紅花の煙

戸沢一平

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第八話

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 夕刻、七右衛門は湊の島津屋の詰所に居た。その横顔を窓から差し込む夕陽が照らしている。風向きが変わったのだろう、開けっぱなしの入り口から僅かな潮の香りが入ってきた。同時に浅吉が勢いよく飛び込んできた。

「今日行われた他産の競の話を聞いてきあした。いやあ、凄い。何処でも軒並み高値で取引されています」
「そんなに高騰しているのか・・」
「ええ、安いものでも二十五両は行っています。奥州産は三十五両も下らないそうです。無理もありませんや、あんな派手に燃えるのを見せつけられたのだ、今季は品薄になるという読みでしょう。噂が広まるのは早い、明日はもっと高値がつくかも知れませんぜ」

 七右衛門は明日、再度競を行うことにしていた。それはすでに浅吉が手配を終えていた。

「そうか・・」

 七右衛門の気持ちが沈んでいた。

 あの問屋の食い入る様に見つめる視線が脳裏に焼き付いていたのだ。自分と繁太郎の喧嘩に巻き込まれた悲痛な叫びが聞こえるようだ。高く売れれば繁太郎には一泡吹かせたことにはなるが、他の問屋やその後ろにいる紅屋からは不当な金を受け取ることになる。それでは嬉しさよりも後ろめたさが先に立つだろう。真っ当な心を持つ商人であれば耐えられないことだ。

「浅さん、ちょいと出かけてくる」

 七右衛門が湊を後にした。

 後悔はしたものの、今更三十両で売るとは言えない。しかも、この煽りを受けて今季の花の相場が高騰している。自ら始めたことながら、既にその手を離れて相場が勝手に動いていた。もう自分ではどうすることも出来ないもどかしさが心を支配していた。

 七右衛門は日本橋の柿川屋の前に立っていた。

 暖簾をくぐり店に入ると使用人に用件を告げた。繁太郎が奥から出てきた。七右衛門を見ると睨みつけた。

「何の用だ」
「今日燃やしたのは花では無い。鉋屑だ。其方が言った通り、あれはハッタリだった。それを言いに来た」
「やはりな。明日競を行うと聞いたとき、そんな事だろうとは思ったぜ」

 七右衛門がクルリと背を向けて店を出ようとすると、繁太郎が止めた。
「待て、何故それを言いに来た」

 七右衛門が振り返った。
「明日の競は、ハッタリ無しで行おうと思って。商売に、変な意地を持ち込むのは止めようと思ったのさ」
「そうかい。組合の皆には伝えておくが、行くか行かないは勝手だ。俺は行かないけどな」

 繁太郎の表情は穏やかになっていた。七右衛門は気が楽になった。もう、結果はどうでも良かった。

 翌日、予定の時刻になった。

 競の場所には多くの問屋だけでなく紅屋も来ていた。その数およそ三百人、通常の三倍以上になっている。誰もが積まれた荷を見ながら小声で隣の者と話し、周囲の様子も探っている。極度に張り詰めた異様な空気が場を支配していた。

 七右衛門が荷の側に立った。

「昨日燃やしたのは鉋屑だった。花は十分にある。焦らないで買ってくれ。今季は始まったばかりで、まだ買い付けは相当できるから、無くなったら注文受けもする」

 一つ目の荷を解き、紅餅を二、三個取り出した。それを掲げて皆に見せた。
「まずこの荷だ、よく見てくれ、正真正銘の出羽最上の花だ。三十両から始める」

 鮮やかな赤に皆の視線が集中し、途端に次々と声が掛かった。

「三十二」
「三十五」
「三十七」
「四十」

 地を這うような響めきが起こった。予想しなかった展開は七右衛門を慌てさせた。気持ちが動転して、思わず叫んだ。

「待ってくれ、花は十分にある、焦ることはない。皆、落ち着いてくれ」

 しかし、誰もそれを聞いている様子はない。

「四十二」
「四十五」
「四十七」

 七右衛門は茫然として会場に響くそれらのかけ声を聞いていた。誰もが真剣な眼差しを自分に向けている。これでは、もう自分にはどうすることも出来ないと思った。血の気が引いていき、頭が真っ白になった。

 値は七十まで上がっている。

「聖さん、気にするな。ここは成り行きに任せな」

 気づくと千代鶴が目の前にいた。

「初競で、しかも最初の荷だ。ご祝儀の意味もある。いくら高くてもいいだろうぜ、ってぇ事で、俺も参加させてもらうよ。では、思い切って、百」

 どっと大きな声が上がった。

 驚きや困惑だけでなく、納得、更には笑いも含まれていた。ざわざわした余韻が残り、場が少しの間緊張から解放された。七右衛門も我に帰った。

「百だ、他はないな、よし売った。次」

 二つ目、三つ目と次々に高値で競り落とされて行った。
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