33 / 126
HOPE
7-3 charmd mechanical pencil
しおりを挟む
だんだんと集中が研ぎ澄まされて、向かっているノートと自分だけになる瞬間って、ありますよね。それがわたしにとって、最高のストレス発散とアドレナリンの放出タイミングなのです。
わたし、小田蜜葉といいます。
実は、服飾デザインをするのが、一〇才の頃からの趣味なんです。……あの、結構恥ずかしいので、本当にどうか内密にしてください。
デザインしているのは、ドレス様の衣服が主です。例えばウェディングドレスやパーティードレス、ダンス衣装などを創作します。
大概は男女ペアで考案して、見返しては想い馳せたりして。あ、わたし自身が着たいわけではなく、あくまでも『誰かに着ていただけたら』、ということを想像するんです。
細かな装飾品のうち、最低ひとつは『お揃い』にするのが、わたしのデザインの決まり事。描いたそれに、わたしにしかわからないような小さな秘密を隠して、わたしだけの特別にするんです。こういうの、とってもいいと思うんです!
「…………」
止まる、シャーペンを持った右手。
中途半端のラフ画。
果ての、小さな溜め息。
だけど実は。
描いたデザインは、まだ誰にも見せたことがないのです。『秘密』と言った理由は、そこ。
これは、叶うかなんてわからない、小さな小さなわたしの夢。今後もきっと、誰にも言わないで終わっていく、引っ込み思案のわたしの夢。
例えば、どこへ発信したらいいのかなども調べません。それをする勇気『すら』ないのです。だって、一度発信してしまったら、ネガティブな視線にも晒されるでしょ? それを受け止める懐は、わたしにはないんですよ。
たとえ、このデザインたちが燻ったままこの生が終わったとして。それならそれで仕方がないと、目を瞑るほかありません。
だからといって、デザインをする手を止めるなど出来ませんので、こうして日々したためているのです。
思考と感情がちぐはぐなことくらい、存分に承知なのです。
だから今はたった一人、わたしだけが知っていれば、それでいい。だって結局、趣味なのだから。
それでいい、はずなの。
「──ん」
考え事をしていたら、集中がプツンと切れてしまいました。
不意に目を上げたわたし。
「あれっ?」
目の前からは既に、被写体にしていた『輝く彼』も、それを囲う人だかりも、すっかりなくなっていまして。
「や、やだ、どうしようっ」
慌てて、鞄に入れたままのスマートフォンを見ると、もう既に二〇分は経っていました。「二分だけ」とか思っていたのに、大嘘です。全然二分どころじゃありません!
「帰らないと」
開いていたノートを鞄へ押し込み、勢いよく立ち上がったわたし。あまり得意ではないけれど、タッと走り出しました。目指すはターミナル駅のホームです。
こんなに時間が経ってしまっていては、母からうるさく咎められてしまうに違いありません。生憎わたしは、いいわけもへたくそですし……ハァ。
左胸に刺した新しいわたしの創作パートナー、クローバーのチャームが付いた、シャーペン、の……えっ。
「あ、あれ?!」
パタリと立ち止まったわたし。買ったばかりのシャーペンがありませんっ! 左胸のポケットに刺したはずだったですが。
「落として、きちゃったかもっ」
ハアハアゼエゼエと、息を落ち着ける間もなくUターン。
「わぷ」
鼻が、顔面が、ドムンとした衝撃に潰れてしまったような。痛いというより、びっくりしすぎて理解が遅れてます。
「おっと」
鼻を擦りながら、声のした方──二歩前の方向を、そろりそろりと見ていきます。
フワッと鼻腔に入る、まるで森林のような薫り。
艶やかな濃紺色の、スーツ生地。
ほんのりと薄紅色をした、シワのないYシャツ。
その中央に淡いエメラルドグリーンの、正しく締められた艶やかなネクタイ。
ゴールドに、小さなアメジストがはめられたタイピンまでなさっていて。
「追い付けたらいいなとは思ってたけど、まさかそっちから飛び込んできてくれるとは思わなかったな」
透明感のあるお声。
健康的な肌色。
顎を上げないと直視出来ない高さにあるお顔。
その目元には、灰青色の、サングラス。
あれ? 待って。見たことがある、このお姿。
ブワリと吹き抜けた初秋の風にも乱されない、佇まい。
「あ、さっき……」
そして、輝かしい、この笑顔。
「うん。あっちでパフォーマンスやってた僕だよ」
そう、人だかりの中心にいた、彼です。
カアッと自分の顔が、熱を帯びたのがわかりました。だって、思ったよりも整ったお顔立ちで、その、視線が合うだけで、なんだか照れてしまって。
「忘れ物ですよ、Signorina」
「し、にょり?」
そうして差し向けられたのは、若草色の──あっ!
「わ、わたしの、シャーペンっ」
鞄の紐を両手でぎゅうと握ると、肩もきゅんと縮み上がって、声が震えてしまいました。
気にしない風な、余裕のある雰囲気の彼。笑顔のまま、「どうぞ」とシャーペンを向けてくださって。チャリ、と小さくチャームが揺れています。
「ああーあの、ど、どこに、これ」
「そこのベンチの上に。座ってノートにこれで描いてたの、Signorinaでしょ?」
「は、はい」
あ、思わず頷いちゃった。『しにょりーな』の意味、わたしのことで、合ってるんでしょうかね?
そっと、シャーペンへと手を伸ばすわたし。
「なにを熱心に描いてたのか、訊いても?」
「えっ?!」
つい、ビクッとしてしまって、奪い取るみたいにシャーペンを受け取ってしまったわたし。強く胸にそれを抱いて、俯いてしまって。
どうしてそんなことを訊くんでしょう。ああ、まさか「あなたを描いてました」なんて、言えるはずがありません!
それに、創作のことを口にして、また嗤われてしまうのではと過ってしまうし。怖い。誰ともわからない見知らぬ男性になんて、とてもじゃないけど、言えません。
「さ、サヨナラです」
「え」
このお願いにだけは、易々とお答えできません。それと、拾ってくださったことへ気を配ることも叶いませんっ、ごめんなさい!
そうしてわたしは彼に背を向けて、ぴゅーっと駅へと再び走り出しました。
チャリチャリと揺れる、クローバーのチャーム。どうかわたしに、穏やかな幸運を運んでね、と小さくお願いを込めていました。
なのに訪れたのは、ドッキリと心臓が跳ね上がるようなハプニング。
「あー、もう!」
お願いなんて、するんじゃなかったです。
♧
「んー、逃げられちゃったか」
そっと顎に手をやった俺。ちょっと、いや結構? 地味ぃーにショック。
彼女、YOSSY the CLOWNのことを知らないっぽかった。しかも、めちゃくちゃ嫌がられた。これが意外と俺の──いや、『僕』の矜持を殴ってくれたようだよ。
サムとエニーが、ホテルでシエスタしてくれていて、むしろよかった。格好つかないこの現場を見られていたら──考えるだけで怖すぎる。
チリ、と噛んだ口腔内。
「絶対、モノにしたい」
ひとつ吸って、長く吐く。
「『ふたつ』とも」
にんまり、持ち上がる口角。悪いけど、俺は欲張りなんだよね。
「いろいろ丁度、都合いいかな」
俺は、彼女の辿々しい走り去る背中を目に焼き付けながら、ひとつの作戦を思い付いた。
わたし、小田蜜葉といいます。
実は、服飾デザインをするのが、一〇才の頃からの趣味なんです。……あの、結構恥ずかしいので、本当にどうか内密にしてください。
デザインしているのは、ドレス様の衣服が主です。例えばウェディングドレスやパーティードレス、ダンス衣装などを創作します。
大概は男女ペアで考案して、見返しては想い馳せたりして。あ、わたし自身が着たいわけではなく、あくまでも『誰かに着ていただけたら』、ということを想像するんです。
細かな装飾品のうち、最低ひとつは『お揃い』にするのが、わたしのデザインの決まり事。描いたそれに、わたしにしかわからないような小さな秘密を隠して、わたしだけの特別にするんです。こういうの、とってもいいと思うんです!
「…………」
止まる、シャーペンを持った右手。
中途半端のラフ画。
果ての、小さな溜め息。
だけど実は。
描いたデザインは、まだ誰にも見せたことがないのです。『秘密』と言った理由は、そこ。
これは、叶うかなんてわからない、小さな小さなわたしの夢。今後もきっと、誰にも言わないで終わっていく、引っ込み思案のわたしの夢。
例えば、どこへ発信したらいいのかなども調べません。それをする勇気『すら』ないのです。だって、一度発信してしまったら、ネガティブな視線にも晒されるでしょ? それを受け止める懐は、わたしにはないんですよ。
たとえ、このデザインたちが燻ったままこの生が終わったとして。それならそれで仕方がないと、目を瞑るほかありません。
だからといって、デザインをする手を止めるなど出来ませんので、こうして日々したためているのです。
思考と感情がちぐはぐなことくらい、存分に承知なのです。
だから今はたった一人、わたしだけが知っていれば、それでいい。だって結局、趣味なのだから。
それでいい、はずなの。
「──ん」
考え事をしていたら、集中がプツンと切れてしまいました。
不意に目を上げたわたし。
「あれっ?」
目の前からは既に、被写体にしていた『輝く彼』も、それを囲う人だかりも、すっかりなくなっていまして。
「や、やだ、どうしようっ」
慌てて、鞄に入れたままのスマートフォンを見ると、もう既に二〇分は経っていました。「二分だけ」とか思っていたのに、大嘘です。全然二分どころじゃありません!
「帰らないと」
開いていたノートを鞄へ押し込み、勢いよく立ち上がったわたし。あまり得意ではないけれど、タッと走り出しました。目指すはターミナル駅のホームです。
こんなに時間が経ってしまっていては、母からうるさく咎められてしまうに違いありません。生憎わたしは、いいわけもへたくそですし……ハァ。
左胸に刺した新しいわたしの創作パートナー、クローバーのチャームが付いた、シャーペン、の……えっ。
「あ、あれ?!」
パタリと立ち止まったわたし。買ったばかりのシャーペンがありませんっ! 左胸のポケットに刺したはずだったですが。
「落として、きちゃったかもっ」
ハアハアゼエゼエと、息を落ち着ける間もなくUターン。
「わぷ」
鼻が、顔面が、ドムンとした衝撃に潰れてしまったような。痛いというより、びっくりしすぎて理解が遅れてます。
「おっと」
鼻を擦りながら、声のした方──二歩前の方向を、そろりそろりと見ていきます。
フワッと鼻腔に入る、まるで森林のような薫り。
艶やかな濃紺色の、スーツ生地。
ほんのりと薄紅色をした、シワのないYシャツ。
その中央に淡いエメラルドグリーンの、正しく締められた艶やかなネクタイ。
ゴールドに、小さなアメジストがはめられたタイピンまでなさっていて。
「追い付けたらいいなとは思ってたけど、まさかそっちから飛び込んできてくれるとは思わなかったな」
透明感のあるお声。
健康的な肌色。
顎を上げないと直視出来ない高さにあるお顔。
その目元には、灰青色の、サングラス。
あれ? 待って。見たことがある、このお姿。
ブワリと吹き抜けた初秋の風にも乱されない、佇まい。
「あ、さっき……」
そして、輝かしい、この笑顔。
「うん。あっちでパフォーマンスやってた僕だよ」
そう、人だかりの中心にいた、彼です。
カアッと自分の顔が、熱を帯びたのがわかりました。だって、思ったよりも整ったお顔立ちで、その、視線が合うだけで、なんだか照れてしまって。
「忘れ物ですよ、Signorina」
「し、にょり?」
そうして差し向けられたのは、若草色の──あっ!
「わ、わたしの、シャーペンっ」
鞄の紐を両手でぎゅうと握ると、肩もきゅんと縮み上がって、声が震えてしまいました。
気にしない風な、余裕のある雰囲気の彼。笑顔のまま、「どうぞ」とシャーペンを向けてくださって。チャリ、と小さくチャームが揺れています。
「ああーあの、ど、どこに、これ」
「そこのベンチの上に。座ってノートにこれで描いてたの、Signorinaでしょ?」
「は、はい」
あ、思わず頷いちゃった。『しにょりーな』の意味、わたしのことで、合ってるんでしょうかね?
そっと、シャーペンへと手を伸ばすわたし。
「なにを熱心に描いてたのか、訊いても?」
「えっ?!」
つい、ビクッとしてしまって、奪い取るみたいにシャーペンを受け取ってしまったわたし。強く胸にそれを抱いて、俯いてしまって。
どうしてそんなことを訊くんでしょう。ああ、まさか「あなたを描いてました」なんて、言えるはずがありません!
それに、創作のことを口にして、また嗤われてしまうのではと過ってしまうし。怖い。誰ともわからない見知らぬ男性になんて、とてもじゃないけど、言えません。
「さ、サヨナラです」
「え」
このお願いにだけは、易々とお答えできません。それと、拾ってくださったことへ気を配ることも叶いませんっ、ごめんなさい!
そうしてわたしは彼に背を向けて、ぴゅーっと駅へと再び走り出しました。
チャリチャリと揺れる、クローバーのチャーム。どうかわたしに、穏やかな幸運を運んでね、と小さくお願いを込めていました。
なのに訪れたのは、ドッキリと心臓が跳ね上がるようなハプニング。
「あー、もう!」
お願いなんて、するんじゃなかったです。
♧
「んー、逃げられちゃったか」
そっと顎に手をやった俺。ちょっと、いや結構? 地味ぃーにショック。
彼女、YOSSY the CLOWNのことを知らないっぽかった。しかも、めちゃくちゃ嫌がられた。これが意外と俺の──いや、『僕』の矜持を殴ってくれたようだよ。
サムとエニーが、ホテルでシエスタしてくれていて、むしろよかった。格好つかないこの現場を見られていたら──考えるだけで怖すぎる。
チリ、と噛んだ口腔内。
「絶対、モノにしたい」
ひとつ吸って、長く吐く。
「『ふたつ』とも」
にんまり、持ち上がる口角。悪いけど、俺は欲張りなんだよね。
「いろいろ丁度、都合いいかな」
俺は、彼女の辿々しい走り去る背中を目に焼き付けながら、ひとつの作戦を思い付いた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
放課後はネットで待ち合わせ
星名柚花(恋愛小説大賞参加中)
青春
【カクヨム×魔法のiらんどコンテスト特別賞受賞作】
高校入学を控えた前日、山科萌はいつものメンバーとオンラインゲームで遊んでいた。
何気なく「明日入学式だ」と言ったことから、ゲーム友達「ルビー」も同じ高校に通うことが判明。
翌日、萌はルビーと出会う。
女性アバターを使っていたルビーの正体は、ゲーム好きな美少年だった。
彼から女子避けのために「彼女のふりをしてほしい」と頼まれた萌。
初めはただのフリだったけれど、だんだん彼のことが気になるようになり…?
深海の星空
柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」
ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。
少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。
やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。
世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話
家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。
高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。
全く勝ち目がないこの恋。
潔く諦めることにした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる