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序章 きみが灰になったとしても
第30話 金糸雀と備忘録
しおりを挟む兵糧攻め、という兵法がある。
端的に言えば、敵の食糧補給路を断つことで兵糧を欠乏させ、相手を打ち負かすという攻め方だ。
大陸の過去の歴史を見ても、この兵法で攻められた側は苦戦を強いられた結果となっている。それだけ兵糧は戦場において重要な立ち位置にあるということだ。
人間が『食』という制約に縛られている間は、兵糧攻めはいつの時代も有効な手法なのだろう。
(重いな……)
みんなの遠征分の食糧が詰まったリュックを背負いながら、決して声には出さないが、やはり心の中では思ってしまう。
『交互に持ってもらってるとは言え、食糧運ぶのは大変だよね』
(身を以て体験してるよ)
呼吸を多少荒らげながらもラウラ達の背中を何とか追い掛ける。弱音を吐かずに、ただ前へ。
(そう言えば……)
ノウトは頭の中で話を切り出した。
(アヤメは食事とか取らなくてもいいのか?)
『ダーリン、わたしの心配してるの? やっさしー』
(当然だろ。アヤメは俺の仲間なんだから)
言うと、アヤメは一瞬だけ間を置いて、
『うん。わたしは食べなくても平気な身体だから心配しなくても大丈夫』
(そうなのか。てっきり定期的に剣に血を吸わせないといけないみたいな感じかと)
『ないない』
アヤメはおどけるように笑った。
『わたしは〈殺戮〉の女神なんだから、食事なんてしなくていいんだよ』
(……そっか)
ノウトは顔を上げた。
(そう言えばさ、勇者を召喚したのも女神って言われてるけど、それはアヤメとは無関係なのか?)
『う~ん、多分?』
(多分って、なんだよ)
『言えるかは分かんないけど、わたしたちはそれぞ─────…………』
突然、アヤメの声がぷつりと着れるように途切れる。
「検閲ってやつか……」
何か勇者に伝えてはならないことはアヤメは口に出来ないようだ。
「ノウト、なにか言った?」
見ると、レンがこちらを振り向いていた。
「いや、なんでもない」
「そう」レンは一旦前を見てから、もう一度こちらを見た。「荷物重かったらいつでも言ってくれよ。交代するからさ」
「おう。でもまだ大丈夫」
「そっか。分かった」
レンは前を向く。彼は今、黒い鎧に身を包んでいる。それはいつも言っている耐日服───正式名称は圧縮型〈闇〉神機《闇衣》───で、フルアーマー型の耐日服だ。フウカのものとは違い、確かな防御性も兼ね備えており、同素材のものを接着することで自ら修復する作用も働いている。
対して、フウカのそれは鎧ではなくまさしく服だ。
いや、服とも言えないかもしれない。所々装飾はあるものの、それは身体のラインにぴったりで服とはとても断言出来ない。
一般人であるノウトから言わせてもらえば、もはや下着レベルだ。耐日服の上になにか着ればいいのにと思わざるを得ないが、フウカが動きやすいからこれでいい、と言うので、ノウトはもう何も言えなくなっていた。
帝都から出立して五日、ノウトたちは帝国と連邦の国境にある峠を越えている最中にあった。
ごつごつとした岩場をただ歩んで進む。
目標地点まではまだ何キロもある。フウカに案内役を頼んでいるから、地理的に疎いノウトもその点は安心出来るけれど、それにしたってこれはきつい。気を抜いたら倒れてしまいそうだ。
「そろそろ休憩にしようか」
ラウラのその言葉が活力となってノウトを踏ん張らせた。
「水場も近いし、時間的にもちょうどいいかもね」
せせらぎの流れる傍にレンが腰を下ろした。それに倣って、ノウトが食糧の入ったリュックを下ろす。ダーシュとフウカは立ったままだ。
「ふぅ……。みんな、おつかれ」そう言ったレンは日陰だからと、兜のバイザーを上げた。
「おーう」
「まだ道は長いけどね」
「まぁ、今後の為に一息くらいはついてもいいでしょう」フウカが水をすくって自らの水筒に補給し始めた。
「……………」ダーシュは涼しい顔でラウラの後ろに黙って立っている。
「水分補給しっかりなー」
「分かってる分かってる」
「あと、食事は各自済ませるように。保存食がバッグの中にあるから適宜摂取ということで」
ノウトの言葉に皆が頷いて、各々が鞄を漁り始めた。ノウトも自分の分を確保してから、座り心地の悪くなさそうな岩を選んでその上に座った。
「このまま峠を越えて南下すればオークの収斂街アーデバリが見えてくるはずだよな」
ノウトが言うと、ラウラが「そうそう」と頷いた。
「そこを突っ切ったらさすがにまずいから沿岸部から通ってく訳だけど」
ラウラはそこまで言って、フウカに視線を向けた。
「あてがあるんだよね、フウカ」
「はい。私が連邦に偵察に行く際にいつも使っている隠し通路がありますので。今日の予定はまずそこまで行って、その入り口で夜営して日を越してから先に進もうかと考えてます」
「うん。俺はそれでいいと思う」レンが携帯食糧を片手に言った。
「今日中に行けるたどり着けるかは」ダーシュが腕を組んだ。「分からないがな」
「私一人では行けますが、人数が多い分時間はかかるでしょう」
「常人じゃまず無理だろうね。だから、今は出来るだけ前に進まなきゃ」
「ああ、そうだな」
ノウトは頷いて、携帯食糧を一飲みした。
「あと10分したらここを発とう。任務は素早く迅速に、だろ?」
◇◇◇
果たして、ノウトたちは峠を越えた。
ほぼ一週間の時間を費やして、連邦への国境を渡ることが出来たのだ。国境前で小休符を打ってから、今に至るまで歩き続けている。
ノウトは目を細めて、先の方を見やった。茅葺き屋根の木造家屋や農場みたいなものがぽつぽつと見える。
「あれ、街ではないよな。集落か?」
「オークにはそれぞれ身分があって、それで地域ごとに階級が分けられてるみたいな感じなんだよね。全体が円に近い形になっていて、中央に寄れば寄るほど身分の高いオークがいるんだ」レンが手庇をつくる。
「収斂街ってのはそっから来てるんだな。なんだかんだ初めて来たな」
「足を運ぶことは基本的にありえないからね。俺もここまで侵入したのは二度目くらいだよ」
「前にもあったのか?」
「ああ。ほんの三年前、軍務卿ヴィリクローズ伯に連れられてね」
「俺が──というか勇者たちが、こっちに来る前か」
「そうだね」
レンは肯定して、決して歩を止めずに進んでいく。
「監視の手が薄いルートを知っているので、そこを通りましょう。こっちです」
フウカが先導して、その後ろを着いていく。進んでいくにつれて、道が平坦になっていった。ゆるやかな丘がまだらにあって、オークの哨戒兵の死角を通るようにぐねぐねと進む。ただ前に進んでいく。歩け。歩け。進め。
どれくらい歩いただろうか。辺りが薄暗くなり、西の空が赤く焼けている。遠くの方にぽつぽつと灯りが見える。あれはオークたちの灯りだ。あれに近付いてはいけない。灯りに触れてはバレてしまう。
ノウトは呼吸をする度に暗殺を発動させた。ゆっくりと、ゆっくりと。消えるように呼吸する。すると、後ろを歩くラウラですらノウトを視認することはできなくなる。ロストガンとの修行の成果だ。
「今日はここで野営しましょう」
フウカが切り出して、ノウトたちは肩をなで下ろした。オークたちの灯りは微かにしか見えない。それくらい離れているのだ。それぞれが黙って野宿の準備をする。準備と言っても、横になれそうな場所を見つけるだけだ。そこに持ってきた薄い布を敷いて、座り込んだり、横になったりする。
日没が近づいてはいるもののまだ薄明るい。
数メートル先が見えないくらいまで暗くなると、フウカとラウラが立ち上がって木陰に消えて行った。
「ダーシュ、着いていかなくていいのか?」
「小用に着いていくバカがいるか」
「ノウトは分かってて言ったんじゃない?」
「いや、フォローしてもらって悪いけど、全然分からなかった」
「お前はまだまだだな」
「ラウラのことを知り尽くしてるダーシュには勝てないよ」
ノウトが言うと、ダーシュはどこか誇らしげに頬を緩めた。
ラウラとフウカが戻ってきてから、ノウトとレンも少し離れたところで用を足した。ダーシュは今はいい、らしい。
野営地に戻ると、ラウラは横になって、ダーシュはその近くで佇み、フウカは短剣を磨いていた。
ノウトとレンは軽く明日の予定を話し合ってから横になった。日が変わると同時に起きる必要がある。それとは別に起きて見張りも交互にしなくてはいけない。
目を瞑るといろいろなことを考えてしまう。その中には不安と焦燥ももちろんある。
なるべく考えないようにすると、余計に頭にちらついて、どうしようもなくなってしまう。
やるせないその思いを胸の中にしまう。ただ今は、今を精一杯生きろ。やるべきことはそれだけだ。
夜だけど、……いや、夜だからだろうか。少しだけ暑い。寝苦しいほどではない。風はあるし、今日の場所はそれなりに地面が柔らかい。
じめじめしている。夜鳥の鳴き声が割と近くから聞こえる。虫の声もする。それに、誰かの寝息が聞こえる。レンか、それともラウラか。どちらでもいい自問自答に頭を埋め尽くさせて、ノウトは眠りに溶けていく。
◇◇◇
暑い。
めちゃくちゃに暑い。
七月の半ば、真夏とは言えないけれど、それでも暑いことには違いない。アスファルトが溶けるような暑さ。暑い、というよりももはや熱い。蝉の声がうるさくて、煩わしい。うだるように暑い。
地球温暖化だとかなんとか、昔は騒がれてたらしいけれど、今じゃそんなこと誰も気にしていない気がする。いや、それはないか。誰もが頭では分かってるんだろうけれど気付かないふりをしているんだ。
僕は肩にかかった水筒を手に取り、ごくりとお茶を飲む。……あぢぃ。
背中のランドセルもほっぽって、今すぐ日影に駆け出したい。でも、そんなことは出来ない。今日は大切なものを持ってきてるのだ。投げ出したらそれが爆弾のごとく爆裂に爆発してしまうだろう。
「ぁっつぃ……」
思わず口から零れる、陽炎のような消え入る声。ここが地獄なのだろうか。きっとそうだ。そうに違いない。僕は、それに値する罪を犯してしまった。当然なのかもしれない。……なんて思ってる場合じゃない。倒れるな、これ。やばいわ、これは。うん。僕でも分かる。
早くあそこで涼もう。
頭の中で咄嗟に考えついた最高の案。
水分補給だけじゃこの暑さには耐えきれない。僕は帰り道の途中にある、小さな神社に立ち寄った。道の横にあるのに、森の中にあるから凄い分かりづらいけど、僕はその場所を知っていた。帰るのが嫌な時、いつもここで時間を潰していたのだ。
僕は申し訳程度の小さな鳥居をくぐって社に向かって歩く。
「……あれ?」
あの子がいない。いつもならいるはずなのに。
僕は顎に手をやって考えた。
いつもの時間。いつもの場所。何もかもいつも通りだ。
「わっ!!」
「うわぁっ!?」
心臓が爆発してしまったかもしれないと一瞬思ってしまった。
「いてて」
驚きのあまり、尻もちをついてしまった。なんたってこの子ったら突然後ろから現れたんだもん。
僕が猛烈に驚いた様子を見て、有栖はけたけたと笑った。
「大丈夫?」
「驚かしといてそれはないでしょ」
「手、かしてあげる」
僕は差し出されたその手を見た。手首の辺りにバンソーコーが貼ってある。どうして貼ってるの? 怪我してるの? そう聞こうとして、一瞬躊躇してから、有栖の手を取らずに自分の力だけで立ち上がった。
「ごめん、手、汚れちゃったね」
「お尻もね。まったく、いたずら好きなのはあいかわらずだな、有栖は」
「だって、きみがおもしろいんだもん」
ちょっと怒ろうとしたけど、その笑顔が可愛かったから、手の力が緩んだ。そして、僕は赤いランドセルの横に自分のランドセルを置いて、目を逸らしながら口を開く。
「ま、気にしてはないけど」
「そっか」
有栖は小さく笑って、僕の手を取った。
「手、洗お。そのままじゃ絵かけないでしょ?」
有栖に手を引かれて、僕らは神社に隣接した公園の水道で手を洗った。僕が蛇口をひねって手を洗っていると、汚れてないはずの有栖が手を伸ばして水に触れた。
「うわー。きもちいいね、これ」
「暑いから余計にね」
「ずっとこうしてたいな、わたし」
「僕も」
言うと、有栖がいたずらっぽい顔をした。
「えいっ」
何を思ったのか有栖は手で掬った水をこちらにかけてきた。避けようとはしたが有栖に近いところにいたのと手を洗っている最中だったから、完璧に避けることは出来なかった。
「やったな~?」
僕が言うと、有栖は楽しそうに笑って、避ける体勢をつくった。僕は視線を水道に戻して、それから蛇口を閉じた。
「ま、やんないけど」
「えー、つまんない」
僕が社のほうへと戻ろうとすると、有栖が後ろから着いてきた。
「ごめんね、怒った?」
「いや、怒ってはない。いつも通りだし」
「きみは変な子だね」
「有栖に言われたくないけどね」
「ふふっ」
彼女が楽しそうに笑ったから、僕も笑ってしまった。神社のところに戻って、僕は自らのランドセルを持ち上げた。
「なんと、今日は有栖におみやげを持ってきてます」
「え、やったー。なになに?」
僕がランドセルの中に手を突っ込んで、ひんやりと冷えたそれを手に掴む。短めの円柱だ。両の手にひとつづつ握ってから、
「じゃん!」
と取り出した。
「わっ」
有栖は一瞬だけ声を失った。どうだどうだ。驚いただろう。
「帰り道にあった自販機で買ってきたんだ」
「お金はどうしたの?」
「ランドセルの中に入れてた」
「下校中に自販機で缶ジュースを買うとかー、おぬしもワルよのー」
「有栖には負けるよ」
僕はそう言ってから、サイダーを片方差し出した。どちらも同じものだったから、適当に右手を前に出した。有栖がそれを手に取った。
「ありがと」
「うん」
有栖が笑ったから、僕も笑った。笑ってみせた。
「あー、これさ」
有栖は手にあるサイダーの缶ジュースを見つめながら意味ありげに呟いた。
「ん、なに?」
「ん~~、いや、なんでもない」
「絶対なんでもなくないでしょ」
「いや、なんでもないって」
「そう?」
「うん。じゃあさ、せーので開けよ」
「え、ああ。いいよ」
有栖がプルトップに手を触れたのを見てから、僕も同じようにプルトップをつかんだ。ひんやりと冷たくて身震いしてしまった。
「せーのっ」
有栖の掛け声と同時に、僕と有栖は缶ジュースを開けた。その瞬間、
「うわっ!?」
気づけなかった。そうだ。有栖に驚かされて、僕は尻もちをついた。その時にランドセルの中でサイダーを振っちゃったんだ。
泡が溢れ出す。溢れ出す。僕があたふたしていると、有栖は溢れ出す缶ジュースの蓋に口を当ててこぼれないようにしていた。有栖は缶ジュースを受け取った時から気づいてたんだ。
僕も有栖の真似をして、サイダーがこぼれないように自分の持つ缶に口をつけた。数秒してから、炭酸が抜けたのか、溢れるのが止まった。
「うわぁ、びしょびしょ」
有栖が言った。僕は有栖と自分の服を交互に見やった。同じくらい濡れてしまっている。
「ごめん、有栖はきづいてたのに」
僕が苦笑いしながら言うと、有栖は首を振った。
「ううん、いいの。これでおあいこ」
有栖は笑って、社の縁側に座りながら残りのサイダーを飲み始めた。
「あっついね」
「うん、暑い」
僕は有栖の隣に座った。
「喉痛いなー」
「炭酸苦手なの?」
「実はね」
「そうだったんだ」
「でも、炭酸抜けたら甘くておいしいよ」
「そっちのが好きな人はじめて見た」
「そっか」
僕は目を細めて、遠くを見るようにした。その行為に意味はない。ただ、隣にいる有栖の顔が直視出来なかった。
「もうここに住んじゃおっかな」
「ここって、……ここ?」
僕は社の方向に指をさした。
「うん」
「ほぼ野宿じゃん…?」
「楽しそうじゃない?」
「やだよ。危なそうだし、虫とかやばそうだし」
「わたしはいいと思うけどなー」
「野宿とか、有栖もワルよのう」
僕が冗談っぽく言うと、有栖はお腹をかかえて笑った。
「帰り道にサイダー買ってきたきみに言われたくないなー」
目尻に浮かぶ笑い涙を拭って、有栖がこちらを見る。その時、有栖の首辺りに赤いあざみたいなものが見えた。どうしたの、それ、大丈夫? とは聞けなかった。
僕はただ、有栖の笑顔が見たかっただけなんだ。
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