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序章 きみが灰になったとしても
第44話 彼の地、白き森の恵みを
しおりを挟むそれから、ノウトは一度こちらに瞬間移動した際に飛ばされたあの場所に戻った。洞窟の中にある暗くて、無機質なあの部屋だ。
ここを当分の間、住処とすることにした。
少しだけ肌寒いけれど、外よりはかなりマシだ。あの寒さには適わない。
ここに戻るまでに一時間半はかかった。途中で降雪してきて足跡がなくなり、来た道が分からなくなったのだ。生きてやるという活力だけで歩いて、洞窟の入口が見えた時、心の底から感動した。走って、走り抜けて、あの部屋に駆け込んだ。
肩から力が抜けた。なんとか戻ってこれたのだ。
まずは睡眠を取る必要がある。今のノウトには冷静さが足りていない。どうして考えなしであの雪道を歩いていたのか。
暗い部屋を探っているとベッドの代わりになりそうな楕円型で弾力性のあるものを発見した。それの上で横になって、目を瞑った。本当に疲れていたのだろう。ノウトはすぐに眠りに落ちていた。
目を覚ましたとき、猛烈な空腹に襲われた。
そこで腰のポシェットから携帯食料を取り出して、そのひとつを食べることにした。
端的に説明すれば、それはパンや干し肉を思いっきり凝縮した固形物だ。体積は四十立方センチメートルほどの小さいものだが、それを口に含んだ瞬間、身体が高揚して、得も言えぬ満足感が全身を包んだ。臓器が活発になるのを感じる。
ゆっくりと嚥下して、飲み干す。
携帯食料はあとふたつ。少なくともこれで五日は生きることは出来そうだ。
まずは今後について、いろいろと目標を立てなくてはいけない。
真っ暗な部屋の中で左手甲の紋章と〈光〉の小型神機──閃光弾の光だけが灯る。閃光弾は太陽光を吸収して何度でも光を放つことが出来るため、灯りに困ることはないだろう。あまり大きなものではないが、こう見えて高価で貴重なものなのでこれを持たせてくれた魔皇とメフィに心の底から感謝の意を示しつつ、部屋の隅にあった椅子のような何かに腰掛けて、熟考する。
まず、ここがどこか、気候や気象、周辺の生態系から推測する。
初秋に差し掛かるこの時期に降雪していることから、少なくとも帝都より北にあることは確かだ。一瞬、血夜族の国ルノカアドかと思ってしまったが、そういえばこの時期は雪は降っていない。ということはそれよりも北にある森人族の国ハリトノヴァやミドラスノヴァ、巨人族の国センドキア辺りか。何にせよ南側に帝都があるのは確かだ。だから、南方面に重きを置いて探索を進めないといけない。
だが、何をするにしても、生活の基盤を固めてからでなくては駄目だ。ある程度の準備をしなければ道半ばで倒れてしまう。あんな寒いところ何日も歩くのは自殺行為と言えるだろう。
「まずは……」
食べ物だ。兎にも角にも食べ物だ。何がなんでも食べ物。
生きる為には、これはなんとしてでも確保しないといけない。
街がここから近くにないことは痛いほど分かった。帝都に向かう為にはそれなりの貯蓄がないとどこかの街にたどり着く前に死んでしまう。
水も必要不可欠だが、水は……雪を食えばいいか。……いや、いいのか? 良くない気がする。分からないけれど、水分を取ることさえ出来れば、まぁ、命に別状はないだろう。
あとはどうやって食べ物を集めるか。雪寒地帯では雪果という果物が成っていることはあると書物で読んだが、外を見てきた限りそれらしいものは見当たらなかった。植物から栄養を得るのはこう寒いと難しいが、先程の外出で動物の類いがいるのは分かった。タンパク質を摂取できれば最高だ。
「だけどな……」
ノウトは左手甲にある勇者の紋章に二回触れた。すると、青くて半透明の窓が空中に浮かび上がってきた。
────────────────────────
〈殺̷̶̷戮̷̶̷〉の勇者
名前:ノウト・キルシュタイン
年齢:19歳
【〈神技〉一覧】
────────────────────────
こう、改めて見ると悲観的にならざるを得ない。何もなくなってしまった。ロストガンとの修行の日々も、アヤメの創り出した神技の数々も何もかもが消え去った。
でもな。今はこの状況にいかに打ち勝つかが大事だ。克己。そう、克己さ。自分に打ち勝て。ノウトにあるのは神技だけじゃない。剣術だって、体術だって、メフィの道具だってある。
「……俺なら出来る。俺は、真の勇者になる男だ」
久しぶりに、そう口に出したら胸の内が温かくなって、身体の底から元気が溢れてきた。
よし、やるぞ。生きてやる。とにかく生きてやるんだ。
◇◇◇
おもむろに息を吐いて、息を吸う。呼吸をする。肺に入ってくる空気が冷たくて、少しだけ気持ちがいい。清々しい気分になる。
ノウトは外に出て雪の積もった森の中へとまた赴いた。
乾いた喉は雪で潤した。出来るならば川、それも上流の方で水を飲みたいところだが、この辺りには川が流れていない。川沿いに歩けば街につける可能性も高いから、それも頭に入れて、歩を進める。
食べられそうな植物を見かけたら、もともと閃光弾の入っていた麻の袋にそれらを詰めていく。閃光弾は光を溜め込ませるために肩にかけたベルトの金具に引っ掛けてある。
ノウトは帝国で過ごした二年のうち、ロストガンやラウラに鍛えられていない間、公文書院の内局で熱心に公文書や文書、歴史書を読み漁っていた。ノウトは記憶なしにこの世界に目覚めたのだ。スタート地点が違う。だからこそ、精一杯に毎日を生きていた。
ロストガンと修行を行ったあとは決まって図書館か書院に赴いた。そこに務める役員に促されるまで帰らなかった。ノウトは当時、食事をする間も惜しんで読める限りの歴史書に目を通した。まるで、図書館に住んでいるかのようだからノウトの渾名は「住人」だった。とにかく大量に読んで、記憶しなければ誰にも追いつけない。
もちろん、植物図鑑にも目を通していた。だから、覚えてるんだ。
少なくとも、有毒な植物はそれなりに分かる。有毒か無毒か見分けがつかないものには手をつけない。いくら腹が空いているからと言って死んでしまったら、そこでおしまいだ。体調を崩せばこうやって食糧を探すことも困難になる。生きるには堅実に、地道に前に進むしかない。
ある程度食べられそうな草や根を集めていると視界の端に何かが映った。茶色い体毛に覆われた、小さな生き物だ。
「リス……」
小さく、呟く。そそくさと木を登り、巣穴に戻っていくようだ。その手には何か、赤い実のようなものが見えた。
もしかしたら、あの赤い実がこの辺りになっているのかもしれない。センダンの実、いや、赤いからソヨゴの実か。
左右を見て、それっぽいものを探す。小さな実がなるのは多くは低木か広葉樹だ。そこらじゅうに生えている針葉樹にはそれらしいものはない。
「…リス……か」
赤い実を探しながら、ノウトはさっき見た動物のことを思い出していた。
貴重なタンパク源だ。この雪降る地帯を抜け出すためにも必要不可欠とも言える。
ただ、弑逆も暗殺もなしに、素手でリスを捕らえることは、まぁ、出来ないだろう。素早さから言って不可能だ。
動物を捕らえるならば、罠だ。ただ、ノウトはロストガンから対人用の罠しか習っていない。書物の中で何度か動物に仕掛ける罠について書いてはあったのを覚えているものの、正直うろ覚えだ。
なにせ、ノウトには暗殺がある。いや、あった。暗殺があれば動物相手に罠を仕掛ける必要も特にないと高を括っていたのだ。
対人用の罠に使える紐は持っている。これを上手く改良して動物用の罠を作れば、タンパク源を得ることも出来るかもしれない。
薪に使えそうな、なるべく湿気っていない枝々を集めて、ある程度食べられそうな植物も袋がいっぱいになるまでは集められた。ナズナやせり、ハマダイコンの葉など、欲しかった野草も思ったより手に入った。今日のうちはこれで十分だ。この辺りの地形もだいたいは把握出来た。
洞窟のところまで戻ってきて、住処に入る直前、洞窟の中で火を起こす準備をする。
風もないし、床というか地面もそれなりに乾燥している。火を焚く持ってきた木の枝をまとめて重ねる。火種となるように持ってきた雑草を捏ねて、枝の中心に置く。
「……まさか、こんなところで役に立つとはな」
不死王城の地下で物色し手に入れた〈焔〉の小型神機のノズルを押して、火をつける。そのまま枝に火を近づけ、重ね木は焚き火と成す。
手袋と鉄製の篭手を外して、手を炎にかざす。
「はー……。あったか……」
生き返る思いだ。〈焔〉の小型神機をポケットに突っ込んでいなかったらどうなっていた事やら。ノウトも野営は何度もしたことがあるので火を起こすことぐらいは出来るが、こんなにも湿度が高い場所で摩擦させて火を起こすのは困難を極めるだろう。
でも、どうやらこの〈焔〉の小型神機は回数制限があるらしく、サイドにあるメーターを見るに、使えてもあと三十回程度だ。もしこの神機が使えなくなったらある程度は覚悟はしなくてはいけない。
「……さて」
採ってきた野草をどう調理するべきか。取り敢えず、睡眠針の入っていた缶の中に雪を入れて、蒸留させよう。
外を歩いていたときにめちゃくちゃ喉が乾いて少し雪を食べてしまったけれど、さすがにまずい気がする。味的な意味ではまずくはないけれど、衛生面的な意味ではまずい。
遠征や野営は何度もしたことがあるから並大抵のことじゃ腹は壊さないと思うけど、さすがに雪を食べたのは初めてだから、どうなるか分からない。
鎖帷子や折れてしまったアヤメの剣を利用してどうにか骨組みをつくって、火で炙るかたちはつくれた。
……ごめん、アヤメ、スクード。こんなかたちでこの剣を利用して。
鎖帷子でつくりだした鉄網の上に雪のつまった缶をいくつか置く。そのひとつに雪とともに野草を入れる。野草も生だと食べにくいと思うが、煮れば、それなりになるはずだ。
雪、いや、水を沸かしている間、ノウトは対人用の罠を改良してリスを掛けるための罠を作っていた。
罠と言っても単純なものだ。ロープと枝をくくって、金具を通すだけ。ノウトはそれらを持って、洞窟の外へと出る。
何箇所か離れた木々にリス用のものと鳥類用の罠を仕掛けた。素人のつくったものなので見た目は無骨で良いとは言えないが、罠の心得は不殺術で心得ている。相手にとって有利な状況をつくりこみ、そこに誘い出す。罠が起動すればこちらのものだ。大事なのはその前の過程。手を抜かなければ、たとえ無骨でもなんとかなる……はず。
一通り罠を掛け終わったのち、ノウトは洞窟の中に戻った。炎はかろうじてまだ生きていたが、あくまでかろうじてだ。蒸留させた水と煮た野草の数々を取ってから、炎を手であおって空気を送り込む。なんとか炎は一命を取り留めたようだ。
水の入った缶に口をつけ、呷る。
「水うっま……」
身体を再構築してくれるというか、本当に人の八割は水で出来てるって理解できるというか。生きてるって最高だ。改めて、水の美味しさを痛感する。
次に、煮詰めた野草だ。一切れを指でつまんで舌の上に乗せる。少しでもピリッとしたら、吐き出さないといけない。猛毒でない限り、この対処法でなんとかなる……と本で読んだようなラウラに聞いたような。
「……ラウラ」
ふと、思い出してその名前を口にする。また、会えるのだろうか。果たしてここから抜け出して帝都までたどり着けるのだろうか。どうして神技は使えなくなってしまったのだろうか。そう、何もかもが分からない。
頭でそう考えて、かぶりを振る。
「分かんないはもうやめだ。きっと、会える」
自らに言い聞かすように言葉を紡ぐ。大丈夫。大丈夫。
自分を上手く納得させてから煮た野草を口の中に放り込んだ。ゆっくりと噛んで咀嚼してから、飲み込む。
「にっが………」
苦いにもほどがある。この苦味が毒の苦味ではないことを信じて、野草を次々と腹に入れる。すると、胃が活発になって、余計腹が減ってきた。
いつの間にか、積んできた野草や根茎は全てノウトの腹の中におさまっていた。缶に口をつけ、水を飲む。
当然、このくらいで空腹は満たされないし、薄らいだ喉の乾きもすぐにぶり返すだろう。でも、腹に何かをおさめただけで頭痛が少し治まった。とりあえず、人心地ついたという感じだ。
ほぼ丸一日外で歩き回っていたからだろう。唐突に眠気がおそってきた。導かれるままに住処に戻って、寝床で横になる。
まだまだ、やらなくてはいけないことがたくさんある。
肉を食べたいし、炭水化物を摂りたい。川を見つけて、魚を捕るのもありだ。風呂にも入りたい。
それは、いくらなんでも贅沢か。でも、望むくらいはしてもいいんじゃないかな。
生活のインフラを整えてから、ここを脱出しよう。
食べ物を蓄えて、街を見つけに行く。ここでの目標は、ただそれだけだ。
明日へと思いを馳せながら、目を瞑った。
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