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四冊目 りんごあめと白雪王子 ~絶対恋愛関係にならない二人の最後の夏休み
プロローグ……① 光side
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じりじり肌を焦がすような太陽が、ぶあつい雲から姿を出して、汗ばんだ白い布団をガンガン照らしてくる。
燃えるように暑い夏がもう、すぐそこまできていた。
入院患者用の綿の寝間着が、じわっと染み出る汗を吸い込んでいく。病院のベッドでしばし窓の外を眺めていた今西光は、戸棚の上に放置された携帯電話に手を伸ばした。
今何時なのかもよく見ないまま、折り畳み式携帯電話の一番上のボタンを押す。このボタンさえ押せば、SOSの如く簡単に相方につながるよう設定してもらっている。
何度かの呼び出し音のあとに聴こえる声は、いつも通りの穏やかで聞き取りやすい中高音域。
「もしもし?」
聴きたかったその声に思わず顔を綻ばせて、しばし余韻に浸っていた光は、慌てて声を発した。
「も、もしもし。なあ、暇なんだけど」
『光……おはよう? ……つってももう昼だな』
受話器の向こうからは、挨拶をすっ飛ばした光に呆れた相羽勝行の声が漏れて耳元に響く。
『どうした、熱はもう下がったのか』
「う……わ、わかんねえけど……今は平気。電話できっし。あ、さっき飯くった」
ふと気づけば妙に暑くて、汗だくで目が覚めた。なんとか身体も自力で起こせたし、「腹へった」と看護師に言えば、ほんのり暖かいご飯をもらえたから、梅干しをのせてかっこんだのがついさっき。おかずも出されたものの、起き抜けにそこまでは無理だった。
『ごはん、食べられるようになった?』
「ああ、米だけ食った。なあ、ピアノ弾きたい」
『なんだそれ……。起きられるようになった途端早速だな。でもまだ学校の時間だよ。今から五時間目。授業が終わったらなるべく急いでそっち向かうから』
「あ、そっか……。まだ学校か……」
言われてみれば、受話器の向こうからは遠巻きに雑踏音が交じって聴こえる。
昼休みだから通話できたのか。校内での携帯電話使用禁止のはずだ。どこか隅っこの方で隠れてこっそり話しているのかもしれない。まあ、見つかっても適当な言い訳を言って逃げるのは得意な勝行だから、心配はいらないだろう。
『そう。だからあともうちょっと我慢して』
その一言に思わずカチンときて、光は「はあ!?」と携帯電話を睨みつけた。
「あともうちょっと? それってどんくらいだよ。一時間以上とかかかるくせに……そんなん、ちょっとって言わねえよ。まてねえ」
あと一時間以上、下手をすれば二・三時間、ひとりぼっちで病室軟禁か。と思ったこの何とも言えない気持ちが、相手にはちっとも伝わらなかったらしい。
そうは言っても、どうしようもない。授業をサボれとは言えないし、我慢するしかないのだ。頭の中では分かっているけれど、言いたいことは思わず口にしてしまう光にそれは難しいことだった。
『相変わらずだなあもう……あ、そうだ。ピアノだけなら片岡さんに頼もうか。そしたら一時間もかからないよ』
思わぬ返答が返ってきて、光は一瞬目をぱちくりとさせた。
「え……片岡のおっさんが持ってくんの? お前じゃ、ないの」
『何言ってんだ、当たり前だろ。俺はまだ授業中なんだし、あとで行くから。お前はどうせ、なんでもいいから暇つぶしがほしいんだろ』
「ああ……まあ……そっか……」
別にピアノさえ先に手元にあれば。
勝行が来てくれなくても、遊び道具さえ届けてもらえれば、どうにか寂しさも暇も紛れるわけで。勝行の言わんとしていることは、光の望んでいることとは若干違う気がしたけれど、でもあながち間違っているわけでもなくて、光はもごもごと口の中で言いたい言葉を飲み込んだ。
何と言えばいいか、わからなくなった。
でもまあ、何時間も一人で待つよりはマシだ。
「そう……だな……じゃあ……それでいい……待ってる」
『わかった、片岡さんに言っておく。でもお前はもうちょっとちゃんと休んで、体力つけて。熱下がってもまたすぐ上がるかもしれないし、当分は退院できないよ……わかってるよな? 無理しすぎて倒れたとか、自業自得なんだからな、自粛しろ』
「うっ……わかってっし……」
わがままを我慢したのに、むしろ畳みかけるように説教されて、思わずしゅんとなってしまう。確かに昨日までのことは記憶がないから、相当酷い寝込み方をしたのだろう。高熱にうなされ、ご飯を数日食べてないとだけ看護師から聞かされた。繋がった点滴の管を外すことはまだ許可してもらえない。おかげでまた体重が減ってしまった。
という程度にしか思っていなかったのだが、学校に通いながら看病してくれていた勝行には、結構な迷惑をかけたのかもしれない。
『ああそうだ。昨日できた新曲の譜面も片岡さんに預けとくよ。お前が寝込んでる間にたまりまくった、英語と数学のプリントもな。暇だったら、それやっときな』
「うえ……めんどくせ……ねるわ……」
最後の台詞は、どう聞いても意地悪な嫌味にしか聞こえなかった。ため息交じりに聴こえたその声は、本気で怒っている時のものだ。聞けばわかる。
しかもそのあと、電話はブツッと無情にも切れた。
切れる寸前、授業開始のチャイムが聞こえた気がする。タイムリミットだったのかもしれない。
ツーツーと鳴る通話終了の音は、言いたいことも聴きたかった言葉も全部シャットダウンしてくれる、無情な響きだった。
携帯電話を閉じて放り投げようとして、かろうじてその手を止めた光は、固い敷布団の上にどさっと倒れ込んだ。
「くっそぅ……かつゆきのバカやろう……ケチ……いじわる……」
手に持ったままの携帯を睨みつけ、もう何も聞こえなくなったその音を思い出しながら、吐き捨てるように独り言を呟いた。横になったまま、力尽きたかのように目を閉じる。
「むかつく……」
燃えるように暑い夏がもう、すぐそこまできていた。
入院患者用の綿の寝間着が、じわっと染み出る汗を吸い込んでいく。病院のベッドでしばし窓の外を眺めていた今西光は、戸棚の上に放置された携帯電話に手を伸ばした。
今何時なのかもよく見ないまま、折り畳み式携帯電話の一番上のボタンを押す。このボタンさえ押せば、SOSの如く簡単に相方につながるよう設定してもらっている。
何度かの呼び出し音のあとに聴こえる声は、いつも通りの穏やかで聞き取りやすい中高音域。
「もしもし?」
聴きたかったその声に思わず顔を綻ばせて、しばし余韻に浸っていた光は、慌てて声を発した。
「も、もしもし。なあ、暇なんだけど」
『光……おはよう? ……つってももう昼だな』
受話器の向こうからは、挨拶をすっ飛ばした光に呆れた相羽勝行の声が漏れて耳元に響く。
『どうした、熱はもう下がったのか』
「う……わ、わかんねえけど……今は平気。電話できっし。あ、さっき飯くった」
ふと気づけば妙に暑くて、汗だくで目が覚めた。なんとか身体も自力で起こせたし、「腹へった」と看護師に言えば、ほんのり暖かいご飯をもらえたから、梅干しをのせてかっこんだのがついさっき。おかずも出されたものの、起き抜けにそこまでは無理だった。
『ごはん、食べられるようになった?』
「ああ、米だけ食った。なあ、ピアノ弾きたい」
『なんだそれ……。起きられるようになった途端早速だな。でもまだ学校の時間だよ。今から五時間目。授業が終わったらなるべく急いでそっち向かうから』
「あ、そっか……。まだ学校か……」
言われてみれば、受話器の向こうからは遠巻きに雑踏音が交じって聴こえる。
昼休みだから通話できたのか。校内での携帯電話使用禁止のはずだ。どこか隅っこの方で隠れてこっそり話しているのかもしれない。まあ、見つかっても適当な言い訳を言って逃げるのは得意な勝行だから、心配はいらないだろう。
『そう。だからあともうちょっと我慢して』
その一言に思わずカチンときて、光は「はあ!?」と携帯電話を睨みつけた。
「あともうちょっと? それってどんくらいだよ。一時間以上とかかかるくせに……そんなん、ちょっとって言わねえよ。まてねえ」
あと一時間以上、下手をすれば二・三時間、ひとりぼっちで病室軟禁か。と思ったこの何とも言えない気持ちが、相手にはちっとも伝わらなかったらしい。
そうは言っても、どうしようもない。授業をサボれとは言えないし、我慢するしかないのだ。頭の中では分かっているけれど、言いたいことは思わず口にしてしまう光にそれは難しいことだった。
『相変わらずだなあもう……あ、そうだ。ピアノだけなら片岡さんに頼もうか。そしたら一時間もかからないよ』
思わぬ返答が返ってきて、光は一瞬目をぱちくりとさせた。
「え……片岡のおっさんが持ってくんの? お前じゃ、ないの」
『何言ってんだ、当たり前だろ。俺はまだ授業中なんだし、あとで行くから。お前はどうせ、なんでもいいから暇つぶしがほしいんだろ』
「ああ……まあ……そっか……」
別にピアノさえ先に手元にあれば。
勝行が来てくれなくても、遊び道具さえ届けてもらえれば、どうにか寂しさも暇も紛れるわけで。勝行の言わんとしていることは、光の望んでいることとは若干違う気がしたけれど、でもあながち間違っているわけでもなくて、光はもごもごと口の中で言いたい言葉を飲み込んだ。
何と言えばいいか、わからなくなった。
でもまあ、何時間も一人で待つよりはマシだ。
「そう……だな……じゃあ……それでいい……待ってる」
『わかった、片岡さんに言っておく。でもお前はもうちょっとちゃんと休んで、体力つけて。熱下がってもまたすぐ上がるかもしれないし、当分は退院できないよ……わかってるよな? 無理しすぎて倒れたとか、自業自得なんだからな、自粛しろ』
「うっ……わかってっし……」
わがままを我慢したのに、むしろ畳みかけるように説教されて、思わずしゅんとなってしまう。確かに昨日までのことは記憶がないから、相当酷い寝込み方をしたのだろう。高熱にうなされ、ご飯を数日食べてないとだけ看護師から聞かされた。繋がった点滴の管を外すことはまだ許可してもらえない。おかげでまた体重が減ってしまった。
という程度にしか思っていなかったのだが、学校に通いながら看病してくれていた勝行には、結構な迷惑をかけたのかもしれない。
『ああそうだ。昨日できた新曲の譜面も片岡さんに預けとくよ。お前が寝込んでる間にたまりまくった、英語と数学のプリントもな。暇だったら、それやっときな』
「うえ……めんどくせ……ねるわ……」
最後の台詞は、どう聞いても意地悪な嫌味にしか聞こえなかった。ため息交じりに聴こえたその声は、本気で怒っている時のものだ。聞けばわかる。
しかもそのあと、電話はブツッと無情にも切れた。
切れる寸前、授業開始のチャイムが聞こえた気がする。タイムリミットだったのかもしれない。
ツーツーと鳴る通話終了の音は、言いたいことも聴きたかった言葉も全部シャットダウンしてくれる、無情な響きだった。
携帯電話を閉じて放り投げようとして、かろうじてその手を止めた光は、固い敷布団の上にどさっと倒れ込んだ。
「くっそぅ……かつゆきのバカやろう……ケチ……いじわる……」
手に持ったままの携帯を睨みつけ、もう何も聞こえなくなったその音を思い出しながら、吐き捨てるように独り言を呟いた。横になったまま、力尽きたかのように目を閉じる。
「むかつく……」
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