あのエピローグのつづきから 〜勇者殺しの勇者は如何に勇者を殺すのか〜

shirose

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第二章 蹉跌の涙と君の体温

第17話 もう、ほんと涙腺緩いんだから。

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 背中に我が物顔で生えていた翼が、一瞬にして消えてしまった。
 どうしてだ、どうして。なんて考える暇なんてあるはずがなくて────

「「うわあああああぁぁああああああ!!!!!」」

 為す術もなく自由落下するノウトとリア。
 まずいまずいまずいまずい。
 高度50メートルくらいの高さだ。このまま地上に落下すれば不死身のリアはともかく、そうではないノウトは確実に命を落とすだろう。

 森が。木が。地面が。

 徐々にこちらに近付いてくる。やばい頭が真っ白に────

 落ち着け。考えろ。大丈夫。
 何かが。何か、ある筈だ。
 そう、俺には〈神技スキル〉がある。そうだ。《弑逆スレイ》の派生スキル《殺陣シールド》で落下の衝撃を抑えるんだ。俺なら出来る。

 リアの頭を胸に抱えて地面に右手を向ける。
 残り20メートル。10メートル。1メートル。
 右手に《殺陣シールド》を纏って地面に触れる。ピタッと身体が止まり、落下の勢いが完全に殺される。ぐるんと受け身を取って、転がる。
 《殺陣シールド》に救けられた。これがなかったら確実に死んでいた。ちょっとした全能感がノウトの頭を一瞬だけ支配する。

「ノウトくん、今のって……。というか翼はどこ行っちゃったの…? 聞きたいこと色々あるんだけど」

「えっと、俺もちょっと分かってないんだけど、さっきのは《殺陣シールド》って言ってフェイと戦ってる時に突然使えるようになった『勢いを殺す』……? 〈神技スキル〉みたいな感じ、かな」

「ふえええ!? そんなの、あり……なの……?」

 リアがこんなに驚いてるのを初めて見たかもしれない。それが何だか嬉しかった。

「何かありっぽいな」

「ほええ……」

 リアが緊張感の無い声を漏らす。これを使えるようになった原因もフェイにあると思うと複雑な気持ちだ。
 すると、リアはノウトの両手を掴んでぶんぶんと振った。

「いやすごいねかっこいいよ!」

「あはは……」

 ノウトは複雑な心境のもと苦笑いするしか無かった。

 ───がさっ。

 突然、背後の低木から音がした。ノウトとリアは咄嗟に振り向く。しかし、特に異変はない。
 獣か? それとも────

「ギィヤァッ!!」

「うおおッ!?」

 須臾しゅゆの攻防だった。
 低木の葉を影にして現れたのは緑色の肌をした小さな人間。……いや、これ人間か? 人間ではないな。確実に。自分の知っている人間とは何もかもがかけ離れている。
 耳がとんがっていて、目の周りは窪んでいる。鋭利な犬歯が大きく開かれた口の間から見え隠れしている。
 ─────こいつ、ゴブリンだ。
 ヴェロアが言っていたからではない。確かではないけど、頭の奥の、そのまた奥の方でこいつの正体を知っている。
 その緑色の手に握られた棍棒がノウトに振り下ろされた。
 ノウトは咄嗟に左手を振り上げて《殺陣シールド》を発動する。すると、棍棒はピタッとノウトの手中に収まった。

「ウギィヤ!?」

 ゴブリンは吃驚の声を発する。ノウトは棍棒を手で跳ね飛ばして、

「逃げるぞ!!」

 リアを連れて走り出した。

「今のってゴブリンだよね!?」

「あ、ああ!!」

「なんか……なんでかは分からないけど、名前がぱっと出てきた!!」

「俺もだ!」

 リアと共に森の中を走る。くそ、翼さえあれば。今は足で走るしかない。走るのってこんな不便だったのか。翼はこの二日程度使用していただけなのに、既に翼がないと満足できない身体になってしまったようだ。

 後ろから次々とゴブリンの声が聞こえる。
 これ、他の奴らを引き連れてるな多分。
 隣を走るリアは決してノウトの行動に疑問の念を抱かなかった。ノウトの心が読める訳でもないのに、それ相応の行動をしている。
 頭のすぐ隣を何かが掠めた。掠めた何かはそのまま凄い勢いで地面に突き刺さった。
 これは、矢だ。
 あいつら、完全にこちらを殺す気で来ている。心臓を貫かれたら、いくらリアの《軌跡イデア》でも治癒することはできないだろう。
 走る。とにかく走った。
 ノウトもリアも息切れでもはや会話もままならない。

「……リア、ごめん! …俺……っ!」

 ノウトはなんで急に謝り始めたのか自分でもよく分かっていなかった。おそらくだが、こんなことに巻き込んだことを謝りたかったんだと思う。

「殺さないんだよね……っ。ノウトくんは傷つけたくないんだよね……っ」

 リアはいつだってノウトの心中を悟っていた。
 今だって。
 そうだ、俺はもう何も殺したくない。
 例え、相手がゴブリンであったとしても。
 例え、相手がこちらに殺意を持っていたとしても。

 俺は命を奪うことが酷く恐ろしくなってしまったんだ。
 もう何であったとしても命を奪うことなんてしたくない。
 どんなことがあっても命を奪うことはしてはいけない。

 殺すということ。
 それは幸せを奪うことだから。
 生を踏みにじることだから。

「あっ……」

 隣で走っていたリアが足を木の根に引っ掛けて転んでしまう。

「リア!!!!」

 ノウトはリアの名前を叫んだ。
 リアを助けようと振り返るとノウト目掛けて棍棒を振るゴブリンの姿があった。ノウトは《殺陣シールド》で棍棒を受け止めてゴブリンにタックルする。

「ギィア!?」

 ゴブリンはよろめき、棍棒を手放しただけでなんのダメージも負っていない。すぐさまゴブリンはノウトに向かって飛び付いた。

「うッ……!!」

 ノウトは勢いよく背中を地面に打ち付けられる。
 痛い。
 骨が折れてないにしても、これは、痛い。痛いよ。

「い゛ぁっッ!!」

 ノウトの口から声にならない声が発せられた。馬乗りになったゴブリンに気を取られていたノウトは飛んでくる矢に反応出来なかった。矢が、右腕に刺さっている。射られたんだ。
 痛いなんてものじゃない。痛すぎて、なんだこれ。ほんと、おかしいだろ。
 どうすれば、この場を凌げるんだ。
 どうすれば────

 《弑逆スレイ》を使う……?
 いやそれは、だめだ。
 怖い。怖い。怖い。怖い。
 命を奪うのが怖い。

『使っちゃえ』

 声が。頭の中に、響いてきた。
 誰だ。誰の声だ。

『殺しちゃえ』

 嫌だ。嫌だ。もう命を奪うのは。今更何を言っても説得力は無いかもしれない。でも、もう誰も、何者でも、殺したくない。

『ダーリン、ずい───リアちゃんが殺されちゃいますよぉ?』

 ふと、リアの姿が視界の端に見えた。

 血だ。

 血が流れている。

 血が、彼女の頭を赤く染めている。

「やッ……いやっ……!」

 リアがもがきながら叫ぶ。
 リア。ああ。彼女を助けないと。

 ノウトの上に乗ったゴブリンが首を絞める。それに抵抗しようとその手を掴むが、強い。力が強すぎる。こんなに強いものなのか。
 そうか。こいつも生きるのに必死なんだ。当たり前のことだよな。殺されたくないから殺す、なんて。

『そうです。あはっ。殺しちゃえ殺しちゃえ』

 そうだ。
 殺せば、自分も助かるし、リアを救けることも出来る。
 殺せばいいんだ。
 殺意に身を任せれば、それでいいんだ。

「ノ、ウトくん、だ、めっ!」

 リアの声ではっとする。何が駄目なのか一瞬分からなかった。でも心の奥深くで理解して自分を制止出来た。殺しては駄目だ。なら、どうすればいい。どうすれば、リアを救けられる? 駄目だ。何も思いつかない。喉元を締めるゴブリンの手は徐々に力を増していく。
 視界が、ぼやけてきた。
 遠のいていく意識の中、リアに向かって伸ばす手は届かなくて。

「…………ぁ?」

 突然、ノウトの首を絞めるゴブリンの手が緩まり、ゴブリンはばたりとノウトの上で倒れた。その身体をどかしてノウトは立ち上がる。なんだ。何が起きている。

「………り、りあ……っ!」

 ノウトは反射的にリアの元へと向かっていた。彼女はゴブリンの下敷きになって頭から血を流していた。不死身だとしても痛覚はあるはずだ。痛かったであろう。辛かったろう。
 倒れている彼女の身体を起こす。

「リア!! 大丈夫か!?」

「う、うん………大丈夫、だよ」

 リアは虚ろな瞳でノウトを見た。そして、すぐに目を見開く。

「ノウトくん、腕が……」

 リアはそう言うと共に《軌跡イデア》でノウトの傷を癒した。

「……さんきゅ」

「こんなの当然だから、礼なんていらないよ」

 リアは笑顔でサムズアップした。そしてノウトの頬に手を当てる。その行為の意味が分からなく呆けた顔をしていると、

「涙で顔ぐちゃぐちゃになってるよ」

 そう言ってリアが立ち上がり、自らの服でノウトの顔を拭い始めた。

「ちょっ」

 ノウトの抵抗虚しく、なすがままに拭かれる。

「はいっ、綺麗になったよ」

 リアがノウトの顔を拭くのをやめる。情けなさすぎて泣ける。いやこれで泣いたらまたループするじゃないか。

「……ありがとう」

 ノウトは感謝の意を一応口に出して、このことについてはこの際気にしないことにした。立ち上がり、辺りを見回す。

「でも、これは一体……」

 そこらじゅうに気絶したゴブリンの姿があった。死んで、ないよな……?
 倒れているゴブリンに近付いてみた。息はしているようだ。

「ノウト、おぬし相変わらず究極のお人好ししとるのぉ」

「っ!?」

 隣に突然、少女が現れた。
 いや、違う。前からそこに立っていたんだ。声が発せられるまで気付かなかった。気配が完全になかった。
 なんだ、この子は。
 ノウトの半分くらいの身長だ。あまりに小さ過ぎてこの場にいるのはかなり場違いにも思える。
 この小さな少女を見ていると、何だか頭の奥の方がずきりと痛んだ。

「ふむ。その反応、少しだけ、ほんの少しだけじゃが胸が痛むの。魔皇が落ち込む気持ちが分かったのじゃ」

 俺は、この人を知っている。
 いつか……そう、フリュードへ向かっていた道中で野営した時の夢の中でこの人と会ったんだ。

「久しぶりじゃな、ノウト」

 その少女はにっと笑った。
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