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良一と享幸
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* * *
家族と口論していることは知っていた。本人の意思を拡大解釈した親が勝手に息子の結婚話を進めたとかで、このご時世に冗談じゃないと珍しく憤慨していた。
――享幸も怒るんだ。
門の外にまで漏れ聞こえる滝沢家の口論。良一は初めて聞く彼の怒鳴り声に驚いた。だがそれよりも、男である自分と付き合っている事実を隠す姿を見るのが辛かった。
相手の女の子はたまに見かける享幸の幼なじみ。公務員の親同士、小さい頃からいつか二人結婚してほしいと都合のいい約束を持ちかけられていたらしい。享幸にとって彼女は、ただの妹のような存在だと良一に言う。それでも彼女には曖昧な返事しか返せないから、結婚話だけがとんとん拍子に進んでいく。実際女の子の方は本気で享幸に惚れていて、よく男仲間に「彼女?」と揶揄われ、顔を真っ赤に染めていた姿はいじらしいものだった。
友人として出入りはしていたものの、滝沢家に良一の居場所はない。それも仕方ない。
学校で苛められ、親にも見捨てられ、享幸だけが拠りどころだった良一とは違って、彼には彼の人生がある。
「なあ享幸……駆け落ちでもする?」
冗談半分にそんなことを呟いてみたら、酷く困った顔をされたので慌てて言い直した。
「この前プレイしたクソゲーに状況似てるなって思って」
「あああれね、結婚式の最中、花嫁奪い取って逃げながら参列客倒していく謎のゲーム」
「そう、それな。でも俺が享幸抱えて走ったら即死案件だわ」
「ちょっと待て、俺が花嫁なのかよ」
享幸は情けない顔をしたまま声に出して爆笑していた。
「良一は……俺が落ち込んだらいつもそうやって楽しませてくれるね」
二人が恋人関係であることは誰にも言っていない。ヤりたくなったらこっそりどこかで逢引きしては身体を重ね、互いの愛を確かめ合う。それ以外の時間はただの親友。そんな生活を続けることに罪悪感を感じていた享幸は、徐々に心が壊れていった。
「結婚するぐらいならいっそ死にたい」
自殺まがいの行為に走り出した彼は、完全に鬱病を拗らせていた。真面目すぎるが故の弊害。彼はきっと、本気で良一を愛してくれていたのだろう。
だから良一が別れを告げた日、二人の気持ちは歯車から完全に零れ落ちた。
「俺は別に、お前に嫁さんができても仕方ないって思ってるし。これからも親友でいてくれたら、それで十分――」
「でもこんな関係のままじゃ不倫になる。お前とは二度とこうやって抱き合ったりできないじゃないか」
「なんだよそれ、享幸は今まで俺とヤることだけを目的に付き合ってたのかよ!」
「そ……そうじゃないけど、でもそれじゃ良一が」
「煩いな。俺は真性のゲイだから、お前みたいなノンケのバイとは住む世界が違うんだよ。俺はヤりたくなったら出会い系とか探せばいいだけのことだし」
「そんなのは俺が嫌だ、やめてくれ」
「俺だっていやだよ。でも俺は……これ以上は無理なんだってもう納得できてんだ。享幸の生きる世界に俺は似合わない。でもずっと隣にいて、ただ傍で……友人として付き合ってくれたっていいじゃないか。……俺の事、気持ち悪いって言わなかったのは、お前だけなんだよ……」
必死に思いの丈を届けようと言葉を連ねていたら、情けないことに涙が零れていた。頭が悪いからうまい表現方法も見つからない。享幸が一体どんな形の幸せを求めているのかもわかってあげられない。
けれど享幸からぽつりと言われたその一言は、思った以上に堪えた。
「俺は一度に二人も愛せるような、器用な人間にはなれない。けれど良一のことを好きだと言えば、親父たちは間違いなくお前を糾弾しにいく。どんなに守ってあげたくても俺は」
「……誰が俺を守るって?」
ぽつりと呟いた声には言いようのない怒りが含まれていた。
「俺はお前に守ってもらいたくて好きになったんじゃねえよ、わからずや」
(どんな形でもいい、享幸の傍にいたかった。ただそれだけなのに。それすら許してもらえないなんて)
「良一……!」
享幸の制止にも耳を傾けず、良一は振り返らないまま飛び出した。
良一の身体を包み込む夜の街並みは暗く陰湿で、冷たい。無情にも雨まで降り出した。
(……ほんとは結婚してほしくないって。素直に言えばよかったのかな……)
だがこれ以上自分のわがままで、彼の人生を棒に振りたくはなかった。
享幸の家から自宅まで、決して近くはない。いつも大きな享幸の背中に強引にしがみつき、二人乗り自転車で走った道のりを、傘もささず一人で歩き続ける。
そうだ、遠い街に行って運転免許を取ろう。そして再会した時まだぐずぐず言っているようなら、いっそあいつを掻っ攫ってやろうか。
シャアアアッと音を立て、何度も車が行き交う姿を見ながらそんなことを思う。
(そんで誰も知らない街に行って、親の目の届かないところでひっそりあいつを監禁してやるんだ。まさに完全犯罪の略奪愛――……って思ったけど、軍資金ねえや。悪いことするにも結局は金か、ばかばかしい)
ぐう~。
ふいに腹が鳴った。そういえば何も食べてないことに気づき、ふらふらと途中のコンビニに入る。いつも二人で寄り道していた、行きつけの店。
(あ、享幸の好きな肉まん)
喧嘩別れしてきたばかりなのに、恋人の好物につい目がいく。我ながらなんとも女々しい話だ。だが今はあの温もりでもいいからふわふわの何かに包まれて、優しい気持ちを摂取したくなった。
「あの、肉まんひとつ」
「百円です、袋いりますか」
「そのままで」
あつあつの柔らかい生地に包まれたそれは、雨に濡れた良一の手にそっと載せられる。コンビニ店員は特にこちらを見ることもなく、次の客対応をし始めた。
良一はひっきりなしに訪れる人の隙間をぬって外に出た。すぐ傍にある駐車場に向けて、数台の車が侵入してくる。眩いヘッドライトに照らされ、思わず目を伏せた。
自分一人、人生の伴侶を失って絶望に打ちひしがれていても、世界は普通に回るし地球は滅亡しない。そして腹は減る。
大口を開いて包子に噛みついた時、良一という男の存在は消えてなくなった。
それは本当に、人魚姫の泡のように脆く儚く。
家族と口論していることは知っていた。本人の意思を拡大解釈した親が勝手に息子の結婚話を進めたとかで、このご時世に冗談じゃないと珍しく憤慨していた。
――享幸も怒るんだ。
門の外にまで漏れ聞こえる滝沢家の口論。良一は初めて聞く彼の怒鳴り声に驚いた。だがそれよりも、男である自分と付き合っている事実を隠す姿を見るのが辛かった。
相手の女の子はたまに見かける享幸の幼なじみ。公務員の親同士、小さい頃からいつか二人結婚してほしいと都合のいい約束を持ちかけられていたらしい。享幸にとって彼女は、ただの妹のような存在だと良一に言う。それでも彼女には曖昧な返事しか返せないから、結婚話だけがとんとん拍子に進んでいく。実際女の子の方は本気で享幸に惚れていて、よく男仲間に「彼女?」と揶揄われ、顔を真っ赤に染めていた姿はいじらしいものだった。
友人として出入りはしていたものの、滝沢家に良一の居場所はない。それも仕方ない。
学校で苛められ、親にも見捨てられ、享幸だけが拠りどころだった良一とは違って、彼には彼の人生がある。
「なあ享幸……駆け落ちでもする?」
冗談半分にそんなことを呟いてみたら、酷く困った顔をされたので慌てて言い直した。
「この前プレイしたクソゲーに状況似てるなって思って」
「あああれね、結婚式の最中、花嫁奪い取って逃げながら参列客倒していく謎のゲーム」
「そう、それな。でも俺が享幸抱えて走ったら即死案件だわ」
「ちょっと待て、俺が花嫁なのかよ」
享幸は情けない顔をしたまま声に出して爆笑していた。
「良一は……俺が落ち込んだらいつもそうやって楽しませてくれるね」
二人が恋人関係であることは誰にも言っていない。ヤりたくなったらこっそりどこかで逢引きしては身体を重ね、互いの愛を確かめ合う。それ以外の時間はただの親友。そんな生活を続けることに罪悪感を感じていた享幸は、徐々に心が壊れていった。
「結婚するぐらいならいっそ死にたい」
自殺まがいの行為に走り出した彼は、完全に鬱病を拗らせていた。真面目すぎるが故の弊害。彼はきっと、本気で良一を愛してくれていたのだろう。
だから良一が別れを告げた日、二人の気持ちは歯車から完全に零れ落ちた。
「俺は別に、お前に嫁さんができても仕方ないって思ってるし。これからも親友でいてくれたら、それで十分――」
「でもこんな関係のままじゃ不倫になる。お前とは二度とこうやって抱き合ったりできないじゃないか」
「なんだよそれ、享幸は今まで俺とヤることだけを目的に付き合ってたのかよ!」
「そ……そうじゃないけど、でもそれじゃ良一が」
「煩いな。俺は真性のゲイだから、お前みたいなノンケのバイとは住む世界が違うんだよ。俺はヤりたくなったら出会い系とか探せばいいだけのことだし」
「そんなのは俺が嫌だ、やめてくれ」
「俺だっていやだよ。でも俺は……これ以上は無理なんだってもう納得できてんだ。享幸の生きる世界に俺は似合わない。でもずっと隣にいて、ただ傍で……友人として付き合ってくれたっていいじゃないか。……俺の事、気持ち悪いって言わなかったのは、お前だけなんだよ……」
必死に思いの丈を届けようと言葉を連ねていたら、情けないことに涙が零れていた。頭が悪いからうまい表現方法も見つからない。享幸が一体どんな形の幸せを求めているのかもわかってあげられない。
けれど享幸からぽつりと言われたその一言は、思った以上に堪えた。
「俺は一度に二人も愛せるような、器用な人間にはなれない。けれど良一のことを好きだと言えば、親父たちは間違いなくお前を糾弾しにいく。どんなに守ってあげたくても俺は」
「……誰が俺を守るって?」
ぽつりと呟いた声には言いようのない怒りが含まれていた。
「俺はお前に守ってもらいたくて好きになったんじゃねえよ、わからずや」
(どんな形でもいい、享幸の傍にいたかった。ただそれだけなのに。それすら許してもらえないなんて)
「良一……!」
享幸の制止にも耳を傾けず、良一は振り返らないまま飛び出した。
良一の身体を包み込む夜の街並みは暗く陰湿で、冷たい。無情にも雨まで降り出した。
(……ほんとは結婚してほしくないって。素直に言えばよかったのかな……)
だがこれ以上自分のわがままで、彼の人生を棒に振りたくはなかった。
享幸の家から自宅まで、決して近くはない。いつも大きな享幸の背中に強引にしがみつき、二人乗り自転車で走った道のりを、傘もささず一人で歩き続ける。
そうだ、遠い街に行って運転免許を取ろう。そして再会した時まだぐずぐず言っているようなら、いっそあいつを掻っ攫ってやろうか。
シャアアアッと音を立て、何度も車が行き交う姿を見ながらそんなことを思う。
(そんで誰も知らない街に行って、親の目の届かないところでひっそりあいつを監禁してやるんだ。まさに完全犯罪の略奪愛――……って思ったけど、軍資金ねえや。悪いことするにも結局は金か、ばかばかしい)
ぐう~。
ふいに腹が鳴った。そういえば何も食べてないことに気づき、ふらふらと途中のコンビニに入る。いつも二人で寄り道していた、行きつけの店。
(あ、享幸の好きな肉まん)
喧嘩別れしてきたばかりなのに、恋人の好物につい目がいく。我ながらなんとも女々しい話だ。だが今はあの温もりでもいいからふわふわの何かに包まれて、優しい気持ちを摂取したくなった。
「あの、肉まんひとつ」
「百円です、袋いりますか」
「そのままで」
あつあつの柔らかい生地に包まれたそれは、雨に濡れた良一の手にそっと載せられる。コンビニ店員は特にこちらを見ることもなく、次の客対応をし始めた。
良一はひっきりなしに訪れる人の隙間をぬって外に出た。すぐ傍にある駐車場に向けて、数台の車が侵入してくる。眩いヘッドライトに照らされ、思わず目を伏せた。
自分一人、人生の伴侶を失って絶望に打ちひしがれていても、世界は普通に回るし地球は滅亡しない。そして腹は減る。
大口を開いて包子に噛みついた時、良一という男の存在は消えてなくなった。
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