C-LOVERS

佑佳

文字の大きさ
上 下
28 / 126
HOPE

6-2 crumpled hands

しおりを挟む
        ♧


 あれは、俺──柳田善一が一七才になったばかりの八月八日誕生日の夜。
「フランスだと?!」
 縁側で夕食後の一服をしていた祖父じいさんへ、俺は笑みを向けた。祖父じいさんはまだ吸いかけのタバコを落としそうになる。
「んなとこ行って、何すんだ」
「修行しに行くんだ」
「ハァ? 修行だァ?」
「俺もパフォーマーになりたいんだよ」
「パフォ……んん」
 渋面を、青臭い俺へ向けた祖父じいさん
「アクロバットもできる。スタチューも得意だ。ジャグリングだってパントマイムだって、なんでも出来るよ」
「けどな、世界にゃそんなヤツごろごろいるんだぞ」
「もちろん承知の上だよ。『今の俺』が完璧だなんて思ってない」
 だって、と、理由のような続きが喉の奥まで出かかる。危ない。これはたとえ祖父じいさんだとしても打ち明けられないことだ。
 俺はそれをグッと呑み込んで、代わりににんまりと口角を上げてみた。
「俺は、世界を飛び回ることで修行して、経験積んで、世界中が俺で笑顔になって……そうやって『完璧になりに』行くんだ」
「…………」
 生唾を呑む祖父じいさんを見て、でもその反応が単純に嬉しかった。
 俺がそうして決意を強引に向けると、祖父じいさんは喉の奥で言葉を噛み殺していた。慎重に言葉を選ぶように、シワの寄った口元を忙しなくする。
「学校はどうすんだ。高校、まさか休学だとか言わねぇな」
「うん。辞めておいた」
「やっぱりか。善一ヨシは手際が良すぎだ」
「へへ、なかなかやるでしょ、俺」
「褒めてねぇぞ、チクショウ」
 ふかされるタバコ。そのときの祖父じいさんの横顔が、俺の最も大事な人と被る。
「フランスの『レーヴ・サーカス』が、俺を受け入れてくれるって」
「レーヴ、サーカス。ま、確かに有名だな。規模はデカくねぇけど、ちゃんとしたことには間違いねぇよ」
 祖父じいさんの鼻呼吸が、立ち上るタバコの煙を揺らす。
「父さんと母さんの名前出したら、見習いから始めてみないか、って言ってくれたんだ。な? スゴいだろ、じいちゃん」
 その俺の主張は、相当幼かったろうと今なら思う。
 親の七光を振りかざさなければ、このときの自分には何も出来ないことを意味していたのに、一七の俺はそんなことには全く気が付かなかった。
 夜の虫が程よく耳に鳴って、当時は赤茶けていた俺の髪に、柔く夜風が絡まる。
「どのくらい、見習いできるんだ」
「とりあえず三か月間。それで使い物にならなかったら、のこのこ帰ってくる」
「マジだな?」
「大マジだよ。じいちゃんに嘘つく度胸はない」
 まるで呆れるかのような、小さな溜め息をひとつ吐かれる。
「金は」
「ちょっとしか持ってかない。俺のパフォーマンスだけで集めて、デカくしていきたいからね」
「ったく、簡単に言いやがって……」
「あと、パスポートは切れてたから取り直した。ビザとかも平気。他にやらなきゃなんないことは、全部終わってある」
「墓は」
 その質問へは、わずかに間を空けてから、静かに返答する。
「一昨日、行ってきたよ」
「そうか」
 祖父じいさんは横に置いたアルミの灰皿にタバコを押し付けた。
「いいか、善一ヨシ。ワリーことはすんな。人を陥れるようなこともすんな。身体が危なくなるようなこともダメだ。それから──」
 右肩に置かれる、祖父じいさんのしわくちゃの左手。
「──絶対に、生きて帰ってこい」
 深く黒々とした、祖父じいさんの瞳。俺を真正面に向いたその真顔。そこに心配の色が揺らめいているのは、ずっとわかっていた。
「うん。ありがとう、じいちゃん」
 白銀の瞳を閉じて、俺はその心配の色から逃げた。


        ♧


「ヨッシーは、ちゃんとパフォーマーに、なりたくて、フランスのサーカス団に、居たんだね」
 エニーがそっと、ひとりごちる。善一は小さな相槌と共に、グラスのミネラルウォーターを半量煽った。
「じゃあどうして今、一人きりで公演パフォーマンスやってんの? せっかく『レーヴ・サーカスヨーロッパで有名なサーカス団』の看板道化師クラウンになったんだろ?」
 煽った姿勢のまま、問いかけてきた向かいのサムを一瞥いちべつ
「サーカス団に居続けてた方が、きっともっとたくさんの名声とか金銭を貰い続けられたはずだよね? でも、今はそうしてない。それって──」
 サムがわずかに身を乗り出す。
「──さっき話の中で言ってた、『修行』が終わったってこと?」
「フフ、痛いところを突くなぁ、サムは」
 くすくす、と嬉しそうに笑んだ善一。
「終わってないよ、全然終わってない。『レーヴ・サーカス』で出来ることを第一段階目とするなら、まずそれが終っただけさ。だから、単独の活動に切り換えたってワケ」
「じゃあ、今やってる単独活動は、ヨッシーの修行第二段階目ってこと?」
「そういうこと」
 優しい笑みのまま、言葉が続く。
「ハッキリ言うと、あのままサーカス団に居続けても、『僕個人の希望のぞみ』には届かないって思っちゃったからなんだ」
 エニーがぽっかりと小さく口を開けた。
「ヨッシー個人の、希望……」
「それって、さっきの話に出てきた『完璧になりに行く』ってやつ?」
「フフ、そうだね。まぁ早い話、僕が道化師クラウンとして本当に欲しいのは、富でも名声でもないってことさ」
 じっと、その真意の説明を待つ幼い双子。善一は、グラスを音もなくテーブルへと置いた。
「では。ここで問題です」
 ジャジャンっ、と空耳。ただし、善一にのみ適応されたもの。サムとエニーは、揃って同じような首の捻り方をする。
 可愛いかよ、と漏れ出た想いをひっそりと胸にしまった善一。
第一問クエスチョン・ワン。どうして俺は、そこそこ裕福な実家からはほとんど金銭を持ってこなかったんでしょうか」
「ハイッ!」
「はーい、サムくん」
「『自分のパフォーマンスだけで集めて、デカくしていきたいから』、だったよね。それって、ヨッシーがゼロから積み上げたっていう『実績』が欲しかったから、じゃない?」
That's rightそのとおり! さすがだ、よくわかったね」
 右腕で頬杖をつく善一。顔面に貼った笑みは優しいまま。
「じゃあ、第二問クエスチョン・ツー。有名になったことで得られる、芸人パフォーマーとしての旨味って、なんでしょうか」
 生々しかっただろうか、と善一はひっそり懸念を抱いた。しかし、エニーが静かに手を上げたことで、それは簡単に打ち消される。
「ハイ」
「はーい、エニーさん」
「国境を、越えた、いろんな場所……で、公演パフォーマンス、できるようになる、こと」
 パチン、と右手の指を鳴らす善一。
「そっか。そしたら『人がたくさん入るような場所で公演やってください』って、声がかかるもんね」
 双子の瞳の奥に、キラリと輝きが宿った。善一は黙ってひとつ首肯を向ける。
「『レーヴ・サーカス』はフランス国内が主な活動拠点で、あんまり国外の公演をしないんだ。それはサーカス団に所属してからわかったことでね」
 やれやれ、と肩を竦める善一。
「国内に留まりがちなままだと、『国境を越えたいろんな場所』ってのが達成できない」
「確かにね」
「せいぜい、ヨーロッパ止まり、だろうね」
 エニーがボソリ言ったそれへ、善一は人指し指を向けた。
「それじゃあ、第三問ラスト・クエスチョン。僕の活動コンセプトは、なんでしょう?」
 YOSSY the CLOWNの活動コンセプト、それは──サムとエニーが口を揃える。
「『世界を笑顔で満たし、そうして美しく変えること』っ」
 「That's correctご明察」と、善一は満足気に笑った。その笑みに、サムもエニーも満たされた心地を得る。
 つまり、と、二人は思う。まるで心を読んだようなタイミングで、善一がニマリと妖しく笑んだ。
「俺ね、サーカス団に居るときにあることに気付いちゃったんだ」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

[1分読書]彼女を寝取られたので仕返しします・・・

無責任
青春
僕は武田信長。高校2年生だ。 僕には、中学1年生の時から付き合っている彼女が・・・。 隣の小学校だった上杉愛美だ。 部活中、軽い熱中症で倒れてしまった。 その時、助けてくれたのが愛美だった。 その後、夏休みに愛美から告白されて、彼氏彼女の関係に・・・。 それから、5年。 僕と愛美は、愛し合っていると思っていた。 今日、この状況を見るまでは・・・。 その愛美が、他の男と、大人の街に・・・。 そして、一時休憩の派手なホテルに入って行った。 僕はどうすれば・・・。 この作品の一部に、法令違反の部分がありますが、法令違反を推奨するものではありません。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

バッサリ〜由紀子の決意

S.H.L
青春
バレー部に入部した由紀子が自慢のロングヘアをバッサリ刈り上げる物語

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

処理中です...