1 / 26
プロローグ
しおりを挟むおまえしか映らない おれの細い目
おれだけ映らない おまえの丸い目
おまえは気づかない おれの熱いまなざしに
こんな細い目じゃ どこを見てるかわからないから
ふんふんふーん
後部座席の男は、さっきから同じ詞を口ずさんでいた。声も表情も、どこか上の空だ。
カミニ市近郊の住宅街で拾ったこの男は、無表情で「中央銀行まで」と告げると、座席シートに深くもたれ、窓の外へ顔を向けた。車が発進して間もなく、どこか物悲しいメロディーに乗せて歌い出したのだった。
大柄な身体にフィットした仕立てのいい紺色のスーツを着ている。ピカピカに磨き上げられた革靴も上等品だ。ネクタイはせず、ワイシャツのボタンを外して首元はくつろげてある。首都に隣接するベッドタウンのなかでもごく庶民的な住人が暮らす土地には似つかわしくない風体だった。
男は窮屈そうにしていた長い足を組んだ。太い眉の下にすっと切り込みを入れたような細い目のなかで、ちらちらと光が動いていた。銀色の瞳が朝の日射しに輝いているのだ。
「……続きは、ないんですか」
バックミラーに映る男の様子をちらちらと見ていた運転手は、思い切って尋ねた。
少し間を置いて、男は運転手へ視線を向けた。
鏡のなかでばちりと目が合う。
運転手はさっと前を向き、ハンドルを握り直した。盗み見を咎められたような気がして冷や汗が出る。
「覚えていない」
男は不機嫌な様子もなく答えた。
「だれの歌ですか」
「こんなヘンテコな歌が世に出回っているわけがない」
「へえ、というと、自作?おれは好きですけどね。先が気になる」
「ふん、物好きだな」
男は窓の外へ視線を戻した。また、同じ詞を口ずさむ。
車は大通りへ出た。
ルーイ連邦・首都カミニ市の中心部まで続くクラスナ大通りだ。
堅牢な石造りの建物が並ぶこの街は、帝政時代の面影を色濃く残していた。その一角には、ここ10数年の間に急激に開発された“カミニシティー”があり、高層ビル群がひしめき合っている。
カミニ河が蛇行しながら首都を南北に分け、そこにかかるカミニ大橋の鮮やかな青のアーチが眩しい。
夏の盛りのいま、カミニは空気が乾燥していてよく晴れる。休日には橋から望む景色を求めて多くの観光客が訪れた。北を向けば運河に面した大統領府の豪華絢爛な宮殿や教会の数々、南を向けば深い森に囲まれたオゼラ湖がある。
「——お、また新しいパチキ屋ができたな」
運転手が身を乗り出し、呟いた。
通り沿いに軒を連ねる店舗のなかで、ひと際目立つピンク色の看板の前を車は走り過ぎた。カラフルにデコレーションされた巨大なドーナツが回転している。
運転手はでっぷりと太った腹がつっかえながらも、慣れたハンドル捌きで車線を変えた。
「その腹はパチキの食い過ぎか」
男がぼそりと言った。
「旦那、やっぱりあんたセイベル出身だね!」
赤信号で車を停めた運転手は、満面の笑みで振り返った。
興奮気味の運転手に合わせ、あんたもだろ、と男はルーイ語ではなくセイベル語で返す。
「そうだとも。いやあ、言葉が通じるのはやっぱり嬉しいもんだなあ。あんたを通りで見た瞬間にぴんと来たんだ、黒髪にその目の色!セイベルでもあんたほど純粋な銀色は稀だ。おれのじいさんはあんたに近かったよ。どこへ行っても目の色をめずらしがられたと、酒を飲むたびに話してたなあ。若い頃はルーイ中を転々として働いてたらしいからね」
「おれは幸い、ほとんど気づかれない。目が開いてないも同然だからな」
「確かにそうだ」
否定しろ、と思いながら男は細長い目をさらに糸のように細めて、陽気に笑う運転手を睨む。
「あんたは暮らし向きが良さそうだね。おれはこの通り、じいさんや親父と同じ、しがない出稼ぎだ」
「普段はタクシーなんぞ使わん。メトロがストに入ったせいで無駄な出費をする羽目になった。おれもあんたと変わらんさ、あちこち駆けずり回って稼ぐしかない」
「旦那も苦労したんだな、この街で——さあ、着いたよ」
運転手は大通りの路肩へ車を寄せ、停めた。
石造りの巨大な神殿のような建物がそびえ立っている。
通りの先にはカミニ中央駅がある。平日の朝、多くのビジネスマンが忙しなく行き交うなか、海外からの観光客も多く見られた。
運転手は札を受け取りながら、
「幸運を祈るよ」
「お互いにな」
男は軽く会釈を返し、車を降りた。
中央銀行の正面玄関へ上がる階段をせかせかと登っていくと、一番上の段まで来たところでふと足を止めた。
そっと背後を振り返る。
黄色い車体のタクシーはすでに走り去っていた。
見られているような気がしたんだが……。
男は小さく舌打ちし、建物のなかへ入った。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
元体操のお兄さんとキャンプ場で過ごし、筋肉と優しさに包まれた日――。
立坂雪花
恋愛
夏休み、小日向美和(35歳)は
小学一年生の娘、碧に
キャンプに連れて行ってほしいと
お願いされる。
キャンプなんて、したことないし……
と思いながらもネットで安心快適な
キャンプ場を調べ、必要なものをチェックしながら娘のために準備をし、出発する。
だが、当日簡単に立てられると思っていた
テントに四苦八苦していた。
そんな時に現れたのが、
元子育て番組の体操のお兄さんであり
全国のキャンプ場を巡り、
筋トレしている動画を撮るのが趣味の
加賀谷大地さん(32)で――。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト
春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。
クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。
2024.02.23〜02.27
イラスト:かもねさま
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
「誕生日前日に世界が始まる」
悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です)
凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^
ほっこり読んでいただけたら♡
幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡
→書きたくなって番外編に少し続けました。

僕の部下がかわいくて仕方ない
まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした
月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。
人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。
高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。
一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。
はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。
次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。
――僕は、敦貴が好きなんだ。
自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。
エブリスタ様にも掲載しています(完結済)
エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位
◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。
応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。
『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748
その溺愛は伝わりづらい
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【続編】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
【改稿版】2025/2/26完結
「気弱なスパダリ御曹司からの溺愛にノンケの僕は落とされました」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/252939102
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる