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序章 きみが灰になったとしても
第5話 どうしてきみはそうやって
しおりを挟む目が覚めると、そこには知らない天井が広がっていた。
「いつつ……」
痛む後頭部に手をやりながら昨日の夜に何があったのか一心不乱に思い出す。確か、シファナ達の部屋に行って、それからシファナに謝ることは出来て、そして───
「……そうだ。フィーユに思いっきり蹴られたんだ」
それからノウトは気絶して、今に至るわけか。いくらノウトを嫌っているからといってあんなに本気で蹴るかよ、普通。ノウトは小さくため息をついて、辺りを見回した。ここは、魔皇の部屋ではない。そしてもちろん、シファナ達の部屋でもない。
いい香りが鼻腔を掠めた。香りの正体へと目をやると、そこには一切れのパンとスープがあった。
そして、一枚の置き手紙がある。ノウトはそれを手に取って、読み始める。
『ごめんなさい』
綺麗な字で、そう書いてあった。状況的にフィーユの置いたものだろう。そしてこの朝食は彼女らが拵えたものみたいだ。
ノウトは手を合わせて、彼女らに心の中で感謝したのち、食事を摂り始めた。
腹が減っては戦ができぬとはよく言ったもので、食事を怠ればそれだけで活力は大幅に損なわれるのを知っていた。それにノウトは健啖家なので、基本的に好き嫌いはない。がつがつと、パンを片手にスープを飲み干していく。
「ご馳走様でした」
ノウトは立ち上がり、部屋から出ようとした。今日は魔人兵と手合わせをして、修行を重ねる予定だ。ノウトがその部屋から出ようとすると、それと同じタイミングで扉が開かれた。
そこに立っているのは魔皇だった。珍しく剣呑な表情をしている。
「おはよう、ノウト」
「ああ、おはよう、魔皇。えっと、何かあったのか?」
「ああ、実はな───」
魔皇が静かな面持ちで語り始める。
なんでも、以前から迫っているガランティア連邦王国の軍がモファナの領土に近付きつつあるとのことだった。魔人同士でも争いがあるなんて、思いもしていなかったノウトは面を食らった。
魔皇の治める魔帝国マギアの植民地下にある猫耳族の国モファナは立地的な条件として、敵国からは非常に襲われやすいようだ。
「ノウト。お前も来るか?」魔皇がノウトに問う。
ノウトは「もちろん」と二つ返事で頷いた。
「愚問だったな。よし、着いてこい」
魔皇がノウトを抱きかかえて、昨日と同じように空を飛んだ。しばらく飛んでいると、ようやく戦地が見えてきて、心臓が高鳴った。
静かに着地し、魔皇はノウトの目を見据えた。
「それで、お前は戦えるのか?」
「………───」
ノウトは勇者だ。勇者にはそれぞれ、異なった神の如き力、その名も〈神技〉を持っている。
例えば〈光〉の勇者であれば、光の速さで動けたり、光の線を打ち出すなんてことも出来るのだが──
ノウトが出来るのは『触れたものを殺す』こと。それだけだった。
かつての勇者仲間からは弱いと嘲笑された。どうにかノウト自身もこの神技を有効的に活用する術を手に入れようとしようとしたが、あまりにも時間はなく、気付いた時には彼女は殺されていて、仲間たちも魔皇に倒されていた。
この《弑逆》という力で何が出来るのか。分からない。ただ、逃げ道はない。やると決めたなら、それを成すだけだ。
ノウトは魔皇に自らの神技のことを話した。それを聞いた魔皇は驚くでもなく、顎に手を当てて考える姿勢を取った。
「ノウト、お前は後方で支援、救助に当たれ。魔法に巻き込まれないように逃げ遅れた民たちを救けるんだ」
その言葉を最後に、ノウトを置き去りにして、争いの場へと行ってしまった。
ノウトは見栄を切って、魔皇に救けられる命があるなら救けたいと宣言した。
それを実行する好機だ。
ノウトは胸の内に秘める決意を迸らせた。
◇◇◇
燻る煙と、それから焼ける土の臭い。
戦場ではそれらはどうしたって着いてくる。
焔魔法は単純でいて、且つ使い勝手が良い。魔道兵のほぼ半数以上が焔魔法の使い手だ。炎がそこら中から立ち上り、炎と炎のぶつかり合いと化している。
「ごほっ……! ごほっ…!」
煙を吸い続けるとやばい。最悪死に至る。というか、その気さえ起こればすぐに死ねる。まぁ、死ぬ気なんて毛頭ないが。
「おい、大丈夫か!?」
ノウトは何とか木の板を持ち上げて、手を差し伸べた。崩れた屋根が上になって、その下には猫耳族の男がいた。
「掴まれ!」
男が死にもの狂いの体躯でノウトの手を何とか掴み、這い出て来る。
「良く耐えた。歩けるか?」
「あ、ああ、多分いける」
「あっちに援軍が来てるから、あそこまで向かうんだ」
「わ、分かった! 助かったぜありがとう!」
猫耳族の男はノウトに背を向けて走っていった。何とか、救けられたようだ。次だ。次。俺に出来るのはこれくらいだから。どうにか生きて救ける。救け続ける。
走れ。
魔大軍同士の派手な戦闘からはなるべく離れて、避難が遅れている人々を最優先で救けるんだ。
〈殺戮〉の勇者なんて物騒な肩書きで、人を救う事が出来るのか。
いや、大事なのは出来るかどうかじゃない。
やるかどうかだ。
出来なくても、やるしかない。
今はただ駆けろ。
遠くの方で派手な爆音が聞こえる。魔皇の仕業だろう。ノウトは不殺生を目標に生きてるが、今この状況でそんなことを宣えるほど脳内がお花畑なわけではない。
殺らなきゃ、殺られる。
今この瞬間に、その状況を変えることは出来ないだろう。
だが、いつかは成してみせると、ノウトはそう誓ってみせた。
彼女が『生きて』と言ったから。
彼女が生きたいと思った世界で、今俺は生きているのだから。
この世界を彼女が好きでいられる世界にしたい。そう思ってしまうのはおかしいのだろうか。
「せァっ!」
剣戟の声が近くで聞こえた。帝国側の魔人がオークと渡り合っているのが見える。20対20くらいの戦闘だ。
魔皇に即席で叩き込まれた知恵だが、『魔法』というものは使う本人の魔力量によって、威力、距離、詠唱時間、それぞれが大きく変わってくる。
魔皇は魔力量が桁違いなので全く参考にはならないが、平均的な魔人族はそれほど強力な魔法は放てない。こればっかりは努力ではどうにもならないようで──修行、鍛錬次第で微々たる変化はあるらしい──魔人の雑兵は魔法が使えても何分と詠唱して、ようやく薪に火をつけられるレベルの魔法しか使えないらしい。
そんなだからオークと魔人が戦闘を行なって、どちらに軍配が上がるかという問いにはすぐには答えは出せない。オークは人の腕を片手で易々と折り曲げるほどの筋力を総じて所有している。
しかし、魔力量は極端に少なく、魔力量が少ない種族の代名詞である猫耳族──猫耳が生えていて、尻尾が尾骶骨から伸びている種族で、顔は普通の人間──よりも少ない。ただ、魔力量の低い魔人と一般オーク兵での戦いに於いて、どちらが有利と言われると───
「ぐっ!」
魔人側が微妙に不利みたいだ。魔人が魔法を唱える隙をどうしてもオークは与えない。隙を作ろうにも腕力では勝ち得ない。ノウトが行ってどうにか出来るのか。邪魔にしかならないような、そんな気がする。
ふと、視界にあるものが映った。
彼らの近くで人が倒れている。小柄な猫耳族だ。息をしている。まだ救けられる。ノウトは考えるまでもなく、救けようと身体が動いていた。オークに見つからないように煙に巻かれるように移動する。
体勢を低くして、歩き、近付き、何とか辿り着くことが出来た。
猫耳族の少年みたいだ。血の匂いがした。その隣に、大人の男がいた。彼の身体は縦に、両断されていた。もう、確実に助からないだろう。ああ。これが戦争だ。死人がいて、当たり前の世界。どくん、どくんと、自分の心臓の音がうるさい。落ち着け。落ち着け。成すべきことを成すだけ。それだけだ。
救助対象の少年は生きている。だが、息が浅い。目を伏せている。頭から血が流れている。
「おい、立てるか!?」
声を掛けるも、言葉は返ってこない。
ノウトは彼の身体を持ち上げて、背中に背負った。担いだまま後方に下がれば、救けられる。
……重い、な。
筋力量の極端に少ないノウトは子供一人を担ぐので精一杯だった。
「──ふぅ………」
一呼吸置いて歩き出す。なるべく前線から離れないと。熱いな。熱気が凄い。周りを見る。
……嘘、だろ。おい。
後ろから魔人兵が取り零したオークが、こっちに向かってるっぽいぞ。
走れ。走れ。追いつかれたらまずい。くそ。止まるな。
「うぐっ……! はぁっ……!」
息をつく暇さえない。
後ろを振り返るか?
すぐ後ろにいるかもしれない。見るのが怖い。
こっちは人一人担いでるんだ。ちょっとは手加減してくれてもいいじゃないか。怖いもの見たさで後ろを振り返った。
「……っ!?」
やばい。くそ。ちょうど、すぐ後ろでオークが斧を振り上げている。もしかして……死ぬのか? ここで? ありえない。冗談じゃない。生きるんだ。生きて。生きて。その先にある何かを手にするまで、俺は生きなくちゃいけないんだ。
《弑逆》を使えば、何とかなるか。間に合うのか。これ。いや、間に合うかどうかじゃない。間に合わせる。
ノウトの神技、《弑逆》の強みは不意打ちにある。触れれば確実に殺すことが出来るんだ。今更殺すことに臆するな。殺らなきゃ、殺られる。でも、ああ。これは駄目みたいだ。間に合わない。手がオークの肌に触れるより先に身体を背中に背負ってる猫耳族の少年ごと叩き斬られる。くそ。呆気ない。死にたくない。死にたく───
「………はっ?」
頬に温かくて、ぬるっとした何かが飛んできた。オークが突然、腹から血を吹き出して倒れる。その返り血がノウトを赤く染めたのだ。
ノウトはいつの間にか腰を着いていて、座り込んでしまっていた。腰を抜かしているみたいだ。オークの腹に剣が貫通していた。剣が引き抜かれて、その巨体が横に倒れる。その向こうに人影が見えた。次第に姿がはっきりと、見えてきて、そこにいるのが猫耳族の少女であることが分かった。
肩まで伸びた亜麻色の髪に、銀色の瞳。鼻がすっと通っていて可愛らしくも美しい、上品な顔立ちだった。ノウトは思わず彼女の顔に見とれてしまった。
「なにぼーっとしてんの!」
少女はノウトを叱咤した。少女の手には一本の剣が握られていた。刃は紅に染められていて、少女の手もまた真紅に塗りたくられていた。
「ほら! 死にたくなかったら立ちな!」
少女は剣を持ってない方の手をノウトに差し出した。ノウトは反射的にその手を掴むと、少女のそれとは思えない力でぐいっと立ち上げられた。
「ラウラ様だ!」「や、やった!! 辻剣の姫騎士ラウラ様が来た!!」「ラウラ姫がいらしたぞ!」「血濡れの姫隊に続け!」「詠唱隊を援護しろ! 剣闘隊前に進め!!」「うおおおおおオオォォッッ!!」
先程までそこで戦っていた魔人兵達が喊声を上げた。
見ると、ラウラ以外にも猫耳族の戦士たちがこの場に集っているのが見えた。
彼らの長たる目の前のこの少女が、件のラウラという人物なのだろうか。パッと見ではただの非力な少女にしか見えないが、この女の子にノウトが助けられたのは事実だ。
「あ、ありがとう。助かったよ」
「そういうのは生きて帰ってから言って」
ラウラはノウトと目を合わせずに周りに目をやった。
「さ、早くその子を連れて後方に下がって」
「分かった」
ノウトは少年を背中に背負い直して、ラウラに背を向けた。振り返ると、ラウラは剣を片手にオークを圧倒していた。ノウトはその様子に思わず目を丸くした。
まず、迅速さ。スピードが段違いだ。オークが振りかぶる速さを無碍にするかのようなスピードでラウラは剣を巧みに操りオークを斬り伏せていく。
猫耳族は総じて身体能力が高い。身体は靱やかで筋力も魔人のものとは比にはならない。魔力量が極端に低い点を除けばデメリットらしいデメリットのない種族だ。
だが、そんな猫耳族の中でも彼女は突出して秀でている。あんな動き方は見たことがない。ノウトのかつての仲間である勇者たちもラウラと戦うならば苦戦を強いられるだろう。
ラウラが来なければノウトは死んでいた。ノウトの中で命が閃く。さっきは死を確信したのに。ラウラのおかげだ。彼女のおかげでノウトは今こうして歩けている。生きている。
「この子、頼んでいいか?」
ノウトは後方に待機している魔人の衛生兵に少年を見せる。
「ちょっ、ちょっと」
魔人が息も絶え絶えの少年を横にさせた。
「あなたよく連れてこれたわね」
「その子、助けられるか?」
「そうね。……うん。頭の傷もそんなに深くないし、大丈夫そう。連れて来てくれてありがとね」
「よかった……」
ノウトは小さく息をついた。救けられたんだ。
「それじゃ、俺もう行くよ。その子のこと、任せた」
「はいはーい。……ってそう言えばあなた見ない顔だけどどこ所属──」
ノウトは聞かれるより前に戦場に戻った。後ろから「おーい、きみー!」と呼び止められる声が聞こえたが、ノウトは振り返らなかった。言及されたら面倒だ。
左手甲に浮かび上がる勇者の紋章は相変わらず自己主張が激しい。だが、日中だったら目立つ心配もない。魔皇には認められているが、その他大勢にはノウトの存在は認められてはいない。勇者は彼らにとって忌むべき者の象徴なので、簡単には受け入れて貰えないかもしれない。
だけど、どんなに石をぶつけられてもノウトは前に進まなくちゃいけない。こちらから歩み寄らなければ和解は不可能だ。
ラウラ達の戦っている場所へと戻ってくることが出来た。まだ救けなくてはいけない人は大勢いる。
ただ、さっきみたいに足を引っ張ってラウラに救けてもらうなんてことはあってはいけない。今度はきちんと周りを見ないと。
「見ろ! 狂剣のダーシュだ!」「おいおい!! 鋭槍のシャーファもいるぞ!」「あれは魅刀のルーツァじゃないか!?」「あ、圧倒的だ!! これが血濡れの姫隊……っ!!」
ラウラ、またその麾下たちの活躍によって魔人兵達の士気が上がっている。魔人兵の詠唱隊が魔法で敵を圧倒し始めていた。焔が巻き上がり、雷が敵を討つ。
連邦側の詠唱隊もオークを盾にして魔法を放っている。氷の大剣が宙を飛び交う。旋風が薙ぐ。
ノウトは息を呑んだ。
正直に言ってしまえば、魔法は勇者の力には劣る。勇者の〈神技〉は詠唱などを用いることなく強大な力を放つことが出来た。〈閃光〉の勇者であるチギラは手をかざせば、数百メートルまで飛んでいく熱の光線を打つことが出来たし、焔を操る勇者は一瞬で街全てを焼き尽くす業火を放つことが出来た。
しかし、この洗練された緻密な戦闘にこそ魔法の素晴らしさがあると思う。焔魔法には水魔法や氷魔法で対抗したり、盾魔法で援護したり、愛魔法で回復させたりと、魔法があるからこそ無限の戦略が生まれる。
魔法と剣戟によって紡がれるのがこの世界の戦争だ。
派手過ぎる、と何と比較してそう思ったのか分からないがつい考えてしまった。
ノウトが怪我人を背負って後方へと送っていると、ふと視界の端に何かが見えた。
何かが……何かが空を飛んでいる───
こっちに、来ているみたいだ。やばい。やばい。
「みんな、避けろ! 何か降ってきてる──っ!!」
ズドンッッッッッッッッッッッッ…──!!!!!
ノウトの呼び掛けを消し去るように、地響きが辺りに鳴り響く。壒が辺りに舞う。何が起きた。分からない。大きな何かが空から落ちてきた。それは塊だった。端的に言えば、鉄で覆われた巨人。その肩に一人の女が座っていた。
「キャハ! 今ので何体潰したかなぁ。かなかな~」
浅黒い肌に薄紅色の唇。よく見ると、耳がとんがっている。猫耳族でも魔人族でもない。見た事のない種族だ。
「鉄塊兵……っ!」
一人の魔人兵が叫んだ。その鉄の巨人を指しているのだろう。魔皇に叩き込まれた知識の中にこんなのなかった。聞いてないぞ、こんなめちゃくちゃなやつは。
鉄塊兵が飛んできたところには帝国側の詠唱隊がいた。彼らは跡形もなく潰されたのだ。許せない。許してたまるか。
「それじゃミカ、やっちゃお」
鉄塊兵の肩に乗る女が言うと、鉄の巨人が再び動き出した。躯体がギシギシと音を奏でながら関節を曲げる。魔人兵を追い掛けて足で潰そうとする。
「させない!」
一人の猫耳族が槍でその足を弾いた。あれは、確かシャーファと呼ばれていたラウラの麾下の一人だ。長い栗色の髪を揺らして鉄の槍を振るっている。あんな細い身体のどこに鉄の巨人をよろけさせるほどの力があるのだろう。
続いて、猫耳族の男が大地を蹴って身の丈もある大剣を鉄塊兵の頭に叩き込んだ。彼はダーシュと呼ばれていた。ぼさぼさとした髪に、軽そうな鎧を着ている。キィン、と金属同士がぶつかる不快な音が戦場に響く。
「キャハハ! やるねぇ! でもワタシ達は二人で一人なんだよ!」
鉄塊兵に乗る少女が弓を構えた。弓というよりは弩に近い。それを大剣を持つダーシュに向けて放つ。
「………」
彼は放たれた矢を身を翻して避けた。
「これだから獣臭い種族は嫌いだ」
少女が笑いながら言う。鉄塊兵が腕を降るってダーシュを殴ろうとする。それをシャーファがまたしても弾く。
「ダーシュ! いつでも私がいると思わないで!」
「分かってる。喚くな」
ダーシュが地に着地する。
「全く、あなたって人は!」
シャーファが声を張り上げながら、鉄塊兵の攻撃を凌ぐ。傍から見てもとんでもないパワーに見える鉄の巨人のパンチをシャーファは槍一つで全て受け流している。あれは槍術の賜だろう。力ではなく、技術で凌いでいる。
ダーシュはそんなシャーファの援護を受けつつも鉄塊兵の身体に次々と凹みを生まれさせていた。大剣をやたらめったらに振って振って、ぶっ叩いている。上から、横から、斜めから。大剣をまるで鈍器のように扱っている。ガキィン、ガキィンッッッ! と金属が弾けるような音が辺りに迸る。
「すげぇ……」
魔人兵の誰かが声を漏らした。誰もあの戦いに干渉出来ない。
ダーシュとシャーファの二人は鉄塊兵を押しているように見えた。
「くっ……!」
──だが、シャーファが一度凌げなかっただけで、一気に形勢は逆転してしまう。シャーファが槍で受け止めるも遥か後方に吹き飛ばされてしまう。
「シャ……!」
ダーシュが彼女の名前を叫ぶ途中でその肩に矢を射られてしまう。ダーシュはその場に伏せる。そこを鉄塊兵が殴る。ダーシュは何とか大剣でガードしようとするが流石にあの体勢では守りきれない。
遠くに飛ばされたシャーファも満身創痍で動ける状態では無い。
二人がやられた。さっきまであんなに押していたのに。このままではダーシュは殺される。そんなことはさせない。させてたまるか。
ノウトは駆けていた。ダーシュを救けるんだ。時間を稼げばダーシュも逃げられるはずだ。
「ざっこぉ~。失望させないでよ! ねぇ!」
鉄塊兵がダーシュを踏み潰そうとするその直前に───
「おいっっ!!!!」
声を張り上げた。鉄塊兵の動きがぴたりと止まり、その肩に乗る少女がノウトを見下ろした。
「……何アンタ。興を削がないでくれる? ぶっ殺されたいの?」
「お前こそ、俺に殺されたくなかったら退けよ」
ノウトは左手甲を相手に見せ付けた。少女は目を凝らし、そして、次の瞬間に表情を全く別のものへと変えた。
「は、あ、あ、アンタ……っ!! 今周期の勇者は全滅したはずじゃっ! というかなんで勇者がこんなところに!」
分かりやすく狼狽えている。良かった。はったりが通じたみたいだ。ノウトはこの鉄の巨人を倒せる術を何一つ所持していないが、勇者であるというだけでこの世界では脅威に当たることを知っていた。
「キャハ! 殺して紋章を奪い取ったらアタシの手柄だっ!!」
えっ……嘘だろ。逃げないのかよ……! くそ。さすがにこれは想像してなかった。ノウトはダーシュを庇うように覆いかぶさった。鉄の巨人が今度こそ踏み潰そうとする。
今度こそ死ぬのか。
「……姫………さ、ま…………」
ダーシュが蚊の鳴くような声で呟いた。ダーシュは全身血だらけだ。でも、まだ息をしている。まだ救けられたのに。ああ。救けられなかった───
「──諦めるのか」
凛とした、澄んだ声だった。
「ノウト、きみは真の勇者になるのだろう」
耳に入っただけで心が安らぐその声の持ち主は──
「魔皇……!」
「すまない、待たせたな。ここまでよく持ち堪えた」
魔皇は風を纏い空に浮いていた。鉄塊兵が標的を変えて魔皇にストレートを入れようとすると、魔皇に当たる寸前で鉄の拳が時が止まったように動かなくなった。魔皇がそれに手をかざす。すると、鉄塊兵が宙に浮いて、
「私は手加減が昔から苦手でな。玩具もよくこうして壊していたものだ」
魔皇がぎゅっ、と手を握る。鉄塊兵が収斂と収束を繰り返して一瞬で小さな鉄の塊と化した。浅黒い肌の女は尻もちを着いて魔皇を見上げていた。魔皇はゆっくりと降下して着地した。
「不死王に伝えろ。帝国は──魔皇は勇者を手中に収めたとな」
「……っ!」
鉄塊兵の持ち主は立ち上がって、尻尾を巻いて逃げていく。周りを見れば、既に相手側の魔人兵もオークも全員退いていた。これが魔皇の力だ。
「うおおおおおおおおぉぉおおお!!!」「魔皇様万歳!!」「さすが魔皇様だ!!」「連邦を退けたぞおおおおおおおお!!」
あちこちで勝鬨の声が上がる。完璧な勝利とは言えないだろう。怪我人も数え切れないほど出た。死者も当然出た。だが、最小限の被害には抑えられたとは思う。
「……あいつ、逃がして良かったのか?」
ノウトが魔皇と顔を合わせた。
「ああ。ノウトのことを奴らに知らせる必要があるからな。勇者を帝国側に引き入れたという噂が広まれば攻めてくることも少なくなるだろう」
「それも、そうだな」
ノウトが頷くと、魔皇は目を逸らして口を開いた。
「それに、……きみに誰かを殺めるところを見られたくなかったんだ」
頬を片手で搔きながら、恥ずかしそうに言った。さっき、鉄の巨人を指一本触れずに小さな鉄の塊にした魔皇と同一人物とは思えないくらい可愛らしい仕草にノウトは小さく笑ってしまった。
「なにを笑っているんだ」魔皇は少しだけ頬を朱色に染めた。
「いや、なんでも」
ノウトはかぶりを振る。
「魔皇様! ご無事でしたか!?」
すると、近くでラウラの声が聞こえた。こちらに走ってきているようだ。魔皇が両手を広げて、抱き締めるようにそれをキャッチする。
「ああ、大した怪我もない。そちらもノワ=ドロワの対処は大事なかったか?」
「は、はい! 余裕ですよ、よゆー!」
「ふふふ。さすがラウラだ。強い子だな」
魔皇がラウラの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「えへへ」
ラウラがあまりにも年相応の反応をしたので、ノウトは驚きを隠せなかった。ノウトとの戦闘力差はかけ離れすぎていて比較対象にすらならないレベルだ。あんな英雄じみた人もこんな顔をするんだな……。
ノウトの視線に気付いたラウラと目が合ってしまう。
「えっと、それで……我が物顔で魔皇様の隣に立っているこいつは何者ですか?」
「ああ、彼は──。いや、自分で言った方がいいな。ノウト、頼む」
魔皇がノウトに促した。ノウトは黙って頷いて、それからラウラの方を見た。
「俺はノウト・キルシュタイン。昨日付けで魔皇様の配下に付きました」
「ふぅん……」
ラウラはノウトの頭からつま先まで舐めるように視線を動かした。
「ちなみに勇者です」
「ふぅん………ってええええぇぇぇぇぇえ!?」
ノウトが勇者の紋章を見せながら言うと、ラウラは猫騙しを喰らったように大声で驚いてみせた。
「こ、こいつが例の……!?」
「ああ、そのうちラウラと同じ戦線に立つ者だ。仲良くしてやってくれ」
ラウラは吟味するようにノウトへと視線をやった。そして、ゆっくりと口を開いた。
「………聞いたよ。ミファナを救けてくれたんだってね」
「あ、ああ、うん」
「あたしからも礼を言わせて欲しい。ありがとう」
ラウラは少しだけ頭を下げた。思ったより友好的な反応だったのでノウトは少しだけ面を食らった。
「──でも、あたしはアンタを認めない」
ラウラは顔を上げて、その銀目の猫のような瞳でノウトを睨んだ。
「いつか魔皇様の寝首を搔こうと思ってるんだろうけど、そんなことさせないから」
「……そんなことしないよ。俺は他の誰かの命を救う為にやってるんだ」
「口だけじゃ何とでも言える。それに──」
ラウラがノウトの胸倉を掴んだ。
「アンタ、弱過ぎる。それとも弱く見せてるだけ? 次、あたしの隊の足引っ張ったらあたし自らアンタの命を絶つから」
そう言い切ってから、手を離す。
「精進するよ」
「ふん、いつまでその減らず口と偽善が持つか、見ものだね」
ラウラはそっぽを向いて、魔皇に会釈をしてから、血濡れの姫隊の仲間達の元へと戻って行った。
魔皇がその背を目で追いながら、口を開いた。
「ラウラも悪い奴ではないんだ」
「分かってるよ。あれは仲間を思ってるが故の話し方だった」
ノウトが言うと、魔皇は小さく微笑んだ。
「勇者がこの世界で受け入れられないのは自明の理だ。誰もが身内を勇者に殺されてしまっているからな」
魔皇がノウトの目を見た。
「これは、私ときみの問題だな。私からもノウトが強く優しい男だということを知らせなくてはいけない」
「いや、……俺が成果を上げればいいだけの話だ」
ノウトが魔皇の瞳を見据えた。
「強くなって、ラウラ達と肩を並べて戦えるようになるよ」
言うと、魔皇はいつかと同じような笑顔で笑ってみせた。
「ノウトなら出来るさ。私には分かるんだ」
ああ。俺はこの笑顔を見るために、この人の隣にいるのかもしれない。心の底で、ノウトのそんな淡い想いが瞬いていた。
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そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
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