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誕生
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大地が雪に覆われた。一斉に出羽の各大名の動きが止まった。雪国にあって雪に抗うことは命取りになりかねない。静かに英気を養いながら春を待つのが最良の方策だ。
そして春が訪れた。
「産婆が奥に詰めているそうだ。そろそろ御生まれになるのだろう」
「もう生まれたと聞いたぞ。確かに赤児の泣き声が聞こえたそうだ」
「どっちだ、男子か姫か。何故知らせがない。重臣たちは何を考えておる」
「聞いても誰も言わない、どうしたことか。また、病弱なお子なのか」
城内に困惑の声が広まった。
「まずは成功ですな。今のところ、誰にも漏れていません」
「産婆が誰にも言わなければ漏れることはない。口止めはしているが念のためだ、奥に暫く留め置くことも当初の手筈通りが良かろう」
「はい。まあ、いずれにしろ信頼のおける産婆ですので心配は無用です」
長久と六郎左衛門が顔を突き合わせて声を潜めている。
「ところで最上の動きはどうだ」
「馬と鷹はおおよそ整えたようです。その他刀や槍なども大量に用意しています。白鳥よりも信長への贈り物を豪華にするつもりでしょう。出発も間近ではないかと思われる様子とのこと」
「なるほど。本気で出羽守の地位を狙っているな」
「それと、これらとは別に何やら贈り物らしきものを用意しているとのこと」
「ほう」
数日後、氏家守棟が谷地城を訪れた。
「この度は布姫様に御子が誕生されたということで、まことに御めでとうございます」
長久と布姫が応対している。
「これはかたじけない。わざわざ足を運んでもらって恐縮だ」
「義光公にとっては御孫様、いち早く祝意を伝えることがなにより」
「しかも、多大な贈り物までいただいて、重ね重ね礼を申す」
「ほんの心ばかりのもの。どうぞ最上の気持ちとして受け止められお納めください」
「しかしながら耳が早い。まだ、この谷地城内でも皆には知らせていないのに最上まで伝わったのが不思議だ」
「まあ、噂の伝わるのは弓矢よりも早いと申します。良い知らせなのですから早く伝わるのは喜ぶべきことではないですか、ははは」
守棟が胸を張りながら満面に笑みを浮かべた。
「確かに良い知らせではあるから早く伝わることに越したことはないが、どうせ伝わるのなら正確に伝わって欲しかったな」
守棟が真顔になった。
「正確とは」
長久が布姫に顔を向けた。布姫がにこやかに微笑んだ。
「先ほど見せてもらったら頂いたのは陣羽織に刀や鯉のぼりなど、まるで男子への贈り物ばかり。もしかしたら男子が生まれたと伝わってしまったのかと心配しております」
「男子ではないのですか」
「姫なのよ、それがねぇ」
「しかし、その・・」
守棟が言葉に詰まった。布姫がその様子をじっと見た。
「お腹の子があまりに元気よく動き回るので男子だと思っていて、ついそのつもりでいたのよ。ですから周りにもそう言ってしまったの。これは男子だ。男子に違いないとね。でも、誕生したのは姫だった訳」
長久が布姫をみた。
「なるほど。布の思い込みが噂で伝わってしまったようだな」
「ほんに、不思議ですねぇ」
長久が守棟に視線を移した。
「守棟、案ずる事はない。最上には非はない。噂が悪かっただけだ、噂が」
守棟が拳を握りしめた。
襖が開いて六郎左衛門が入ってきた。
「殿、御取り込み中失礼します。先ほど清光と国口が戻りました」
守棟が驚いたように六郎左衛門を見た。長久がポンと右手で膝を叩いた。
「おう、戻ったか。信長公よりの書状は受け取ったのか」
「はい。しかし、この場では何ですから、守棟殿がお帰りになられてからに致しますか」
「構わぬ」
長久が守棟を見た。
「守棟、折角だから其方も知るが良かろう。この結果は御義父上もご関心があろう」
六郎左衛門がすました顔で頷いた。
「左様ですか。では。こちらへお持ちしております」
六郎左衛門が書状を差し出し長久が受け取った。その様子を守棟が食い入るように見ている。
「もしかして最上に伝わった噂では、白鳥が信長公に鷹を献上するのはこの春となるということだったかもしれないが、既に昨年雪が降る直前に鷹を持たせて使者を送った。その使者二人が今帰ってきた訳だ」
布姫が長久を見た。
「あら、殿は私にはこの春に使者を送るって仰っていらしたわよ。だから、私は周りのものにはそう言っていたの」
「そうだったな。それはすまないことをした、許せ。わしもころころと気が変わるところがある。善は急げと直ぐに使者を送ったが布に言うのを忘れていた。とにかく信長公からの書状を見てみよう」
「良い知らせだったら許してあげるわよ」
長久がじっくりと書状に目を通した。
「おう、喜べ。これを見よ」
長久が書状を広げて突き出した。
「出羽守白鳥十郎長久殿と書いてある」
守棟がブルブルと肩を震わせて顔面蒼白になった。
天正六年(一五七八年)のことである。
その後、天正十年(一五八二年)に信長が明智光秀に本能寺で討たれる。この二年後の天正十二年(一五八四年)に長久が義光に霞ヶ城に呼び出されて暗殺される。
そして春が訪れた。
「産婆が奥に詰めているそうだ。そろそろ御生まれになるのだろう」
「もう生まれたと聞いたぞ。確かに赤児の泣き声が聞こえたそうだ」
「どっちだ、男子か姫か。何故知らせがない。重臣たちは何を考えておる」
「聞いても誰も言わない、どうしたことか。また、病弱なお子なのか」
城内に困惑の声が広まった。
「まずは成功ですな。今のところ、誰にも漏れていません」
「産婆が誰にも言わなければ漏れることはない。口止めはしているが念のためだ、奥に暫く留め置くことも当初の手筈通りが良かろう」
「はい。まあ、いずれにしろ信頼のおける産婆ですので心配は無用です」
長久と六郎左衛門が顔を突き合わせて声を潜めている。
「ところで最上の動きはどうだ」
「馬と鷹はおおよそ整えたようです。その他刀や槍なども大量に用意しています。白鳥よりも信長への贈り物を豪華にするつもりでしょう。出発も間近ではないかと思われる様子とのこと」
「なるほど。本気で出羽守の地位を狙っているな」
「それと、これらとは別に何やら贈り物らしきものを用意しているとのこと」
「ほう」
数日後、氏家守棟が谷地城を訪れた。
「この度は布姫様に御子が誕生されたということで、まことに御めでとうございます」
長久と布姫が応対している。
「これはかたじけない。わざわざ足を運んでもらって恐縮だ」
「義光公にとっては御孫様、いち早く祝意を伝えることがなにより」
「しかも、多大な贈り物までいただいて、重ね重ね礼を申す」
「ほんの心ばかりのもの。どうぞ最上の気持ちとして受け止められお納めください」
「しかしながら耳が早い。まだ、この谷地城内でも皆には知らせていないのに最上まで伝わったのが不思議だ」
「まあ、噂の伝わるのは弓矢よりも早いと申します。良い知らせなのですから早く伝わるのは喜ぶべきことではないですか、ははは」
守棟が胸を張りながら満面に笑みを浮かべた。
「確かに良い知らせではあるから早く伝わることに越したことはないが、どうせ伝わるのなら正確に伝わって欲しかったな」
守棟が真顔になった。
「正確とは」
長久が布姫に顔を向けた。布姫がにこやかに微笑んだ。
「先ほど見せてもらったら頂いたのは陣羽織に刀や鯉のぼりなど、まるで男子への贈り物ばかり。もしかしたら男子が生まれたと伝わってしまったのかと心配しております」
「男子ではないのですか」
「姫なのよ、それがねぇ」
「しかし、その・・」
守棟が言葉に詰まった。布姫がその様子をじっと見た。
「お腹の子があまりに元気よく動き回るので男子だと思っていて、ついそのつもりでいたのよ。ですから周りにもそう言ってしまったの。これは男子だ。男子に違いないとね。でも、誕生したのは姫だった訳」
長久が布姫をみた。
「なるほど。布の思い込みが噂で伝わってしまったようだな」
「ほんに、不思議ですねぇ」
長久が守棟に視線を移した。
「守棟、案ずる事はない。最上には非はない。噂が悪かっただけだ、噂が」
守棟が拳を握りしめた。
襖が開いて六郎左衛門が入ってきた。
「殿、御取り込み中失礼します。先ほど清光と国口が戻りました」
守棟が驚いたように六郎左衛門を見た。長久がポンと右手で膝を叩いた。
「おう、戻ったか。信長公よりの書状は受け取ったのか」
「はい。しかし、この場では何ですから、守棟殿がお帰りになられてからに致しますか」
「構わぬ」
長久が守棟を見た。
「守棟、折角だから其方も知るが良かろう。この結果は御義父上もご関心があろう」
六郎左衛門がすました顔で頷いた。
「左様ですか。では。こちらへお持ちしております」
六郎左衛門が書状を差し出し長久が受け取った。その様子を守棟が食い入るように見ている。
「もしかして最上に伝わった噂では、白鳥が信長公に鷹を献上するのはこの春となるということだったかもしれないが、既に昨年雪が降る直前に鷹を持たせて使者を送った。その使者二人が今帰ってきた訳だ」
布姫が長久を見た。
「あら、殿は私にはこの春に使者を送るって仰っていらしたわよ。だから、私は周りのものにはそう言っていたの」
「そうだったな。それはすまないことをした、許せ。わしもころころと気が変わるところがある。善は急げと直ぐに使者を送ったが布に言うのを忘れていた。とにかく信長公からの書状を見てみよう」
「良い知らせだったら許してあげるわよ」
長久がじっくりと書状に目を通した。
「おう、喜べ。これを見よ」
長久が書状を広げて突き出した。
「出羽守白鳥十郎長久殿と書いてある」
守棟がブルブルと肩を震わせて顔面蒼白になった。
天正六年(一五七八年)のことである。
その後、天正十年(一五八二年)に信長が明智光秀に本能寺で討たれる。この二年後の天正十二年(一五八四年)に長久が義光に霞ヶ城に呼び出されて暗殺される。
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