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第一章 必ず勝てる賭け

第14話 俺が困る

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「さっきの店では、貝の蒸し煮と塩漬けイワシを食ってたな。お前は肉は食わないのか?」
「食わないんじゃない! 肉は高くて食えないだけだ!」

 公娼の下男として働く奴隷に給与はない。
 雨露をしのぐ住居だけを与えられ、あらゆる労働を強いられる。着る物、食べる物は、身の回りの世話をする高級男娼や、客からのチップで細々と、やりくりしている生活だ。

 とはいえ、アルベルトからの 桁違けたちがいなチップは丁重に辞退して、受け取ったことは一度もない。

 一度でも受け取れば、代わりに何を要求されるか、知れたものではないからだ。

「それじゃあ、肉を食わせる店にでも行くか。お前は猪《いのしし》は好きか? ガチョウでも鳩でもウサギでもいいぞ。何でも食いたい物を言え」

「そんな高級肉。こんな貧民窟の食堂じゃ、どこも出してない」

「それなら何の肉を食っている?」

「せいぜい豚か鶏に、決まってるだろう。アルファの貴族様が、たとえ満腹になったとしても、もっとたくさん食うために吐く、甘い 無花果いちじくのソースをかけた、ガチョウの きも料理も、猪の丸焼きも、熱いソーセージも、ここにはない。豚だって鶏だって、この辺りじゃ滅多に食えない高級品なんだ。こんな貧民窟で食えるもんか」

 憎まれ口をたたくサリオンを小脇に抱き、裏路地を闊歩する皇帝の、前後左右を固める兵士が周囲を威嚇し、道を左右に開けさせる。そのため、酔客でごった返す裏路地は、海がふたつに割れるかのようになっている。

 その中央を 威風堂々いふうどうどう歩き去る皇帝を、貧民窟の住人や呑み屋の客は、唖然としながら眺めていた。


「ア……、アルベルト」

 サリオンは、それまでの反抗的な声音を改めた。

「……俺は、ここではオメガだってことは、隠している。ベータだと嘘を言ったりしてないが、オメガだとも言ってない。悪目立ちして、さっきみたいな奴等に目をつけらたら、俺が困る」

「サリオン?」

「下手したら、アルファやベータの金持ちの家の悪ガキが、変装してお忍びで来たのかと、勘違いされるかもしれない。皇帝アルベルトの知り合いだって、バレたんだからな。さっきみたいな奴等は、今度俺を見かけたら、それこそ群れになって襲ってくる。拉致して強請ゆすろうとするはずだ。そうなったら誰が金を払うんだ? 俺はアルファの王侯貴族や軍人相手の公娼で、下働きしているだけの奴隷なのに」


 サリオンはアルベルトの脇腹を押し返し、今すぐここで解放しろと訴えた。

 陽気で豪快なアルベルトは、市街地の食堂で食事を楽しむこともある。庶民と同じテーブルにつき、団欒までする異色の皇帝としても知られている。

 それでも、それは護衛兵を伴っての話であり、食堂といっても、ベータ階級の庶民が足を運ぶような『まとも』な店だ。

 まさか貧民窟の裏路地に現れるとは、誰も予想だにしていなかったはずだった。
 皇帝を目で追う彼等の顔は、一様に凝り固まり、裏路地は奇妙な静けさに包まれた。


 その驚きと好奇の眼差しは、皇帝に腰を抱かれて歩く自分にも突き刺さる。

 サリオンは、今ここでアルベルトからは逃れられても、この貧民窟には今夜限り来られないなと、諦める。


「そうなのか?」

「この国のオメガは黒髪に黒い瞳と決まっている。金髪で、碧の目をした俺なら痩せっぽちのチビだろうが、ベータに見えないこともない。オメガで若くて、こんな顔で貧民窟なんか歩いてたら、強姦してくれって看板を、首から下げて歩いてるようなもんだろう?」

「だからベータの貧民層の振りをして?」

「ああ、そうだ」

 サリオンは大きく頷き、ふてくされた。
 せっかく気に入りの店も何軒かあったのに、こんな騒ぎになってしまえば、さすがに足は向けられない。

 この貧民窟は公娼からも程近く、公共浴場に行った帰りに立ち寄るには、便利だった。その、ささやかな憩いの場所まで皇帝なんぞに荒らされて、はらわたが煮えくり返るようだった。

「そうだったのか……」

 サリオンの腰を抱いた腕の力を緩めつつ、アルベルトが当惑したような顔になる。

「そこまで考えていなかった」

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