上 下
120 / 297
第三章 争奪戦

第31話 強くない

しおりを挟む
 石造りの床に椅子の脚を擦らせて座り直し、テーブルに身体を近づける。

 静かだった。


 陶器の食器に添えられたスプーンを、手に取る音まで部屋に響いた。
 おずおずと、スープの深鉢にスプーンを差し入れたサリオンは、湯気の立つ汁を数種の豆やキャベツとともに口に運び、噛み締める。

 豆と野菜の甘みと旨味が口中に広がった。
 呑み込むと、空っぽだった胃が温まり、指の震えも収まった。


 代わりに溢れた涙が膝の上で雫になる。

 後から後から貫頭衣の裾に涙が落ちて、雨垂れのような音を立てていた。


 昨夜、アルベルトは公娼の下男の粗末な食事に驚いて、自分が残した大量の料理を下男に平等に分け与えた。そして、きっと後から気づいた。
 今夜のように来られない日は、どうするのか。

 来館した夜、饗宴用に用意させた料理を下男にふるまうだけでは無意味だと。


 それでは通りすがりの人間が、気分次第で野良犬に餌をやるようなものだと思い直したに違いない。
 自分が来館するしないに関わらず、公娼の下男達を飢えさせない手立てを考えた。
 
 それがこの温かなスープであり、柔らかなパンだった。


 サリオンは洟をすすり上げた。
 こぼれる涙の粒を手の甲で拭い、深呼吸をひとつした。

 ほっと、ひと息ついてから、改めてスープを呑み始める。スープ皿と口許を往復するスプーンを持つ手が止まらない。食べ物を口にして、唐突に空腹を実感した。

 
 こんなにも腹が減っていた。とてつもなく飢えていた。

 あっという間にスープ皿を空にした。
 普段はこんなに食べないせいか、スープだけでもう満腹に近かった。


 それでも焦げ目のついた豚肉の串焼きを目にした途端、唾液が染み出し、喉が鳴る。
 今日も一日、館の中を駆け回り、くたくたに疲れていた。
 身体が肉を欲していた。

 一口大に切られた肉片を手で掴み、頬張った。


 今夜の盆には手洗い用の水鉢と、指を拭く布も揃っている。
 肉を咀嚼しながら水鉢で指を洗い、布を取る。

 香草で臭みを消された豚肉の滋味と、脂のコクに食欲を刺激され、続いて茹で海老に目が行った。

 すると、また胸に熱いものが突き上げ、涙で視界に紗がかかる。


 アルベルトは、こんなにも考えてくれている。

 いつも、いつも、もっと他に出来ることはないのかと、自分で自分を駆り立てるようにして考えてくれている。


 サリオンは咀嚼した肉を呑み込むと、顔を伏せ、貫頭衣の膝の辺りを握り込む。
 涙がぽたぽたと滴った。
 一方的に拒むばかりで、何ひとつアルベルトには応えていない。
 返すどころか傷つけてばかりいるだけだ。


 それなのに、という言葉の後に続く言葉を探せない。

 サリオンは握った拳を震わせながら嗚咽した。


 こんなにも無垢な愛情を突っぱねることができるほど、自分はそんなに強くない。
 サリオンは額に手を当て、頭をゆるく左右に振る。
 こんなにもろく、弱い自分を責める声が聞こえたような気がしたからだ。


 それは、心の中の二人の自分がせめぎ合い、反目し合う声だった。

 アルベルトの温情に、こうもあっさりほだされる、自分を叱責しかける大人の自分に、そんなに強くなれないと、叫ぶように言い返す。

 駄々をこねる聞き分けのない幼児のようだと思っても、昨夜のようには大人になれない。

 どうしても。


 やがて涙も尽きた頃、サリオンは茫然として頭を上げた。

 腫れた目蓋が重かった。
 頭の中が朦朧として何も思考が紡げない。
 それでも嗚咽と涙がおさまると、薄暗い部屋に神聖な静寂が戻ってきた。


 我に返ったサリオンは、テーブルの隅に置かれた振り子時計を思わず見た。
 気づいた時には、レナの部屋までイアコブを迎えに行き、退室と料金の支払いを促す時間が迫っていた。

 サリオンは慌てて茹で海老を口の中に放り込み、白いパンにも手を伸ばす。
 運ばれた時は温かかった夕食は、すっかり冷えてしまっていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の番が変態で狂愛過ぎる

moca
BL
御曹司鬼畜ドS‪なα × 容姿平凡なツンデレ無意識ドMΩの鬼畜狂愛甘々調教オメガバースストーリー!! ほぼエロです!!気をつけてください!! ※鬼畜・お漏らし・SM・首絞め・緊縛・拘束・寸止め・尿道責め・あなる責め・玩具・浣腸・スカ表現…等有かも!! ※オメガバース作品です!苦手な方ご注意下さい⚠️ 初執筆なので、誤字脱字が多々だったり、色々話がおかしかったりと変かもしれません(><)温かい目で見守ってください◀

R18禁BLゲームの主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成りました⁉

あおい夜
BL
昨日、自分の部屋で眠ったあと目を覚ましたらR18禁BLゲーム“極道は、非情で温かく”の主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成っていた! 弟は兄に溺愛されている為、嫉妬の対象に成るはずが?

僕は性奴隷だけど、御主人様が好き

泡沫の泡
BL
鬼畜ヤンデレ美青年×奴隷色黒美少年。 BL×ファンタジー。 鬼畜、SM表現等のエロスあり。 奴隷として引き取られた少年は、宰相のひとり息子である美青年、ノアにペットとして飼われることとなった。 ひょんなことからノアを愛してしまう少年。 どんな辱めを受けても健気に尽くす少年は、ノアの心を開くことができるのか……

学級委員長だったのにクラスのおまんこ係にされて人権がなくなりました

ごみでこくん
BL
クラスに一人おまんこ係を置くことが法律で義務化された世界線。真面目でプライドの高い学級委員長の高瀬くんが転校生の丹羽くんによっておまんこ係堕ちさせられてエッチな目に遭う主人公総受けラブコメディです。(愛はめちゃくちゃある) ※主人公総受け ※常識改変 ※♡喘ぎ、隠語、下品 ※なんでも許せる方向け pixivにて連載中。順次こちらに転載します。 pixivでは全11話(40万文字over)公開中。 表紙ロゴ:おいもさんよりいただきました。

βの僕、激強αのせいでΩにされた話

ずー子
BL
オメガバース。BL。主人公君はβ→Ω。 αに言い寄られるがβなので相手にせず、Ωの優等生に片想いをしている。それがαにバレて色々あってΩになっちゃう話です。 β(Ω)視点→α視点。アレな感じですが、ちゃんとラブラブエッチです。 他の小説サイトにも登録してます。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

あなたの運命の番になれますか?

あんにん
BL
愛されずに育ったΩの男の子が溺愛されるお話

消防士の義兄との秘密

熊次郎
BL
翔は5歳年上の義兄の大輔と急接近する。憧れの気持ちが欲望に塗れていく。たくらみが膨れ上がる。

処理中です...