執務室に鍵をかけたら 〜ある日の学長〜

インナケンチ

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100万ルブレの男

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 サイレンの音が近づいている。
 2台、いや3台か。
 胸がドキドキする、息苦しい。
 怖がるな、おれにはもう関係ないんだ。
 頭ではわかっているのに、逃げ出したい衝動に駆られる。
 この恐怖からは一生解放されないのか———。

 マリオン・イーリスは公園にいた。
 冷たい雨が降りしきるなか、傘もささずにブランコの脇に突っ立っていた。
 それがどこにある公園なのか、周りの景色からは判別できなかった。ただ、そばにあるブランコも目に映る建物も、すべてが大きく見えた。それとも、自分が小さいのだろうか?

 マリオンは顔を隠すように被っていたフードを少し持ち上げた。眼鏡を押し下げ、上目遣いに公園の外へ視線を向けた。

 そのとたん、右目の瞳孔が一気に拡張した。虹彩の輪郭がじわりと揺らぎ、そこから青や紫の色が現れ、瞬く間に黒い瞳を覆い尽くした。水面に垂らしたインクが不規則な柄を成すように、その色は混ざり合うことなく流動した。

 マリオンの目には、雨に煙るモノクロの景色が一転、色鮮やかなカラーとして映った。
 雨粒のひとつひとつが空気に押し潰されながら落ちていくのをスローモーションのように捉え、街を行き交う人々の顔、その口元にあるホクロまではっきり見えた。
 マリオンは身を硬くしたまま周囲に視線を巡らせた。瞳が精密なカメラのごとく小刻みにピント調整を繰り返し、目に映るものを余すことなく脳裏に焼きつけていく。

 サイレンはすぐ近くまで迫った。
 そのとき、ルーイ連邦特殊機動隊の厳つい車体が3台連なって、公園沿いの通りを走り過ぎた。
 第四機動、中央銀行へ急行中———先頭車両、その助手席にいた武装警官の口がそう動いたのを、マリオンは一瞬のうちに見て取った。

 あそこへ強盗に入るなんて自殺行為だ。犯人は間違いなく生きては出られない。
 フルスタル、ガルボイ、それにパパも。どうかこんな無謀なことだけはしないで。どうか、死なないで。


✳︎


 マリオンはびくんと身体が痙攣した弾みで目を覚ました。
 その揺れで、かれを片手に抱いたままいびきをかいていたアルマーズも飛び起きた。
 突然身体の支えを失ったマリオンはソファに倒れた。アルマーズは背後でマリオンが転がっているのも気づかず、天井に向かって声を上げた。

「マロース、いま揺れなかったか?!」
〈いいえ、揺れは検知していません〉
「念のため、学園内に異変がないかチェックしろ」

 アルマーズは寝ぼけながらも安全確認だけは怠らなかった。
 さほど待つことなく、充電ポートからぶーんと飛んできたマロース猫から〈異常なし〉と報告を受け、ほっとしたついでに大きなあくびが出た。

 ふたりきりの執務室。柱時計の針は深夜12時を回っていた。
 応接テーブルには、6月中旬に控えた卒業式で学長が読み上げるスピーチ原稿の素案が広げられていた。
 春の学園祭でもそうだったが、アルマーズはどんな場面でも即興でスピーチを行った。スピーチと言うより漫談に近いそれは聴衆の笑いを誘い、場を大いに盛り上げはするものの、得てして制限時間をオーバーし、ほかの来賓の持ち時間を食うのだった。
 学園祭後に行われたマラザフスカヤ家主催のパーティーでラマノヴァ会長からきついお叱りを受けたマリオンは、今回こそは時間ぴったりに収めるため、一緒に原稿を作り、リハーサルまですることにした。そして、ある程度まとまったところでティーブレイクを入れたふたりは、いつの間にか小さないびきをかきながら眠りに落ちていたのだった。

「ああ、うっかり眠ってしまった……どうしたマリオン、泣いているのか?」

 アルマーズは、マリオンが手の甲で目尻を拭うのを見て、ぎょっとした。

「右目を潰してから、こっちだけ涙がよく出るんです……あと、ちょっと夢を見てました」
「夢?」
「サイレンの音がして、パパたちの姿を探すんです。夢というより、過去の記憶かな。ここに来るまでは、ずっとサイレンの音に怯えてたから」
「もう怯えることはない」
「はい」

 マリオンは隣に座り直したアルマーズに抱きつき、胸に頬を擦り寄せた。

「でも、いまは学長の身の安全が心配ですけど」
「クジラでおれの首にかかった懸賞はまだ取り下げられていないらしいな。やはり無視し続けるわけにはいかんか……またきみに大怪我をさせるわけにはいかないし、自由もない」
「懸賞をかけた人物を潰す必要がありますね」
「まさか、になにかさせる気か?」
「もちろん、違法なことはさせません。パパは刑期を全うして綺麗な身になったけど、フルスタルたちはそうじゃない。パパが計画した仕事以外にも個人でやった仕事は山ほどあるから、これで足がついたりしたら懲役は避けられない。みんな法を破っているけど、刑務所送りにはしたくないです」
「おれも困る。犯罪者だと承知で雇ったんだ、死ぬまで隠し通してもらわないと、おれまで刑務所行きだ」
「はい。だから、あくまで合法的に、学長に手出しできないようにするんです」
「だれが懸賞をかけたのか特定できるのか?やつらをクジラへ行かせるのは許さんぞ。もちろん、きみもだ」
「手がかりならあります。きっとを雇った人間を辿れば行き着くはず」
?」
「ええ、かれですよ、おれが面接に来た日、この部屋を穴だらけにした」

 ようやく思い出したアルマーズは、「ああ!」と大きく膝を打った。
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