江戸の退魔師

ちゃいろ

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葉蓮と子犬

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 庭に回り、葉蓮の部屋の前に来ると、障子は閉じられていたが、明かりは灯っていて、座している葉蓮の影も見える。
 日暮れからの時間を考えると、そろそろ床に就いていてもおかしくはない頃だ。
 心配をかけてしまっただろうかと思うと、廊下に上がって声を掛けるのも躊躇われた。
 それに、と晃毅は肩を落とす。
 もし、あの男に命が残っていなければ、それこそ葉蓮に合わせる顔などないのではないだろうか。
 もっとも、そんなことを言いだせば、誰に対しても晃毅が合わせる顔など、本当はとうにないはずだ。
 私情で命を殺めたことも、何の罪もない命を殺めたことも、ない。
 ないはずではあるが、確かにそうだと言い張れるものでもない。
 いつもは、そんな祓いの仕事の後も、葉蓮が寝付いてからのことで、朝に再び顔を合わせるまでには、どうにか気を持ち直していたのだが、今はまだ気が重い。
 かといって、このまま帰ったことを知らせないでいるわけにもいかない。
 晃毅が迷っていると、光にひかれたのか、いつの間にか子犬の一匹が庭と廊下を繋いでいる段に近づいていた。
 そして自分の足では届かない段差に焦れてか、キュウンと一際高い声を上げた。
 カラリと障子が開けられる。
「あら、晃毅さん」
 庭に目をやった葉蓮は、身を隠す隙もなかった晃毅をあっさりと見つけ出した。
 葉蓮は目を細めて晃毅を見ている。遅かったとも、どうしていたのかとも言わないが、ほっとした様子が感じられた。
「お菖さんは、ちゃんとお家にお送りしましたか?」
「……はい。戻るのが遅くなって、申し訳ありません」
 晃毅が心からその通りに思って頭を下げると、するりと布が動いた音がした。
 葉蓮が廊下に出て、庭に続く段に足を下ろしていた。
「遅くなったのは、この子犬たちのことで?」
 葉蓮が躊躇いもなく、一番近くにいた子犬を抱き上げたので、晃毅は一瞬緊張を覚えた。
 今は確かにただの子犬らしくあるし、子犬たちを縛り付けていた瘴気の名残さえも感じない。けれど元は、あの男に操られて人を襲った犬でもあるのだ。不安にならないという方が、まだ難しい。
 だが緊張していなくてはならなかったのは、本当にその一瞬だけだった。
 抱き上げられた子犬は、くああ、と欠伸をしてみせると、葉蓮に抱えられたまま頭をこくりこくりと傾け始めたのだ。
「まあ、眠たそうですね。寝床を作ってあげましょうか」
 葉蓮がそんなことを言うので、晃毅は驚いて葉蓮を見た。
「どうしました?」
 晃毅の視線にすぐに気付いた葉蓮が首を傾げる。
「そのつもりで、連れて帰ったのではないんですか?」
「そう、なのですが……。この犬たちを置くのを許してくださるんですか?」
 こんなにあっさりと、葉蓮が犬たちを受け入れてくれるとは思っていなかった。あまりに唐突なことだし、数も数だ。
 だが葉蓮は、それならいいでしょう、と庭に下りるとしゃがんで他の犬たちも構い始める。
「外に置いておくにはまだ小さいし、他所に行ってしまいそうですね。今日のところはひとまず、庫裡に寝かせておきましょうか」
「庫裡、ですか?」
 犬たちを置いておいて荒らされると困る場所ではあるが、と聞き返すと、葉蓮が晃毅を見上げた。
「他の場所となると、玄関か、倉ですかねえ」
「……玄関は、流石によくないかと思いますが」
「そうでしょう?」
 来客を考えると、糞や尿をして欲しくない場所だ。だがそれは庫裡も同じなのだ。かといって倉となると狭い場所だし、あれこれと先に住んでいた尼僧の残した品々も詰め込まれている。そこに子犬たちを置くのも気になっていけない。
「まあ、庫裡でいいでしょう。土間に囲いをしておけばいいですし」
「はあ、はい。……それなら、用意を」
 食事の支度をする場所に置いておいて本当にいいのかとは思うが、確かに他に置いておく場所が思い浮かばない。葉蓮が言うのなら、よしとするかと庫裡に足を向けた晃毅を、葉蓮は呼び止めた。
「晃毅、犬たちのことはわたしがしておきます。あなたは体を拭いて着替えておいでなさい。……藪の中で犬を拾ったの? 酷い恰好をしていますよ」
「あ……」
 そう言われて、作務衣の上着が破れていたことを思い出した。
 右手は相変わらず痺れているし、明るいところでよく見れば、牙の痕が残っているだろう。噛みつかれたままにしたおかげで、血がさほど流れていないのは幸いだった。この暗がりなら、傷に気付かれずにすむ。
「……、すみません。そうさせてもらいます」
 本来こんな雑事は葉蓮にさせるようなことではない。まして、自分が連れ帰った犬だ。けれどここで、犬の世話は自分がすることだと言い張れば、右手の傷はすぐに葉蓮の目に触れるだろう。
 それよりは、葉蓮に任せてこの場を離れる方がいい。
 晃毅は水を用意して自室に向かい、そこでようやく自分の姿を確かめることが出来た。
 見えるところに血こそなかったが、葉蓮の言う通り酷い有様だ。衣服は破れ、いつの間にか土もあちこちに付いている。
 これは確かに藪の中に潜っていたように見えても仕方ないだろう。
 そして右手の傷は、牙が深く突き立っていたようで、腕の皮が肉の内側に入り込んで穴になっていた。
 この傷を見ると、一昨日左腕に負った傷など些細なものに思えて来る。実際左手の傷はあれ以来痛むこともない。
 言われた通り体を拭くために、上に着ていた物を脱ぎながら、左手の傷も念のため確かめようと目を向けて、晃毅は目を瞬かせた。
 一昨日帰った後に結んでおいた包帯の、結びが変わっている気がする。
 結び変えた覚えはないし、誰に見せた記憶もない。
 なのに何故だろうと首を捻っても心当たりはやはりない。
 もしかして、自分の覚え違いかもしれないと、ひとまず違和感を仕舞い込んで、右腕の手当てと着替えを急ぐことにする。
 庫裡の方から、甲高い子犬の声が響いているのが聞こえたからだ。
 柔らかい寝床を与えられても、馴染んだ場所でなければ子犬が不安を覚えるというのは本当らしい。
 あれが本当に子犬なのかと疑う気持ちは未だにあるが、少なくともあれらを世話する親犬は何処にもいないのだ。
 なるべく袖を手首に重ねるようにして着替え終えると、今回もどうにか傷と包帯は隠れてくれるようだった。
 これなら葉蓮の前に出ても大丈夫だろうということを確かめると、そこらを片付けて庫裡に向かった。
 近づくにつれて、声は大きくなる。
 庫裡を覗くと、土間の片隅で二つの竹籠に分けて入れられた子犬が懸命に声を上げている。一匹は框に座った葉蓮の膝の上だ。その一匹だけがウトウトしている。
「あら、着替えは終わりましたか」
「はい、ありがとうございました。……子犬たち、随分賑やかですね」
 葉蓮の抱えた子犬を覗き込むようにして、晃毅が斜め後ろに膝をつくと葉蓮が苦笑した。
「そういうものですから、仕方ありませんね。今日一晩過ぎれば、大人しくなりますよ」「ですが、こうして付いていては、葉蓮様がお休みになれないのでは」
 まさか一匹ずつ膝の上で寝かしつけていくつもりではないだろうが、と子犬と葉蓮の顔を交互に見ると、クスリと笑いが返される。
「もちろん、このまま付いて夜を明かす気はありませんけれど、つい、ね」
「はあ」
「それより晃毅さん。夕餉がまだでしたね。残りのご飯をおにぎりにしておきましたし、御御御付けもまだありますから、食べませんか?」
 そう言われて自分が何も食べていなかったことを思い出した。
 空腹具合など思い出している場合ではなかったのだ。
 少し何か食べてからの方が、寝つきもいいだろう。晃毅はうなずいて、葉蓮が示した手拭いの掛けてある皿を手に取った。
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