播磨守江戸人情小噺 お家存続の悲願

戸沢一平

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第十三話

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 たえは、朝から仏壇の前に座り、ひたすら手を合わせながら祈り、そして頼方を待っていた。昨晩は一睡もできず、夜が明けても何もする気にもなれない。無論、食事も喉を通らなかった。

 過剰な期待をすべきではない、そう自分に言い聞かせていても、気付けば、頼方の口から発せられる最初の一言がお家存続を認める知らせであって欲しいとの願いで、胸が一杯になっていた。

 お家の存続さえ叶えられれば、あとは何も望まなかった。いや、そうではない。その後のことが何も考えられなかった。ひたすら、頼方が吉報を持って来てくれることを願っていたのだ。

 廊下を小走りで近付いてくる足音がした。

「奥方様、お役人様がお見えです」

 たえの緊張感が高まった。心臓は張り裂けるかと想うほどにバクバクと脈打っている。

 襖が開いて頼方が入って来た。

 たえは期待を込めて見上げた。
「いかがでしたか・・」

 頼方が穏やかな表情で頷いた。
「喜べ、柴田家存続が認められた」

 たえの体は歓喜の衝撃で震えた。

 何度も諦めかけた悲願が叶ったのだ。これは夢ではないのだ、いや、夢であったら醒めないで欲しい。ここに至るまでのさまざまな情景が頭を過り、万感の思いが全身に満ちてきた。

 たえは体を震わせながら両手をついて頭を下げた。

「ありがとう御座います・・ありがとう御座います・・」

 頼方がゆっくりと腰を下ろした。

 暫くすると、下男がお茶を持って来た。頼方はそれを口にした。

「正式には、明日にでも勘定奉行から知らせが来るだろう。まあ、初めて聞くふりをして欲しい。俺があまりに表に出過ぎて、川路の顔を潰すことになってもまずい」
「はい、心得ました」

 たえは、やや落ち着きを取り戻していた。同時に、今後のことも頭を過るようになった。

 柴田家のことは目処がついた。では、自分はどうするか。頼方が取引の条件を満たしたからには、自分もそれに応じる必要があるだろう。つまり、正直に奥田を殺した事を認めることだ。

 そのことにより、お縄になり沙汰を受ける。

 それは致し方ないが、事の一部始終を全て話すことで奥田との間に何があったかも公にすることになる。それは、女としては耐えがたい苦痛だ。口に出すことさえ恥ずかしい事が世間に知れわたり、生き恥をさらすことなど到底できない。

 一方で、昨日にも増して頼方への信頼の気持ちが更に大きくなっていた。もう、今後の身の振り方を全て頼方に委ねても良いのでは、という気持ちも芽生えていた。

「お奉行様、それで、今後の事ですが・・」

 頼方がグイッと茶を飲み干した。
「ああ、約束だからな、正直に申し出て欲しい。奥田を殺したならばだが」

 たえが両手をついて頭を下げた。
「お察しの通り、私が、奥田様を殺しました」

 頼方が頷いた。

「やはりそうか。それでは、明日にでも、勘定奉行からお家存続の知らせがあってからで構わないから、奉行所に来て奥田を殺したと申し出て欲しい。自ら罪を認め深く反省しているともなれば、情状を酌量することも出来ることとなる」

 たえが顔をあげた。
「奉行所では、私は、何を話せば良いのでしょうか」

「殺しを認めれば、それで良い」
「それだけで良いのですか」
「ああ、良い。殺しに到る事情は全て調べが付いている」

 たえが顔を赤らめて下を向いた。それを見て、頼方が横を向いた。

「調べは付いていたのだが、唯一、そなたが確実に奥田を殺した、という確かなものが無かっただけだ。それを自白してもらえば、全て完結する」

「そうですか・・」

 たえが力なく肩を落とした。やはり、奥田との間に何があったかは奉行所の知るところなのだ。確かに、状況からすれば誰であれ容易に想像が付く。いずれこの恥は世間に晒す事になるだろう。

 幸福感に包まれていたたえの心が急速に萎んでいった。

 頼方がたえに視線を移し、様子を伺うように見詰めた。
「まあ、そう心配するな。沙汰を下すのは俺だ。悪いようにはしない。事情が事情だ。誰であれそなたに同情する。あれでは致し方なかった」

 たえが顔をあげた。自分への同情に、少しだが救われた気がした。
「お奉行様も、そう思いになりますか・・」

 頼方が頷いた。
「当然だ。部下からのお家存続の願いを受けておきながら、それをほったらかしにしていただけでなく、弱みにつけ込み、話を上にあげて欲しければ金をよこせと、一年もの間金をせしめていた。武士の風上にもおけない不届き者だ。殺されて当然、誰も同情などしない」

 たえにとって予想もしない言葉だった。

 つまり、自分が奥田を殺した理由は、お家存続の願いの引き換えに金を要求され続けていたから、と奉行所が見ているのか。まさか、そのような理由になっていようとは。金の要求など、どう考えても有り得ないではないか。

 たえは呆然として頼方を見た。
「それでは・・」

 頼方が微笑みながら頷いた。
「ああ、そういう訳だ。そなたが奥田を殺すに至った事情は、このように既に明らかになっている。殺しを認めれば、後は何も言うことなどない」

 たえは悟った。何も言うなという言葉が全てを語っていた。そこまでして、自分の女としての尊厳を守ってくれる男がいるのだ。

 たえの胸に、ぐっと込み上げるものがあった。

「そなたも、お家存続のためとはいえ、その理不尽な扱いによく耐えたと思う。さぞや、辛かったであろう」

 たえの目から大粒の涙がこぼれた。
「お奉行様・・」

 頼方がスッと立ち上がった。
「明日、奉行所で待っているからな」

「・・あ、ありがとう・・ござい・・ウウウ・・」

 言葉にならない声を発しながら、たえが肩を震わせて泣き崩れた。

 頼方は、柴田家を後にすると、お真美の茶屋に向かった。

 道すがら、どのような裁断を下すべきかを思った。
 同情の念が強いとはいえ、流石に無罪放免とはいかない。せいぜい、謹慎のうえ磯野家お預かりくらいか。それが妥当だ。
 おそらく、大甘と非難されるだろうが、一向に構わない。

 たえの嗚咽が、いつまでも頼方の耳に残っていた。

「何よ、それ、大甘ねぇ」
 頼方が経緯を説明すると、開口一番、お真美が呆れたというように首を振った。

「全く、男は美人に弱いから。大甘もいいところね」
 不機嫌そうに徳利を突き出した。

「いや、美人ではあるが、その、別に俺の好みとかではないし・・」
 頼方が酒を注がれながら、上目遣いにお真美を見た。

 お真美が頼方を睨んだ。
「美人だけど好みではないって。それ、どういう意味なの、えぇ」

 頼方がソワソワと腰を浮かした。
「あ、だからさぁ、俺は、お前が贔屓で、いつも此処に来ているのだ。な、それで、酒を飲んで、金を使ってだな・・」

 お真美が首を振った。
「いいわ、もう、そんな言い訳にもなっていない言い訳は。あのね、あたいだって、そのおたえさんには同情するわよ。殺されて当然のろくでもない男に無理やり手篭めにされて、それが一年も続いたのでしょ、その上に・・」

 頼方が右手を出した。
「一応、公式には、金品を要求され続けた、ということになる」

「公式とか、どうでも良いわ、そんなこと。何よ、それ」
「はい、すみません・・」

 お真美が手酌で酒を飲んだ。

「あぁ、何か、もう少し、楽しい話はないの」
「楽しいというと」
「歌舞伎の話とか、芝居の話とかよ」

 頼方がポンと膝を叩いた。

「ああ、そういえば、團十郎の襲名披露がそろそろあるかも知れない」

 お真美の笑顔が弾けた。

「うわぁ、素敵、絶対に行くわ」

 何処かで猫が鳴いている。
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