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LOVE
5-3 crybaby and worrier
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ぎこちなく左腕を伸ばし、センターテーブル上のロックグラスを掴む善一。渇いた口腔内を湿らせるには似つかわしくない飲み物であることへ、徐々に苛立ちが沸き上がる。
グラスに口をつけ、舌が湿る程度にそれを含む。強引に流し込むも、喉を流れ行くアルコールが熱いことくらいしかわからずに終わる。
「はぁー……」
文字に起こせそうなほど、はっきりとした溜め息がひとつ。グラスをセンターテーブルへタンと戻し、背を丸め、両手で顔を覆う。まるで、今の表情を見られたくないかのように。
「じゃあお望みどおり──」
固唾を呑み、善一の言葉をただ待っている良二。
「──俺も腹割って話すよ」
そっと両手が顔から剥がされると、真顔の善一がそこに居た。まるで鏡写しかのように、モモへ肘をそれぞれ乗せ、至極真剣なこの瞬間の良二のそれとよく似ている。
「今更なことは俺も多いからね、そこだけ断っとく」
考えの読めない、善一の表情。笑んでいるでも怒気が滲むでもない。
小さく「ん」と相槌を返せば、善一は瞼を伏せた。
「俺があの日、フランスに行ったのはね。俺がやることの全部で、良二に心から笑ってもらいたいからだよ」
「……は?」
過度に重なるまばたき。まさか自分の名が出てくるとは、予想外のことで。
「だから、良二を放ったらかしたり、置いていったつもりは全くなかったんだ。なのに、あれが良二に『置いてかれた』と思われる原因になってたなんて、今言われるまで考えもしなかった」
ぎゅ、と寄る、良二の眉間。
「逆に、良二がどんどん離れてったと思ったのは、俺の知らない間に一人で祖父からマジック教わってたのを知ったから」
「最初から、知ってると思ってた」
「マジ?」
開眼し、背筋を伸ばし起こす善一。
「でも小四になってしばらく経っても知らなかったんだ。気が付いたら、良二はにこにこしながら祖父とマジックやってた感じだったっつーか」
良二から視線を逸らす。わずかに口元が嘲笑で歪む。
「俺、ずっと嫉妬してたよ。俺にこそ一番笑って欲しいって、ずっとじわじわ思ってた。カッコワリーから口には出さなかったし、気付いてからは見て見ぬふりっつーのやってたわけだけど」
器用に生きているように見えて、しかし実状は必死に取り繕っているだけだと明瞭になる、道化師の生き方。そっくりかよ、と良二は苦味を抱いた。
「だからあの頃は当て付けみたいに、体育の授業じゃなくてもアクロバットしてた。みんなが『スゲェ!』って言う全部を、ずっと練習してさ」
「俺はあれを見て、どんどん置いてかれてる気がしてた。ヨシが俺じゃなくて、周りの奴らにチヤホヤされたがってンだと思ったんだ」
「違う、お前の目だけを惹きたかったからッ」
切るような否定。真剣なまなざし。やがてフッ、と気が漏れて、背をソファへ預け、天井を仰ぎ向く。
「覚えてる? 小三くらいンときから俺たち、目のことで周りからぐちゃぐちゃ言われ出したこと」
「あー」
間を空けてから返ってきた低い呼応に、善一は馳せるような声色で語り始める。
「あの頃は、父さん母さんが死んですぐくらいだったから、俺たち精神的にきっと脆かったんだ。俺はやり返さねーで黙ってる感じだったし、良二は萎縮して泣いてるし」
「ん」
それは、遠い記憶──白い目を揶揄され貶され、自尊心を抉られていたあの頃。
「よく上の学年から手ェ出されてさ。でも俺ずっと黙ってたけど、実際全部に苛立ってた」
蹴ったり突き飛ばされたりの糺弾は、九才当時の二人にとっては傷口に塩を塗り込まれたに相応した。
「ま、ガキのやることだから、今思えばどれもくだらねー感じだったけど、なんかこう、気圧されまくってたのは覚えてる」
「白い目は伝染る病気だ」、「呪いかもしれない、なんかで見た」──幼く無垢であるがゆえに、加減を知らずに突き立てられる、言葉の刃物。一生の傷となり残ってしまうなどとはつゆとも知らず、それらは何も知らない者から浴びせ続けられる。
「いつだったかの帰りに、廊下を行く良二が後ろから蹴り飛ばされたの見たんだよ、俺。あれ見て初めて、ブツンときて」
♧
気が付いたら駆け出していた。
たった一人の大事な弟が、目の前でツラい目にあっているのに、さすがに黙っていられなかった。
二人で手を繋いでいたら、いつ何があっても大丈夫──母がそう言っていたのを、真面目に信じていたから。
俺が常に手を繋いでいてやらなくちゃいけなかった。
俺が守ってやんなくちゃって、走って、踏み込んで、地面を蹴り上げて。
♧
「良二蹴り飛ばしたヤツのランドセルにも、跳び蹴りで同じ痕付けてやったよね、俺」
「……よく、覚えてる」
「じゃああの後、良二は何て言ったかも覚えてる?」
仰ぎ見ていた天井から良二へ、視線を変える善一。背中も勢いよく離れ、前へ半身を付き出して。
「『やめて』って、言ったんだ、良二」
上ずったその声は震えている。
「『ヨシに蹴り返して欲しかったわけじゃない』って、俺のことを止めたんだよ、泣きながらっ。じゃあ俺はあの時、どうしたら良かったんだ」
目頭がひくつく。まばたきが鬱陶しい。
「弟が泣いてたらやり返してやりたいし、相手には意地でも謝らせたい。弟が寂しくしてればどうにか笑わせて楽しませなきゃって、過剰なくらい必死ンなる。弟の気持ちを一番にわからなきゃなんねーのは、『兄ちゃん』だから」
くしゃり、苦悶に歪む善一の顔。白銀の瞳がかすかに揺れている。
「そーゆーのが、俺がなるべき『兄ちゃん』なんだよ。そのために俺、外国行って、芸の上達に必死ンなって……だから、だから父さん母さんと、同じようになりたくて」
善一の右手が、そのブルーアッシュのストレートヘアをぐしゃりと掻き上げ、留まる。
「なのに俺、良二のことどんどんわかんなくなってった。やればやるほど空回って、疎外的だと感じて」
「…………」
首元に痒く滲んだ、焦燥と歯痒さと羞恥。奥歯を噛み締め堪えながら、掻き上げた頭髪をそのまま抱え、うなだれる。まるで膝と膝の間に頭が入ってしまいそうなほどに、下を向く。
「俺だけ、あの頃からずうっと、良二に何もしてやれてない。悔しいし、恥ずかしいし、一番自分に、ムカついてる」
身体だけが、勝手に大人になっていく。それは誰にも止められない。やがて心は、そうして置いていかれる。
「だから世界へ飛んだ。良二に笑ってもらえるような技術をつけるために。俺が具体的に良二へしてやれること考えて、見付けて、鍛練しに行ったんだ」
ほんのわずかに持ち上がる、善一の頭部。しかしその高い鼻先は、未だ下を向いたまま。
「世界さえ笑わせ続ければ、世界は俺を認めてくれる。世界が俺を認めれば、そういうのが伝染して、いつか良二も笑ってくれる。そうやって勝手に信じて道化師活動やってきた。だって、周りが『そう』だったんだから」
くす、と口角が持ち上がると、道化師の顔が覗く。
「ソロになってこっち帰ってきて、でも良二は笑ってなかった。むしろ真逆で……正直混乱したよ」
大見得をきり、キザを纏い、笑顔の仮面を必死に掛け続けた道化師は、孤独に傷付いた手品師をそれでも癒せないことに苛立ち、不安になっていった。
未だに世界を周り確認するのは、背けた目を誰かに肯定してもらいたいがため。必死に足掻く姿を誰にも見せまいと、その本心は芸名を名乗る度に秘匿されていく。
「どれだけステージに立っても、どれだけ喝采を浴びても、どれだけ金を積まれても。最後に良二に笑ってもらうことだけが、俺個人の価値だと思ってるから」
「…………」
「でも、良二みたいに笑わない人たちを俺が笑わせたいって切望してるから、チャリティーの活動してんのは本当の気持ちだよ」
「ん」
「チャリティーは俺がマジでやりたいって思ってることで、俺の生き方だ。最初は父さん母さんの真似だったけど、そこから変わったことだ」
「見てりゃ、わかるよ」
「道化師活動にいつだって嘘は無い。俺は、舞台に立ったり、人を笑顔に変えていくことが、心底好きなんだ」
それは、ようやく等身大になった道化師の無垢な本心。ようやく良二を向いた、九才当時と違わないほどに毒気の抜けた善一の表情に、ふわり緊張が和らいだ良二。
「ヨシのそういう部分だけは、俺にもちゃんとわかる。俺だって、マジックに対しても、探偵の仕事もそうだから」
優しくなったような、良二の言葉。わずかに笑んでしまう口元で一息を吐き出して、善一は細く問う。
「俺たち、いつからこんなに食い違ってたんだ」
「ずっと同じだったのに、食い違ってると思い込んでただけだ」
互いを見合い、表情が似通い、頬がキリキリと痙攣して。
「あのね、良二」
「ん」
「俺にとって『良二』は、ずっと……いつだってずっと」
哀れんだような、痛みを分かち合うような。言語化のままならないまなざし。
「『俺の帰りたいと焦がれる場所』なんだよ」
グラスに口をつけ、舌が湿る程度にそれを含む。強引に流し込むも、喉を流れ行くアルコールが熱いことくらいしかわからずに終わる。
「はぁー……」
文字に起こせそうなほど、はっきりとした溜め息がひとつ。グラスをセンターテーブルへタンと戻し、背を丸め、両手で顔を覆う。まるで、今の表情を見られたくないかのように。
「じゃあお望みどおり──」
固唾を呑み、善一の言葉をただ待っている良二。
「──俺も腹割って話すよ」
そっと両手が顔から剥がされると、真顔の善一がそこに居た。まるで鏡写しかのように、モモへ肘をそれぞれ乗せ、至極真剣なこの瞬間の良二のそれとよく似ている。
「今更なことは俺も多いからね、そこだけ断っとく」
考えの読めない、善一の表情。笑んでいるでも怒気が滲むでもない。
小さく「ん」と相槌を返せば、善一は瞼を伏せた。
「俺があの日、フランスに行ったのはね。俺がやることの全部で、良二に心から笑ってもらいたいからだよ」
「……は?」
過度に重なるまばたき。まさか自分の名が出てくるとは、予想外のことで。
「だから、良二を放ったらかしたり、置いていったつもりは全くなかったんだ。なのに、あれが良二に『置いてかれた』と思われる原因になってたなんて、今言われるまで考えもしなかった」
ぎゅ、と寄る、良二の眉間。
「逆に、良二がどんどん離れてったと思ったのは、俺の知らない間に一人で祖父からマジック教わってたのを知ったから」
「最初から、知ってると思ってた」
「マジ?」
開眼し、背筋を伸ばし起こす善一。
「でも小四になってしばらく経っても知らなかったんだ。気が付いたら、良二はにこにこしながら祖父とマジックやってた感じだったっつーか」
良二から視線を逸らす。わずかに口元が嘲笑で歪む。
「俺、ずっと嫉妬してたよ。俺にこそ一番笑って欲しいって、ずっとじわじわ思ってた。カッコワリーから口には出さなかったし、気付いてからは見て見ぬふりっつーのやってたわけだけど」
器用に生きているように見えて、しかし実状は必死に取り繕っているだけだと明瞭になる、道化師の生き方。そっくりかよ、と良二は苦味を抱いた。
「だからあの頃は当て付けみたいに、体育の授業じゃなくてもアクロバットしてた。みんなが『スゲェ!』って言う全部を、ずっと練習してさ」
「俺はあれを見て、どんどん置いてかれてる気がしてた。ヨシが俺じゃなくて、周りの奴らにチヤホヤされたがってンだと思ったんだ」
「違う、お前の目だけを惹きたかったからッ」
切るような否定。真剣なまなざし。やがてフッ、と気が漏れて、背をソファへ預け、天井を仰ぎ向く。
「覚えてる? 小三くらいンときから俺たち、目のことで周りからぐちゃぐちゃ言われ出したこと」
「あー」
間を空けてから返ってきた低い呼応に、善一は馳せるような声色で語り始める。
「あの頃は、父さん母さんが死んですぐくらいだったから、俺たち精神的にきっと脆かったんだ。俺はやり返さねーで黙ってる感じだったし、良二は萎縮して泣いてるし」
「ん」
それは、遠い記憶──白い目を揶揄され貶され、自尊心を抉られていたあの頃。
「よく上の学年から手ェ出されてさ。でも俺ずっと黙ってたけど、実際全部に苛立ってた」
蹴ったり突き飛ばされたりの糺弾は、九才当時の二人にとっては傷口に塩を塗り込まれたに相応した。
「ま、ガキのやることだから、今思えばどれもくだらねー感じだったけど、なんかこう、気圧されまくってたのは覚えてる」
「白い目は伝染る病気だ」、「呪いかもしれない、なんかで見た」──幼く無垢であるがゆえに、加減を知らずに突き立てられる、言葉の刃物。一生の傷となり残ってしまうなどとはつゆとも知らず、それらは何も知らない者から浴びせ続けられる。
「いつだったかの帰りに、廊下を行く良二が後ろから蹴り飛ばされたの見たんだよ、俺。あれ見て初めて、ブツンときて」
♧
気が付いたら駆け出していた。
たった一人の大事な弟が、目の前でツラい目にあっているのに、さすがに黙っていられなかった。
二人で手を繋いでいたら、いつ何があっても大丈夫──母がそう言っていたのを、真面目に信じていたから。
俺が常に手を繋いでいてやらなくちゃいけなかった。
俺が守ってやんなくちゃって、走って、踏み込んで、地面を蹴り上げて。
♧
「良二蹴り飛ばしたヤツのランドセルにも、跳び蹴りで同じ痕付けてやったよね、俺」
「……よく、覚えてる」
「じゃああの後、良二は何て言ったかも覚えてる?」
仰ぎ見ていた天井から良二へ、視線を変える善一。背中も勢いよく離れ、前へ半身を付き出して。
「『やめて』って、言ったんだ、良二」
上ずったその声は震えている。
「『ヨシに蹴り返して欲しかったわけじゃない』って、俺のことを止めたんだよ、泣きながらっ。じゃあ俺はあの時、どうしたら良かったんだ」
目頭がひくつく。まばたきが鬱陶しい。
「弟が泣いてたらやり返してやりたいし、相手には意地でも謝らせたい。弟が寂しくしてればどうにか笑わせて楽しませなきゃって、過剰なくらい必死ンなる。弟の気持ちを一番にわからなきゃなんねーのは、『兄ちゃん』だから」
くしゃり、苦悶に歪む善一の顔。白銀の瞳がかすかに揺れている。
「そーゆーのが、俺がなるべき『兄ちゃん』なんだよ。そのために俺、外国行って、芸の上達に必死ンなって……だから、だから父さん母さんと、同じようになりたくて」
善一の右手が、そのブルーアッシュのストレートヘアをぐしゃりと掻き上げ、留まる。
「なのに俺、良二のことどんどんわかんなくなってった。やればやるほど空回って、疎外的だと感じて」
「…………」
首元に痒く滲んだ、焦燥と歯痒さと羞恥。奥歯を噛み締め堪えながら、掻き上げた頭髪をそのまま抱え、うなだれる。まるで膝と膝の間に頭が入ってしまいそうなほどに、下を向く。
「俺だけ、あの頃からずうっと、良二に何もしてやれてない。悔しいし、恥ずかしいし、一番自分に、ムカついてる」
身体だけが、勝手に大人になっていく。それは誰にも止められない。やがて心は、そうして置いていかれる。
「だから世界へ飛んだ。良二に笑ってもらえるような技術をつけるために。俺が具体的に良二へしてやれること考えて、見付けて、鍛練しに行ったんだ」
ほんのわずかに持ち上がる、善一の頭部。しかしその高い鼻先は、未だ下を向いたまま。
「世界さえ笑わせ続ければ、世界は俺を認めてくれる。世界が俺を認めれば、そういうのが伝染して、いつか良二も笑ってくれる。そうやって勝手に信じて道化師活動やってきた。だって、周りが『そう』だったんだから」
くす、と口角が持ち上がると、道化師の顔が覗く。
「ソロになってこっち帰ってきて、でも良二は笑ってなかった。むしろ真逆で……正直混乱したよ」
大見得をきり、キザを纏い、笑顔の仮面を必死に掛け続けた道化師は、孤独に傷付いた手品師をそれでも癒せないことに苛立ち、不安になっていった。
未だに世界を周り確認するのは、背けた目を誰かに肯定してもらいたいがため。必死に足掻く姿を誰にも見せまいと、その本心は芸名を名乗る度に秘匿されていく。
「どれだけステージに立っても、どれだけ喝采を浴びても、どれだけ金を積まれても。最後に良二に笑ってもらうことだけが、俺個人の価値だと思ってるから」
「…………」
「でも、良二みたいに笑わない人たちを俺が笑わせたいって切望してるから、チャリティーの活動してんのは本当の気持ちだよ」
「ん」
「チャリティーは俺がマジでやりたいって思ってることで、俺の生き方だ。最初は父さん母さんの真似だったけど、そこから変わったことだ」
「見てりゃ、わかるよ」
「道化師活動にいつだって嘘は無い。俺は、舞台に立ったり、人を笑顔に変えていくことが、心底好きなんだ」
それは、ようやく等身大になった道化師の無垢な本心。ようやく良二を向いた、九才当時と違わないほどに毒気の抜けた善一の表情に、ふわり緊張が和らいだ良二。
「ヨシのそういう部分だけは、俺にもちゃんとわかる。俺だって、マジックに対しても、探偵の仕事もそうだから」
優しくなったような、良二の言葉。わずかに笑んでしまう口元で一息を吐き出して、善一は細く問う。
「俺たち、いつからこんなに食い違ってたんだ」
「ずっと同じだったのに、食い違ってると思い込んでただけだ」
互いを見合い、表情が似通い、頬がキリキリと痙攣して。
「あのね、良二」
「ん」
「俺にとって『良二』は、ずっと……いつだってずっと」
哀れんだような、痛みを分かち合うような。言語化のままならないまなざし。
「『俺の帰りたいと焦がれる場所』なんだよ」
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