播磨守江戸人情小噺 お家存続の悲願

戸沢一平

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第五話

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「そりゃあ、そんなに良い女なら、好きものの男は手を出すわよ。酒好きが、良い酒が目の前にあったら我慢出来ないのと同じ」

「その例えは、いまひとつだが・・」

「しかも、先方から近づいて来てくれたのよ。労せずして得た美酒っていうところね」

 頼方が茶屋でお真美と酒を飲んでいた。

 川路と別れて奉行所に戻る途中に、ふと思い立ってここに寄った。ここまでの経緯から、お真美の見立てを聞いてみようと思ったのだ。

 お真美は素人ではあるが感が鋭く、なるほど、と気づかされることが少なくない。

 お真美は上方の出だ。裕福な商家に生まれ、何不自由なく自由奔放に育ち、やがて上方歌舞伎に魅せられる。気に入った役者の贔屓筋となるほど熱をいれるが、ある時、江戸歌舞伎も見てみようと思い立ち江戸に出る。

 そこでお真美は、あっさりと江戸歌舞伎に心を奪われてしまう。

 上方の和事に江戸の荒事といわれるように、歌舞伎においてはそれぞれに明確な特徴がある。色男が優美で柔らかに写実に近い演技をする上方に対し、江戸は形式美を重視した勇壮な動きがある演出が人気を集めていた。
 本来の激しい気性に合致したのは江戸であった、という事で、お真美はそのまま江戸に居ついてしまう。この茶屋で客相手をしながら、暇を見つけては歌舞伎に出かけている。

 頼方は、結局、酒を飲んで腰を落ち着けることとなった。

 たえが奥田にお家存続の願いをあげたのなら、奥田はたえを放ってはおかないだろう、というのがお真美の見立てだ。そこは頼方も、奥田の性癖を考えるとうなずけるところはあった。相手の弱みにつけ込むことぐらいやりかねない男のようだ、という思いを持つようになっていた。

「女としても、頼み事をしているからには断れなかったのね、多分」
「そうはいっても、好きでもない男に抱かれるのは辛いな」
「我慢できるほどの男だった、っていうところかな。あたし達だって、金払ってくれるなら、よほど嫌な奴でない限り愛想ふりまくわよ」

「それは商売だからだろう」
「相手がやってくれる事と、こっちがやっても良い事がどうか、という点では皆一緒。男と女ということでもね」

 お真美が頼方から聞く事件について、その背景や関係する者の心理を考えるとき、拠り所となるのは、常に歌舞伎の演目における男と女の心情だ。そういう意味では、上方歌舞伎が彼女の心には染み込んでいた。

 創作とはいえ、人の心に響く物語における男女の心の動きは、実際に揉め事を起こす人の心裡とも密接に繋がるものがあるのだろう。事実、お真美の見立ては結構当たっていた。つい、頼方も頼りにするほどだ。

 お真美が銚子を持って頼方に酒を注いだ。頼方が酒を口にしながら軽く頷いた。
「なるほど。お家存続が叶うならば、我慢も出来たのか。しかし、結局、相手は何もやってくれなかった」
「許せないわね。最低な奴。殺されて当然よ、ざまあ見ろだわ」

 お真美が頼方を睨みつけた。頼方は視線を下げながら酒を口にした。
「まあ、そうと決まった訳ではないが・・」

 無論、この段階では、頼方とお真美の単なる憶測に過ぎない。事実として認識できるのは、たえが奥田にお家存続を願い出たことと、奥田がその話を自身だけで留めおいていた、ということだけだ。だが、推理とはいえ、二人ともかなり現実味を帯びているという思いはしている。

「ねえ、そういえば、大騒ぎしている黒船ってそんなに凄いものなの」
 お真美が手酌で酒を注ぎ、グイッと飲み干した。

「そりゃあ、鉄で出来た船だ。しかも、大砲を積んでいる。今の幕府を持ってしては、いや、どの藩でも太刀打ちはできないだろう」
「何よその情けない言い草は、まったく。江戸には侍がいっぱいいるでしょうが、今度来たらさっさとやっつけてしまいなさい」

「だから、別にこっちに戦を仕掛けている訳じゃなくて、何だ、その、交渉のために威嚇しているというか、つまり、脅しだな」
「脅しなら立派な戦よ。それを、黙って指をくわえて見ている武士が情けないわ。いつもは威張っているくせに、何のために二本差しているのよ」

 頼方がうつむき気味に手酌で酒を注いだ。

「今度来たら・・、まあ、それなりに対応が決まっている、かも知れない・・」

 お真美も手酌で一気に飲み、ジロリと頼方を睨んだ。

「まさか、相手の言い分を聞く、なんていう、情けない対応じゃないでしょね」

 頼方が上目遣いに、お真美をチラリと見た。
「別に、俺が決めるのじゃ無いから・・」

 何処かで猫が鳴いている。
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