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第二章 死がふたりを分かつとも
第54話 ミハエルの勝算
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サリオンは、ミハエルに親の話は聞かなかった。
物心ついた頃から、娼館で掃除や洗濯、水汲みなどをしていた自分も、親の記憶は何もない。
レナもそうだ。
帝国の近隣国では、最下層身分のオメガであっても奴隷ではなく、自由身分の者もいる。
しかし、貧しさの余り、自分の子供を奴隷商人に売る親もいる。
他国に侵略され、戦災孤児になった子供をかどわかし、奴隷商人に売る者もいる。
公娼などに売られてきたオメガの奴隷に思い出話を聞いたところで、互いに憂鬱になるだけだ。
食事の手を止め、ミハエルの話にじっと耳を傾けていると、ミハエルは我に返ったかのように視線をサリオンに戻して言う。
「今夜のことでは俺のせいで、お前にまで迷惑をかけて、すまなかった。どうしても今夜中に謝りたくてな。こんな夜更けに押しかけたりして悪かった」
「そんなこと……」
組んだ足を解いてから、ミハエルに律儀に謝られ、サリオンは目を剥いた。
「位の高い皆様方に、フラれた客を宥めるのが、廻しの私の仕事です。当然のことをしたまでです」
実を言えば、ダビデが売り物でもない『廻し』の自分を強姦しようとするなんて、予測の域を越えていた。
もちろん、ふいと部屋を出たきりで戻らない男娼を『早く呼んで来い』などと、ごねる客が全くいないわけではない。
上流階層に属するアルファや、富裕層のベータの自分が、オメガの男娼に『フラれた』現実を、見ようとしない幼稚な客を諭したり、今回のように別の男娼を宛がう手筈を整える。
それが自分の役職だ。
その分、他の奴隷の下男より厚遇されている。
「いや、今回は、それとこれとは話が違う。何しろ相手は、あの悪徳高いダビデなんだ。逃げた俺を探し出して、無理やりにでも部屋に帰せば、お前は火の粉を浴びずに済んだ。それなのに、お前はダビデをフッた俺の気持ちを、優先しようとしてくれたんだろ? だから俺を、ダビデの所に引き戻そうとはしなかった」
サリオンを見つめるミハエルの双眸には、畏敬の念が浮かんでいた。
「感謝している。ありがとう」
「ミハエル様……」
「俺は今日、生まれて初めて他人から、俺という人間の意思を尊重された気がするよ」
ミハエルは眩しそうに目を瞬いて微笑んだ。愛くるしい栗色の瞳に灯火が点ったようになっていた。
「ですが、ミハエル様」
サリオンは食べかけの猪肉の塊にかぶりつく。
汚れる指を、その都度拭くのが面倒臭くなっていた。直に食べれば、最後に口回りを拭くだけで済む。
また、ミハエルには、位の高い男娼と下働きの下男という立場の違いを、必要以上に意識しなくてもいいのだと、肌で感じたからだった。
「確かに、ここでは寝所持ちと昼三の皆様方には、客をフる権利が保障された娼館です。ただし、相手はダビデ提督です。廻しの私はともかくとして、それ相応の報復が、ミハエル様に及ぶ恐れも予測できたはずです」
「もちろんそれは覚悟した。だけど、勝算がなかったわけじゃない」
物心ついた頃から、娼館で掃除や洗濯、水汲みなどをしていた自分も、親の記憶は何もない。
レナもそうだ。
帝国の近隣国では、最下層身分のオメガであっても奴隷ではなく、自由身分の者もいる。
しかし、貧しさの余り、自分の子供を奴隷商人に売る親もいる。
他国に侵略され、戦災孤児になった子供をかどわかし、奴隷商人に売る者もいる。
公娼などに売られてきたオメガの奴隷に思い出話を聞いたところで、互いに憂鬱になるだけだ。
食事の手を止め、ミハエルの話にじっと耳を傾けていると、ミハエルは我に返ったかのように視線をサリオンに戻して言う。
「今夜のことでは俺のせいで、お前にまで迷惑をかけて、すまなかった。どうしても今夜中に謝りたくてな。こんな夜更けに押しかけたりして悪かった」
「そんなこと……」
組んだ足を解いてから、ミハエルに律儀に謝られ、サリオンは目を剥いた。
「位の高い皆様方に、フラれた客を宥めるのが、廻しの私の仕事です。当然のことをしたまでです」
実を言えば、ダビデが売り物でもない『廻し』の自分を強姦しようとするなんて、予測の域を越えていた。
もちろん、ふいと部屋を出たきりで戻らない男娼を『早く呼んで来い』などと、ごねる客が全くいないわけではない。
上流階層に属するアルファや、富裕層のベータの自分が、オメガの男娼に『フラれた』現実を、見ようとしない幼稚な客を諭したり、今回のように別の男娼を宛がう手筈を整える。
それが自分の役職だ。
その分、他の奴隷の下男より厚遇されている。
「いや、今回は、それとこれとは話が違う。何しろ相手は、あの悪徳高いダビデなんだ。逃げた俺を探し出して、無理やりにでも部屋に帰せば、お前は火の粉を浴びずに済んだ。それなのに、お前はダビデをフッた俺の気持ちを、優先しようとしてくれたんだろ? だから俺を、ダビデの所に引き戻そうとはしなかった」
サリオンを見つめるミハエルの双眸には、畏敬の念が浮かんでいた。
「感謝している。ありがとう」
「ミハエル様……」
「俺は今日、生まれて初めて他人から、俺という人間の意思を尊重された気がするよ」
ミハエルは眩しそうに目を瞬いて微笑んだ。愛くるしい栗色の瞳に灯火が点ったようになっていた。
「ですが、ミハエル様」
サリオンは食べかけの猪肉の塊にかぶりつく。
汚れる指を、その都度拭くのが面倒臭くなっていた。直に食べれば、最後に口回りを拭くだけで済む。
また、ミハエルには、位の高い男娼と下働きの下男という立場の違いを、必要以上に意識しなくてもいいのだと、肌で感じたからだった。
「確かに、ここでは寝所持ちと昼三の皆様方には、客をフる権利が保障された娼館です。ただし、相手はダビデ提督です。廻しの私はともかくとして、それ相応の報復が、ミハエル様に及ぶ恐れも予測できたはずです」
「もちろんそれは覚悟した。だけど、勝算がなかったわけじゃない」
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