毒と花言葉

佑佳

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12話

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 その日の昼休みを平穏に終えて、放課後になった頃。
「……きたか」
 制服のポケットの中でスマートフォンが震えた。生唾を呑み、受信したメッセージを手短に確認。その内容に誘われるようにしてそっと席を立った。
 部活動前だが着替えはしない。荷物もすべてそのままだ。手ぶらのオレが急ぎ向かった先は、校舎三階の東端――イングリッシュ・デン。陽の当たらない廊下はやはり寒々しく映る。
 ノックをせずに扉のノブを恐る恐る回す。そのまま押し開けると、デンの中はガランとしていた。よかった、まだ誰も来ていない。
 音を立てないように扉を閉めて、手汗で湿ってしまったかもしれないのでブレザーの袖口でなんとなくノブを拭き取っておく。
 数秒もしないうちに、掃除用具が入っている小さな縦長ロッカーの中に身を隠した。正直狭い。カビ臭いし、古いホコリの臭いもする。クシャミが出たらどうしようかと思い悩むも、隠れ場所を変更することは叶わなかった。
「――どうぞ」
 来た、高城先輩だ。危ない、タッチの差だったようだ。
「お邪魔しまァす」
 そして高城先輩の後ろには、案の定菅平がいた。いつもの憎たらしく粘っこいキツネ顔が高城先輩をジロジロ見ているのかと思うと胸クソが悪いが、ここは我慢だ。
 あいにく室内の様子は見えないが、音だけはばっちり聴こえる。向こうの音が聴こえるということはこちらの音も向こうには聴こえてしまうということ。オレは音を鳴らさないようとてつもなく注意しながら、ソロリソロリとブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、とあることのために手早く操作。ふぅ、息をひそめるのも気力がいる。
「で? わかってくれた? 俺の気持ち。鈴に断られた俺がどれだけ傷ついたか」
 始まった――オレはこれまでにないほど耳を澄ませ、二人の会話に神経を尖らせる。
「それはその、ごめんなさい。で、でも。約束した、じゃない。何か意見があるなら、先に私に言ってって。なのに、菅平くんはその約束破って、また第三者に手を出したり、危害加えたりしたものっ」
 切々とした声の高城先輩。よかった、一応話し合いをしにきたようだ。
「あれはアイツがワリィじゃん。俺たちのこと何も知らねぇくせにアイツが食ってかかってくるから」
「そ、それはだって――」
「鈴だって気付いてるだろ? アイツがお前のこと好きだから近付こうとしてきてること。なのに、カレシである俺との関係隠してアイツと仲良くしちゃってさァ」
 この話題の『アイツ』って、やっぱりオレのことじゃね? つまり、オレが論争の火種になっているし、しかもそのせいで高城先輩の半裸写真がグループチャットルームに貼られたということなのではないか?
「……クソっ」
 スマートフォンを持っていない方の手でグシャと自身の短髪を掻き上げ、強く握った。
 今になって、先輩たちや友人らが「深く関わるな」と忠告してきた意味を正しく理解できた。それは菅平から危害を加えられることへの忠告だけでなく、高城先輩にも不利益があるからだ。
 そう理解したところで遅い、遅すぎる。オレは考えなしに突っ込んでいって高城先輩まわりを掻き乱しただけじゃないか。自己嫌悪と羞恥心でいたたまれない。
「アイツだって下心丸出しなんだよ、気持ち悪くねーの?」
「そういう話、今、してない。私は菅平くんとちゃんと別れ――」
「俺はてっきりアイツのこと振ってくれるもんだとばかり思ってたのに、いつまで経ってもズルズルズルズルやってるじゃん? ねぇ鈴、これって完全に浮気だよ?」
「わ、私が誰と交友したって、す、菅平くんにはもう関係ないじゃない! 私、この前の年末に別れたつもりで、いたんだけど」
「え? マジで別れたと思ってたわけ? アハ、バカすぎ。手放すわけねーじゃん、お前のこと」
「どう、して」
「だってマジでなんでも言うこと聞いてくれるんだもん、鈴は。断れないっていいよなァ。罪で、有益で、無力だねぇ」
「そ、そんなっ」
「俺が飽きるまで、鈴は俺のカノジョだよ。だから他の男なんか必要ないんだ。コーコーセーだから多少の目移りは大目に見るとしても、歳下をたぶらかしちゃあいけないなぁ。それに、断るなら俺にじゃなくて、他の男たちにしなきゃじゃね? ねぇ、鈴。わかるね?」
 ダン、と大きな音がした。同時に小さな高城先輩の悲鳴。飛び出していきたい衝動をグッとこらえる。
「傷ついたお詫びに、今日もヤらせてくれるよね」
「…………」
「ね、鈴。いいよね?」
「…………」
「聞いてんの? 一応言質げんちとっとかねぇとと思って訊いてやってんだけど?」
「…………」
「何とか言えよクソが。なんなんだよ、いちいち反抗的な態度とりやがって」
 声色を変える菅平。きた、脅しにかかった。スマートフォンを握る手に力が入るし震えるけれど、どうにか落ち着かなくてはならない。まだダメだ、まだ。すみません高城先輩、もう少しだけ……本当にもう少しだけ耐えてください。
「菅平くんは――」
 意外なことに、恐怖で震えていたであろう高城先輩が静かに口を開いた。
「――私を従えて思いどおりにしたとき、いつもどんな気持ち?」
「はあ?」
「私、たくさん考えたの。菅平くんは何がしたくて、私にいつも『いいよ』って言わせたいんだろうって」
「何言ってんだよ、意味わかんね。どーでもいい話始めてんじゃねぇよ」
 たしかに何が言いたいんだ、高城先輩は? オレの中の怒りがほんのりと鎮静化していく。
「私があなたにできることは何だろうって、どれだけ考えてもわからなかった。菅平くんが私に何を求めてくれてるのかわからなかったから、それを聞かせてほしいんだよ」
「だから、どーでもいいだろそんなこと。お前は黙ってヤられてればいいだけ。断続的に俺の好きにされてればいいだけ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
「でも、どれだけ菅平くんの言うことをきいても、菅平くんはいつも満足そうじゃないもの」
「……は?」
「菅平くんは、本当は私にどうしてもらいたいの? 私ができることなら聞きたいし、考えたい」
「はー萎えるわ、マジで。そーゆーのいいから。ウゼ。黙って言うこと聞いとけし」
「私はねっ」
 それと共にガタンと大きな音。菅平が動いたのか高城先輩が動いたのかわからない。だが言葉を続けたのは高城先輩だったことで、高城先輩が押し負けていないとさとる。
「私にだって、やられてイヤなことあるんだって、菅平くんにわかってもらいたいだけっ」
「ハッ、生意気すぎ。なんだよ、まさか俺と対等になりたいわけ?」 
「ってことは、やっぱり私のこと下に見てたんだ」
 哀しげな高城先輩の言い方に、グッと言葉を詰まらせる菅平。
「菅平くん、学年変わってから一年生の女の子の何人かに告白されてるでしょ? モテないわけじゃないのに、どうして私に戻ってくるの? 私の何がそのたちと違うの?」
 まさか菅平がモテていたなんて、と絶句してしまった。顔面や容姿だけで見たら、何も知らない女の子たちには魅力的に映るのだろうか? はなはだ疑問だ、まったくもって理解しがたい……っていうのはオレの偏見があるからだろうか。
「今、三人くらいの一年生と付き合ってるんだっけ? 慈み野の一人と、他校二人」
「なんで、そんなことお前が」
「やっぱり」
「…………」
「それなのに私と別れる気がなくて、私の身体とか承認を求めてくるってことは、私にしてることと同じようにしたら彼女たちに確実に拒絶されるって、菅平くんはわかってるんでしょ?」
「ウルセーよ、ただヤるに値しねぇだけだし一番メンドクサくねーのかお前なだけだろ」
「菅平くんは、どんなことを他人にしたら拒絶されるか、ちゃんとわかってる。事の良し悪しをちゃんとわかってる人だよね」
「…………」
「だからこそ、拒絶されるようなことを私に強いることで、菅平くんの何が満たされるのか気になるの」
 教えてほしい、と高城先輩は冷静に告げた。
 冷静に言葉をかけられるにつれて、反して菅平は息を荒くしていく。なんだかまるで過呼吸のそれだ。動揺し始めたのだろうか。
「そんなもん……優越感しかねぇじゃん」
 小さく震える声で、菅平はそう言った。動揺しているんだと確信づく。ヤツの空気が、それまでの横柄なものから少しだけ変わったような気がする。
「他の女は、とりあえずはべらせとけば暇潰しになるし。騙されてバカだなって嗤えるし。まぁその点、鈴はそこらの女どもより顔はいいから、隣に置いとけばカッコつくだろ。お前みたいな、その辺にいなさそうな顔面の女を好きにできたら、優越感で気分いいじゃん」
 クソ、あの野郎。やっぱり高城先輩のことをアクセサリーみたいに考えてやがったのか。それに何股もかけるようなドクズなだけでなく、好意を持ってくれた貴重ともいえる女の子たちを陰で嗤いモノにしているだなんて、本当に最低すぎる。
「そもそもお前、なんでもかんでもいいよいいよって言うじゃん。だからどんどん無理で押して、俺の奴隷みたいになったら……」
 そこまで言って、菅平は言葉を切った。言えないということだろう。それがヤツの本心なのだ。
 本心や本音を言うことは、誰だって恥ずかしい。プライベートな部分をさらけ出すには相当な気力が要る。じわりじわりと発しているらしい本音は、いくら菅平といえどもはばかられるものがあるのかもしれない。
「そーやって鈴がいつも受け入れるから、お前になら何やってもいいって思うじゃん。お前の自由は全部俺のものって思うとさ、フツー歯止め効かなくなるじゃん」
 まるで高城先輩のせいだとでも言いたげだ。弱った声色から、沸々とした怒気を感じる。
「……だから歪んだんだ、いつの間にか俺は歪んだ。こうなったのは全部鈴のせいだ」
「菅平くん……」
「鈴が悪いッ。鈴が俺の全部を変にした!」
 ガタガタと異様な物音がして、バタバタとした足音も重なる。「キャッ」と高城先輩の悲鳴に似た一声の後で、パシンと乾いた音が鳴った。
「責任取れ! 一生俺の奴隷でいろ!」
 気が付いたら、オレはカッとなってしまって、狭い掃除用具入れから飛び出していたんだ。
「鈴蘭先輩っ!」

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