たましいの救済を求めて

手塚エマ

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第十二章 告白 

第二話 記念

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「薬はいいけど、それ、下さい」
「え……っ?」

 初めて敬語を使われた驚きと、柚季が指差す物への疑念が同時に湧き上がる。柚季は汚れた包帯を、子供がオモチャをねだるように指差した。

「これですか……?」
「そう」

 柚季は視線を伏せると頷いた。言われるままに包帯を取り、麻子は差し出す。柚季が受け取り、ブルゾンのポケットに押し込んだ。

「どうするの?」
「……記念」
「記念って、何の?」
 
 尋ねたそばから、麻子は気がつく。生まれて初めて手当てをされたしるしが欲しいと言ったのだ。

 胸を衝かれて麻子は黙る。柚季も黙る。けれども気の張る沈黙ではない。
 柚季には今、様々な感情の揺らぎが起きている。
 自分は邪魔をしないだけ。 

「先生。手懐てなずけるのが上手だな」

 愁傷しゅうしょうに敬語で言ったと思ったら、打って変わって悪態をつく。ただ、それが照れ隠しだとわかっている。

「あなたも懐いてくれてるの?」
「俺のこと。君じゃなくて、さんで呼んだら、懐いてやるよ」

 まるで言葉遊びの面談だ。彼は遊びたいのだろう。

「日菜子も彰も春人まで、急にデレデレしやがって」
「春人君は、もう春人君じゃなくなったのよ?」
「俺は春人って、呼ぶけどな」
「彼は返事をしないと思うけど」
「するさ」
「どうかな」

 からかい半分、忠言半分で答えた麻子を柚季がじろりと睨んできた。
 柚季はカウンセリングの進行を、完璧に把握できている。
 これまで、どの人格も深く触れようとしていない、彼らの母についても語ることは出来るのか。

 柚季はこれまでの面談で、故人の母を「あの女」と蔑《さげす》んだ、唯一の人格だ。

「もうすぐ十二時なんだけど」

 反論されて拗ねた柚季が駄々をこねだす。
 これでは「さん」敬称への進級は見込めない。取り替えた包帯を入れたポケットに入れたままの右手が、もぞりと動いている。

「あと五分あるでしょう?」
「先生。今日は早めにここを出た方が、いいんだよ」

 いきなり顔を上げたかと思ったら、真摯な目をして訴える。

「あなたの方なの? 私の方なの?」
「先生だ」

 柚季は焦れたように席を立つ。このやりとりで、ちょうど零時を回っていた。

「あのチョビ髭野郎が送るって言うなら、断らないで送ってもらえよ。玄関先まで」
「柚季君!」

 勝手に面接室を出てしまう柚季を呼び止めようとしたのだが、麻子が廊下に出た時は、忽然と姿を消していた。
 受付用のカウンターや、待合室に続く正面玄関のガラス戸は、そのままだ。
 押し開かれた気配がないまま、麻子だけを映していた。

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