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序章 きみが灰になったとしても
第34話 揺れるな
しおりを挟むノウトがラウラたちと合流してから約二日間、彼らは坑道の中を歩き続けた。
何分何秒と正確な時間を割愛すると、二度坑道の中で眠りについて、四回の食事を行った。いくら前へと進みたくとも、生きているならば、食事と睡眠は最低でも取らないといけない。倒れでもしたら本末転倒だ。とにかく自分の命を第一優先に、先へ先へと進んでいく。
岩盤が固くて掘りにくい箇所を避けているのだろうか。坑道は曲がりくねっている。いつ果てるとも分からない。
ノウトはときおり振り返って後ろを確認した。そのたびにレンは、大丈夫、という感じで頷いてみせた。
歩けど歩けど風景は変わらないから、ずっと同じところをぐるぐると回ってるんじゃないかとも錯覚してしまった。仲間がいなかったら気が狂っていたに違いない。
「こんなに長いなんてこの洞窟、誰が掘ったんだろな」ふと、ノウトがそんな言葉を呟いた。
「確かにね」ラウラが頷いた。
「おそらく、不死王に仇なすものが有志で掘ったのでしょうね」
──不死王に仇なすもの。
その言葉がノウトの頭を穿った。そしてスクードに、不死王の殺害を頼まれたのを思い出す。ノウトは基本的に頼まれたことは断れない。でも、殺害に関しては話は別だ。
ノウトは、恐らく……いや、絶対。不死王を殺すことは出来ない。ノウトは殺すことが嫌いなのだ。相手に触れて願うだけで、ノウトは殺すことが出来る。口では簡単に言えるが、殺すことなんて、簡単に出来るはずがない。殺せば、命はそこで終わりだ。もう二度と会えないんだ。
それにそもそもの話、相手は不死身といわれる不死王だ。殺すことなんて、そもそも出来ない気がする。
だが、ノウトには相手を無力化させるアヤメの力がいる。黒刃の剣で不死王を『半殺し』にして無力化させれば、スクードが阻止しようとしている不死王の思惑は封じることが出来るのではないだろうか。
心が揺らぐ。揺らめく。
まさか、殺すことを頼まれるなんて。
「この壁の削れ方」レンが口を開いた。「たぶん〈拡削虚機〉だ」
「ルノカアドの都市を築いたっていう?」
「そうそう。ってあれ、ノウト見たことなかったっけ?」
「文献では読んだことあるけど、本物は見たことないんだよな」
「そっか。今度見したげるよ」レンが小さく微笑む。
血夜族は日の光に当たれば死んでしまう。そこで彼らは地下に暮らすことになった。
魔帝国マギアの北東に位置する血夜族の国ルノカアドは地上に飛び出した地区と地下に埋まっている地区に別れており、この地下の空間を削り出したのが〈拡削虚機〉という神機だ。大きな箱が組み合わさった形をしていて、四輪が自動で動いて穴を掘ってくれる。
なんて、駄弁りながら歩き続けていると、坑道の雰囲気が少しだけ変わった。途中から坑道が水道に直結していたようで、地下水路が側で流れていることに気がついた。
「もうすぐ……」しばらく黙っていたラウラが囁いた。「……着けるのかな」
フウカはただ頷くだけだった。みんな疲弊している。灯りはフウカの持つランタンだけだ。暗くて、狭くて、酸素が薄い。誰からともなく狂い始めてもおかしくない空気がそこら中を漂っていた。
ただ、始まりがあれば終わりは必ずある。それは唐突に現れた。
岩壁を前にして、フウカが立ち止まった。フウカはランタンを腰に引っかけた。
「ここを上れば、連邦の王都ファガラントに出ます」
ノウトはごくりと息を呑んだ。ということは、すでにここはファガラントの真下にあたるわけだ。まさに敵地のど真ん中。いつ死んでもおかしくない。いや、死んでたまるか。まだやり残したことがたくさんある。ここで死んだら、フィーユたちに顔向けできない。
「ここまでで作戦は十分過ぎるほど話し合った」ノウトは胸に手を押し当てて言った。「行こう」
ノウトが言うと、皆はただ頷いた。覚悟を決めたのだ。
まず、先頭に立つフウカが壁をよじ登り始めた。金具や把手なんかはないから、手と足を突っ張って、少しずつ上がっていかなければならない。
二メートル近く上がると、横穴に繋がった。
低くて、狭い。息が苦しい。四つん這いならばなんとか進めそうだ。そんな空間だ。通ってきた坑道の何倍も狭いけれど、石を積み、そして敷いて、しっかりと補強されているのが分かる。
先頭のフウカが手を頭の上にやって、頭上の天井に手を当てた。足に力を入れて、天井を横にスライドさせる。すると、そこから光が漏れた。
「外だ」反射的にダーシュが呟く。
先にいるフウカから順に外に出ていく。
真上を見上げると、二つの月がノウトたちを見下ろしていた。洞穴内に光が漏れていたから昼間だと思ったが、夜みたいだ。
夜なのに、明るい。帝都と同じように街道の端にランプが設置されているのだ。ここは王都の裏路地。路地の向こうには人通りが見える。誰もこちらを見る気配はない。例え見られてもまさか帝国側の者だとは誰も思わないだろう。
「ひとまず」ノウトが腕を組む。「第一関門突破だな」
「長い関門だった~」ラウラが伸びをした。
「大地掌握匣があるのは王城の地下ですから、少なくともそこまでは行く必要がありますね」
「相手側は確実にこちらを警戒しているから見張りが多くいるはず」レンが大通りの方を見やった。それから、ノウトと目を合わせる。
「作戦通りいこう」ノウトは皆に目を配った。「まず、俺が王城までのルートを確保したら一旦戻ってきて報告する」
ノウトが言うと、皆は静かに頷いた。5人でぞろぞろ動いていたら、何かあった時に対処出来ない。無論、ファガラントに暮らす人々がこの状況を予期しているわけもないので、ノウトたちのこと瞬時に帝国の者だと見分けることは出来ないだろうから、王城に入るまでは何事もなくいけるはずだ。
だが、石橋を叩いて渡る精神に従って、不死王の城に着くまでも油断しない方向でいくことになった。
「なるべくすぐ戻る」
ノウトは背を向けて、アヤメの宿った黒い刃の柄を握った。すると、ノウトに黒い翼が生えた。質量は全くない。翼はそこに確かに見えるのに、まるでないようにも感じる。
「気を付けて」
レンがそう言ったから、ノウトは手を振って応えた。それから暗殺を発動しながら翼をはためかせて真上に飛ぶ。暗殺は息を止めている間のみ発動できる。
然らば、どれだけ呼吸をせずに動き続けられるかが大事だ。
ミェルキアと戦闘したあの争いでは呼吸の仕方を見誤った。オークと戦った時だ。
練習と本番とではあまりに違う。緊張や使命感、何もかもに押し潰されて、肺が圧迫される。それを克服できたわけじゃないけれど、今はあの時よりは冷静だ。
「ふぅ……」
屋根の上に乗っかり、息を吐く。下の世界を見下ろす。
フウカに事前に伝えられていた通り、ここは工場街だ。鍛治工場のあちこちに倉庫があった。そのひとつの屋根の上に、ノウトは身を隠している。
人通りは少なくない。
夜だと言うのにトンテンカンと金属を打ちつける音が絶え間なく聞こえる。戦争が起きると武器屋が儲かるとはよく言ったもので、ここで働くものも対帝国向けの武具をつくっているのだろう。戦争の特需だ。
遠くの方に、大きな建物が見える。あれが不死王の城か。魔皇の城とは大きく違う。灰色で染められていて、窓が少ない。来るものを拒んでいるようなファザードだ。
ノウトは息を大きく吸って、それから上空に飛んだ。上から見下ろして侵入経路を計るのだ。上に上に飛んでいく。
ある程度把握したら今度は住宅街に飛び降りた。ここはさっきの場所よりは静かだ。皆寝静まっているのだろう。
「……帝国と、そう変わらないな」
街並みも、人の姿も、人の生活も。
ここが帝国だと言われれば信じてしまうくらい似ている。
敵対する者同士だからといって生活の様式が全て異なる訳では無い。当たり前だ。みんな同じ人なんだ。そこに大きな差異なんて存在しない。それならば、なぜノウトたちは争わなくてはいけないのか。
それは、人が人だからだ。
生きるための食事も領地も何もかも、無限にあるわけじゃない。実際問題、猫耳族の国モファナではある地域で食料問題が発生している。飢饉的な意味合いもあるが、連邦に襲われたことによる影響が一番大きいだろう。
それならば、人が食事をしなくていい生物だったなら争いはなくなるのか。
いや、それは違う。何があっても人は争う。それが、人としての、生物としての本能だ。
ノウトはそれに抗いたかった。でも、今やっていることは抗うことになるのだろうか。大地掌握匣を奪ったら、それは争うことと同義ではないか。
「………揺れるな」
そう言って、自分に言い聞かす。ここで失敗すれば、また失う。失ってしまう。また? これ以上なにを失うのか。
『彼女』が死んで。もうそれでノウトの心は死んだのではないのか。……掘り返すな、ノウト。今は、生きろ。生きろ。言われただろ、『彼女』に。生きて、と。今はやるべきことをやるだけだ。
周りに仲間がいないと、一人になると、こういった忸怩たる思いが頭の中を駆け巡る。
ノウトは本当はネガティブな人間だ。誰にも気付かれないように強気に振舞っているが、これがノウトだ。いらないことばかり考えて、先に進むことを恐れる。真の勇者になると口にするのもそんな自分を殺すためだ。
消極的な自分を殺すために、ノウトは強がっている。
(……アヤメ)
剣の柄に触れて、ノウトが名前を呼ぶ。
数秒経っても、やはり返事は返ってこない。アヤメは何度も検閲に引っかかることを言うと、その分ノウトと会話出来る時間がどんどん少なくなっていくようだ。その検閲とやらが何者によって行われているのかは分からない。
ひとつ言えるのは、それがノウトにとって必ずしも友好的というわけではないということだ。アヤメと会話できない夜は孤独だ。孤独は心を蝕む。それでも、辛くても前を向かなくていけない。アヤメ、返事をしてくれ、また、君の声を聞かせてくれ。
そうやって、延々と頭の中で独り言を繰り返してノウトは着々と作業を進める。人通りの少ない道や城への最短ルートを見つけては頭に叩き込む。
暗殺を使いながらなら、目の前を通ったって気付かれやしない。心の中でアヤメに礼を言いつつも、喧騒に包まれた商業区の裏路地で呼吸を整えていた時だった。
明らかに歳若い、細身の魔人族が奥まった暗がりに座り込んでいた。両腕で頭を抱えている。男性だ。彼の足元にはくしゃくしゃになった布切れとばらばらになった花びらが散っていた。
何をやっているのだろう。ノウトは息を潜めながらそれを観察していた。
果たして、観察する必要はあったのか。
分からない。
きっと、その必要はないだろう。
単純な結論に至って、ノウトはその場をそっと離れようとした。まさにその瞬間、彼がこちらを見た。気付かれた。翼を生やしたところも見られた。目が合ってしまった。
バレた。バレてしまった。どうする、ノウト。
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