聞こえる

戸沢一平

文字の大きさ
上 下
10 / 11

第十話

しおりを挟む
 茶屋町を抜けて樽石川を越えると、あとは百姓家が点在するだけで、繁華街を目にした者にとってはやや心細い風景が広がる。更に先に、初代藩主白鳥長久公が建立した松間寺という浄土宗の山寺がある。杉林の参道が途切れると寺へ続く多くの石段が待っている。

 陽は傾いていた。

 大森が石段を上って行く。奴が松間寺に何をしに行くのか、と思ったとき、猪四郎はあることに気付いた。この寺には、前藩主長忠の弟である長宗が出家して暮らしていた。

 大森らの謀反が、単に仲里の追い落としだけでなく、藩主の交代をも企むのであれば、擁立するのはこの長宗をおいて他になかった。仲里に信頼を寄せる藩主長政は、確かに、大森らにとっては大きな壁になる。謀反を成就させるためには、そこまで考えるのは当然とも思えた。

 大森が長宗に会うとなれば、謀反の具体的な動きと見るに十分だった。

 猪四郎は石段を上って行った。俗に百段といわれているが、さほど苦には感じない。体が軽いせいだけでは無いと思った。気が張り詰めている実感はあった。

 境内に入ると、薄暗がりの中で、左翼の建物の一部にわずかに明かりが見て取れる。猪四郎は小さな体を更に低くして、慎重に歩を進めた。

「儂には、そのような野心はない」
「藩のためです。長政公は完全に仲里の言いなりで、公正な判断が出来ない状況。仲里は一部の側近だけを重用し、意図的に民や家臣の声が上まで届かないようにしています。このままでは、藩は立ち行かなくなるのは必至」

「ここ数年は天候の不順による凶作が続き、それでも何もしない無策ぶりに農民の不満は高まっています」
「政は、よく解らぬ」

「仲里は近江屋を重宝し、藩の財政に食い込ませ、その見返りに多額の賄賂を受け贅沢三昧。これだけでも、仲里を斥ける理由に十分値します」
「確かに、仲里は近江屋とは関係が深いとは聞いている。しかし、先代の時でも、領内で商売する商人とは持ちつ持たれつの関係ではあったろう」

 聞こえてくる声から、話をしているのはどうやら四人のようだ。一人は大森で、もう一人は長宗に間違いない。あとの二人は判らないが、長宗以外の三人の口調からは激しい憤りが感じ取れる。

「儂が断れば、どうするのだ」
「何もしない訳には行きません。我らだけでも立つまで」

「勝算はあります」
「例え仲里を追い落としても、長政の怒りを買うだけだぞ」

「いえ、そうとも一概には言えません。城内の多数が、どう動くかにかかっています」
「ほとんどは様子見のはず。我らに分があると見るや、一気に流れは来ます。そうなったら、長政公もそれを無視は出来ません」

 大森らの分析にも一理あると思われた。武藤の名を挙げるまでもなく、どう行動するかは、自分にとって有利になる方に与するだけだ。今は仲里に取り入ろうとしている者でも、状況が変われば、行動を変える者がほとんどだろう。

「まあ、しかし、藩の混乱は好まぬ。何とか穏便に収められないのか」
「仲間に諮っても、何もしないという者はいないはず」

「ご決断を」

 沈黙している。長宗が考えを巡らしているのだろう。ただ、長宗の答えがどうであれ、大森らは長宗抜きでも事を起こすと言っているのだから、謀反が起こるのは必至と見て間違いない。急ぎ家老に知らせねばと思い、猪四郎はこの場を去ろうとした。

「仲里のあとは、誰を家老にするつもりなのだ」

 猪四郎は動きを止めた。これは何としても聞かなければいけない事柄だ。背を向けていた体勢を戻し、自分と四人を仕切る障子戸に体を近付けて聞き耳を立てた。

「今日集まったのは、そこを決めるのが主な目的でした」
「我らにも腹案はありますが、新藩主の意向がなによりも大事」
「ここは、是非とも正直な思いをお聞かせいただきたい」

 三人の声の調子が明らかに変わった。しかも、低く小さな声になった。

「うーむ、仮に、儂が藩主となればだが・・」

 長宗の声も小さく呟くような調子になった。なかなか聞き取りづらい。

「是非、思いのうちを・・」
「そうだな・・」

 聞こえない。猪四郎は更に顔を障子戸に近づけた。耳は聞きたい一心で前に行くが、体は引き気味である事が災いした。つんのめってしまい、顔が障子戸に当たってしまった。

「誰だ」

 障子戸が勢いよく開いた。大森と二人の武士が刀に手を掛けて身構えている。前のめりで這いつくばっている猪四郎は、斬られる、と覚悟した。

「がきが何をしている」

 期待を裏切られる言葉ではあったが、絶体絶命の危機からも肩透かしを喰った状況ともなった。なにはともあれ、猪四郎には逃げるだけの余裕が出来た。

「は、はい。失礼しました」

 立ち上がり背を向けて去ろうとした。だが、幸運の女神も気まぐれだ。

「待て」

 大森の声が背中に刺さった。足が止まった。

「お前、庶務役の者ではないか」
「・・何だとう、仲里の犬か・・」
「・・騙しやがって・・」

 背中を殺気が襲う中、猪四郎は慌てて逃げ出した。

「待て」
「・・斬り捨ててくれるわ・・」
「・・逃してなるものか・・」

 追ってくる三人の言葉と心の叫びが浴びせられる中、境内を出て、石段を転がるように降りて行った。暗くてよく見えない中を感覚に頼って足を動かすが、地の底に向かっているようで、百段がとてつもなく長く感じられる。

 前方に灯りが見えてきた。提灯が何個も揺れている。それが何かを見極めようと気を取られた瞬間、足が滑った。

「うわっ」

 転がって頭を打った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

AIシミュレーション歴史小説『瑞華夢幻録』- 華麗なる夢幻の系譜 -

静風
歴史・時代
この物語は、ChatGPTで仮想空間Xを形成し、更にパラレルワールドを形成したAIシミュレーション歴史小説です。 【詳細ページ】 https://note.com/mbbs/n/ncb1a722b27fd 基本的にAIと著者との共創ですが、AIの出力を上手く引出そうと工夫しています。 以下は、AIによる「あらすじ」の出力です。 【あらすじ】 この物語は、戦国時代の日本を舞台に、織田信長と彼に仕えた数々の武将たちの壮大な物語を描いています。信長は野望を胸に秘め、天下統一を目指し勇猛果敢に戦い、国を統一するための道を歩んでいきます。 明智光秀や羽柴秀吉、黒田官兵衛など、信長に協力する強力な部下たちとの絆や葛藤、そして敵対する勢力との戦いが繰り広げられます。彼らはそれぞれの個性や戦略を持ち、信長の野望を支えながら自身の野心や信念を追い求めます。 また、物語は細川忠興や小早川隆景、真田昌幸や伊達政宗、徳川家康など、他の武将たちの活躍も描かれます。彼らの命運や人間関係、武勇と政略の交錯が繊細に描かれ、時には血なまぐさい戦いや感動的な友情、家族の絆などが描かれます。 信長の野望の果てには、国を統一するという大きな目標がありますが、その道のりには数々の試練や困難が待ち受けています。戦いの中で織り成される絆や裏切り、政治や外交の駆け引き、そして歴史の流れに乗る個々の運命が交錯しながら、物語は進んでいきます。 瑞華夢幻録は、戦国時代のダイナミックな舞台と、豪華なキャストが織り成すドラマチックな物語であり、武将たちの魂の闘いと成長、そして人間の尊厳と栄光が描かれています。一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを背景に、信長と彼を取り巻く人々の情熱と野心、そして絆の物語が紡がれていきます。

紅花の煙

戸沢一平
歴史・時代
 江戸期、紅花の商いで大儲けした、実在の紅花商人の豪快な逸話を元にした物語である。  出羽尾花沢で「島田屋」の看板を掲げて紅花商をしている鈴木七右衛門は、地元で紅花を仕入れて江戸や京で売り利益を得ていた。七右衛門には心を寄せる女がいた。吉原の遊女で、高尾太夫を襲名したたかである。  花を仕入れて江戸に来た七右衛門は、競を行ったが問屋は一人も来なかった。  七右衛門が吉原で遊ぶことを快く思わない問屋達が嫌がらせをして、示し合わせて行かなかったのだ。  事情を知った七右衛門は怒り、持って来た紅花を品川の海岸で燃やすと宣言する。  

つわもの -長連龍-

夢酔藤山
歴史・時代
能登の戦国時代は遅くに訪れた。守護大名・畠山氏が最後まで踏み止まり、戦国大名を生まぬ独特の風土が、遅まきの戦乱に晒された。古くから能登に根を張る長一族にとって、この戦乱は幸でもあり不幸でもあった。 裏切り、また裏切り。 大国である越後上杉謙信が迫る。長続連は織田信長の可能性に早くから着目していた。出家させていた次男・孝恩寺宗顒に、急ぎ信長へ救援を求めるよう諭す。 それが、修羅となる孝恩寺宗顒の第一歩だった。

雪のしずく

優木悠
歴史・時代
――雪が降る。しんしんと。―― 平井新左衛門は、逐電した村人蓮次を追う任務を命じられる。蓮次は幕閣に直訴するための訴状を持っており、それを手に入れなくてはならない。新左衛門は中山道を進み、蓮次を探し出す。が、訴状が手に入らないまま、江戸へと道行きを共にするのであったが……。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

大奥~牡丹の綻び~

翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。 大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。 映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。 リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。 時は17代将軍の治世。 公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。 京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。 ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。 祖母の死 鷹司家の断絶 実父の突然の死 嫁姑争い 姉妹間の軋轢 壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。 2023.01.13 修正加筆のため一括非公開 2023.04.20 修正加筆 完成 2023.04.23 推敲完成 再公開 2023.08.09 「小説家になろう」にも投稿開始。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

処理中です...