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第二章 死がふたりを分かつとも
第15話 変わり身
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「入ってもいいか?」
アルベルトは砕けた口調で、部屋の中のレナに言う。心なしか、つまらなそうな口振りだったが、アルベルトの声はよく通る。やや低く、心地よく耳に響く弦楽器のようでもある。
そして部屋へと、踏み入れかけている。
「はい、もちろんです。ですが、陛下……」
レナは飛ぶように駆けて来て、アルベルトの正面で立ち止まる。
「お食事はまだ、お済みではなかったはずです。前菜しか、お召し上がりになられていらっしゃらないのでは……?」
「特に腹は減っていない。それよりも」
語尾を濁したアルベルトがレナの腰に腕を回し、やや強引に歩き出す。
それがアルベルトからの返答だ。
腰を抱かれたレナは一瞬、ドア近くにいるサリオンを振り向いた。
酒宴も終えないうちから、レナの居室に移動したのは初めてだ。レナも戸惑っているらしい。
「陛下は今夜は、主菜以降のお食事は、お取り止めになりました。食欲は、さほどないとの仰せにございます」
サリオンは、アルベルト自身が宴席の取り止めを命じた旨を、レナに伝えた。
だから気にせず床入りしろと、目顔で返事をしてやった。
そして直後に目を伏せた。
レナの腰を抱いたまま、振り返りもしないアルベルトの広い背中が遠ざかる。
レナも困惑気味に眉を寄せてはいるものの、アルベルトから性急に求められた悦びと、少年らしい初々しいような恥じらいを、美しい顔ににじませる。
その残像が脳裏に焼きつき、ドアノブを回して部屋を出ても、胸苦しさが消えずにいた。
サリオンは複雑な面持ちで館の一階の厨房に戻り、アルベルトが注文していた主菜以降の料理は、全部無効になったと、料理長に通達した。
「それじゃあ、これはどうすりゃいいんだ。後はもう、皿に盛るだけだったのに」
炭火で焼いた猪肉や、燻製にした牛肉や豚肉、フォアグラのソテー、茹でた海老のキャビア添えなど、皇帝の宴席でしか供されることがないような、豪華な主菜の数々を、料理長は指し示す。
「それは全部、館の者で分けて食えばいいそうだ。代金は陛下が払って下さっているからな」
サリオンは眉尻を下げて失笑した。
途端にどよめきが湧き起こり、料理番も給仕の者も、諸手単を挙げて喜んだ。
公娼では宴席に出された料理が、たとえ手つかずで厨房に戻されても、残飯として破棄しなければならない規則だ。公娼で働く者達は、全員奴隷の身分だからだ。
料理番も下男達も、最上級から最下級の男娼も、それぞれの務めに応じた食事しか、館からは提供されない。
最下級の男娼は、最下級の男娼相応の粗食であり、廻しのサリオンのように個室も与えられない。
大部屋の床に藁を敷き、雑魚寝をしている下男の食事は、せいぜい硬くなったパン屑と、野菜がほんの少し浮いたスープだ。
家畜と何ら変わらない。
そんなに飢えをしのぎたければ、サリオンのように客から貰ったチップを貯蓄し、館の外の食堂へ行くなどすればいいのだが、なかなかチップも貰えない、下男や下級の男娼達がほとんどだ。
公娼の厨房で、接客のために作られた料理は、客の食べ残しでも決して食べてはならないと、きつく定められたのは、飢えた下層の者達の、盗み食いを未然に防ぐためだろう。
そうでなければ、厳格な階層ごとの戒律が、覆されてしまうのだ。
万が一、つまみ食いを見咎められたら競技場へと送られて、猛獣に食い殺される凄惨な運命が待っている。
それが今夜はアルベルトから、全員に総花というチップが与えられ、そのうえ調理はしても、食べたことは一度もない、高級な猪肉や魚介類、珍味や菓子が、夕食としてふるまわれる。
アルベルトは砕けた口調で、部屋の中のレナに言う。心なしか、つまらなそうな口振りだったが、アルベルトの声はよく通る。やや低く、心地よく耳に響く弦楽器のようでもある。
そして部屋へと、踏み入れかけている。
「はい、もちろんです。ですが、陛下……」
レナは飛ぶように駆けて来て、アルベルトの正面で立ち止まる。
「お食事はまだ、お済みではなかったはずです。前菜しか、お召し上がりになられていらっしゃらないのでは……?」
「特に腹は減っていない。それよりも」
語尾を濁したアルベルトがレナの腰に腕を回し、やや強引に歩き出す。
それがアルベルトからの返答だ。
腰を抱かれたレナは一瞬、ドア近くにいるサリオンを振り向いた。
酒宴も終えないうちから、レナの居室に移動したのは初めてだ。レナも戸惑っているらしい。
「陛下は今夜は、主菜以降のお食事は、お取り止めになりました。食欲は、さほどないとの仰せにございます」
サリオンは、アルベルト自身が宴席の取り止めを命じた旨を、レナに伝えた。
だから気にせず床入りしろと、目顔で返事をしてやった。
そして直後に目を伏せた。
レナの腰を抱いたまま、振り返りもしないアルベルトの広い背中が遠ざかる。
レナも困惑気味に眉を寄せてはいるものの、アルベルトから性急に求められた悦びと、少年らしい初々しいような恥じらいを、美しい顔ににじませる。
その残像が脳裏に焼きつき、ドアノブを回して部屋を出ても、胸苦しさが消えずにいた。
サリオンは複雑な面持ちで館の一階の厨房に戻り、アルベルトが注文していた主菜以降の料理は、全部無効になったと、料理長に通達した。
「それじゃあ、これはどうすりゃいいんだ。後はもう、皿に盛るだけだったのに」
炭火で焼いた猪肉や、燻製にした牛肉や豚肉、フォアグラのソテー、茹でた海老のキャビア添えなど、皇帝の宴席でしか供されることがないような、豪華な主菜の数々を、料理長は指し示す。
「それは全部、館の者で分けて食えばいいそうだ。代金は陛下が払って下さっているからな」
サリオンは眉尻を下げて失笑した。
途端にどよめきが湧き起こり、料理番も給仕の者も、諸手単を挙げて喜んだ。
公娼では宴席に出された料理が、たとえ手つかずで厨房に戻されても、残飯として破棄しなければならない規則だ。公娼で働く者達は、全員奴隷の身分だからだ。
料理番も下男達も、最上級から最下級の男娼も、それぞれの務めに応じた食事しか、館からは提供されない。
最下級の男娼は、最下級の男娼相応の粗食であり、廻しのサリオンのように個室も与えられない。
大部屋の床に藁を敷き、雑魚寝をしている下男の食事は、せいぜい硬くなったパン屑と、野菜がほんの少し浮いたスープだ。
家畜と何ら変わらない。
そんなに飢えをしのぎたければ、サリオンのように客から貰ったチップを貯蓄し、館の外の食堂へ行くなどすればいいのだが、なかなかチップも貰えない、下男や下級の男娼達がほとんどだ。
公娼の厨房で、接客のために作られた料理は、客の食べ残しでも決して食べてはならないと、きつく定められたのは、飢えた下層の者達の、盗み食いを未然に防ぐためだろう。
そうでなければ、厳格な階層ごとの戒律が、覆されてしまうのだ。
万が一、つまみ食いを見咎められたら競技場へと送られて、猛獣に食い殺される凄惨な運命が待っている。
それが今夜はアルベルトから、全員に総花というチップが与えられ、そのうえ調理はしても、食べたことは一度もない、高級な猪肉や魚介類、珍味や菓子が、夕食としてふるまわれる。
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