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序章 きみが灰になったとしても
第13話 灰に塗れて、煤を被って
しおりを挟む目の前に映るティアルという街はまさに戦火の真っ只中にあった。そこかしこに死体が転がり、戦の炎があちこちで立ち上っている。
オーク、それにゴブリン。そして、連邦の魔人達。彼らが猫耳族を蹂躙していた。
落ち着け。今ノウトがすべきは憤ることじゃない。救うこと、それだけだ。今これ以上の犠牲者を出さない為にも、ノウトは駆けなければならない。
まずは相手の大将である純白騎士団団長ミェルキア・フォン=ネクエスを探さなくては。彼を倒すのがノウトの役目だ。
「止まるな! 進め、進め! シャーファ様に続くんだ!」
怒号に近い叫び声が辺りに鳴り響く。
「「「うおおおおぉぉぉぉぉォオおおおおオオオおお!!」」」
それに続いて荒々しく扇情的な声が戦場に轟く。
声を上げたのは猫耳族の兵士達だ。見ると、血濡れの姫隊のシャーファがその槍でオークを倒している。ルーツァはまた別の場所で戦闘しているのだろう。
彼らは強い。圧倒的だ。
しかし、街は広く、救うべき人間も討つべき敵も多い。シャーファとルーツァだけでこの状況が覆るとは言えない。
ノウトがやらなければいけないのだ。
ほら、きたぞ。
オークだ。その陣形からして闘衛兵か。六人一組の兵士たちだ。ノウトに狙いを定め、鉄剣を手に突進してくる。ノウトは右手に短剣を握り直し、オークの振るう剣に手をかざした。
──俺なら出来る。
ロス先輩と二年も修行したんだ。出来なくてどうする。大丈夫だ。
“勢い”を知覚しろ。
知覚して、意識して、感じ取れ。
手に触れる空気全てに質量を覚えろ。
あの時の情景が頭に浮かぶ。
初めて〈神技〉の修練をロストガンに習った時だ。
◇◇◇
「今日から修行を始める訳だがァ……」
「はい。……えっと、師匠……?」
「師匠ゥ? ハッ! めちゃくちゃダサいな、それ」
「じゃあ、先輩……とか?」
「センパイか……。ハハァ、悪くねえ」
「よろしく頼みます。ロス先輩」
「おっし、ヨロシクなぁ。ノウトォ」
ロストガンがわしゃわしゃとノウトの髪を掻き乱した。そして、ふんぞり返りながら口を開く。
「ノウト、まずお前の神技を教えろ」
言われて、ノウトは自らの神技、《弑逆》について伝えた。
「……触れたものを殺す能力か」
ロストガンは腕を組んだ。
「勇者の神技は魔法に呼応してるって聞いたが……〈殺戮〉魔法なんて聞いたことねーな」
「それって、……まずいことなんですか?」
「それはわからねぇ。オレはこう見えて百年近く生きてるが勇者についての情報はないに等しい。ノウト、お前のケースが珍し過ぎるわけだァ。分からないことが多すぎる」
「何もかも不明瞭でも、……俺は、強くなりたいんだ」
ロストガンは上着のポケットに手を突っ込んだ。
「ハハァ。おもしれぇ。オレが好きなことその4、未知のモノ。お前は何もかもが未知だ。鍛えがいがあるってもんだぜェ」
そして、彼はノウトを見下ろすように口を開いた。
「んじゃ、ノウト。オレにその《弑逆》ってやつ使えよ」
「はい……って、ええ!?」
一瞬、自分の耳を疑った。
「ン~? 聞こえなかったかァ? オレを殺してみろ」
「だから、俺はあんたが不死でも……死なないとしても、弑逆を使う気にはなれない」
「強くなりたいんじゃなかったのかァ?」
「それとこれとは……別ですよ。人を殺すことは、俺の正義に反する」
「……ハッ」
ロストガンは鼻で笑って───
「づぁ゛ッ!?」
ノウトの腹を思いっきり殴った。本気だった。今でもあの痛みは覚えてる。ノウトは気付いたら視界が横倒しになっていた。
「強くなりたいなら手段を選ぶな。オレは殺され慣れてるからさ。ヘイカモォン?」
ひゅうひゅうと息をして、ノウトはゆっくりと立ち上がる。
「そ、それでも、俺は……」
「殺さないってか」
ロストガンがノウトの顔を蹴り飛ばす。ノウトは鼻血を撒き散らしながら打ち倒される。
「じゃあ死ね」
ロストガンはノウトが立てなくなるまで殴り続けた。しかも、笑いながら。この人は頭がおかしい。あの瞬間にそう確信した。
そして、ノウトは無我夢中で抗った。自らの闘争心に。殺意に。
今思えば、あの日々は地獄に近かったかもしれない。生きようと必死だった。どこにいようとロストガンに命を狙われた。死の寸前に何度も追い込まれた。幸いにもノウトはこの二年間、一度もロストガンを殺すことは無かった。命を奪うこの弑逆という能力の次なる境地に辿り着くためには、人を殺してはいけなかったのだ。
《弑逆》はステイタス上でこう説明が施されている。
『触れたものを殺す能力』と。
生物を殺すとは一言も書かれてねぇ、とロストガンが呟いたのを覚えている。
そうだ。この世のどんなものでも殺せる。殺すことが出来る。
それは例え目に見えない『勢い』だとしても。
勢いを殺す、という言葉がある。
言葉は力だ。
言葉の上に人はなり立つ。
言葉なくして人は人足り得ない。
ロストガンに何度も殺されかけて、ノウトは知覚した。意識した。感じ取った。
“勢い”という言葉を脳髄に叩き込み、そして、それを蓋然としたのだ。
そうして会得したのが、守ることに特化した能力──
◇◇◇
───殺陣
ノウトの手が剣に触れる瞬間、黒い意思がその手に宿った。剣に込められた勢いは殺され、そしてそれはノウトを傷付けることなく、弾かれる。
ノウトは無傷だ。
出来た。出来たぞ。いや、まだだ。正直浮き足立つ気持ちもあるが、闘争はここからだ。
「……次だ」
ノウトは口の中で言葉を発して、距離を取り、そして腰に付けた袋からあるものを取りだし、それを相手の足元にばらまいた。
撒いたのは麻酔薬付き撒菱。
相手は警戒して咄嗟に避ける。それでいい。掻き乱すのがこの撒菱の役目。ここまでは想定内だ。相手の陣形が崩れたところに、ノウトが駆ける。オークは体勢を整えて、一切の躊躇なくノウトに剣を振り下ろす。ノウトは左手を前に出し、それを殺陣で防ぐ。オークは泡を食った顔をした。そりゃそうだ。生身の人間が剣を手のひらで止めたのだから。ここまできたらこっちのものだ。
ノウトは小さく息を吐いて、そして──ここだ。
相手の懐に逆手に持った睡眠針を叩き込む。針部分を相手の身体に刺したまま、柄を抜き取る。
オークはふらりとよろめいて、千鳥足を披露したのちに、その場に倒れた。
───出来た。
出来たぞ。戦えている。不殺の戦術が通用している。次だ。次。まだ敵は何人もいる。
オークが倒れたのを見てから、他のオークは一斉にノウトを襲った。
一人目のオークの横薙ぎの一閃をノウトは素手で止めて、それから針を刺す。二人目、三人目が同時にノウトを叩きのめそうと剣を振るう。ノウトは一旦距離を離して、そして息を殺した。ノウトの弑逆は触れたもの全てを殺すことが出来る。それは例え、息でさえも。
暗殺。
それは息を殺す能力。
ロストガンから身を隠す為に生み出したこの力はノウトが息を止めている間のみ発動できる。発動中は限りなく存在を薄めることが出来る。正確に言えば、ノウトがそこにいることに気付くことが出来なくなる。気付けば確かにそこにいるのに、気付くことはほぼ不可能だ。
ノウトは息を殺したまま、針を両手にオークの隊へ突っ込む。刺して、刺して、刺して。倒していく。ノウトは息を殺して、次々と針を刺してオーク達を機能停止にしていく。
ものの数分でオーク何十人を気絶させられた。戦えてる。いけてるぞ。よし。よし。だけど、これは、ああ。無敵にも思われるこの暗殺という神技には大きな弱点がある。それは、
「はぁっ…………はぁっ……」
息を止めながら動き続けることの大変さ。これは想像以上だった。
この肺の痛みはあの時のことを去来させる。
息を潜めて、隠れている時にロストガンの声が近付いてくると、心臓がきゅっと締まる。息、止まれ。止まれ。止まれ。あの時はそう念じ続けた。
結果的に、ロストガンから逃げる為に息を殺して潜んでいたのが幸を成した。一瞬でも吐息を漏らせば彼に見つかって再起不能になるまで半殺しにされる。そうして、いつの間にかノウトはこの暗殺という力を得ていた。
息を止めている間だけ気配を完全に絶つことの出来る能力。
だが、肺に溜め込んだ空気が枯渇するまで使い続けると、暗殺を使ったあとは──
「くっ……!」
やはりか。当然ながら敵はこちらが呼吸を整えるのを待ってくれはしない。息切れが治まるまでは殺陣で守りに徹するしかない。
オークは容赦なくノウトを狙う。剣をノウトに叩き落とし、殺陣で止まると引いて、そして振りかぶる。
見誤ったか。こうも実践と練習は違うのか。息切れが思ったより早かった。手に汗が滲むのが分かる。
緊張が呼吸の乱れを生んだのだ。落ち着け。殺陣で守りながらでいい。呼吸を整えろ。
「はぁっ……ッ! ……ぜぇ……ぁっ! ……うぐ……ぅぁ……!」
駄目だ。呼吸は乱れるばかりだ。腰にある睡眠針に手を伸ばそうにも今は殺陣で刃を止めるので精一杯だ。
周りではノウト以外の兵士たちがオークと戦っている。誰も助けてくれはしない。ラウラも、それから魔皇だっていつでも助けてくれる訳じゃない。ノウトは、ここで負ける訳にはいかないのだ。
「あ゛ぁっ……!?」
まずい。非常にまずい。ノウトの腰にあった睡眠針入りの袋が相手の剣で吹き飛ばされた。それはばらばらと宙に舞ってしまう。
一本ずつ拾っていたら夜が更けてしまう。
作戦変更だ。でも、まずはこのタコ殴りから逃れなくては。
相手も本気だ。確実にノウトの息の根を止めようとしている。ノウトも、本気でやらねば。例え相打ちになってもいい。それくらいの気概で望むんだ。
「うおおおおぉぉぉっ……ぉぉォオオおおおおお!!!!」
ノウトは肺に貯めた空気を全て放出するように叫んだ。そして唯一見えた突破口、オークの足元に転がるように飛び込んだ。
「はぁ……っ…………、よし…」
何とか。何とか抜け出せた。ここからどうするかだ。目の前には六人のオーク。ノウトは自慢の睡眠針を失ってしまった。だが、まだだ。まだ終わってない。
ノウトは小さく呼吸して、それから肺に酸素を送り込んだ。頭が温まってくるのが分かる。大丈夫だ。大丈夫。
「ふっ………」
ノウトは横飛びして、そして暗殺を小刻みに使った。一度呼吸をする度に暗殺を使うのだ。これをすれば、相手はノウトが消えたり現れたりを繰り返しているように見える。初見ならば当然驚くはずだ。もちろん、オーク達は戸惑っている。ノウトはただ、手品を披露したい訳では無い。相手に錯乱を与え、そして──
突然、長期的な暗殺を使う。唐突に姿を消したノウトに驚きを隠せないオーク達。そうだ。これでいい。ノウトは走って、そして彼らの背中を軽く押した。オークはそれぞれよろめいて、そしてようやく足裏に刺激が走ることで気付く。
彼らは、初めにノウトが撒いた撒菱を踏んだのだ。気付いてからでは遅い。即効性の麻酔が全身に回り──
バタン、と。
オーク達は足並みを揃えてその場に倒れる。
「……波は、……越えられたかもな」
ノウトが軽く息をつく。息を整えて、そして周りを見る。相も変わらず戦火の炎は立ち上り、人々の叫び声がノウトの頬を打つ。
ノウト個人が数十の相手を戦闘不能にしたところで戦争が終わる訳では無い。平和が来るわけでもない。
だが──
「大丈夫か!?」
そうだ。こうやって手を差し伸べれば、救けられる命は必ずある。
ノウトは逃げ遅れた人々を戦線から離れた場所へと送り続けた。
何がノウトをこんなにも駆り立てているのか。もうノウトは覚えていなかった。今はただ救うこと、それだけを頭に刻んで受け入れていた。
ひとつ、ロストガンと決めたことだが、麻酔で眠らせた相手は帝都で捕虜として扱う、とのことだった。もちろん、手厚く歓迎するのがこちらの希望だが、もちろん相手は抵抗するだろう。でも、殺すよりはマシだ。マシだと、……ノウトはそう思う。
考えながら、ノウトはいつの間にか一番の激区に辿り着いていた。数多の兵士が剣を振りあって、互いの命を落とし合ってる。
血が辺りを紅く染め、臟が地面を赤く彩る。
目を逸らしてはいけない。これが戦争だ。
「くたばれ! 雑種共が!」
けたたましい声がノウトの耳を劈く。
その声のする方を見ると、そこには純白の鎧を着た魔人の騎士と、それから全身を真っ黒な鎧で包まれた血夜族の騎士が鍔迫り合いをしていた。
先程の声は白い鎧を着ている魔人の声だった。あれは──
「純白騎士団……」
ノウトは口の中でその単語を零した。
ふと、辺りを改めて見回すと純白の鎧がそこら中に転がっているのが分かった。血の赤に染められていて、気付くのに遅れたのだ。
これは全部、死体だ。
あの純白騎士団の半数以上が殺されているではないか。これを殺したのはまさか、あの黒い鎧を着た者だろうか。
「勝つのは私たち連邦だ! 貴様ら不死王の加護を受けぬ下級魔人どもは……黙って死ねばいい!」
そうか、あれが、あれこそが連邦の率いる純白騎士団団長ミェルキア・フォン=ネクエス、その人だ。
それに相対してるあの人物が着ている黒い鎧は帝国の開発した武装型神機闇衣、通称〈耐日服〉だ。
不死身だが、日に当たると灰と化して死んでしまう種族、血夜族。彼らが日の元で戦うにはあれを武装しなくてはならない。
血夜族は絶対に息切れしない。そして、絶対に疲れない。
なぜなら、彼らは不死だから。
その身体の内で生きる為の全てが循環しているのだ。腕が切り離されても、一瞬で再生する。日に当たった箇所も切り落とせば再生する。
「雑種が! なぜそこまで抵抗する!? 黙って不死王の栄光の礎となればいいものを!」
ミェルキアは叫びながら剣を振るう。それを黒き鎧の騎士が空を飛びながら避けたり、身を翻して攻撃したりしている。
非常に希少なあの神機は数少ない血夜族の王族しか手にすることは出来ない。ノウトの戦術の師匠である王位継承権第二位のロストガン・ヴァン=ユウグルアもその一人だ。そして、耐日服は全身を覆っているため、顔も隠れて見えない。
「そう簡単に死ねないんだよ、俺は……!」
でもあれは、ロストガンの声じゃない。もっと澄んでいて、それでいて───
「黙れ黙れ! 不死を騙る死に損ないが! 太陽を浴びることの出来ない哀れな劣等種が! 貴様はここで……ッッ!!」
純白騎士団団長ミェルキア・フォン=ネクエスの白き刃が闇衣を纏った彼の剣を弾いた。
そして、切り返した刃が彼の左腕を切り飛ばした。宙を舞う腕は、日に当たったその断面から灰になっていく。
「くっ……!」
彼は咄嗟に切られた肩を片手で日から隠した。
血夜族の彼は強い。純白騎士団を壊滅させたのは彼だろう。でも、それ以上にミェルキアは強かった。速さも力強さも、ミェルキアは魔人のはずなのに血夜族の彼を上回っていた。
「はははははははッッッ! 終わりだ! そのまま去ね! 灰燼と帰し、消え失せろ!」
ミェルキアが声を張り上げる。
いつの間にか、ノウトは駆けていた。
走って、駆けて、駈け抜けて。
そして、手を伸ばし、ノウトはその名前を呼んだ。
「レン………っっ!!!!」
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