播磨守江戸人情小噺(二) 小間物屋裁断

戸沢一平

文字の大きさ
上 下
3 / 15

第三話

しおりを挟む
「とまあ、そういう状況であります」

 そう言いながら神宮が肩を落とした。

 奉行所の詮議の間で、神宮は奉行の頼方らに調べて来た結果を報告していた。

 筆頭与力の成瀬が顔をあげた。
「おい、あるる」

 「あるる」とは神宮のことである。神宮は相槌を打つときに「ある、ある」と言うのが口癖だが、早口なので「あるる」と聞こえるため皆がそう呼んでいる。

「お前は昨日、市蔵は大きな声で脅し賺し、更にはしつこく付きまとうという男で、この取り立て方が恨みを買ったのでしょう、そう言わなかったか」

「はい、言いました」

 成瀬がジロリと神宮を見た。
「つまりは、その見立てが違っていた、ということか」

 神宮が薄くなった頭に手を当てて苦笑いをした。
「まあ、その、結局の所、そういうことかなと・・」

 成瀬が不機嫌そうにチッと舌打ちしながら視線を将棋盤に落とした。

「いつも口を酸っぱくして言っているだろう。予断をもって事に当たるなと。良いか、何事も地道に調べろ。本筋が見えてくるまでは、勝手な想像で決めてかからないことだ。まあ、この状況だからといって、取り立ての恨みという線も全く無くなった訳では無い。それはそれとして・・」

「それはそれとして」

 成瀬の言葉を遮るように頼方が顔を上げてボソッと呟いた。成瀬が将棋盤を挟んで対面に座る頼方を見て頷いた。

「何でしょう」
「待ったで頼むよ、成瀬さん」

 頼方がニヤリとするのを見て、成瀬は肩の力が抜けた。

「何を言うかと思えば・・」
「今日はまだ一回目だろう、な、良いだろう」

 成瀬がゴホンと咳払いをした。

「奉行、何回目だから良いとか悪いではありません」
「あ、そうか、二回でも三回でも良い場合もあるか」
「いや、そういうことではなくて、たかが将棋です。命まで取られる訳じゃあるまいし、みっともない事はおやめ下さいということです」

「そうは行かない」
「どういうことですか」
「お真美には、俺とあんたの将棋の腕前は五分五分だと言っている。だから、負け続ける訳には行かない」

 お真美とは、頼方が贔屓にしている茶屋の女である。毎日のように通い、一夜を共にしている。

 成瀬が呆れたと言わんばかりに首を振った。

「はい、はい、そうですか。全く、何を言うかと思えば・・」

 成瀬は頼方が最も信頼する与力だ。容疑者の取調べを行う吟味力として部下に対する指導は厳しく、それだけ細かいところまで気が利く。そして何についても筋を通す厳格さを持っている。
 一方で、頭が硬いだけでなく場の空気を和ませる洒落っ気などもあり、部下からも慕われていた。

「その代わり、一つ約束していただきます」
「何だい」
「朝、お真美に奉行所まで送ってもらうような真似は、こんりんざいやめてもらいます」
「あっ、気づいていたのか」

 頼方が恥ずかしそうに笑いながらペロッと舌を出した。

 頼方の名を一躍世に知らしめたのが、博徒にして侠客の国定忠治くにさだちゅうじへの裁きである。

 忠治は人殺しや関所破りを繰り返す極悪人であったが、情に熱く、権力に抗う象徴として民衆に慕われ、多くの子分も抱えていた。

 その忠治が捕らえられた時、幕府は忠治をどうするのだと世間の注目が集まった。そして、道中奉行として忠治を取調べて、はりつけの刑に処したのが頼方であった。

 頼方は、その二年後に遠山の金さんこと遠山景元の後を継いで南町奉行となった。

「わかったよ、お真美には良く言っておく。では、お言葉に甘えて」

 頼方がサッと駒を動かした。
「はい、王手」

 成瀬の顔色が変わり、目が将棋盤に釘付けになった。
「ええっ?」

「ははは、勝たせてもらった、ははは」
 頼方が上体を起こして、どうだと言わんばかりに満足そうに周囲を見回した。
「成瀬名人に勝つってぇのは、気分が良いものだな、ははは」

 成瀬が腕を組んで首を捻った。
「おかしいなぁ、あんな所に奉行の飛車があったかな・・」

 その成瀬の視線を遮るように頼方が両手で将棋盤を覆い、更に駒をかき混ぜた。
「勝負は時の運、勝つ時もありゃあ、負ける時もある。そうそう、それと」

 頼方が神宮に顔を向けた。
「おい、あるる、その市蔵とやらの仕事以外の知り合いを当たることだな。遊びの仲間だ。どうせ、しょせん小悪党。飲む、打つ、買う、という約束事ぐらいはやっているはず。仕切り直しとなれば、まずはその辺からだろう。なあ、そうだろう、成瀬さん」

 成瀬が不審そうな目付きで頼方を見ながら頷いた。

 なお、余談ながら、頼方は南町奉行を五年後に辞めるものの、一年後には再度南町奉行として返り咲き三年間勤め、更にその三年後には北町奉行となる。
 三度も町奉行を歴任したのは長い江戸幕府の歴史の中で頼方だけである。

 この日も、頼方はお真美の茶屋に向かった。

 店は酒と料理を売りにしているが、女も数名抱えて客の相手をさせている。お真美もそのうちの一人だ。

 お真美は、見た目は清楚で若作りの化粧が似合う女だが、酒がめっぽう強く酔うほどに男勝りの性格が表に出てくる。客の男たちが敬遠するなか、頼方だけは気に入っていた。

 毒舌だが勘が鋭く感心させられることが度々で、何より、奉行の自分に遠慮無く意見してくれる真っ直ぐさが心地良かった。

「へえー、珍しく勝ったの」
「俺だってそこそこの腕だからな」

 お真美が徳利を差し出した。注がれた酒を頼方が旨そうに飲み干す。

「まあ、誰でも上司には気を使うでしょうからね」
「そんなことはない。筆頭与力は誰に対しても手加減などしないよ」
「なるほどね、奥方にも手加減しないから、あんなに子沢山なのか」

「いや、まあ・・、それは又別の話だろう」

 成瀬には五人の子がいる。更に、また奥方が身篭っているらしい。

「でも、今月はかなり負け越しているわよ。これでは、どう贔屓目に見ても五分五分とは言えないわね」
「最近調子が悪かったからな。でも、今日は完勝だった。見事な詰め方を見せてやりたかったほどだよ、うん」

「ふーん、まさか、待ったとかはしなかったでしょうね」

 お真美が手酌で酒を飲みながら、覗くような目で頼方を見た。

「ああ・・、もちろん、そんなみっともないことはしない」

 頼方が視線をそらす。

 何処かで猫が鳴いている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

聞こえる

戸沢一平
歴史・時代
 葉山藩庶務役平士の鹿山猪四郎は、貧弱な体で容姿もさえないことから劣等感に苛まれていた。  ある日、猪四郎は馬に頭を蹴られたことをきっかけに、馬の言葉がわかるようになる。にわかに信じられないことだが、そのことで、間一髪、裏山の崩壊から厩の馬達を救うことになる。  更に、猪四郎に不思議なことが起こっているのがわかった。人が心に思ったことも聞こえるようになったのだ。この能力により、猪四郎は、次第に周囲から出来る者として認められていく。  自分は特別な存在になったとばかり、貪欲になった猪四郎は名を上げようと必死になっていく。

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~

黒井丸
歴史・時代
~本作は『大友興廃記』という実在の軍記をもとに、書かれた内容をパズルのように史実に組みこんで作者の一生を創作した時代小説です~  武士の親族として伊勢 津藩に仕える杉谷宗重は武士の至上目的である『家名を残す』ために悩んでいた。  大名と違い、身分の不安定な下級武士ではいつ家が消えてもおかしくない。  そのため『平家物語』などの軍記を書く事で家の由緒を残そうとするがうまくいかない。  方と呼ばれる王道を書けば民衆は喜ぶが、虚飾で得た名声は却って名を汚す事になるだろう。  しかし、正しい事を書いても見向きもされない。  そこで、彼の旧主で豊後佐伯の領主だった佐伯權之助は一計を思いつく。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

伝説の刀鍛冶が包丁を打った理由

武藤勇城
歴史・時代
戦国時代。 それは、多くの大名が日本各地で名乗りを上げ、一国一城の主となり、天下の覇権を握ろうと競い合った時代。 一介の素浪人が機に乗じ、また大名に見出され、下剋上を果たした例も多かった。 その各地の武将・大名を裏で支えた人々がいる。 鍛冶師である。 これは、戦国の世で名刀を打ち続けた一人の刀鍛冶の物語―――。 2022/5/1~5日 毎日20時更新 全5話 10000文字 小説にルビを付けると文字数が変わってしまうため、難読・特殊な読み方をするもの・固有名詞など以下一覧にしておきます。 煤 すす 兵 つわもの 有明 ありあけ 然し しかし 案山子 かかし 軈て やがて 厠 かわや 行燈 あんどん 朝餉 あさげ(あさごはん) 褌 ふんどし 為人 ひととなり 元服 (げんぷく)じゅうにさい

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

魔斬

夢酔藤山
歴史・時代
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。 その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。 坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。 幕末。 深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。 2023年オール讀物中間発表止まりの作品。その先の連作を含めて、いよいよ御開帳。

処理中です...