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第二章 蹉跌の涙と君の体温
第31話 悠遠の日々は未だ遠く
しおりを挟む目を開けると、そこには天井があって、でもそれは、何千回と見たあのロークラントの宿の天井じゃない。木製の、梁が丸出しの天井だった。
ナナセは窓から差し込む陽光に目を焼かれながら、身体を起こす。
「アザ、レア………」
しっかりと彼女のことを覚えている。夢じゃない。夢じゃなかったんだ。〈時〉の女神、アザレア。彼女のおかげで今までナナセは何回だって助けられた。《永劫》がなければ、フェイがフリュードを崩壊させたあの日の夜に、ナナセは命を落としていただろう。アイナの命を既に落とさせて、絶望に伏していただろう。
ふと、視線を横に向けると、それが視界に入った。
翼だ。
真っ白な翼。よく見ると所々薄いピンクになっている。触ってみると確かに鳥の羽根のような感触なのだけど、どこか違う。そこにあるようで、ないような、不思議な感じだ。
ナナセは翼を動かして、ぎゅっと抱いた。抱き締めた。
「…………ありがとう、アザレア。また、会えるよな」
翼を精一杯に抱いたのち、ベッドから下りて、部屋を見回した。
「ここは、………」
既視感が確かにある。
ここは、そうだ。シャルロットが創り出した家の中だ。ということは今は、6時頃、ということになる。アザレアが時間を伸ばしてくれたのだろう。狭い《異扉》を無理矢理こじ開けて、そこに〈神技〉を流し込んでくれたのだ。
アザレアの想いを無下にしてたまるか。
もう二度と、アイナを殺させはしない。
目標は定まっている。
レティシア。
彼女が〈炎〉の勇者で、他の勇者全員を殺そうとした元凶だ。憎い。許せない。
でも今はそんな憎悪の感情よりもアイナに対する愛おしさの方が勝っている。
やってやる。やってるんだ。
ナナセは寝室の扉を開けて廊下に出る。そのまま歩いて左手のドアを開ければ、そこにはアイナ、ヴェッタ、フウカ、シャルロットの見慣れた仲間達がいる。何度も死なせてしまったがまた会えるんだ。
ナナセがドアノブに手を置き、扉を開け、
「おはよう」
そう言って入っていく。
まず、フウカと目が合った。これは初めの時と同じだ。
フウカは目を丸くして、口をぽかーん、と大きく開けていた。
「えっ、何? どうかした?」
「な、な、な……」
フウカはあわあわと落ち着かない様子で指を持ち上げて、
「そ、それ、なんですか?」
ナナセの背後を指さした。ナナセはくるっと、背後を見返すがそこには玄関があるだけで、そのほかめぼしいものはない。
「わーっ! それですそれ!!」
フウカが騒ぎ出す。どうしたことだろうと首を傾げていると、
「あっ」
翼の端が視界に入った。
そう言えば消してなかったんだったあああ。やばいな。説明しないと。でも、時間を無駄には出来ない。時間があれば《異扉》のことやこの翼のこと、アザレアのことを確実に説明していたと思う。アイナ達を起こさないとだし。何から始めればいいのか。自然と《永劫》で時間を止めて、思考し考えたことを口にする。
「朝起きたら生えてたんだ」
「生えてたんだ、じゃないですよ!! いや唐突すぎませんか!?」
「ああもうだめだこれえぇ!!」
ナナセとフウカが大きな声で騒ぎ立つ。
そうなると、必然的に、寝ていた人達は起きてしまうわけで。
「……………ぇ」
シャルロットがナナセの翼を見て目を丸くする。
「な、な、なんでナナセがここに………っていうかその羽根なに!?」
アイナが目をぐるぐると回して事態の混沌さに倒れそうになる。
「………ナナ、おはよう。………かわいい」
ヴェッタはナナセの翼をかわいいと評す。
フウカとアイナが騒ぎ、叫んで、シャルロットは呆然とナナセを見て、ヴェッタがナナセの翼を撫でる。
事態はカオスに包まれていた。
あと6時間後にはみんな死んでしまうのだ。
この平穏な日々を護るためにも、ナナセは声を張り上げなくてはいけない。
大きく息を吸って、
「ああもういっかい落ち着けえええ!!!」
◇◇◇
ナナセは結局、知り得ることを説明することにした。このまま説明せずにもやもやさせたまま一緒に行動させるのは今後の活動に支障をきたすと思ったからだ。
「つまり、《異扉》っていうのを通じて私達は〈神技〉を使ってるってこと?」
「そういうこと」
「その翼はアザレアって女神が力を分け与えたからということ、なのかしら?」
「そういうこと」
「ああん、私も翼欲しいなぁ」
さっきとは打って変わって気丈に振る舞うアイナ。寝間着姿なのは変わらずだ。くっそかわいいな、ちくしょう。
「あたしも……ほしい」
ヴェティが指をくわえてナナセの翼をぽぷぽふと撫でている。
「まぁ、俺の場合はアザレアが頑張ってくれたから翼を特別託してくれたってわけだからさ。普通はくれないんじゃないかな」
「そう言えば、………」
フウカが腕を組んで考え込む姿勢をとった。
「ノウトも目撃情報によれば翼が生えていたとかなんとか……」
「ああ、それも多分、ノウトの女神がノウトに力を分け与えたんだと思う」
「ってことはノウトが魔人だ~みたいなのは完全に勘違いだった、ということですか?」
「そういうことになるね」
「それは、なんだか、ほっとしました」
フウカが安堵を顔に浮かばせる。
「で、ここからが本題なんだけど」
ナナセは息を呑んで、その先の言葉を紡ごうとした。
それは今までは一回も仲間に伝えていなかったことだ。でも、一緒に行動するには、やはり説明しておかなければならない。
仲間を信じろ、俺。
「俺は今日この日の未来を予知をした」
ナナセは仲間の顔を見渡して、言い放った。
これは決して嘘ではない。その日をもう一度体験するのは予知と同義と言っても過言ではないだろう。
「よ、予知……?」
「それは、……あのアルバートとかいう人がいる世界の記憶のことじゃなくて?」
「ああ、今日これから起きることの全てを知っている」
「す、凄いですね」
「証明してくれないかしら。何か、予知をした証拠を出しいのだけれど」
フウカは既に信じ切っている様子だが、シャルロットは訝しげな瞳でナナセを見据えている。
「わかった」
前回のことを思い出せ。あの日の朝に起きたことだ。
「……フウカ、ポケットに方位磁針が入ってるだろ」
「えっ!?」
フウカは目を丸くしてから、ポケットの中に手を突っ込んで、それを取り出した。
「な、なんで分かったんです?」
「未来予知が出来るって言っただろ? それでそのコンパスは近くの村から頂いてきたもの、そうなんじゃないか?」
「せ、正解です」「……すごい」
フウカとヴェッタがナナセの顔を尊敬の眼差しで見ていた。
「凄いじゃん、ナナセ」
「まぁな。俺は〈時〉の勇者だから」
ナナセはアイナに対してにっと笑ってみせる。
「なんなら他のことも言えるけど」
「いえ、もう充分よ。ナナセ、信じるわ、あなたのこと」
シャルロットはその顔に笑みを浮かべてみせた。
「それで、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
「みんな、気をつけて。この話の始め方したら基本変なこと言い出すからね、ナナセ」
「変なことってなんだよ、アイナ」
「変なことには違いないでしょだいたい。で、何を落ち着いて聞けばいいの?」
「ああ……───」
ナナセは覚悟を決めて、彼女たちにこの日の顛末を言った。
「今日の正午12時。俺らは攻撃を受ける」
「攻撃……?」
「正確に言えば、身体が焼け始める」
「それで死ぬ、……ってこと?」
「いや、そこまでは分からない。でも、俺の予言はそこで止まっているんだ」
答えは言わない。死ぬなんて確定事項を教えられて内心穏やかになれる人間はこの世にいない。だから、───
「でも、大丈夫。俺はその犯人を知っているし、制限時間まではあと6時間近くある。だからきっと、止められるさ」
「その、犯人っていうのは?」
「それはレティシアだ」
「そうね、身体を焼くと聞いて、彼女以外思い浮かばないわ」
「あ~、お風呂を覗いてきたフョードルとかノウト達をレティシアが炎で焼いちゃったんでしたよね、そう言えば」
「何やってんだそいつらは」
呆れた、と言うよりもそんな平穏な時間を送っていたことに半ば安心した。
「じゃあ、早速向かおうか。シャルロット、階段創ってもらっていいか? 翼で持ち上げられるの一人か二人くらいだからアイナの《瞬空》が使えなくてさ」
そう言ってナナセは自らの翼を一旦消す。
「なるほど。分かったわ」
彼女は頷いて、少し離れた場所に移動した。そして、両手を地面にかざして、瞬きをした次の瞬間、そこには石製の階段が生まれていた。
「わぁお……」
アイナが感嘆の声を発する。
「これも未来予知で知ってたこと?」
「まぁね」
ナナセがしたり顔でアイナと目を合わせる。
「じゃあ、まずはロークラントを経由して、そこからレティシアを探そう。フョードル達のパーティはもう〈封魔結界〉を通り抜けてると思うから、取り敢えずそこまで行こう」
「ナナセ、あんた………」
アイナが怪訝そうな目でナナセを見つめる。
「なんか、変わった?」
「いいや、俺は俺のままだよ」
何千回と同じ時を過ごして、何千回とアイナを救おうとしていたけれど、俺が俺であるのは変わらない。
見ると、シャルロットやヴェッタ、フウカは既に階段を上り始めていて、
「ほら、アイナ。行こうぜ」
「う、うん」
そう言って階段を上っていく。
この回で失敗したら、恐らく制限時間は半分近くになるはずだ。つまり次のスタート地点は3時間前。アザレアが送る〈時〉の力がどんどん弱まって、その結果があの何千回のループだ。
ここで失敗は出来ない。絶対にレティシアを止めてみせる。
と、そこまで考えてるところで階段の頂点に辿り着いていた。
そして、《永劫》で世界の時を止めて、再度思考する。話の要点だけを伝えるようにするんだ。《永劫》を解除し、仲間の顔を見渡して、
「よし。じゃあ、アイナ、まずはあの山のてっぺんに移動してくれ」
「えっ、……寒そ」
「ニールヴルトは基本的に寒いんだから仕方ないだろ。そこからは西にまっすぐ向かうだけでいい。俺が方向を一応指差す。それでロークラントに着けるから」
「わ、わかった」
アイナは頷いてから、ヴェッタ、フウカ、シャルロットに抱かれるように包まれた。
そして、アイナの差し出した手をナナセが掴む。
「じゃあ、行くよ」
皆がそれに応じてから、アイナが《瞬空》を使う。瞬きをする暇もなく、次の景色に移り変わる。
「うわさむぅっ!!」
雪の吹雪く山の上。寒くないわけがない。ここで立ち止まっていたら先に凍え死んでしまう。ナナセは黙って指を進行方向、ロークラントへと向けた。その先はホワイトアウトでほぼ見えていなかったが、その先にロークラントがあるのは確実だ。
次々と景色が移り変わり、次に瞬きをした瞬間にはロークラントの中に立っていた。
「や、やった!!」
「わぁ!!」
「ここがロークラント……」
「………きれい……」
次々と感想を言い合う女性陣。
「アイナ、グッジョブ」
「ふふん。やればできるんだねー、私」
「天才だな」
「そ、そこまで褒めるか~」
「いやもう天才です!!」「天才ね」「……てんさい……」
「や、あは、あはは。そこまで褒めても何も出ないんだからー」
「かわいいかよ……」
言ってから気付いた。やべぇ声に出してんじゃねえか俺。
「ん? ナナセなんか言ったぁ?」
「ん、いや!? なにも!?」
取り乱しながら否定するナナセ。アイナは「そ」と小さく頷いて、街並みをぐるりと見渡し始めた。
良かった。聞こえてなかったみたいだ。
「へたれ……」
「えっ」
「ナナ、アイナのことすき?」
隣にすっ、と立ったヴェッタが唐突にやばいことを言い始めた。
「はぁっ!? だ、誰がアイナのことなんてえ!!」
「つんでれ……だれとく……」
ヴェッタが呪文みたいに口々に言った。
「へたれ……」
と小さく呟いてから、アイナの背を追った。
ヴェ、ヴェティ……。今ほど彼女を恐ろしく思った時はなかった。
「まぁ、あれだな。次は〈封魔結界〉を越えなきゃだよな」
「じゃあ、高いところに行くのがいいよね」
アイナがそう言うと皆の視線がひとつに集約された。それはナナセにとっては忌むべき、時計塔だった。あのループでナナセは数え切れないほどの鐘の音を聞いた。もう、聞きたくはないという程にだ。
「しょうがない。あのクソ塔の上に行くか」
「くそとう?」
「いや、こっちの話」
皆で時計塔を眺めているとアイナが、
「あそこに飛ぶのはちょっとだけ不安だなぁ。真上に近い位置だとちゃんと着地出来るかわかんないし」
「だったら、翼で飛ぼうか」
ナナセはそう言って、翼を顕現させる。ばさぁっ、と真っ白な翼が現れた。
「いや、それって一人か二人しか持ち上げられないんでしょ?」
「だったら、あたしはだいじょうぶ」
ヴェッタが風をまとって、宙に浮かぶ。
「じゃあ、さきに行ってるから」
そう呟いてから、ヴェッタは高い位置まで飛んでいってしまう。
「前も思いましたけど、ちょっと私の〈神技〉と被ってますよねぇ……」
「〈風〉と〈天〉じゃ全然違うんじゃない?」
「私のがなんか見劣りするのは気の所為でしょうか……」
フウカは項垂れながらも、シャルロットを抱きかかえて空に浮かんでいく。
「フ、フウカぁ!? 落とさないでよ!」
「分かってますよう。一人なら大丈夫です。心配しないでください」
「心配しかないのだけれど……!!」
シャルロットの今までに見たことがないくらい不安そうな顔を最後にフウカは時計塔の上へと向かっていく。
「凄いなぁ、みんな………。って私は!?」
「あっ」
なんだか偶発的、もしくは必然的にアイナとナナセが取り残されてしまったようだ。アイナは「ヴェティ~~!! 置いてかないで~~!!」と喚くが、当然、もうヴェッタは空の彼方へと飛んでいってしまい、その声は届かない。
アイナとナナセが顔を見合わせて、
「それならしょうがないか……」
「これは、しょうがないよな……」
アイナがナナセに近付いて、
「落っことさないでよ」
「分かってるって」
ナナセがアイナの腰に手を回した。アイナはびくっと身体を震わしたが、なんとか歯をぎゅっと噛み締めて、その状況に耐えてみせた。アイナをしっかりと抱き寄せてから、翼を大きく広げて、飛翔した。
「うわぁ!?」
アイナが悲鳴に似た声を発する。
ナナセは自然と恐ろしさとかそういうものを感じなかった。翼で翔ぶのは初めてだが、以前に翔んだことのあるような気分だ。自ずと飛び方が分かる。
「や、やぁっ!」
アイナが変な声を出しながらナナセにしがみつく。
「な、ちょい!!」
アイナがくるりと回って正面から抱き合うような形になる。アイナの足がナナセの腰を絡めとった。アイナは高いところの怖さから全く気にしていないが、ナナセはもう内心やばかった。とにかくやばい。やべぇ、心臓ばくばく言ってるわ。なんか、アイナの柔いところが当たってる。これって───
「な!? ナナセっ!? 落ちてるよ!? ねえ!! うきゃああああああああああ!!!」
「はっ……!!」
違うところにトリップしかけていたナナセはアイナの声で意識を取り戻した。危ない危ない。危うく死ぬところだった。死因が墜落だけは絶対に嫌だ。
アイナと抱き合いながら、なんとか時計塔の上へと辿り着けた。ナナセは屋上についた瞬間に翼を消す。
ぜぇはぁ、とナナセとアイナは揃って肩で息をして呼吸を整えた。
「だ、大丈夫ですか? 二人とも」
「「えっ、うん、だいじょうぶ!!」」
寸分たがわぬセリフを同時に発する。なんかもう一種の奇跡だろ、これ。顔を見合わせて、くすっ、と笑う。
「二人は仲良しですね~」
「「仲良しなんかじゃない!!」」
またしてもハモってしまう。
ああ、もうここまでくるとさすがにやばいだろ。なんか、波長が同じなのかな。
そして、ナナセのすぐ隣にはヴェッタがいつの間にか立っていた。
「………ナナ、やっちゃえ」
「ヴェティさん……?」
「やっちゃえ」
何を、というのは聞けなかった。ヴェティさんの目がこわいよお……。なんだよお……。
こほん、と咳払いをしてから、ナナセが口を開く。常人は絶対に気付くことは出来ないが、この一瞬で《永劫》を使用して思考をまとめていた。
「12時まで余裕があるとはいえ、なるべく急いだ方がいいのは確かだ」
「それもそうね」
シャルロットが頷く。
封魔結界のある西の方向を見て、
「………この周で、絶対にアイナを救ける」
とナナセが小さく呟く。
「お前だったんだな、ナナセ」
「───ぅぇ?」
声が聞こえるまでそこにいることに気が付かなかった。
どうして、なんで、いつ、何を言っている、そんな疑問で頭の中を埋め尽くされる。
《永劫》でいくら考えてもその答えは導き出されない。
でも、彼なら。そう、彼ならば、可能なのかもしれない。
ナナセはこの刹那にそう確信した。
ナナセの隣に、いるはずのない人間が立っていた。
隣に立っていたのは、
黒い翼をその背に生やした勇者、
ノウトだった。
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