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第二章 蹉跌の涙と君の体温
第40話 蹉跌の涙は昇華する
しおりを挟むその場を一瞬の静寂が支配した。
そして、吹き出すようにカミルが言い放つ。
「いやいやいやいや!!! ニコはボクよりもありえないですよ……!! だって、……だってニコは〈氷〉の勇者ですし!? ミカエルとナナセはまっ黒焦げになったんですよ!? 起きてることは、なんというか、……真逆じゃないですか!!」
「そうだよ、なんでボクなのさ! 言いがかりにも程があるよっ!」
ニコは立ち上がって、目元に浮かぶ涙を拭い、理不尽なノウトの解答を否定する。ノウトはそれを聞いて、ニコの方へと改めて顔を向けた。
「ニコ、きみは初めにパーティを決める時、自ら〈氷〉の勇者だって言ったよな。あれは、どうしてだ?」
「あれは、初めだからよく分からなくて言っちゃって───」
「俺の記憶では、そんな偶発的な告白ではなかった。見てくれと言わんばかりの言い方だったと思うけどな」
「そんなの、証拠でも根拠でもなんでもないよ。キミの記憶の話でしょ?」
「………そう言えば───」
スクードが口を開いた。
「あの時、ニコは自分から〈氷〉の勇者だって言ったんすよね。しかも、俺がカンナに〈神技〉は言わない方がいいって言った後に………」
「だ、だから、最初だったからわかんなかっただけだよ。ボク、あんまり頭良くないから」
ニコは明らかに動揺していた。
「それに、───ボクはあの時みんなに見て欲しかったんだ。氷ってほら、カワイイしキレイだから」
ノウトはそれを無視して語る。
「きみは〈氷〉の勇者だと思わせるためにあの場で告白した。そして、それ以降も〈氷〉の勇者を装ってそれのみを使っていたんだ」
「はぁ!? 思い違いにもほどがあるね!! ボクは本当に〈氷〉の勇者だから!」
「あの時ナナセに触れたのはカミルとニコだけだった。カミルは樹を操っている。明らかに〈熱〉とは関係ない。でも、ニコの〈氷〉はどうだ。例えば『温度、気温、体温を操る〈神技〉』だとすれば───」
「だとすればなんて結局推測じゃん!! 想像の範疇を超えない自論で人を人殺しみたいに言わないでよ!!」
「そうですよ!! これ以上うちのニコを虐めないで下さい!! 絶対に違います!! そんなの、……そんなこと、有り得ない!!」
カミルは汗をかきながら必死に弁明した。
「そ、それに、僕とニコだけじゃない!! アイナもナナセに触れてましたよ!! 彼女だっていう可能性もある、……じゃない、……です、か…………」
カミルはアイナを見やった。アイナは黒焦げになったナナセを未だ抱き締めている。その横顔は、大切な人を失った者の絶望の表情だった。カミルから見ても、アイナがやったことでは無いことは分かったようだ。
「ニコ…………違いますよね……? 本当に……〈氷〉の勇者ですよね……?」
カミルがいい淀みながら言った。ニコはアイナの姿を見て、唇を噛み締めている。
ノウトはそんなニコの方へと黙って歩いていった。その目はただ彼女を見つめている。ニコはそんなノウトの様子に気付いたのか、少しだけ後ずさった。ノウトがニコに近づく度に彼女は距離を置いていく。
「こ、来ないでよ!!」
「────どうして、俺とナナセが標的から外れているか、ずっと疑問だったんだ」
ノウトは目を細めた。
「ナナセはフェイのところにいたから、他のパーティとあまり関わっていなかったって思えば納得出来る。恐らく、テオやフェイが今生きていても標的にはなっていなかっただろうな。それなら、俺は何故狙われなかったのか───」
ノウトはゆっくりと答えを口にする。
「犯人は俺の〈神技〉を知っていたんだ」
「………っ!?」
ニコの顔が歪んだ。
「逆に言うと、今さっきの戦闘でスクードやダーシュは俺に触れられることを一切気にしていなかった。それはもちろん、俺の〈神技〉を知らないからだ」
ノウトの《弑逆》を知っていたら、ノウトに触れることを極端に嫌がるはずだ。ノウト自身、なるべく人に触れることを避けていた節はあった。
人に触れている状態で誤って《弑逆》を発動しただけでノウトは人を殺すことが出来る。リアは不死だからノウトに触れることを全く恐れていないが、それ以外の場合は確実に意識をして触れることが出来ないだろう。
「ニコ、君がやけに人にハイタッチしていたり、抱きついたりしていたのは───」
「っ……! 来ないで!!」
ニコは今までに見たことがないような表情をして後ろにあとずさった。
今思えば、ニコは他のパーティの勇者と出会う度にハイタッチをしていたにも関わらず、ノウトには意図的に触れていなかったようにも思える。自意識過剰な考えとも取れるが、今この状況でそんなことを考えている場合ではない。
ニコはボディコミュニケーションをとりながら着々と勇者全滅の作戦を進めていたのだ。
決して言いがかりなどではない。
犯人はナナセが死ぬ直前に触れた者に絞られる。
それはアイナとカミルとニコだけだった。
この三人の中で選ぶとなれば、消去法でニコが選ばれてしまうのは必然だろう。
「ニコ、俺の〈神技〉は、視界にいれたやつも対象になる。投了した方が身の為だ」
ノウトは毅然とした態度で言った。これももちろん真っ赤な嘘だ。しかし、ノウトの〈神技〉を知っていれば冷静ではいられないだろう。
もし、本当にノウトの〈神技〉を知っていて否定したのなら、自ら知っていると肯定するのと同じだ。ニコは苦虫を噛み潰したような顔で、目を泳がせた。
「ニコ……? 違う、わよね……?」
ジルがニコを見ながら、声を震わせて言った。ニコは一歩、また一歩とノウトから距離をとって、そして───
「ち、違う…………ボクじゃない………ボクじゃ…………」
「ニ、コ………?」カミルが言葉を漏らした。
皆が目を丸くしている。
「ボクがやったんじゃない………。ボクはただ、………ただ、帰りたかった、だけなんだ………」
ニコは誰にも聞こえないような声でそう呟き、顔をばっと上げてみせた。そして目を瞠り、
「ボクじゃないんだぁぁぁああアアアアアッッッッ!!!」
刹那、何が起こったのかその場にいる全員が理解出来なかった。
「なっ……!?」
壁だ。巨大な壁が目の前を覆い尽くした。透明な、氷の壁。道を完全に塞ぐように壁が出現した。そして、肌を凍てつかせるような冷たい風が頬を撫でた。
「本当に……ニコ……なのか……?」
今まで黙って傍観していたダーシュが声を発した。
「まだ、分かりませんよ……」
カミルが呟く。ノウトは否定も肯定もしなかった。
「と、とにかく、ニコを救けないと。壁の中にニコが……」
「もとからそのつもりだ」
ノウトは言った。そして、アイナを見やった。心が軋む音がする。でも、今は耐えろ。耐えろ。
ガキィィィン、と金属同士が激しくぶつかりあう音がした。見ると、ダーシュが鉄の刃を何十と生み出して氷を削っていた。カミルも同様に自らの身体から生やした樹を凝縮させて剣を作り、それで氷を破壊している。
ノウトの持っている〈神技〉じゃ巨大な氷の塊を破壊することは出来ない。ノウトは歯を食いしばって、そしてアイナの方へともう一度顔を向けた。
「………アイナ、あの氷壁を切り取れないか?」
アイナはナナセを抱きしめたまま、虚ろな瞳でノウトを見て、黙って頷いた。
「ありがとうアイナ。………──リア、行くぞ」
リアは少しだけ頬を緩めて、むりやり口角をあげてみせた。
「うん」
ただそれだけ言って、ノウトの前に立つ。ノウトはリアの腰に手を回して、いつかと同じように抱きかかえた。
これも何回目だろうか。翼が現れた時なんて、なければいいのにと何度も思ったのに。今じゃ必要不可欠な大事な相棒だ。
行くぜ、相棒。心の中で呼ぶと、声がしたような気がした。気がしただけだ。翼が喋るなんてあるわけがない。
ノウトは翼をはためかせて、翔んだ。瞬間、氷の壁の一部が消え去った。
「ニコ!!!!」
ダーシュが叫んだ。ダーシュは全身を鉄で覆い、身を守っている。カミルも同様に大樹に身を隠していた。あまりに強い吹雪に誰も近付けない。
肌に感じるのは凍てつくような冷たい風。
冷たいなんてものじゃない。痛い。尋常じゃない冷気がノウトとリアを襲った。ノウトの肌が、凍てつき身体の中の血さえも凍るようだ。そうなる前にリアは《軌跡》でノウトの傷を癒す。もっと、もっと、前に。リア、ごめん。痛いよな。冷たいよな。もう少しで、ニコがいるところに────
「来るなぁっっ!!!」
ニコの声が聞こえた瞬間、吹雪が勢いを増した。これは、もしかしたら死んでしまうかもしれない。そう思った。
でも、ノウトの心に燃ゆる小さな火が消えそうになるたびに、それをリアが灯していく。死の間際に立つ瞬間にそれをリアが引き戻してくれる。何度だってノウトは死ぬ寸前まで追い込まれた。リアがいなければ確実に死んでいるだろう。リアと一緒なら、どこまでもいける。そんな気がする。
荒れ吹雪く煌めく細氷の中心に、彼女がいた。ニコがノウトと目を合わせると刹那、ニコは辺りの空気を変えた。
正確に言えば、温度が急激に上昇したのだ。吹雪は一瞬にして熱風となり、氷は水蒸気へと昇華する。
「づッ………!!」
熱い。溶ける。燃えて、焦げて、消えて、なくなる。ノウトの肌は焦げる。焼ける。爛れる。そんなノウトをリアは死の淵から舞い戻らせる。何回か本当に死んでしまったのではないか、なんて錯覚にも陥った。でも、生きてる。生きてるなら、やることはひとつだ。
ノウトがニコへと手を伸ばす。届け。届かせてみせる。彼我の距離が10センチメートルまで縮まったところでニコはノウトの差し伸べた手を反射的に払い除けた。
それが終戦の合図となった。
ニコはしまった、とでも言うような顔をしてから、そして自らが未だ生きていることに疑問を感じた。
「っ!?」
そして、それを上回る衝撃がニコを襲った。
〈神技〉が、使えないのだ。
先程まで使えていたはずの〈神技〉が使えない。ニコの熱波と冷気は瞬時に収まり、彼女はその場に立ち尽くした。
どうして〈神技〉が使えないのか、それに対して疑問を隠せないようだ。自らの両手を、何が起こったのか分からないと言った顔をして見詰めた。
「──ニコ、きみの《異扉》を一時的に閉ざした。〈神技〉は使えない」
ノウトは翼をおさめて、リアと共に着地する。
「そん、な………」
ニコは震えた声でそう呟いた。
「殺さないで………お願い、……殺さないで下さい………」
そして、自らの肩を抱いて、ノウトの方を見ずに震える声を絞り出した。
「───殺さないよ。俺はきみを殺すつもりは無い。ニコがやったことを知れれば良かっただけだから」
ノウトはゆっくりとニコに歩み寄った。ニコは、ひっ、と息を漏らすように後ずさる。
「俺が殺すのはニコの女神、お前だ」
ノウトはその場にいない者を指す。今まで見たこと、それに聞いたことを全て合算して解答を導き出した。
それを聞いた瞬間、ニコは身体をびくりと跳ねさせてノウトの顔をゆっくりと見上げた。
「ニコ、きみはそいつに命令されてやっていた。違うか?」
「…………」
ニコは焦点の合わない目で地面を見つめ、そして、ふらふらとへたり込んだ。見ると、ダーシュやカミル、ジルが後ろから駆け寄っていた。
「……大丈夫。大丈夫だから」
ジルがニコを優しく抱擁する。
「ニコ、正直に話せ。俺らは………仲間だ」
ダーシュは気恥しさからか少しだけ言い淀んだものの仲間だと、そう言い切った。
「違う………。違う…………。ボクじゃないのに………帰りたいのに、………だめ、もう、帰れない…………」
ニコはジルの背中に腕を回して、声にならないような声を発した。
帰りたい、という言の葉にノウトはとてつもない違和感を感じた。帰る、というのはどこに帰るって言うんだ。帰るべき場所がニコにはあるのか。頭の中を疑問符が埋め尽くす。
「ニコ、どうしてきみはナナセとミカエルを殺したんだ? ………いや、違う。どうして、勇者全員を殺そうとしたんだ?」
ノウトは柔らかな、それでいて芯の通った声音で話す。
「………ボクは………」
ニコは顔を見上げて、ノウトの方を見てから、もう一度地面へと視線を戻した。
「…………勇者を全滅させたら、家に帰らしてくれるって、そう言われたんだ………。だからボクは………───」
ニコはぐしゃっと顔を崩して、大きな涙をその目の端に浮かべた。
「…………会いたいよ……お母さん、お父さん、……ちぃちゃん………」
涙が零れる。溢れ出す。
「やだよ………帰らしてよ………。ボクを……うちに帰してよ………」
「ニコ、きみはもしかして───」
「記憶があるのか……?」
ノウトの言葉をダーシュが遮った。ニコはおもむろに顔を上げてダーシュの方を見た。そして、頷く。
「そんなこと、……って……」
ノウトは言葉を失った。まさか、勇者の中にここで目覚める以前の記憶があるやつがいるなんて。そんなこと想像もしていなかった。
「ニコ、あなたは一体………」
カミルがニコを見ながら言った。
「───ボクは、……ここじゃない世界にいたんだ。こことは全然、違うところに……」
ニコは小さな声で語り始めた。
「ここじゃ、ない……?」
「家族がいて、学校があって、スマホがあって、友達もいた、んだと思う」
ニコは言葉を詰まらせるように鼻をすすった。
「それがどこか、分かるか?」ダーシュが質問する。
「…………東京」
ニコはぼそりと答えを口に出した。
トウキョウ………? 分からない。どこか、身に覚えもない。これも忘れてしまったことなのか。それとも、ニコとは違う場所にノウトは生きていたのか。分からない、何も。トウキョウ。その言葉を頭の中で反芻すると、ちくり、と頭が痛み出した。そうだ。この感覚だ。何かを思い出そうとすると痛み出すこの感覚。
そうか、つまり、ノウトはトウキョウを知っている。でも、何者かが思い出させないようにブロックしているんだ。
「どうやって、……ここにきたんすか?」
見ると、スクードがその場に立っているのが分かった。 エヴァは依然ミカエルの死体のそばで項垂れている。
「わかんない………。ボクは、アド様に少しづつ教えてもらってただけだから」
「アド………」
リアがぽつりと呟く。
アド………アド、か。どこかで聞いた覚えがある。
────そうだ。アド教。
この世界、人間領で多く信仰されている宗教のそれだ。どうして今その単語が出てくるんだ。
「……ボクが覚えてるのは、家族のことと、……それにどこに住んでたか、ってこと、だけ………で………」
ニコはそこまで言うと、言葉を止めて、そして、
「うわああああぁぁぁああん…………っっ!!! ごめんなさいごめんなさい……っ!! うっぐ……………本当にごめんなさい……!!」
堰が切れたように声を張り上げて大声で泣き始めた。その顔と声は演技なんて言葉では表現出来ないような、真に迫ったものを感じた。ニコは口を大きく開けて泣き喚く。大きな涙をその瞳から零れ落ちさせる。
「───そうか」
ノウトは誰にも聞こえないような声で小さく呟いた。
勇者達の記憶が消された理由。
それが今、分かった。
記憶があれば、思い出があれば、魂があれば。その分、失うものも、帰るべき故郷も、そして、大切な人も増えることになる。
ニコは勇者を全滅させれば故郷に帰らしてやると言われ、その何者かの命令に従い、ミカエルとナナセを殺めた。それも当然の話だ。
故郷に帰れるならば、大切な人にまた会えるならば、人間は幾らでも残酷になれる。
そして、それとは反対に弱くなる。
失うものがある人間は弱い。
帰りたいと思うほど、会いたいと希うほど、心に亀裂が走っていく。いつかその亀裂が心を腐らしていく。
レン、パトリツィア、マシロ、カンナ、テオ、ナナセ、ミカエル、……それに、フェイ。
いなくなってしまった彼らのことを思うと心が軋む音がする。最低最悪のフェイですら、もう会えないと思うとほんの少しだけ心が霞む。
レンやナナセ、マシロのことを思い出すと抑えきれない何かが溢れだしそうになる。もういっそ、忘れてしまった方が楽なのかもしれない。
でも、─────でも。
だからと言って、記憶を消していいということにはならない。
辛い思いも、悲しい記憶も。
好きだった人達のことも。
忘れないでいるからこそ、彼らの想いを繋ぐことができる。
彼らの意思を受け継ぐことができる。
「今日は……ロークラントに泊まろうか」
ノウトが皆に提案した。ニコはずっと泣き続けている。アイナは虚ろな目でナナセを見つめて、エヴァは今にも倒れてしまいそうだ。
「……そうだね。今日は、……その方がいいかも」
リアがひかえめに笑って、そして頷いた。
なんだか、煮え切らない。何も解決してないような、そんな気もする。ナナセやミカエルが死んでしまったことへの哀惜とニコの語った記憶のこともあり、頭の中が混沌に満たされていた。
だが、ひとつ目標は定まった。
ニコに勇者の全滅を命令したという女神アド。そいつを殺すという目標が。
絶対に殺してやる。
大切な記憶を消して、尊い命を弄んだお前を。
俺は絶対に許さない。
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