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四
お菖と子どもたち
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翌日、葉照庵はちょっとした騒ぎになった。
朝早くから籠の中で騒ぐ子犬に堪りかねて庭に離したところ、まず一番にやって来たお菖が、それから手習いにやって来た子どもたちが、子犬が可愛いと追いかけまわしたからだ。
加えて、子犬可愛さに、お菖はこれまで避けていたはずの子どもたちの前に姿を見せて、これも騒ぎの一つになった。
見たことがない子どもがいるという話に始まり、お菖がとうに二十を過ぎていると言うので、どうして背丈が伸びないのかだとか、髪を桃割れにしなければいいのにだとか、子どもたちは口々に好きなことをお菖に言っていた。
「手習いどころではありませんねえ」
子犬を追いかけまわす子と、お菖を取り囲んで質問攻めにしている子たちを見て、葉蓮は笑いながらそんなことを言う。
「まあ、たまにはこんな日もいいでしょう。危なくないようにだけ、見ていてやってくださいな」
困った顔もせず、それでも手習いをさせようということもなく、葉蓮が言うので晃毅も従うことにした。
おかげで、昼間の光の下での子犬たちをじっくり見る機会を持つことが出来る。
どんなに目を凝らしても、瘴気の名残もなければ、あの燃え立つような毛並の犬に似たところもない。
男が犬たちを操るために使っていた笛の始末さえ終えれば、この子犬たちがあの犬たちのように操られることは二度となく済むだろう。
晃毅は笛の始末も早くしなくては、と封じの札を貼って懐に入れた笛を、作務衣の上から右手で押さえた。
パチリ、と火花が散ったような気配がして、右手が僅かに痛む。
噛み傷があるのだから、痛むのは当然かもしれなかったが、目をやるとそうではないことが見て取れた。
傷のある辺りに、ほんの僅かながら瘴気が漂っている。
夜に気付かなかったのは迂闊だったと眉を寄せる。
瘴気に操られた犬につけられた傷だから、瘴気が残ることくらい考えておくべきだった。それとも、夜に気付かなかったのは当然で、今、笛に手を近付けたことで生じたのだろうか。
そんなことも思ったが、どちらにしてもこのままにしておいていいものではない。
だがお菖や子どもたちのいる間に、正確な対処をすることも出来ない。
晃毅は口の中で真言を唱えながら、右手を撫でてその場しのぎにした。
その内、昼が近づくと、子どもたちは子犬相手に名残惜しそうにしながら、家に帰って行き、ようやく解放された顔でお菖が晃毅のそばにやって来た。
「いやあ、失敗したわ。子犬にかまけて子どもらに見つかるなんてねえ」
お菖はそう言って疲れた顔をしていたが、満更悪い出来事であったようでもない。晃毅もお菖と子どもたちのやり取りは気にして耳を向けていたが、お菖自身子どもたちの質問に不愉快になったり腹を立てたりするような様子はなかった。
「でも、これからもこちらに来て下さるなら、子どもたちに見知っておいてもらった方が、不便がないのでは?」
以前から不思議ではあったのだが、この機に言ってみると、お菖は少し渋いような顔をして頭を傾けて唸った。
「ううん」
「駄目でしたか」
子どもたちに自分の身の上を説明するのが面倒だと言っていたのだから、その面倒はもう取り除かれたはずなのだが、他にも何か子どもから身を隠したい理由があっただろうか。
それなら無理を強いる必要もないと考えた晃毅に、お菖はううん、と今度は首を振る。
「いや、駄目じゃないね。今まで隠そうとしていたから、まだ心が落ち着いていないだけだわ。こうなってみると、別に隠す必要なんてなかったじゃないって感じだけど、まあ、結構長く、子どものふりをしたり、身を隠してみたりしているから。一度に、子ども姿に見えても中身は違うことを知っている相手が増えて、戸惑っているだけ」
お菖はそう言って溜息を一つ吐くと、それでもう吹っ切ったような顔をして見せた。
「晃毅さんの言う通り、不便がなくなったわ。これからは、どの時間にも堂々と来させてもらうからよろしくね」
にこりと笑うお菖は、心から思っているようだ。
晃毅がお菖の心の内を知るわけでは、当然ないが、何がしかわだかまりがなくなったようでもある。
「ええ、頼りにしていますから。よろしくお願いしますね」
実のところ、食事の支度は、晃毅が行うよりもお菖が行った方が断然美味しいものが出来上がるし、細かいところに気づいてあれこれと助言もしてくれる。頼りにしているのは嘘ではない。
「そうだね、これからはこの子らの食べるものも用意してやらないといけないしね」
お菖は足元の子犬らを見てそう言った。
子犬たちは、子どもたちに追い掛け回されたのが流石に疲れたらしく、座り込んでいたり、二、三匹でかたまって、ウトウトしたりしている。
「ああ、そうでした。犬って何を食べさせたらいいんでしょう」
今朝も水と米の飯を分けてやっただけなのだが、流石にそれだけではよくない気がする。かといって肉や魚は、葉蓮も晃毅も食べないのだからやりようがない。
するとお菖は、目を丸くして晃毅を見た。
「知らないで拾って来たの?」
「はあ」
そう言われてしまうと、全くその通りでうなずくしかない。
あの場では連れて帰らないわけにもいかなかったのだから仕方がない、と心の中でだけ言っておく。
「まあ、そうね。大概のものは食べると思うけど、わたしも詳しそうな人に聞いておくよ。ところで」
「はい?」
話を変えようとするお菖の声は、やや真剣さを含んでいて、晃毅もまた改まった態度で返事をした。
「菖蒲、使った?」
朝早くから籠の中で騒ぐ子犬に堪りかねて庭に離したところ、まず一番にやって来たお菖が、それから手習いにやって来た子どもたちが、子犬が可愛いと追いかけまわしたからだ。
加えて、子犬可愛さに、お菖はこれまで避けていたはずの子どもたちの前に姿を見せて、これも騒ぎの一つになった。
見たことがない子どもがいるという話に始まり、お菖がとうに二十を過ぎていると言うので、どうして背丈が伸びないのかだとか、髪を桃割れにしなければいいのにだとか、子どもたちは口々に好きなことをお菖に言っていた。
「手習いどころではありませんねえ」
子犬を追いかけまわす子と、お菖を取り囲んで質問攻めにしている子たちを見て、葉蓮は笑いながらそんなことを言う。
「まあ、たまにはこんな日もいいでしょう。危なくないようにだけ、見ていてやってくださいな」
困った顔もせず、それでも手習いをさせようということもなく、葉蓮が言うので晃毅も従うことにした。
おかげで、昼間の光の下での子犬たちをじっくり見る機会を持つことが出来る。
どんなに目を凝らしても、瘴気の名残もなければ、あの燃え立つような毛並の犬に似たところもない。
男が犬たちを操るために使っていた笛の始末さえ終えれば、この子犬たちがあの犬たちのように操られることは二度となく済むだろう。
晃毅は笛の始末も早くしなくては、と封じの札を貼って懐に入れた笛を、作務衣の上から右手で押さえた。
パチリ、と火花が散ったような気配がして、右手が僅かに痛む。
噛み傷があるのだから、痛むのは当然かもしれなかったが、目をやるとそうではないことが見て取れた。
傷のある辺りに、ほんの僅かながら瘴気が漂っている。
夜に気付かなかったのは迂闊だったと眉を寄せる。
瘴気に操られた犬につけられた傷だから、瘴気が残ることくらい考えておくべきだった。それとも、夜に気付かなかったのは当然で、今、笛に手を近付けたことで生じたのだろうか。
そんなことも思ったが、どちらにしてもこのままにしておいていいものではない。
だがお菖や子どもたちのいる間に、正確な対処をすることも出来ない。
晃毅は口の中で真言を唱えながら、右手を撫でてその場しのぎにした。
その内、昼が近づくと、子どもたちは子犬相手に名残惜しそうにしながら、家に帰って行き、ようやく解放された顔でお菖が晃毅のそばにやって来た。
「いやあ、失敗したわ。子犬にかまけて子どもらに見つかるなんてねえ」
お菖はそう言って疲れた顔をしていたが、満更悪い出来事であったようでもない。晃毅もお菖と子どもたちのやり取りは気にして耳を向けていたが、お菖自身子どもたちの質問に不愉快になったり腹を立てたりするような様子はなかった。
「でも、これからもこちらに来て下さるなら、子どもたちに見知っておいてもらった方が、不便がないのでは?」
以前から不思議ではあったのだが、この機に言ってみると、お菖は少し渋いような顔をして頭を傾けて唸った。
「ううん」
「駄目でしたか」
子どもたちに自分の身の上を説明するのが面倒だと言っていたのだから、その面倒はもう取り除かれたはずなのだが、他にも何か子どもから身を隠したい理由があっただろうか。
それなら無理を強いる必要もないと考えた晃毅に、お菖はううん、と今度は首を振る。
「いや、駄目じゃないね。今まで隠そうとしていたから、まだ心が落ち着いていないだけだわ。こうなってみると、別に隠す必要なんてなかったじゃないって感じだけど、まあ、結構長く、子どものふりをしたり、身を隠してみたりしているから。一度に、子ども姿に見えても中身は違うことを知っている相手が増えて、戸惑っているだけ」
お菖はそう言って溜息を一つ吐くと、それでもう吹っ切ったような顔をして見せた。
「晃毅さんの言う通り、不便がなくなったわ。これからは、どの時間にも堂々と来させてもらうからよろしくね」
にこりと笑うお菖は、心から思っているようだ。
晃毅がお菖の心の内を知るわけでは、当然ないが、何がしかわだかまりがなくなったようでもある。
「ええ、頼りにしていますから。よろしくお願いしますね」
実のところ、食事の支度は、晃毅が行うよりもお菖が行った方が断然美味しいものが出来上がるし、細かいところに気づいてあれこれと助言もしてくれる。頼りにしているのは嘘ではない。
「そうだね、これからはこの子らの食べるものも用意してやらないといけないしね」
お菖は足元の子犬らを見てそう言った。
子犬たちは、子どもたちに追い掛け回されたのが流石に疲れたらしく、座り込んでいたり、二、三匹でかたまって、ウトウトしたりしている。
「ああ、そうでした。犬って何を食べさせたらいいんでしょう」
今朝も水と米の飯を分けてやっただけなのだが、流石にそれだけではよくない気がする。かといって肉や魚は、葉蓮も晃毅も食べないのだからやりようがない。
するとお菖は、目を丸くして晃毅を見た。
「知らないで拾って来たの?」
「はあ」
そう言われてしまうと、全くその通りでうなずくしかない。
あの場では連れて帰らないわけにもいかなかったのだから仕方がない、と心の中でだけ言っておく。
「まあ、そうね。大概のものは食べると思うけど、わたしも詳しそうな人に聞いておくよ。ところで」
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