聞こえる

戸沢一平

文字の大きさ
上 下
8 / 11

第八話

しおりを挟む
 新しい厩を建てる作業が始まった。完成するまでの間は、前の厩があった場所の隣に仮の小屋が設けられている。雨風を凌げるだけの簡単な作りだ。

 この日、猪四郎は作業現場の見回りの当番になっていたが、その帰りに仮の厩に寄った。周囲の様子を伺ったが、馬の世話を請負っている奉公人の姿は無かった。それを確かめると、猪四郎は厩に入った。

 中央に居た星雲号の前に立った。星雲号は挨拶するように首を前に出した。

「・・この前は世話になった。礼を言う・・」
「なあに、やるべき事をやっただけさ。こちらこそ、褒美をもらって礼を言うよ」

 星雲号はフッと鼻から息を吐いた。

「・・何か、それで満足していないようだな・・」
「流石に鋭いな。実は、頼みがあって来た」

 星雲号が首を引いた。
「・・人は、これだから困ったものだ。欲に止め度が無い・・」

 猪四郎は手を伸ばして星雲号の首を撫でた。
「ちょっと待ってくれ。この前は必死の想いだったのだ。上役の命令にも逆らって、それこそ、役人としての人生をかける思いだった。その苦労に、頼んだお前も少しは報いてもいいでは無いか」

「・・それは確かにそうだな。分かった、何の頼みだ・・」
「この前のように、お前たちが感じているが、人が知ることが出来ないような異変は無いか。あったら教えてくれ」
「・・そのようなものは無い・・」

「そうつれない事を言わなくても良いではないか。何でも良いのだ。お前が感じた、気になる事で良いのだ」

 星雲号がしばらく首を振っていた。

「・・ひとつ、気になることがある・・」
「何だ」

「・・ここに出入りする人らは、欲に満ちて不満を抱えた者ばかりだ、お前のように・・」

 猪四郎はみをや出世のことが頭を過った。

「人であれば皆そうだ。欲がなければ物事は進まない。人生とはそういうものだろう」
「・・我らには理解できない。聞きたくないのであればやめる・・」

「わかった。すまぬ、言ってくれ」
「・・その中で欲が特に強く、何か、人同士で殺し合いをすることも厭わないような、危険な匂いがする者がいる。それが気になっている・・」

 やや落胆した。そのようなことか、というのが正直な思いだった。当然ながら何かあれば刀を抜くことも厭わない者もいるだろう。自分が知る範囲でも、血の気の多い者は少なく無い。わざわざ馬に言われることでも無い。気持ちが引いた。

「なるほど。それで、その者とは誰なのだ、何をしようとしている」
「・・名など分からない、前から見慣れた、最近よくここにくる者だ。何をするかも分からないが、とにかく危険な心を隠しもしない・・」

 猪四郎は仮の厩を出て、庶務役御用部屋へ戻ろうとしていた。

 星雲号から聞いた話は出世の糸口にはなりそうも無かった。やはり、馬などではなく上役の心の内を知る必要がある、そう思った時、一人の侍とすれ違った。

 目付役の大森敬次郎おおもりけいじろうだ。

 猪四郎は思わず立ち止まった。大森は、仲里の前の家老吉井誠之助の側近で、懐刀とも目されていた。藩主交代後しばらく、新体制へ反発する旧勢力が事を起こしかけた騒動が何度となくあったが、常にその中心にこの大森がいたのではとも言われていた。やがて、大森は国境の番所に飛ばされ、その名も忘れ去られていたが、昨年、吉井が亡くなったのを機に、目付役として戻されていた。大森は、当然ながら前藩主を敬愛していたと思われる。であれば、その愛馬であった星雲号にはよく会いに来ていることは間違いない。

 猪四郎には、星雲号の言う危険な匂いが、藩主交代時の遺恨と結びついていた。

 猪四郎は大森の跡を付けた。案の定、厩に入って行った。厩の裏に回って、中を伺った。隙間から大森の姿を見る事が出来た。

 大森は星雲号の首を撫でている。彫りの深いはっきりした顔立ちだが、馬を見つめる目に密かな陰を感じた。猪四郎はその顔を注視した。

「・・やはり、このまま人生を終えるのは忍びない。仲里に一矢報いないことには、死んでも死にきれない・・」
 猪四郎に衝撃が走った。その動揺は、藩の一大事になりかねない端緒を自分が掴んだ、という興奮には違い無いものの、金脈を掘り当てたような驚きも含んでいた。

 だが、事が事だけに、成り行きによっては騒動に発展し、その火の粉が自分の身にも及ぶ危険を孕んでいることも十分に理解出来た。それだけに、下手を打ってはいけないという緊張も生まれた。

「・・仲里が藩政を担って民が豊かになったというのならまだ許せるが、前にも増して酷いではないか。昨年の凶作に今年の長雨と、藩の状況は厳しくなる一方だ。吉井様のように気さくに皆と交われば、家臣も共に頑張ろうという気も起こるが、一部の者しか近付けない専横ぶりでは誰も付いては行かない。しかも、民の貧困をよそに自分は贅沢三昧のいい暮らしぶりのようではないか・・」

 昨年は確かに凶作ではあったが、藩は、年貢の一部免除を行い、領内の商人から借金してまで貧困の者に手当てをしたほどだ。今年も天候の状況に応じた対策を、仲里は抜かりなく指示している。農民から不満などは起こってはいない。仲里が殊の外贅沢をしているような話も聞かない。謀反を起こす側にとって、事を起こす大義はどうでも良いのだろうと思えた。

 大森が厩を出て城下の方角に去って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紅花の煙

戸沢一平
歴史・時代
 江戸期、紅花の商いで大儲けした、実在の紅花商人の豪快な逸話を元にした物語である。  出羽尾花沢で「島田屋」の看板を掲げて紅花商をしている鈴木七右衛門は、地元で紅花を仕入れて江戸や京で売り利益を得ていた。七右衛門には心を寄せる女がいた。吉原の遊女で、高尾太夫を襲名したたかである。  花を仕入れて江戸に来た七右衛門は、競を行ったが問屋は一人も来なかった。  七右衛門が吉原で遊ぶことを快く思わない問屋達が嫌がらせをして、示し合わせて行かなかったのだ。  事情を知った七右衛門は怒り、持って来た紅花を品川の海岸で燃やすと宣言する。  

AIシミュレーション歴史小説『瑞華夢幻録』- 華麗なる夢幻の系譜 -

静風
歴史・時代
この物語は、ChatGPTで仮想空間Xを形成し、更にパラレルワールドを形成したAIシミュレーション歴史小説です。 【詳細ページ】 https://note.com/mbbs/n/ncb1a722b27fd 基本的にAIと著者との共創ですが、AIの出力を上手く引出そうと工夫しています。 以下は、AIによる「あらすじ」の出力です。 【あらすじ】 この物語は、戦国時代の日本を舞台に、織田信長と彼に仕えた数々の武将たちの壮大な物語を描いています。信長は野望を胸に秘め、天下統一を目指し勇猛果敢に戦い、国を統一するための道を歩んでいきます。 明智光秀や羽柴秀吉、黒田官兵衛など、信長に協力する強力な部下たちとの絆や葛藤、そして敵対する勢力との戦いが繰り広げられます。彼らはそれぞれの個性や戦略を持ち、信長の野望を支えながら自身の野心や信念を追い求めます。 また、物語は細川忠興や小早川隆景、真田昌幸や伊達政宗、徳川家康など、他の武将たちの活躍も描かれます。彼らの命運や人間関係、武勇と政略の交錯が繊細に描かれ、時には血なまぐさい戦いや感動的な友情、家族の絆などが描かれます。 信長の野望の果てには、国を統一するという大きな目標がありますが、その道のりには数々の試練や困難が待ち受けています。戦いの中で織り成される絆や裏切り、政治や外交の駆け引き、そして歴史の流れに乗る個々の運命が交錯しながら、物語は進んでいきます。 瑞華夢幻録は、戦国時代のダイナミックな舞台と、豪華なキャストが織り成すドラマチックな物語であり、武将たちの魂の闘いと成長、そして人間の尊厳と栄光が描かれています。一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを背景に、信長と彼を取り巻く人々の情熱と野心、そして絆の物語が紡がれていきます。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

雪のしずく

優木悠
歴史・時代
――雪が降る。しんしんと。―― 平井新左衛門は、逐電した村人蓮次を追う任務を命じられる。蓮次は幕閣に直訴するための訴状を持っており、それを手に入れなくてはならない。新左衛門は中山道を進み、蓮次を探し出す。が、訴状が手に入らないまま、江戸へと道行きを共にするのであったが……。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

平隊士の日々

china01
歴史・時代
新選組に本当に居た平隊士、松崎静馬が書いただろうな日記で 事実と思われる内容で平隊士の日常を描いています また、多くの平隊士も登場します ただし、局長や副長はほんの少し、井上組長が多いかな

忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)藩の忍びだった小平治と仲間たち、彼らは江戸の裏長屋に住まう身となっていた。藩が改易にあい、食い扶持を求めて江戸に出たのだ。 が、それまで忍びとして生きていた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもない。 そんな小平治は、大店の主とひょんなことから懇意になり、藩の忍び一同で雇われて仕事をこなす忍びの口入れ屋を稼業とすることになる――

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

処理中です...