゃあそれ使おう。俺、そっちに行くよ」
「……くんな」
否定的な言葉を吐かれたけれど、全くもって昨日のような凄みはなかった。素直じゃないなあ、と苦笑する。
勝行は光のすぐそばまで近づき、ゆっくり背中をさすってやった。
「大丈夫、さっきのは俺しかみてないよ。誰にも言わない。ああ、さっきの黒服たちは、俺が呼べば3分以内に駆け付けるボディーガードなんだ。敵じゃないから、安心して」
「……」
「うち、親が過保護だからあーゆうの雇ってるだけで。俺も変質者によく狙われるんだ。身代金目当ての誘拐とか。子どもにしてみたらたまったもんじゃないよね」
「……」
「あーごめん、俺のアイスコーヒー、お前にもかかってる」
氷を被って濡れた髪を撫でると、びくっとしたかのように身体を震わせ後ずさる。その姿はまるで、怯えて威嚇するネコのようだ。可愛いな、と思わず口元が緩んでしまった。それが光の不機嫌スイッチに抵触したらしく、光は枯れた声で文句を投げつけてきた。
「なに……笑ってんだよ」
「笑ってないよ」
「うそつけ、さっきだってあのオッサンのこと嘲笑ってたくせに。お前、うその笑顔ばっかで……胡散臭いんだよっ」
「うその笑顔……? へえ、よく見てるなあ。でもお前も、もう少し自覚した方がいいよ」
「……なに、を」
不思議そうに振り返る光の目元に流れる涙をぬぐって、勝行は優しく微笑んだ。
「君の嘘はバレバレってこと」
――迎えに来てほしいと言わんばかりの背中で見送ってたくせに。
その言葉を告げれば、また機嫌を損ねるかもしれないので、勝行の心の中にそっとしまっておいた。
「発作治まったら、ジュース買いに行こう」
勢いよく零れる水音が茂みに響き渡った。
「なっ、なんだ……!? つめたっ、氷が……」
頭からアイスコーヒー塗れになった男が、驚いたようにこちらを振り返る。そのすぐ真下には、口を塞がれ制服のシャツをぐちゃぐちゃに引き出されている光がいた。
「あーすみません、空いてるベンチに座ろうと思ったら、こけそうになって零してしまいました」
思いっきり営業スマイルで謝りつつも、濡れた男にはまったく頭を下げないまま、勝行は空っぽになった紙コップをわざと揺すった。
「コーヒーなくなっちゃった」
「なっ……」
子どもらしい仕草でしょんぼりコップを置いたあと、慌てて起き上がろうとする男の首根っこをすぐさま掴まえ、片手で茂みから引き上げた。そう、片手だけで。
この小柄な少年のどこにそんな力があるのだと言わんばかりの顔で、男は勝行を見た。一方の勝行は明らかに爽やかな笑顔のままだ。
「おじさん、ほんっとすみません。弁償しますから、今すぐ洋服脱いでください。うわあ、びしょ濡れですね……あれ? でもどうして立ち入り禁止の植え込みで、寝転がってたんですか? 『俺の友人』と」
「あ、い、いやその、こ、こ、これはね、この子がすごい咳をしていてしんどそうだったから。あの、か、介抱してあげようと」
「へーえ。茂みで?」
「……」
「ベンチから無理やりひっぺがして?」
「……う、いや」
「俺、視力2.0以上あるんですよ、おじさん」
「……まさか」
「いつから見てたか、教えてあげましょうか……?」
にたあ、と楽し気に口角を吊り上げ、勝行は茶色に塗れた男のシャツから手を離した。勢い余って道路にひっくり返った男の周りを、突如現れた複数の黒スーツ軍団がざざっと取り囲む。どこから現れたか、それすらもわからないほどの迅速な行動に、男は目をぱちくりする。
「警察に突き出されるのと、今すぐ俺の部下に園外強制退出させられるの、どっちがいいですか?」
「……ぶ、部下、だって」
「ああ、クリーニング代は後日あなたのご自宅にお届けしますので、住所氏名電話番号もきちんと」
「いや、いい、そんなものいらない、いいから!」
「おやそうなんですか? では丁重にお見送りさせていただきますね、変態おじさん」
「あっちょ、はな、はなせ!」
勝行は何も言わないまま、黒服の男たちに目で合図を送る。それだけで彼らは迅速に男を捕らえ、羽交い絞めにして遊園地の出口へと向かって行った。
茂みの中で服を乱されたまま倒れていた光は、いったい何が起こったのかさっぱりわからないといった様子で、ぽかんと口を開けてみている。肩で苦しそうに息をしていて、ひゅうひゅうとか細い音が聴こえてくる。
「光、大丈夫? 起き上がれるか」
「……っ」
勝行と目が合うなり、気まずいのかふいとそっぽを向かれる。勝行は慌てて「ごめん、怖がらせて」と謝った。
「でも俺、お前を助けたかったんだ。お前が嫌がってそうに見えて。もしかして、間違ってた……?」
「……い……いや……」
もごもごと口ごもるが、光は怒ってはいなかった。むしろ恥ずかしそうに見える。きっと大人に負けて押し倒された自分を見られたのが嫌だったのだろう。
勝行はほっと胸を撫でおろし、その場にしゃがみ込んで光と視線の高さを合わせた。
「あと、迎えにくるのが遅くなってごめん」
「……迎え……?」
「うん、迎えに来てってお前言ってただろ。戻ってきたよ」
そう告げた途端、光の喉からまた辛そうな痰咳が何度も飛び出した。背を丸め、苦しそうに口元を抑えながら、光は涙を零していた。
「大丈夫……? 今、中司さんが西畑先生呼んでるからもう少し我慢して。薬とか持ってないの?」
「……あ……ある……」
「じゃあそれ使おう。俺、そっちに行くよ」
「……くんな」
否定的な言葉を吐かれたけれど、全くもって昨日のような凄みはなかった。素直じゃないなあ、と苦笑する。
勝行は光のすぐそばまで近づき、ゆっくり背中をさすってやった。
「大丈夫、さっきのは俺しかみてないよ。誰にも言わない。ああ、さっきの黒服たちは、俺が呼べば3分以内に駆け付けるボディーガードなんだ。敵じゃないから、安心して」
「……」
「うち、親が過保護だからあーゆうの雇ってるだけで。俺も変質者によく狙われるんだ。身代金目当ての誘拐とか。子どもにしてみたらたまったもんじゃないよね」
「……」
「あーごめん、俺のアイスコーヒー、お前にもかかってる」
氷を被って濡れた髪を撫でると、びくっとしたかのように身体を震わせ後ずさる。その姿はまるで、怯えて威嚇するネコのようだ。可愛いな、と思わず口元が緩んでしまった。それが光の不機嫌スイッチに抵触したらしく、光は枯れた声で文句を投げつけてきた。
「なに……笑ってんだよ」
「笑ってないよ」
「うそつけ、さっきだってあのオッサンのこと嘲笑ってたくせに。お前、うその笑顔ばっかで……胡散臭いんだよっ」
「うその笑顔……? へえ、よく見てるなあ。でもお前も、もう少し自覚した方がいいよ」
「……なに、を」
不思議そうに振り返る光の目元に流れる涙をぬぐって、勝行は優しく微笑んだ。
「君の嘘はバレバレってこと」
――迎えに来てほしいと言わんばかりの背中で見送ってたくせに。
その言葉を告げれば、また機嫌を損ねるかもしれないので、勝行の心の中にそっとしまっておいた。
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