たましいの救済を求めて

手塚エマ

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第六章 警告

第七話 日奈子と春人

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「あっ、でも、もう時間だ」

 思案にふける麻子に日菜子が無邪気に告げた。はっとした麻子も手元の腕時計に目を落とす。

「それじゃ、先生。また来年」

 面談時間が終わるやいなや立ち上がり、リュックを肩に引っ掛ける。
 つられるように立ったのは麻子の方だ。

「今度は、いつになるの?」
「そう、……ですね。えっと、来年は」

 麻子は一月八日のいつもの時間。午後十九時から二十時だと応答した。
 日菜子はふうんと鼻を鳴らし、諦観に近い冷めた目で見る。

「先生に、会えるかどうかわからないけど、また来るね」
「はい。いつもの時間で待っています」

 肩越しに微笑みを投げかけた日菜子は、潔く面接室のドアを開け、後ろ手に閉めて出る。
 麻子の返事をほとんど聞いていなかった。
 いないように思えた背中だ。

 日菜子は主導権を握る交代人格に許された時にしか、表には出られない。

 会えるかどうかわからないとは、権限を持たない意になる。
 脱力した麻子はパイプ椅子に、へなへなと座りこむ。ドアまで見送る時間もなかった。

 依存傾向強い日菜子が、ぐずぐず居座ることなく立ち去った。
 駄々をこねても時間の無駄だ。
 泣いても喚いても聞き入れられない。

 優位な交代人格の許可がなければ、存在ごと隠蔽される体験が、そうさせるのか。

 日菜子のあっけないほどの退出が、諦観の深さを物語る。

 日菜子は優勢な交代人格に、従者のように添っている。
 だからこそ知り得た情報があるはずだ。
 たとえば『院長の駒井に羽藤のカウンセリングを押しつけられた』ような場面を、日菜子は見ていたように語っていた。

 麻子は命名に用いた画用紙やペンが入ったA4サイズの手提げを持って、席を立つ。
 日菜子が使える。
 正体不明のラスボスは、カウンセリングそのものを失敗させたい。だとしたら、何年経っても面談には応じない可能性も否めない。
 
 とはいえ、ラスボスの許可がなければ、日菜子は表に出られない。

 ふと溜息をつき、麻子は面接室を後にした。
 
 羽藤の脳内で交代人格として作られた日菜子は、羽藤の分身。
 圧倒的な力によって屈服させられ、従属させられ、意思も感情も奪われた、無力な羽藤だ。
 彼の成育歴には、日菜子の悲劇が含まれる。
 
 彼女に比べて、春人は外界そのものへの恐怖心の塊だ。
 春人に何を訊ねても、おそらく彼は答えない。

 羽藤の脳内での優位性は、正体不明のラスボスに続き傍観者、春人、日菜子、主人格の柚季の順になるのだろうか。今のところは。

 麻子は待合室を一瞥したが、今日はクライアントもほとんどいない。
 麻子との面談のあと、院長の駒井が診察し、処方箋などの清算をするのだが、それらを既に終えたのだろう。
 
 姿はなかった。そういえば年末だったと、苦笑した。

 年末年始に実家に連れて行きたいと、圭吾に言われたことは嬉しい。
 素直に嬉しい。
 圭吾はいつも誠実だ。

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