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序章 きみが灰になったとしても
第10話 夜迷子と世迷言
しおりを挟む「脇空いてる! あともっと腰下ろして!」
「……っ!」
ラウラの木剣がノウトの木刀にぶち当たる。ノウトは何とか柄を握りしめて木刀を離さないようにする。
ラウラの放つ一撃一撃が本当に重い。重すぎる。木の剣の皮を被った鉄剣を使っているのかと疑うくらいだ。
でも、そんなことは有り得なくて、これはラウラの腕力と剣術の為せる一撃だ。
ラウラは腕だけではなく身体全体を使ってる。身体だけじゃない。周りに纏う空気すら利用しているような一打。これがノウトとラウラの違いだ。ノウトは身体を全て使おうとしている。でも、駄目だ。これが想像の何十倍も難しい。
「ほら! 気ぃ抜かない!」
「抜いてっ……ない!」
ノウトはラウラの攻撃を防いで、そこから斜めに踏み込んで木刀を右上から振り下ろす。ラウラは木の剣を左手に持ち替えて、それから上に振り上げた。ラウラの放つ一撃がノウトのそれを容易く弾く。
「つッ……!」
「駄目だと思う前に次の手を考えて!」
右。左。上。斜め上。次は下から。左。それで上か。いや、斜め。右下。左。
一撃が鈍器のような重さを誇るそれが、幾度となくノウトを襲う。ノウトはそれをなんとか木刀で凌ぐ。
これでもラウラは充分に手を抜いてるのだろう。ラウラが本気でやったら例え木剣でもノウトの片腕くらいなら余裕で吹き飛ばせる。
「ふっ!」
ノウト自身も成長してないわけじゃない。
最初は全く対応出来なかったのだ。
身体中捻挫になっては治療室に向かって魔法で治してもらった。だが、今はこのスピードなら目で追うことが出来る。反射神経は明らかに鍛えられていると自信を持って言える。
何度か防いで、それから……
──ここだ。
ラウラの一閃を避けて、今度は横に木刀を振るう。ラウラはにっ、と笑って──
……嘘だろ。
避けたのに。ああ。くそ。あそこから攻撃に転換出来るのかよ。
ラウラが体勢を整えてノウトに向かって振ろうとしている。
速さが、おかしいだろ。尋常じゃない。これを喰らったら試合が終わる。負けたくない。一撃でもいいからラウラに喰らわせたい。じゃなきゃ、強くなったことの証明にならない。
ノウトは自然と、左手を柄から離した。そして、手をラウラの振るう木の剣へと伸ばす。このままいったらノウトの手は粉々だ。そうなっても、魔法でなんとかなる。今は、目の前の勝利を逃すな。
「うらぁ゛っ!」
ノウトの伸ばした左手がラウラの振るう木の剣に当たった。そのはずだった。
なのに、──それなのに、ノウトの左手は粉々になってない。
それどころか、ラウラの木剣はノウトの左手に当たった瞬間完全に勢いが無くなった。ラウラが寸前で止めたのか。いや、考えてる場合じゃない。いけ。いけ。いけ!
「にゃっ…!?」
ノウトの振るった横一文字の軌跡がラウラの脇腹にぶつかった。やった。当てたぞ! ラウラは目を丸くして驚いている。
「今、……あたし…」
「どうだ。一発いれたぜ? 肉を切らせて骨を断つってやつだ」
自信満々でノウトが言ってみるも、ラウラの反応は鈍い。何か、信じられないことが起きたみたいな、そんな反応だ。
「……アンタ、なんかやった?」
「え、なんかって?」
「今のあたしが剣を止めたわけじゃない。まるで剣の方から自ら止まったみたいな……」
「いやいやそんなわけ、ありえないだろ。何言ってんだよ」
「だから! 勇者のスキルってやつじゃないの、さっきのやつ」
「神技……?」
そんなはず、ない。
ノウトが持っているのは《弑逆》という『触れたものを殺す能力』だけだ。ラウラの剣がいきなり止まるなんて、この神技と一切関係ない。
──本当に、そうなのか?
触れたものを殺す。命を奪うだけだと思っていたけど、これは、どういうことだ……?
「ラウラ、本当に自分で剣を止めてないよな? 俺の手が当たりそうになったから反射的に止めたとか」
「ないない! というか木剣でノウトの手を弾こうとしたんだもん」
ラウラはこう言っている。
本当にノウトの力で止めたのか? 分からない。でも、考えられるとしたら──
「姫!」
「あっ、ダーシュ」
突然、どこからともなく彼が訓練所に現れた。
「探しましたよ。夕餉も食べずに訓練ですか?」
「ああ、あたしのぶん作ってた? ごめん、さっき勝手にご飯食べちゃった」
「もう食べらしたんですね。俺の一存で作ってるだけなので謝る必要なんてありませんよ。ルーツァにでも食わせておきます」
ダーシュはちらりとノウトの方を横目に見た。
「……もしや、此奴と一緒に?」
「いや、メフィと食べてたよ」
「なるほど。分かりました」
ダーシュは少し安心したような顔をしてみせた……気がする。
「あっ!」
突然、ラウラが何かを思い出したかのように口を開いた。
「そういえばシャーファにメフィから貰ったの渡す約束してたんだった!」
ラウラの木剣をダーシュが目にも止まらぬ速さで奪い取り、元の場所に片付けた。ラウラはそれに目もくれずに荷物をまとめて帰り支度を始める。
「ごめんねー、ノウト。また今度」
「おう、またな。今日も付き合ってくれてありがとう」
ノウトが言うと、ラウラがにっと笑いながら「うん!」と頷いて、手を振って訓練所をあとにした。ダーシュは一瞬、ノウトに睨みを利かせてラウラの後を追った。
「………さて」
最小限の照明が施された訓練所にぽつんと取り残されるノウト。
思ったより早く、剣術の訓練が終わってしまったな。この後の予定としてはスタミナ作りと呼吸法を兼ねた走り込みが待っている。
ノウトは荷物を軽くまとめてから訓練所を離れた。魔皇城から抜け出して、帝都へと繰り出す。
夜が更けても、この時間なら人通りはそれなりにある。
商人区。繁華街。喫茶店。場末の酒場。
それらを横目にノウトは駆ける。
駆ける、といっても要は剣術訓練後の息抜き、ジョギング程度だ。
ある程度、郊外まで出てきた。辺りに人の様子は見えない。夜風が気持ちいい。この心地良さが癖になりつつある。走ることも全然苦じゃない。体力が徐々に付いていくことに達成感を覚える。
……真面目、なのかな、俺って。
頑張り過ぎも良くないと、最近魔皇によく言われる。
でも、ノウトが強くなるには頑張り過ぎるくらいがちょうどいいのだ。そうしてようやくスタート地点に立てる。
今は、止まっちゃだめだ。
そんな思いを胸にひたむきに走った。
いつの間にかのノウトは暗い森の中にいて、虫の音や草木の掠れる声に包まれていた。
帰れるか、これ。いや、大丈夫だ。来た道を戻るだけ。それだけだ。
それにしても、暗い。暗すぎる。怖くはないけど、少しだけ、ほんの少しだけ不安が胸に込み上げてきた。彼女の名前を呼びたい。灰になった彼女の名前を。引き摺りすぎ? いや、そんなことはない。彼女のことは、俺が死ぬまで忘れるものか。そう、絶対に覚えつづけて───
「迷子かァ?」
声だ。若い男の声。
背筋が凍るような、そんな声。
突然、ノウトの背後から声が聞こえたんだ。
そして、臭い。
濡れた鉄の臭い。
この臭いは、血だ。
血の臭いだ。
「ハッハァ。この辺迷いやすいしなァ」
ノウトは、振り向けないでいた。背後にいるであろう男の方を、向けない。振り向いたら、知ってしまう。見えてしまう。
「だけどよー、こんなとこブラついてたら、あぶねーぞ。何に襲われるか分かったもんじゃねぇ」
へらへらとした口調で男の声は続く。
「ハハァ。ビビって振り向けねーか? 安心しろォ。取って喰ったりはしねーよ」
ノウトは、ほぼ反射的に振り向いた。安心しろと言われたからでは無い。そうしないといけないと本能が告げたからだ。
「……ぁ」
その男は濃紺色の髪を携え、その顔には整い過ぎて恐ろしい程、端正なそれが張り付いていた。その背中には翼があった。いや、羽といった方が正しいか。
この男は血夜族だ。
「よォ」
男は口元を歪ませて、笑ってみせた。
そして、その口から牙を覗かせる。
血の臭いの正体。
それは、彼の口から零れるものだった。
それに、彼の肩には───
「……それ……お、お前が……」
───殺したのか?
言葉が喉につっかえて出てこなかった。
上半身だけになった死体が彼の肩に担がれていた。血が未だ滴っている。まるで、先程殺されたかのように鮮やかだ。
血夜族の男はにィ、と口を裂けさすように笑みを浮かべた。
「ビビんなよ。さっきも言ったが、取って喰ったりはしねぇ」
そして、ノウトを吟味するかのように舌なめずりした。
「……取って喰ったりはしねーが──」
血夜族の男は顔を伏せて、それから───
「つッ!?」
肩が、熱い。いや、違う。痛い。痛い。
何が起きた。意味が分からない。
肩を抑える。痛い。なんだよ、これ。
……くそ。そうか、こいつが肉薄して、ノウトの肩に噛み付いたんだ。一瞬だ。ほんの瞬きにも満たないそんな刹那の瞬間に、この男はノウトを攻撃した。
勝てない。
手も足も出ない。
戦ってすらいないのに、そう確信してしまった。
男はノウトから距離を取って、ノウトの鮮血で濡れた唇を舌でぺろりと舐めてから、片手で拭い、
「引き裂いて喰ったりはするかもなァ」
にやりと口を歪ませた。
ノウトは肩を片手で抑えた。傷口は浅そうだ。なんとか耐えられる。大丈夫だ。大丈夫。
「どうしたァ? 怖くてチビったか?」
「ち、違う。……くそ…いてぇ」
痛みが引いていかない。痛みのせいで、ノウトは自分が何を伝えようとしているのかも分からなくなっていた。
「そうか。いてぇか! ギャハハ!」
男は楽しそうに笑った。
「おいお前~。なんだよ、その眼は。闘争心を感じねぇ。ヤる気ねぇだろ」
「……や、る気?」
「お前から見たオレって、どう見たって敵だろ~~? 殺さなきゃ、殺されるって思わねぇの?」
「……それは、俺が……お前を殺す理由にはならない」
ノウトが息も絶え絶えな声で言うと男は不機嫌そうな顔で「チッ」と舌打ちした。
「萎えさせてくれるぜ、お前。普通じゃねえ」
男が頭をとんとんと叩いてノウトを小馬鹿にした。
「………あんた、何が目的だ」
やっとの思いでノウトが言うと、その男は頬を綻ばせた。そして、口を開く。
「──魔帝国マギアには、皇帝がいるぅ」
魔皇のことだ。ノウトは頭の中に彼女の顔を思い浮かべた。
「それは、年端もいかない女の子だ。百族統一という誓約、そして魔皇という制約に縛られた悲劇の少女」
男は夜空に想いを馳せるように顔を上げた。そして、ノウトの方を見る。
「オレは、そいつを殺しにきた」
毅然とした表情で、そう告げる。
嘘じゃないと、その瞳が語っていた。
「さっきの質問答えてなかったな」
男は肩に担がれていた死体を投げ捨てた。
「このザコ殺ったのオレ。ほんと弱くってさぁ。ほんとに魔人かよ、って感じ。……はァ」
投げ捨てた死体を蹴り飛ばす。そして、ノウトの方を一瞥する。
「ハハハァ。よぉし、闘争ろうぜぇ!!」
目の前の男は歪んだ笑顔で、楽しそうに腕を回した。
「殺し合いが好きなんだよ、オレ。こんなんじゃまだまだ足りねぇ。足りなすぎる。おい、お前は楽しませてくれるんだよなァ! 迷子くぅん!」
───ふつふつと、ノウトの中に何かが湧き上がってきた。
それは、……───
「お前は……」
ノウトが血夜族の男に目をやった。
その虹彩には漆黒の意思が瞬いていた。
「……お前は、俺が絶対に許さない」
ゆらりと、黒い瘴気がノウトを一瞬包んだ。
「……ハハッ」
男が口許を緩ませた。
「ハァハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」
辺り憚らずに、腹を抱えて大声で笑い始める。そして、目尻に浮かぶ笑い涙を片手で拭う。
「やりゃあ出来るじゃねぇか!」
ノウトは手を肩から離して、そして相手の目を見据えた。
「……お前に、魔皇は殺させない」
胸を吹き抜ける殺意の残響で心を震わせる。
「ハッ。言うじゃねーか!」
男が血夜族特有の翼を広げた。
「力量も、技術も、度胸も! 何もかも最低最弱! なのによォ! なんだよ、そのお前が放つその意志! 闘争心!」
夜の森に男の声がこだまする。
「相手が死ぬまで殺すのやめねぇって決意を! バリバリ感じるなァ、オイ!」
黒き翼を闇に捧げるように広げ、そしてノウトの方へと手を翳した。
「ハハァ! いいぜ! それら全部を! このオレにブチ込んで来い!!」
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