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序章 きみが灰になったとしても
第39話 楽園の夢
しおりを挟む「まさかこれに反応できるとは。モファナの姫君の戦闘力は今生存する人類でも随一やもしれませんね」
ノワ=ドロワは両手を胸の高さまで上げた。その掌、手袋の上に見覚えのあるものが見えた。二年もの間、暇さえあれば神機について研究していたノウトだから分かる。あれは──
「瞬間……転移陣……」
ノウトが呟くと、ノワ=ドロワはノウトを見た。
「勇者、アナタは思っていたより賢いのですね」
「どういう、こと?」ラウラが理解していない様子で小さく首を傾げた。
「あいつの両の手のひらに、瞬間転移陣の紋が描かれている。あれをフウカやレンたちに押し付けてどこかに飛ばしたんだ」
「どこかって……──」
「それはこれから知れば良いことです」
ノワ=ドロワが文字通りパッと姿を消す。
その場に残されたノウトとラウラは当たりを見回す。ノワ=ドロワは、どこにも居ない。どこに消えた。瞬間移動する相手を補足できるのか。少なくともラウラはさっき反応出来ていた。どこだ。どこから来る。
そう思った矢先、ノウトの背に何かが触れた。
──そして、世界が廻る。
視界が留まらない。思わず瞬きをする。
その瞬間に、景色が変わっていた。
ノウトもダーシュたちと同じように飛ばされてしまったのだ。ラウラは。レンは。フウカは。ダーシュは。みんなは。
どこに行ったのだろうか。無事なのか。周りにはいる気配がしない。
何千人も収容できそうなこの部屋は、なんだ。
ふと、前を見上げる。そこには、うずくまる巨竜のような壇があって、その中央の玉座に男が腰をかけていた。男はこちらを見て、立ち上がる。
「よもや、こんな少人数で乗り込んでくるとは思わなんだ」
その短い言葉だけで、そこにいる男が何者か分かった。あそこにいるのは──
「お初にお目にかかる、帝国の勇者よ。オレは不死王テオドール・フォン=ファガラウス」
その声が、言葉が、音の波が。ノウトを貫き穿っていく。ノウトの背筋に電流が走るかのようだった。総毛立ち、腰が引けてしまった。
「……お前が……不死王……」
声が、上手く出なかった。かろうじて出た科白は意味のないものだった。ノウトが肺を絞り出すように声を発すると、不死王は頬を緩めた。
「そう緊張しなくていい。オレは君と語らいたいだけなんだ」
不死王はやけに若かった。見た目だけで言うならば年齢はノウトと同じくらいか、少し上くらいだろう。今の魔人族には珍しい燃えるような赤毛に、こめかみ辺りから生える大きな角。身長はノウトより十センチは高い。180センチくらいだ。
その頭には王が被るべき王冠も戴いていない。服装も軽そうな鎧を身に纏うだけだ。装飾はレンの着るような闇衣に似ている。
容姿だけならば、彼が不死王だと言われても信じられないだろう。
しかし、その芯の通った声質と彼が纏う目に見えぬオーラが、不死王を不死王たらしめた。
相手は千年近く生きている化け物だ。油断したら、殺られる。殺される。
ノウトは床を踏みしめるように足に力を入れた。
「仲間は──ラウラたちは無事なのか?」
「無論、無事だ。今は別室にいるだろう」
不死王がそう言って、玉座に座り直した。そして、大口を開けて笑い出す。
「はっはっは! 君は自らのことより仲間を心配するのだな」
「当然だ」ノウトは即答した。「……俺はもう、何も失いたくない」
「失う……か」
不死王は憂いを帯びた目をした。それから、ノウトを見て、目を輝かせた。
「どんなやつかと思ったが、気に入った。ノウト・キルシュタイン」
不死王がノウトの名前を知っているのは、特に意外でも何でもなかった。スクードですら知っていたのだから、不死王が知っているのも当たり前だ。
不死王が立ち上がる。そして、壇をゆっくりと降りて来た。
「ノウト、大地掌握匣の奪還、見事だった。ここだけの話、ぎりぎり阻止出来なかったんだ。なにぶん、この城には信頼のおけるものしか入れていないのでな。まさか水路から侵入されるとは思っていなかったぞ」
もう、目の前に不死王がいた。ノウトは自然と身構えていた。いつ戦闘が起こるか。分からない。
そもそも、ノウトは生きて帰れるのか。
みんなは本当に無事なのか。
どうしたらこの場から逃れられる。どうしたらみんなと帝都に帰ることが出来る。考えろ。考えろ。
「最近、……いや五十年くらい前からだな。俺は食にこだわってるんだ」
「……しょく?」
「そうだ。食事は奥が深いぞ。人が絶対に行わざるを得ない行為にもかかわらず、食べる際にはある種の快感を感じる。これは交合にも言えるが、生存に必要とされている行為、生理的現象が快楽に繋がると本能が感じるのは面白いと思わないか? 例えば、食事や交合、惰眠が苦痛を伴うものならば人類はとうの昔に滅んでいただろう。オレたちは食事や交合に快感を感じるからこそ、ここまで存続し、繁栄出来た。まるで、オレたちがここにいることすべて、神の手のひらで転がされているみたいだ」
不死王の語る言葉の意味はわかる。だが、………。
「どうして、今そんな話を……?」
ノウトが反射的に聞くと、不死王は控えめに笑った。
「無意味な話をしては駄目か?」
目の前の男は、まるでノウトの友人かのように語る。
「初めに言っただろう。オレは君と話がしたいだけだと」
「お前は……」ノウトはアヤメの宿る剣の柄に手を触れた。「……この状況を、分かってるのか」
ノウトが不死王を睥睨する。
「俺は、敵地のど真ん中にいて、目の前には敵の親玉がいる。仲間は人質に取られて俺の知らない場所にいる。不死王、お前と雑談する暇なんて、俺にはどこにもないんだよ。……仲間を返せ、不死王」
「至極真っ当な意見だな、ノウト」
不死王がノウトに背を向けた。……今なら、仕掛けられる。あの背中に剣を突き立てられる。
フィーユも、シャーファも、ルーツァも、ミファナも。みんな、みんなこいつのせいで殺された。とめどない戦争を巻き起こす不死王のせいで。
頭の中に、スクードの言葉が浮かんだ。
『──不死王を、テオドール・フォン=ファガランスを殺してくれ』
その頼みを今なら叶えられるのかもしれない。いや、駄目だ。冷静になれ。人を殺すのは、ノウトの正義ではない。ノウトの正義は『救うこと』だ。救わなくて。救い続けなくては。
「はっはっはっはっはっはっは!!!!」
不死王は声高く笑った。その笑い声がノウトの芯を揺らすようだった。
「ノウト、君を少し侮っていたようだ。君は、俺の想像以上の死線をくぐってきたのだろう」
気が付くと、不死王はノウトのそばにいて、ノウトの肩に手を置いていた。ノウトはサイドステップを挟んで、距離を置いた。
「不死王、お前の目的はなんだ?」
「目的?」
「魔皇を殺すことか? 大陸の統一か? 人類の支配か? それとも──」
ノウトが不死王の目を真っ直ぐと見た。
「──世界を、壊そうとしているのか?」
不死王は須臾の瞬間、目を丸くした。だが、その直後、吹き出して、腹を抱えて笑い始めた。
「ノウト、君は面白いな! 世界を壊す……か。誰から吹聴されたか知らないが、オレが生きる目的はそんなものじゃない」
不死王がかつかつと歩いて、壇の前に立った。
「オレは、世界を救おうとしているんだ」
「救う……?」
ノウトは自らの耳を疑った。目の前の、今まで何人もの人間を足蹴にして犠牲にしてきた男は、今世界を救うと、そう言ったのか。ノウトが訝しげに不死王を見ると、彼は唸るように喉を鳴らした。
「今はその中途にあってな。オレはとある方法でそれを成さんとしているんだ」
「ある、方法?」
「『楽園』さ」
不死王は輝かんばかりの瞳をノウトに向けた。
「オレは、『楽園』に行く方法を探している」
「楽園……」
ノウトは反復した。
『楽園』というのはこの大陸、いやこの世界で信仰されている死生観のひとつだ。
死後、人は魂となって『楽園』と呼ばれる桃源郷に往く。
そこでは生前の行いに従って身分が決まり、生前過ごしていた者たちと共に暮らすことの出来る。
そして、誰もが衣食住に困ることはなく、誰もが平等に魔法を使うことが出来る。さらに、戦争の類もなく、人や国家間で争うことはほとんどない。
まさに『楽園』なのだ。
人が死する時、老若男女を問わず、この楽園へと誘われる。それが、この世界でほとんどの者が信仰している死生観であり、そして同時に希望なのだ。
「……皆を殺して、死で救済しようと言うのか」
「はははっ! 言い方によっては、そうとも言えるかもな!」
不死王はノウトを見て笑う。
「人の記憶は魂にある。だが、人は死すれば記憶が消える。それはなぜか……」
その銀色の目が妖しく光るように見えた。
「それは、『死の門』を通過する際に、魂のうちにある記憶が封じられるからだ」
「……死の門?」
「便宜上、オレはそう呼んでいるだけだ。そう呼ぶに相応しいと思っているからな。あれには太古の昔から名前が付いている。その名前は──」
不死王の瞳が妖しく閃く。
「──異扉」
その単語を言の葉にして、彼は手を胸に当てた。
「それこそが楽園へと繋がる扉の名。オレは記憶がある状態で異扉を通過し、楽園へ赴きたいんだ」
異扉……。
どこかで、聞いたことがある気がする。気がする、じゃない。絶対に聞いたことがある。でも、あれ、どこだっけ、どこで聞いたんだっけ。思い出せ。思い出せ。ああ、くそ。だめだ。いつもと同じだ。思い出したくとも思い出せない。
「異扉を通過することが出来るのは魂となった者だけだ。死んで、魂となった者だけが通ることが出来る。だが、楽園に行けば記憶がなくなる。しからば、どうするべきか。そうだ。生きたまま異扉を通ればいい」
「……だからお前は不死になったのか?」
ノウトが言うと、不死王はノウトを横目に見て、腰に手を当てた。
「それが本懐ではあるがな」
不死王がノウトから目を逸らした。ノウトは息を呑む。
「ノウト、死ねば楽園に行けると仮定して君は死にたいか?」
「いや……」反射的に答えている自分に驚いた。「死にたくは、ないな」
この問答はなんなんだ。とても大事なことを聞かされている気がする。つまり、ノウトを生かして帰すつもりはないのではないのだろうか。
でも、話している間は、まだ猶予がある。そう思う。仲間たちともう一度会うためにも今は機会を見図ろう。
「そうだ。死後に楽園があると知っていても、人は死を恐れる。それはなぜか。それは、死後について、誰も知らないからだ。死ねばそこに楽園があるなんて、気休め程度のまやかしに過ぎないと人々は心の底で思っている」
不死王はノウトを見た。今は笑っていない。真面目な素振りを見せている。
「だが、オレは楽園の存在を肯定する」
「……死後の世界に行ったことがあるのか?」
「逆だ」
不死王は即答する。
「楽園の記憶を知っているんだ」
「楽園の……記憶……?」
「時々、夢を見る」
不死王は追憶するように目を細めた。
「目を覚ますと、いつもそれが何かを忘れてしまう。だが、何回も同じ夢を見ているうちにそれが鮮明になっていく。記憶になっていく。次第にそれが、楽園の記憶であることに気付いたんだ」
「………同じだ」
ノウトは不思議な感覚に陥った。目の前の男は、ノウトとよく似ている。
「俺も、よく夢を見る。ここじゃない世界の夢だ。あれは、もしかして、楽園の夢なのか……」
「やはりか」
不死王が笑った。ノウトは耳を疑った。やはり? やつは今そう言ったのか?
「──……楽園への扉。やはり勇者が鍵だな」
不死王は呟く。そして、ノウトを見て聡明剛毅とした表情で、自信満々に口を開く。
「ノウト、オレと手を組め」
一瞬、何を言ったのか分からなくて、ノウトは返答に窮した。ノウトが何かを言う前に、不死王が語る。
「オレの道には君が必要だ」
「お前は……何を言って……」
「魔皇と手を切れと言ってるんだ」
不死王は口角を上げて、言う。
「オレと組めば、ノウト、君をオレと同じように不老不死にしてやる。世界の真理も教えよう。どうだ。悪い話じゃないだろう?」
「…………」
「さあ手を取れ。共に王道を征き、世界を救おう」
不死王は手を差し伸べた。ノウトは目をその手に向けて、それから顔を上げた。
「──そうやって、口車に乗せて多くの人を犠牲にしてきたのか?」
ノウトが不死王をその黒き双眸で睨む。
「沢山の人々が……お前の野望の犠牲になっているのを見た。……地下にいたゾンビはみんな元はきちんとした人だったんじゃないのか? 誰にでも家族がいる。遺された人の思いを考えたことはないのか」
そして、目を瞑って、いなくなった彼らのことを思い出す。
「モファナ、魔帝国マギア、サリド、ルノカアド、ユニ、カザオル、シュンタイ、ハリトノヴァ。お前の国、ガランティア連邦王国もそうだ。戦争で多くの数え切れないほどの犠牲が生まれた。世界を救う? 冗談じゃない」
首を振り、拳を強く握る。
「お前は、楽園に行きたいという一存だけで国も人も、多くを巻き込んだ。尊い命を弄ぶお前は手を組むには値しない男だ」
喉を震わせるように言葉を紡ぎ、不死王の目を見つめる。
「魔皇は……、魔皇は少なくとも自分の国の民たちにそんなことはしない。魔皇は国民全員の名前を覚えて、ひとりひとりの命を尊んでいる。誰かが命を落とせば共に涙を流し、家族と共に弔う。命を何とも思わない、お前の手を取ることは出来ない」
言うと、不死王は頬を緩めた。怒っても焦ってもいない。
「──交渉は決裂だな」
不死王は意外そうな顔をしてはいなかった。こうなるのが分かっていたようでもあった。
「ならばどうする? オレを殺すか? オレを殺せば君の心酔する魔皇の一助になるかもしれんぞ」
「殺さない」
ノウトははっきりとそう言った。
「殺さない、か。決断力のないやつだ。人を真っ向から否定して自らは何も成さないつもりか」
「違う。殺すんじゃない」
ノウトが首を振る。そして、今度はノウトが手を差し伸べた。
「──救うんだ」
そう言うと、不死王は初めて本当の顔を見せた。泡を食って、見るからに驚いた顔をした。そして、腹を抱えて笑いだした。
「オレを救う? ははは!! 面白い冗談だ! 具体的に一体何をするつもりだ?」
「それは、分からない」
ノウトは心の底から思っていることを口にした。嘘を言っても、何かを取り繕っても、意味は無い。
「だから、一緒に探そう。人を傷つけない道を共に歩くんだ。もう人を傷つけないと約束するならば、俺が『楽園』に行く手助けをする。みんなで助け合おう。次々と現れる勇者も、俺が解決してみせる」
ノウトは胸を張って、告げた。不死王は遥かの稜線を見るように目を細め、口を開く。
「そんなものは綺麗事──絵空事だ。前へと進む為ならば、必要な犠牲もある。オレが何の意義もなく戦争を起こし、人を殺しているとでも思うのか? 君は無知だからそんなことを宣えるんだ」
「犠牲なんて……っ!」
足を踏みしめて、声を荒らげる。
「……そんなもの、必要あるわけないだろ。命の価値に相違はない。みんな、生きたくて生きてるんだ。戦争をしなくても、前に進むことは出来るはずだ」
ノウトが言うと、不死王は唸るように睥睨した。
「皆で楽園に行けば、世界は救われる。停滞を望むのならば、オレは前へ進む。その為には弱い者は淘汰される。これは理だ。運命だ」
不死王はあくまで平常な様子でそう告げた。ノウトは肺を絞るように言葉を紡ぐ。
「……弱者だろうが強者だろうが不死だろうが猫耳族だろうが血夜族だろうが魔人族だろうがオークだろうがゴブリンだろうが、命は同じだ。等しく尊く、殺してはいけないんだ」
「──狂ってるな、君は。そこまでして目の前の犠牲を減らしたいのか。身内を殺したエヴァを逃しただけはある」
不死王はノウトに背を向ける。
「だが、面白いやつだ。ますます気に入った」
そして、玉座へ歩き出す。
「それだけに惜しい。オレの提案を断った君を生かして帰すつもりはないぞ」
「──上等だ」
ノウトは剣を引き抜いた。剣の刀身は黒く輝き、燭台の火を赫灼の如く反射した。
「俺が、お前を救ってみせる」
ノウトが告げると、不死王は楽しそうに笑って、背中に携えた直剣を抜き、構える。
「ならば死合おうか、ノウト」
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