皇帝にプロポーズされても断り続ける最強オメガ

手塚エマ

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第二章 死がふたりを分かつとも

第12話 挑発

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「陛下にお手数をおかけ致しましたこと、心よりお詫び致します。誠に申し訳ございませんでした」

  アルベルトに指摘されるまでもなく、本来なら主菜の用意をさせる前に、下男を数名集めて待機をさせる。
 しばらく時間を置いた後、再度ドアをノックして、料理を運んでいいかどうかを確認するのが筋だった。

 いいと言われれば下男とともに入室し、ぬるま湯を張った銀の鉢と麻布で、客と男娼の汚れた身体を拭き清める。長椅子の敷布やクッションを取り換えさせる。私室に戻らせた男娼の衣や化粧を改めさせたら、饗宴の間に戻させる。

 そうして宴席の続きを始める準備を整えてから、主菜を運ばせるよう、厨房にも伝達する。

 それらの段取りを、一貫して取りつける。

 饗宴の間での酒宴から、客と男娼の床入りまでの流れを円滑に廻すこと。
 それもまた、サリオンがこの公娼で担っている、『廻し』の仕事のひとつでもある。


 それらの手順を滞りなく進めることができなかった。
 弁解の余地もない失態だ。
 サリオンは痛恨の念を顔ににじませ、謝罪した。

 そして、どうしてそこまで混乱したのか、アルベルトには全部見透かされてしまっている。それが何より悔しくて、下げた頭を上げられずにいた。


「レナは自分の欲望に忠実だ」

 項垂れたまま唇を引き結んでいたサリオンに、アルベルトは独白でもするかのように、ぽつりと呟く。

「手だけでいじっただけなのに、あれほど淫らに乱れて昂たかぶる。して欲しがって縋ってくる。何よりレナは声がいい。高くかすれたあの声で、勃たない男はいないだろう」


 正面の肘掛け椅子に深く座り、含み笑ったアルベルトに、思わずサリオンは目を上げる。

 レナの気持ちを知りながら、身体も心も弄ぶ、不埒な男に眦を吊り上げる。
 にもかかわらず、アルベルトはワイングラスを漫然と揺らし、レナの痴態を脳裏に描いているように、薄い笑いを浮かべている。

「かといって、すぐに達してしまわずに、存分に男を楽しませる。嬲るだけ嬲らせるすべも備えている。しかも達する時のあの顔は、ぞっとするほど美しい」


 喉の奥でクッと笑い、椅子の側の円卓にグラスを置いた。
 グラスが立てたカツンという、硬質なが静まり返った広間に響いた。

 サリオンは、竪琴を抱える窓辺の楽士に目配せした。爪弾くように合図した。饗宴の間とは思えない無音の圧を、静寂を、竪琴の音で和らげたかった。すぐにでも。


「それは良うございました」

 サリオンは朗々として述べたあと、接客用の無難な微笑みを貼りつけた。

 公娼としてはレナは看板商品だ。
 その商品を買った客が満足したと感想を告げている。
 それに対して売る側が、返すべき模範解答だ。

 楽士が奏でる竪琴の華やかで軽やかな旋律が、二人の間に横たわる白々とした沈黙を、むしろ強調した。


「……強情な奴め」

 アルベルトは憤然として肘掛け椅子に座り直し、背もたれに体を預けて嘆息した。たった今、気に入りの男娼と戯れて、満足したと言ったばかりの男の顔とは思えない。

 サリオンは、すぐに気持ちを立て直し、廻しの仮面を装着した。
 アルベルトからの矢のような挑発を、今度こそ上手くかわした手ごたえを、得られた気がして、ほっとした。


 どうせレナの媚態を褒めそやし、対抗心を煽ろうとしたに違いない。

 それならそれで、思惑通りに拗ねてやれば、この場は丸く収まった。
 それもある意味『もてなし』なのかもしれないが、サリオンは、わざと反応しなかった。

 望む反応を与えずに、あえて肩すかしを食らわして、客としてのアルベルトの欲求を、完全には満たさない。寸でのところで『お預け』させて飢えさせて、また『次』の来館に繋げなければ、儲からない。 

 それは、クルム国での男娼時代に培った駆け引きだ。

 サリオンはアルベルトに酌をしていた下男から、ワインが入った銀の水差しを代わりに受け取り、微笑みながら問い質す。

「では、陛下。主菜をお持ちしても宜しいでしょうか?」

 酌をするため、肘掛け椅子に近づいた。

「……いや、今夜の晩餐は終了だ。用意させた主菜も菓子も、館の者達で分けて食え」


 盛大に溜息をひとつ吐き、アルベルトは肘掛け椅子から立ち上がる。
 間近で見ると、思わず尻込みするような、逞しい体躯と優れた長身のアルベルトだ。水差しを抱えたサリオンは、見上げて思わず息を呑む。


 この男に圧倒されてしまうのは、完璧な肉体と美貌の持ち主だからだけではない。
 アルベルトの一挙手一投足が風を起こし、周囲の者を揺り動かし、足元をすくう力を持っている。

 サリオンは大理石の床に足を踏ん張り、負けじと奥歯を食いしばる。


「ですが、陛下。まだ前菜しかお持ち致しておりません」
「食う気が失せた。このままレナの居室に行くから案内しろ。別に俺が食わなくても、金さえ払えば問題はないだろう?」

 横目でサリオンを睨みつけ、顎を上げて言い放つ。
 まるで子供だ。不貞腐れたような言い方だ。
 公娼としては金さえ払ってくれるのなら、客が主菜を食べようが残そうが構わない。サリオンは水差しを円卓に置き、恭しく一礼した。


「畏まりました。では、レナ様の御部屋に御案内致します」

 水差しを手燭に持ち換えて、窓辺の楽士を一瞥した。
 それだけで竪琴の音がぴたりと止んだ。彼が眼差しを向けるのは、来賓ではない。この場を全て取り仕切る、廻しの奴隷だ。サリオンだ。


 アルベルトからの挑発を跳ねのけた達成感と、自責の念が胸の奥で入り混じる。

 
 通常ならば、主菜の後に果物や菓子が運ばれる。
 饗宴の間で食事と酒を優雅に楽しみ、客と男娼は戯れながら徐々に身体と気持ちの距離を近め、『その気』になって床につく。

 しかし、アルベルトは椅子の前で立ったまま、憤然として動かない。

 向かい合ったサリオンに射るような鋭い視線を浴びせかけ、黙り込んでいるだけだ。
 美しい男娼が今か今かと待ち受けるベッドへと、一刻も早く連れて行くよう急かす男の顔ではない。

 それでもサリオンは、気づいていない振りをした。
 何も考えないよう、『奴隷』に徹した。
 主人に命令されるまま、手足を動かす生きた道具だ。


 アルベルトがもう料理も酒もいらないと言うのなら、厨房にはそう告げる。
 このままレナの居室に行きたいと言うのなら案内する。

 アルベルトがどうして急に機嫌を損ね、当て擦るように途中で酒宴を止めさせたのかは、考えない。

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