聞こえる

戸沢一平

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第十一話

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 気付くと地面に仰向けに寝ていた。ガヤガヤとした人の声が聞こえる。

「おい、猪四郎、しっかりしろ。大丈夫か」

 頭がズキズキと痛む。目を開けると、提灯に照らされた海和の顔があった。

「おお、気付いたか。たんこぶは出来ているが、血は出ていない。どうだ、痛むか」

 海和に支えられ体を起こした。頭に手を当てた途端にズキッとした。

「痛むが、まあ大丈夫だ」

 周囲に目を移すと、数名の武士たちの姿があった。鬼瓦のような関根の顔も見えた。

「大森たちはどうした」
「安心しろ。三人とも捉えて、今し方連れて行ったところだ」

 安堵感がジワリと湧いてきた。猪四郎はゆっくりと立ち上がった。海和がそれを手助けしながら、猪四郎の着物や袴についている土を払った。

「実はあの後、家老から指示があって、謀反を企みそうな連中の周囲を急遽探ったのだ。そうしたら、今日、連中が松間寺に集まるらしいと分かった。これは一大事となり、番役総出でここまできたところ、お前が石段から転がり落ちてきたという訳だ」

 猪四郎には誇らしい気が起きていたが、態度に出すことは自重した。海和がそれを十分に分かっているという口調だったからだ。

「やはりお前が正しかった。正直、俺も疑っていた。すまなかった」

 海和が頭を下げた。

「いや、そんなことよりも、謀反を未然に防げた事が何よりだ」

 そう口にしたものの、本心とはややかけ離れているという自覚はあった。それでも満足であることに変わりはない。頭を下げた海和の本心に興味を持った。顔をあげたところをじっと見た。

「・・・」

 聞こえない。

 なおも海和の顔を注視したが、やはり聞こえない。海和が怪訝な顔をした。

「どうした、俺の顔に何か付いているか」
「い、いや、そうではないが・・」

 もう一度集中して、じっくりと見たが同じだった。

「顔色が悪いぞ。打ちどころが悪かったのか」

 思えば、あの時も星雲号に蹴られて頭を打ったことが始まりだった。また頭を打って元に戻ったといえばそれまでだが、そう簡単に割り切れる気分でも無かった。諦めきれない思いで、周囲にいる番役達の顔を一人、また一人と舐めるように見たが、やはり何も聞こえない。この現実を受け入れざるを得ないのかと思うと、気が沈んで行った。

「早く帰って休め。俺はこれから家老に知らせに行くが、これは、お前の手柄でもある。必ずや褒美が用意されるはずだ」

 当然そうなるだろうとは思ったが、その嬉しさを、落胆した気持ちが消していた。常に頼りにしていた助人が、突然行方をくらましてしまったようだった。ただ、一縷の望みは残っていた。星雲号の声は、あるいは聞こえるかも知れないと思ったのだ。


 厩が完成した。

 この日、建屋完成に伴う儀式の後に、馬達が新建屋に移動する。

 朝から夏の青空が広がっている。風はなく、青々とした木々と夏の鮮やかな花が眩しく輝いていた。庶務役方だけでなく他のお役方も顔をそろえる中、一連の神事が終了すると、仮の馬舎から出た馬たちが新しい住まいに入れられて行った。

「この度の働き、耳にしたぞ」

 三浦が隣にいた。猪四郎はもしかしてと淡い期待を持ってその顔を見たが、やはり無理だった。三浦は、どうしたというように顔を近付けた。

「城内はお前の噂で持ち切りだ。まあ、当然か。厩の件にしろ、ここの所は、藩の功労者だからな。他に、これといった話題もないこともあるが」

 持ち上げ方にやや不自然さもあったが、かといって嫌味や嫉妬は感じられない。

「しばらく幸運が続いただけのようです」
「運も実力のうちだろうが」
「ですが、もう終わりでしょう」
「それでも十分だろう。お前の評価は上がったのだから。その貧弱な容姿を補って余りある・・、あ、いや・・」

 三浦が口をモゴモゴさせてスッと離れて行った。

 今日の猪四郎は、お役目とは別に、ある意図を持ってこの場所に来ていた。その「運」が終わったのか、つまり、星雲号の声が聞こえなくなったのかを確かめようと思ったのだ。

 馬が新しい建屋に収まり一連の儀式が終了した。あらかた人が引けてまばらになると、猪四郎は新しい厩に入った。

 中央に星雲号がいた。

 猪四郎が前に立つと星雲号が顔を近づけて来た。首を揺らしながら二度、三度とブヒヒと鳴いた。ジッと猪四郎を見詰めて首を揺すっている。しかし、耳をそばだてても、神経を集中させても、人の言葉は響いて来なかった。やはり、と思ったが落胆は無かった。

「まあ、仕方がない。これが普通なのだから」

 これで間違いなく元に戻ったのだと、そう実感したとき、思い掛け無いことだが、猪四郎に訪れたのが開放感だった。それがどこから来たのかは、にわかには思い浮かばなかったが、解き放たれたような心地よさは確実にあった。

 星雲号が仕切りに首を揺する。その首を撫でながら、前にこの馬に言われた言葉を思い出していた。

「人は頭で考え、思考に頼るから感性が衰える。もっと己の感覚に頼り感性を磨け」

 そのようなことは馬に言われることか、と反発する気も起きたが、腑に落ちるものもあった。それは、頼りにして上手く使っていたと思っていたものに、あるいは、束縛されて使われていたのかも知れない、と思えたからだ。頼りがいのあるものには、全てを委ねてしまいがちだ。確かにお前の言う通りかも知れない、と思いながら星雲号の首を摩った。

 もっとも、そうであったとしても、何の収穫も無かった訳ではない。

 みをの稽古の日になった。

 猪四郎は、今日は必ずみをに声をかけようと思っていた。特に何を話すとも考えてはいないが、体の事を気遣い、元気になったのかを聞ければ、それだけでも良しとしている。あとは、流れに任せるだけだ。

 みをの姿が見えた。猪四郎は通りに出て歩き出した。
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