たましいの救済を求めて

手塚エマ

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第二章 痕跡

第二話 ほんの僅か

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 無意識のうちに挨拶を口にするほど、ぼんやりしていた自分に思わず苦笑した。
 
 圭吾のマッサージを受けたとはいえ、よほど疲れているのだろう。
 その疲れの中には、羽藤のインテークも含まれる。
 
 縋った両手を振りほどかれ、帰りなさいと告げられた。
 羽藤は、どこに帰っていったのか。ドアに鍵をかけた麻子は、重苦しい溜息とともに靴を脱ぐ。


 玄関を入ると、左手にガスコンロと流し台と冷蔵庫が並ぶ簡易キッチン。
 右手にはバストイレ。単身者向けの間取りのマンション。
 麻子はコートのボタンを外してキッチンの前を通り抜け、リビングの天井灯とエアコンのスイッチを、それぞれつけた。


 続いて、テーブルの上のリモコンを取り上げ、テレビもつけると、ニュース番組にチャンネルを合わせ、ラジオのように耳だけを傾ける。
 
 バッグはテレビの前の二人掛けのソファに置き、脱いだコートはソファの背もたれに一旦預ける。

 ニュース番組のキャスターが、「それでは、明日のお天気です」と、気象情報を伝え出したということは、番組も終盤に差しかかったということだ。

 もうすぐ日付も変わる頃合いだ。

 湯船に湯を張る時間すら惜しいほど、早く就寝したくなり、今日はシャワーでいいやと、胸中で呟いた。
 
 深夜に一人でいる時は、大抵寝るまでテレビはつけっ放しにしたままだ。
 何の物音もしない静寂が苦手だからだ。
 番組が、ニュースから若手お笑い芸人のバラエティに変わったな、などと思いつつ、足早に浴室に移動した。

 本当は余裕がない時だからこそ、ゆったり湯船に肩まで浸かり、何もしない時間を作った方がいい。
 忙しい、忙しいと、常に忙しなく動くから、余計に気持ちがくのだと、いつも同じ小言を述べる圭吾の顔が目の裏にちらついた。
 
 多少の後ろめたさはあるものの、恋人の忠告を無視してシャワーを浴び始める。
 髪と体を洗い流し、ものの五分で入浴を済ませた麻子は脱衣所で、スウェット素材の部屋着を着た。

 入浴や食事や家事や仕事。
 圭吾に眉をひそめられても、あらゆるタスクを迅速に、かつ効率良く済ませることができた時の達成感が欲しいのだ。

 麻子はバスタオルを肩に掛け、リビングに戻ってきた。
 テレビからは、効果音の笑い声が盛大に聞こえていた。

 だが、入ろうとしたリビングの手前で立ちすくみ、麻子は身動ぐこともできなくなる。

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